表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エリコ  作者: ムライリカ
16/28

♠12月…その1

 服部の両親も教師だった。いつも帰りが遅いので、2つ下の妹と毎日遊んで待っていた。サッカー、おままごと、ゲーム、テレビアニメ。何処へ行くにも、殆ど一緒だった気がする。それが小学校を卒業するまで続いた。


 中学校に上がると服部は部活動に入り、母親より遅く帰るようになった。妹は1人で待つようになっていた。妹が中学校に上がると、2人は別々に遊び始めた。受験の為に服部は塾へ通うことになったし、休みの日はそれこそ同級生と遊んでばかりだった。妹も仲の良い友達とばかり遊び、すれ違う日々が多かった。もう兄妹で遊ぶ年頃ではなかったのだろう。家族として一緒に暮らしてはいたけど、その頃から互いに距離を置くようになっていた。異性だったのもあるかもしれない。


 高校生にもなるとますます疎遠になり、殆ど口を聞かなくなってしまった。別に喧嘩していた訳ではない。妹が嫌いになった訳でもない。別々の世界で生活するようになったからだ。妹とは家にいても、顔を合わす程度の存在。大学進学と同時に実家を出た時も、妹は「向こうでも頑張ってね」と、何ら差し障りのない挨拶だけを寄越したのだった。




 そんな妹と久しぶりに再会したのは、大学2年生の冬休みだった。それまでに服部も何度か帰省はしていたが、タイミングが合わなかったのか、顔を合わすことがなかった。土産を持って玄関をくぐると、奥から美人な女性が顔を出した。


「お帰りなさい、兄さん」


 自分の妹、英里子だと気付くのに少し時間がかかった。2年も会っていないだけで、ここまで雰囲気が変わるものなのか。化粧も覚えたらしく、ほんのりと頬が赤い。自分の知っている妹のようで、妹ではない人物。改めて異性として認識した瞬間だった。


「やぁ、英里子。何だか随分美人になったね」


 身に着けている衣服も、自分のお下がりの時とは違って、落ち着いた大人の色合いに変わっていた。もう高校3年生になったのだから、自分で稼いで買うようになったのだろう。英里子も照れたように俯いた。


「そう?……兄さんも、少したくましくなったわね」


 引越し屋のアルバイトをしたおかげかもしれない。服部も照れ臭そうに笑った。兄妹でも、互いに他人のような感覚。一緒に遊んだ記憶が幼すぎたせいかもしれない。

 少し緊張した。もはや英里子は妹ではなく、1人の女性として家に居る。何だか落ち着かなかった。


「お母さんは夕食の買い物に出ているわ。お父さんは仕事」英里子が炬燵に入るよう勧めた。「向こうでの大学生活はどう?」


 話し相手に付き合ってくれる気らしく、2人して暖をとりながら向き合った。


「どうって言われてもなぁ。学生寮だから生徒も多いし、賑やかであまり自立した感じはないな」

「彼女出来た?」


 にやにやしながら様子を伺う。服部に彼女が出来た事は今まで1度もなかった。それを見越しての質問なのだろう。軽く咳払いをしてから答える。


「出来ないよ。今は勉学で忙しいんだ」

「ふーん……つまんないの」


 英里子は肩肘をついた。


「俺に楽しい話を期待されても困る」

「ふふ。昔っから兄さんは、堅物な所があったからね」

「悪かったな」


 その後お互いの近況を語り合った所で、母親と3人で夕食をとった。この再会を気に、服部は英里子と連絡を取り合うようになった。関わりが少なくなったとはいえ、たった1人の妹なのだ。困った事があれば相談に乗るよと、その場限りの良い兄貴を演じて帰って来た。




 実際に英里子から連絡が来たのは、大学3年生の夏休みの時だった。何と親父の不倫が発覚して、離婚する所まで話が進んでいると言うのだ。

 その知らせを受けた服部は、次の休みに早々と実家へ飛び帰った。母親はすっかり落ち込んでしまい、泣いてばかりいるのか頬が痩せこけていた。英里子が宥める様に母親の傍に寄り添っている。


「親父は何処へ?」

「それが、連絡もつかないのよ」


 英里子も困惑した表情で、テーブルの上を指した。離婚届が置いてあり、親父の欄は全て記入されている。


「ちょっと別室で話さない?」


 母親の居ない所で話そうと、英里子が服部を部屋に招き入れた。妹の部屋に入ったのは小学校以来だったと思い出し、すっかり女性らしく内装された部屋に戸惑う。


「ここに入るのも、随分久しぶりだな」


 ローテーブルに向かい合って座ると、英里子がここまでの経緯を大まかに語ってくれた。まず、親父が勤め先の生徒の親と関係を持ってしまった事。それが5年も前から続いていた事。元々英里子が高校を卒業したら離婚するつもりだった事。

