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エリコ  作者: ムライリカ
13/28

♥11月…その1

 枝里子は先生と両思いになった。それを世間では付き合っていると言わないだろうか。

 しかし恋人同士として出歩く事もなく、日常的には今までと何ら変わらなかった。学校では先生と生徒。この部屋でも生徒。強いて言えば、部屋に先生のいる頻度が増えただけだった。


「先生、つまんない」

「勉強はつまらん物だ」

「そうじゃなくて、外行きたい」

「もう暗いぞ、帰るのか?」


 このように冷たくあしらわれる。先生は相変わらず何を考えているのか分からなかった。


「先生って、女性とお付き合いした事あるの?」


 枝里子が思い描いていた恋人同士とは、もっと親密な感じで、デートとかを楽しむものだと思っていたのに。それもこの無愛想では難しいかもしれないが。

 今の発言が先生を傷つけてしまったのか、そっぽを向いて何も答えなかった。


「けち」


 先生の態度を一々気にしていたらキリがないので、早く問題集を終わらす事にした。


「次の期末……クラスで10位以内に入ったら、何処でも連れて行ってやる」


 テレビを見ながら、後ろ越しにぼそっと呟いた。今の成績なら楽勝で10位以内に入れる。つまり連れて行ってくれるのだった。


「やった。じゃあテスト問題優しく作ってね」

「阿呆か。お前だけ問題すり替えて、難しくしておくぞ」


 がしっと頭を押さえつけられる。これは先生なりの愛情表現だ。1人の女性として扱ってくれるようになってから、先生は自分に触れてくれるようになった。本当は抱きつこうと思ったのだが、そう簡単に隙をみせてくれる相手ではない。今は飴より鞭の方が多いが、それでも嬉しかった。


「何笑っている、気持ち悪いぞ」


 やっぱり悲しいの間違いかもしれない。枝里子は素直に引き下がると、仕方なく問題集を再開した。テスト週間でもないのに勉強しているのは、先生の命令だった。進路が特に決まっていない内は、とにかく成績を上げて将来の選択肢を増やしておけとの事。先生の部屋で勉強するのも悪くはないし、何よりテストの点が上がれば褒めてもらえる。単に手懐けられているだけかもしれないが、成績が伸びて悪い気もしなかった。


「先生、そろそろ帰りますね。今日もお邪魔しました」

「ああ」


 問題集を鞄の中にしまって立ち上がる。先生も立ち上がると、玄関先まで見送ってくれた。


「送ってやれなくて悪いな」

「仕方ないですよ。お互い立場がありますから」


 物分りの良い振りしても、やっぱり寂しかった。お互い無言で見つめ合う。次にかける言葉が見つからない。この間が2人の立場を表しているかのようで、耐え切れずドアノブに手をかけた。


「ちょっと待て」


 枝里子が振り向く前に、突如後ろから抱きしめられる。強い煙草の香りに目眩がした。


「ど、どうしたんですか?」


 枝里子も半ば混乱しながら尋ねる。まさか先生から抱きついてくれるとは思いもしなかったので、心拍数が急激に上昇していた。


「これくらいは許してくれ」


 更に力が込められる。その手は微かに震えていた。大切な物を手放したくない想いが伝わってくるようで、枝里子は目に涙を留めた。自分たちは正々堂々と向き合える関係じゃない。だからこそ2人でいる時間を少しでも分かち合いたい。先生も同じ気持ちだったんだ。

 しばらく身を任せていると、先生の力が静かに緩んだ。枝里子は振り返らずに部屋を出た。そう何度も泣き顔なんて見せられない。涙を拭うと、走ってマンションのエントランスまで駆け下りた。


 先生は優しい。普段は不器用だけど、偶に見せてくれる優しさが愛しくて堪らなかった。自分は本当に先生の事が好きなんだ。今はその事実だけで充分な気がした。

 歩きながら、鞄に吊るしてあるお守りにそっと触れる。京都で買った恋愛成就のお守りで、実は先生にあげた物とペアになっているのだった。これは自分だけの秘密。自宅へ帰ると、真っ先にシャワーを浴びて煙草の匂いをかき消した。




