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エリコ  作者: ムライリカ
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♠12月…その6

 三橋と付き合い初めて半年が経過した。最初は同じ職場同士、仕事にも支障が出るのかと思われたが、そこは三橋が上手くコントロールしていた。元々教えている教科も違い、他の科の先生方とも交流は浅い。


 また三橋も真面目な部類の人間だったので、今のところ学校側に2人の交際が知られる事はなかった。交際と言っても、週末2人で食事に行き、そのまま朝まで一緒に過ごす。三橋と付き合うのは正直楽だった。彼女は何でも受け入れてくれる器を、不思議と兼ね備えている人間だった。


 服部は甘えた。ここが自分の居場所だと信じ込もうとした。しかし幾ら三橋を抱いても、心まで満たされる事はなかった。ただの性欲処理に他ならない。三橋は英里子と違った。感度や匂い、悦を帯びた表情でさえ何もかもが違った。三橋の向こうに英里子を探し出そうとしたが、見つかる訳がない。


 服部は三橋と2人でいる時も、英里子の事が気になって仕方がなかった。自ら連絡を絶った筈なのに、今でも結ばれた情景を鮮明に思い出せるのが嫌だった。嫉妬が服部を醜くさせる。やはり代わりの器では満たされないのだと気付き始めていた。


「どうしたの、浮かない顔して」


 週末、いつも通り服部は三橋と一緒にベッドへ潜り込んでいた。細い手足の割に豊満な肉体が擦り寄ってくる。服部は「何でもないよ」と三橋の頭を撫でると、煙草を吸いに立ち上がった。換気扇の下、寝起き姿で一服する。いつも吸っているはずの煙草が酷く不味いと感じた。


「ねぇ。そろそろ私の両親にも、淳を紹介しようと思うんだけど」


 上半身を起こしてこちらを見ている。服部は胸の内を悟られないように視線を逸らした。もう結婚話か。早い気もするが、もうすぐ30を迎える三橋にとっては、いつ出てきてもおかしくない話題だった。


「紹介か……分かった、考えておくよ」


 不味い煙草だが今は手放せない。三橋と結婚する気などなかった。だが先程の返事を日時の指定だと捉えた三橋が、嬉しそうに頬を緩ましていた。

 服部は背を向けて煙草を吸い続ける振りをした。自分の事なのに、まるで他人事のように感じる。英里子と結ばれない未来なら、もうなるようになればいいか。どうでもよかった。


 吸わなくなった煙草を灰皿に押し付ける。英里子と一緒にいた時は、2人で暮らす未来を無性に憧れた。閉じ込めてまで成し遂げたい愛だった。それが今の受け皿には愛着しか沸かない。だが容易には手放せなかった。この煙草と灰皿のような関係なのかもしれない。服部は1一人苦笑した。




 途絶えていた筈の英里子から連絡が来たのは、三橋との結婚話が出た2週間後だった。


『今週末そちらへ伺います』


 服部は胸を抉られる想いで携帯のディスプレイを見つめた。英里子がこっちへ来る。どうして。次から次へと募る想いが湧いてきて、服部は居てもたってもいられなかった。出来る事なら今すぐ電話をかけて声を聞きたかった。

 必死に動揺を堪えて煙草に火を付ける。最悪な事に、今週末は三橋の両親の所へ行く先約があった。だが、ここで英里子を放棄すれば永久に会えないような気がしてならない。


 英里子に会いたい。三橋と結婚してしまうのなら、その前にどうしても会いたかった。たとえ結ばれなくても、世間に許されなくても自分はまだ英里子を愛していた。三橋の方はいくらでも都合がつく。訳を説明して妹と会う時間を作らせてもらおう。




 週末。三橋の両親には昼間の内に挨拶を済ませるよう手配し、夕方から英里子と落ち合う約束をした。久し振りにスーツに袖を通した服部の顔は、期待と不安で押しつぶされそうになっていた。勿論三橋の両親に対して緊張していたが、それ以上に英里子との対面に恐れ戦いていた。自分の結婚話を英里子は知らない。しかし、いずれは説明しなければならない。


 英里子がどんな想いでこちらに来るのか見当もつかなかったが、服部は毅然として立ち向かわなければならなかった。現実に、世間に。かつてこれ程までに緊張を強いられた場面があっただろうか。教員試験の時でさえここまで酷くはなかった筈だ。

 服部は景気付けに胃薬を飲み干した。苦味が奥の方で広がり、幾ら水を飲んでもすぐに口は乾くのだった。


「スーツ姿、久し振りに見るわね」


 駅前で三橋と合流する。彼女の方もパンツスーツと、これまた授業参観でも行うかのような格好だった。右耳のピアスが煌びやかに光る。服部は近所で買ったお茶菓子を片手にぎこちない笑を浮かべていた。


「そんなに緊張しないで。今日は軽い顔合わせのつもりだから」


 ばしっと背中を叩かれる。このまま三橋と結婚したら、姉さん女房になるのは確実だった。男の身としては少し情けない気もするが、決して嫌ではない。主体性のない自分にここまで寄り添ってくれているのだ。三橋は良い奥さんになる。服部は自信を持ってそう宣言出来た。


 しかし唯一の気がかりは英里子だった。今日の夕方に落ち合う約束だって、服部が一方的に指示したものだ。自分から伺うと言った癖に、その後まともに連絡が取れない。どうせバイト先の彼氏と戯れているに違いない。思わず裸体まで想像しそうになり、慌てて思考を断ち切った。一先ご両親との挨拶を先に済まさなければ。分かってはいたが、英里子の事が片時も頭から離れられなかった。


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