♠12月…その3
それから2人は忍び合うように身体を重ねた。道徳から外れた行為を止められなかった。周囲にどう思われようが、自分の味方は英里子1人で充分。2人だけで行ける所まで突き進む。そうする事でしか、この愛は証明出来ないような気がしていた。
「教員試験、合格おめでとう」
翌年、2人はファミレスで乾杯を交わした。オレンジジュースを飲み干すと、互いに笑い合う。
「やっぱりジュースじゃ味気ないわね」
「車で来ているから仕方ないだろう」
ガラス越しに駐車場を見る。今日は新居の家具を揃えに、英里子と遠くまで買い物に来ていたのだった。
「新学期が始まっちゃったら、しばらく会えなくなるわね」
英里子が寂しそうに呟く。教員として働き始めたら、こうして自由な時間も中々取れないだろう。勤務先も大学より更に遠くなった。必然的に遠距離恋愛になる。この先が不安なのは、服部も英里子も同じだった。
「なに、一生会えなくなる訳じゃないさ。夏休みにでも都合をつけて出かけよう」
その場限りでも良いから約束が欲しい。支えが無ければこの先共存出来ない。どちらかが果てるまで、2人の関係はこれの繰り返しなのだ。
「そうね……じゃあ、行き先が決まったら連絡するわ」
のんびりとした返事に、服部は急かすように手を掴んだ。
「そんな事言わずに、これから決めよう」
しばらく会えなくなる英里子を、このまま帰す訳にはいかなかった。食事を終え、途中本屋で旅行雑誌を買って帰る。引越しを終えた新居で2人寄り添い、雑誌を眺めた。
英里子が隣で嬉しそうに微笑む。まるで新婚さんみたいだねと茶化された。服部はその表情すらも愛おしくて、ぎりぎりまで英里子を放さなかった。
どうしてこんなに英里子の事が好きなのだろう。同じ血が通っている筈なのに、この身体は飽きる事を知らない。知れば知るほど貪欲になる。いっそ閉じ込めてしまいたい。自分は思っていた以上に強欲だった。
「なぁ、英里子もこっちへ来て住まないか?」
行為を終え、ベッドの上でまどろんでいる英里子を抱きながら、前々から思っていた事を口にした。地元から離れてくれれば、今以上に気を使わなくて済む。一緒にいられる。だが英里子は困ったように眉を潜めると、自分から静かに離れた。
「お母さんはどうするのよ」
唯一の気掛かりだった。流石に母親を置いて来るつもりになれないのだろう。英里子がするりと服部の横を抜けると、床に散らばった下着を身に着けていった。その後ろ姿すら見惚れる。ただでさえ兄妹で逢引を重ねているのだ。服部は母親に対して常に罪悪感を抱いていた。
「その話はまた今度にしましょう。そろそろ帰らないと間に合わないわ」
意外とあっさりした態度に寂しさが募る。現実味を帯びた話は2人共避けたがっていた。英里子は寂しくないのだろうか。服部はその背中に問いたかったが、野暮だと思い自分も衣服を身に纏った。寂しくないわけがない。口にしたところで現状は変わらないのだ。
気乗りしないまま、服部は英里子を駅まで送って行った。これが最後のドライブになろうとは、当時は思いもよらなかった。
教員として働き始めてから、次第に英里子からの連絡が途絶え始めた。毎日していた電話も2日に1回、3日に1回と徐々に回数が減っていき、最近では1週間に1回のペースになってきている。それに伴い、メールの頻度も少なくなってきていた。
服部も新しい環境に馴染むのが精一杯で、つい英里子を後回しにしてしまいがちだった。碌に返事をしなかった日もある。それでも英里子なら理解してくれるだろうと、服部は甘い考えを密かに持ち合わせていた。
『最近、あまり話さなくなったわね』
電話越しに英里子のため息が聞こえる。その通りなのだが、服部はあえて沈んだ調子で答えた。
「すまない。休みの日くらいしか、ゆっくり電話もかけられないんだ」
嘘ではない。平日は授業に雑務に勉強と、殆ど学校に缶詰状態なのだ。しかし服部の苦労を知らない英里子は、一方的に腹を立てるしかない。女は拗ねる生き物だ。英里子も例外ではなかった。
『忙しいのも分かるけど、連絡くらいきちんと頂戴よ』
怒り交じりの口調に、服部は取り敢えず謝った。いくら弁解しても、賢い英里子は鋭く指摘する。愛しているからこそ、相手のちょっとした過失が許せないのだろう。服部も同じだった。
「何だよ、自分だって先週電話した時なんか、出なかった癖に」
ついむきになって反論する。事実最近の英里子と会話していても、何処か上の空と言うか、話を聞き流されている感じがあった。よそ事をしながら対応されている感じがあった。前なら絶対にそんな事はなかったのに。
『それなら先週謝ったじゃない。まだ怒っているの?』
「怒ってはいないが……最近のお前、少し冷たくないか?」
『そんなことないわよ』
英里子が鼻で笑うかのように自分をあしらう。小馬鹿にされた気分で、思わず携帯を握っていた手が力んだ。これでは自分1人で不貞腐れているようではないか。面白くない。
「俺に会えなくても余裕なんだな」
『どういう意味よ』
「そのままの意味だ」
お互い無言で推し量り合う。一方的な愛が静かに通り過ぎていく気がした。この果てに落ちたのはお互い様だ。今更引き返せる筈がない。
『……私だって寂しいわよ。でも、それを表に出したら兄さんが困るでしょう?』
沈黙を破ったのは英里子だった。英里子は甘えたい時か、近くに母親がいる時にだけ兄さんと呼ぶ。今のはどちらだろうか。寂しい現状すらこっちの責任になっている。
次第に英里子が鬱陶しくなってきた。声が聞けたかと思えば愚痴をこぼし、注文を付けられる。嫌味な女だと服部は眉を潜めた。相変わらずバイト風情の癖に、自分と対等に渡り合おうとするその態度が気に入らない。口論では英里子に敵わないのも癪に障っていた。
「もういい。次の連休にはそっちへ帰るから」
『勝手に拗ねないでよ』
表情が見えなくても英里子にはお見通しらしい。これだから察しの良すぎる女は嫌だ。服部は面倒になって適当に通話を終了した。苦いものが胸の奥につっかえていて、取れない。何処かでずれ始めている。
服部は不安を覚えた。何度も電話をかけ直そうとしては、部屋の中をうろうろして思い留まる。やがて英里子に心を乱されるのが嫌なのだと気付いた時には、服部は自分を呪い殺したくなった。