 服部は呆れて声も出せなかった。そんな不埒な関係を、人知れず築いているとは夢にも思わなかった。何より腹立たしいのは、そんな大事な決断を子供達に一切告げなかった事だ。


「じゃあお前が卒業する辺りから、そう言う話が出ていたんだな?」


 英里子が黙って頷く。相当やり切れなかったらしく、目にはうっすら涙が溜まっていた。服部はそれを怒りだと感じた。


「親父も母さんも、最初から離婚するつもりなら、どうして今まで騙すような事をしてきたんだ」


 最もな意見だった。その点は英里子も同意する。


「私も2人に責めたわ。お母さんは以前から薄々気付いていたらしいけど……夫婦の問題だから、子供の私達まで巻き込みたくなかったって。深くまで追求出来なかったって」英里子が爪を噛んだ。「それでずるずる離婚しないまま今日まで来てこの有様よ。やってられないわ」


 行き場のない怒りと悲しみが込み上げてくる。いい加減な夫婦だ。子供の為を思って我慢してきたと言いたいのか。


「お前は離婚に賛成なのか?」

「賛成も反対も、これじゃ一方的に縁を切られたも同然じゃない!」


 英里子はそう言って肩を怒らす。服部も今更連絡をとってみたが、無駄な努力だった。


「荷物も殆ど残って無いのよ。少しずつ持ち出していったみたい」

「そうだったのか……」


 突然訪れた家族の終わりに、どう対応していいのか分からなかった。どちらかと言うと服部は部外者だ。人知れず勉学に励んでいたら、いつの間にか両親が離婚しようとしている。完全に置いてけぼりだった。


「それで……この話はあまりしたくないんだけど、ちょっと問題があったのよ」

「問題?」


 英里子と顔を見合わせた。大学生になった英里子は、髪を茶色に染めてピアスまで開けていた。お洒落になった。好きな人でも出来たのか。服部はそっちも気がかりだった。英里子がため息を漏らす。


「お金よ。慰謝料は払うつもりらしいけど、教育費は一切出さないって。自分達で働くなりどうにかしなさいって」


 服部も英里子も大学生だ。とても自分達だけで授業料を賄えるはずもない。ましてや英里子は大学に入ったばかりだった。後4年も親の援助なしで通えるとは思えない。


「母さんは何て?」


 英里子が首を横に振る。


「あれ以上苦労はかけられないわ。もう少し時間も必要だと思うの」


 先程の母親の姿を見て、その通りだと思った。要は今後の授業料だ。このまま二人とも大学に通い続けるのは難しい。


「今からでも奨学金を申請するか、一端休学してお金を稼ぐかしかないな」


 どちらにせよ厳しい選択だ。何とかして英里子の教育費だけでも工面してやれないだろうか。服部は腕を組んで考え込んだ。ここは自分が退学して働くしかあるまい。

 深刻な表情をした服部を他所に、英里子が優しく囁いた。


「そこでお願いがあるんだけど、兄さんには私の分まで大学に行って欲しいの」


 驚いて顔を上げると、英里子が涼しい顔をこちらに向けていた。その瞳からは強い意思を感じる。答えは既に決まっていたようだ。服部はすぐさま反論した。


「どうしてお前が辞めるんだ。折角入ったのに、諦めるつもりか?」

「私の事はいいの。どうせ3流の大学だったし、兄さんと違って具体的な夢とか目標とか、何も持っていないし……」英里子は悲しそうに微笑んだ。「教師になるんでしょう?小さい頃からの夢だったじゃない。私に宿題教えるのもとても上手だったじゃない。順調に行けば、後2年で卒業よ。頭のいい兄さんなら楽勝ね」

「何馬鹿な事言っているんだ!お前はそれでいいのか」


 英里子が黙ったまま俯く。だが視線だけはこちらに寄越していた。


「お願いだから、そうして。この夏休みが明けたら私、退学する。実はもう大学には話を通してあるの。だからこの話は、後日報告ね」


 そう言って笑ってみせる。自分の妹は知らないうちに我の強い女に成長していた。苦しまぎれの笑顔を目の当たりにして、服部は気が付くと英里子を抱きしめていた。兄として何もしてやれなかった不甲斐なさに腹が立った。身を挺して謝罪しても足りない。


「勝手に決めやがって」

「……ごめんなさい」


 恐らく1人で決断したのだろう。英里子の辛さ、悲しみ、苦しみを、今まで理解する気もなく両親に押し付けていた。遠い存在になったのだと避け続けていた。本当は怖かったのだ。嫌われるのを恐れていたのだ。そんな服部を英里子は尊敬していたと言うのに。


「そろそろ恥ずかしいから放れてよ」


 英里子がくすぐったそうに声を上げた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