 父とは自然と口を聞かなくなっていた。夏休み前の1件以来、軽蔑するようになってからは大人しくなった。

 それはそれで気味が悪い。次に何かあったら、まずは先生に連絡しろと言われていたので、枝里子は片時も携帯電話を放さなかった。


「枝里子、もしかして彼氏が出来たの?」


 リビングで友達にメールを打っていると、お母さんが食器を片付けながら尋ねた。あの関係でも彼氏と言えるだろうか。素直に言うべきか迷ったが、お母さんにだけはあまり嘘を付きたくない。


「そうだよ」


 枝里子は笑いながら答えた。年上のおっさんだけどね。


「それで早く帰って来ないのね。遊んでいるかと思っていたけど、成績も急に伸びてきているし……一体相手はどんな方なの?」


 流石に先生とは言えない。最もらしい理由をでっち上げる事にした。


「年上の人だよ。その人と同じ大学へ行きたくて、最近勉強しているんだ」


 枝里子はちらっと奥の部屋を見た。今の会話、父も聞いているのではないか。自分の心配を他所に、お母さんは嬉しそうに手を叩いた。


「そうだったのね。まぁ枝里子も年頃だし、お母さんは反対しないから。無理だけはしないで頂戴」

「うん、ありがとう」


 口を出す方ではないので、その辺りも寛容だった。


「そうだ、勉強するなら塾へ行く事も考えておかないと。この辺りに良い塾があるか、パート先で聞いておくわね」


 塾と言うか、勉強するに最適な場所が無料で提供されているんだけど。枝里子は父の気配を感じて立ち上がった。やっぱり聞いていたか。自室に戻って、机の上に参考書を広げて勉強している振りをする。しばらくすると父がトイレへ寄ったついでに、部屋のドアをノックした。


「枝里子、ちょっといいか」


 お母さんがリビングにいるので、今は父を入れても大丈夫だろう。枝里子は携帯電話を握り締めながら、部屋のドアを開けた。


「何か用?」


 不機嫌そうに眉を潜める。父はその表情を見て一瞬躊躇ったが、それでも臆する事なく部屋に入ってきた。


「悪い、勉強中だったか」

「そうだよ」


 無愛想に答える。こいつとは必要最低限の会話だけでいい。


「さっきお母さんから、お前が塾に入りたがっているって聞いてね。一体何処の大学を目指しているんだ?」


 塾に入りたいと言った覚えはないが、先程の会話が捻れて父に伝わったのだろう。大学名までは考えていなかったので、咄嗟に「教育学部」と答えてしまった。先生が通ったであろう道だ。


「お前、教師にでもなるつもりなのか」


 父も解答に驚いたらしく、じろじろと人の顔を眺めた。教師になるって、そんなに変な事かしら。先生までも侮辱された気分になって思わず反論した。


「目指しているのよ、悪い?」

「いや、悪くはない、悪くはないぞ。今までそんな事一言も聞いたことがなかったから、少し驚いただけだ。大いに結構」


 父はそう言って納得したが、中々部屋から出ていこうとしなかった。まだ何かあるのか。


「勉強したいんだけど」


 枝里子は苛立った様子でシャーペンのキャップを押した。父は突っ立ったままだ。無視して問題を解き始めようとした矢先、怒りの混じった声が聞こえた。


「枝里子、お前煙草臭いぞ」


 思わず手を止め、父を見上げる。普段とは明らかに違う声色。先生の香りを勘付かれた。


「彼が吸うんだもの、しょうがないじゃない」

「男が出来たのか」

「そんな事まで、一々親に報告しなきゃいけないの?」


 枝里子も負けじと口論する。


「どんな奴だ」


 父も中々食い下がらない。発せられる言葉からは気迫すら感じる。これ以上父を刺激しない方がいい。枝里子は慎重に言葉を選んだ。


「……年上。その人に勉強を見てもらっているの」


 父は考え込むように黙った。枝里子は念を押した。


「本当にそれだけ。分かったら部屋から出て行って」


 この男とこれ以上一緒に居たくない。強引にドアを開けて父を追い返す。

 恐ろしかった。明らかに目付きが変わっていた。枝里子はドアにもたれ込むと、大きなため息をついた。早急に鍵をつけて貰った方がいい。先生にも一応報告しておこうか。


 気持ちを切り替えて机に向かう。教育学部か。咄嗟に名乗ってしまったものの、教師を目指すのも悪くないかもしれない。先生と同じステージに立てる。今まで考えつかなかった進路だ。


「教師、か」


 あんなに毛嫌いしていた癖に、今ではそれもありだと思えて笑った。これも先生のおかげかもしれない。


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