♠10月…その1
中間テストが終わると、2年生は待ちに待った修学旅行だ。毎年この学校では、京都と奈良を訪問することになっている。
2泊3日の歴史見学。見学とは名ばかりで、実際には自由行動も多く、先生達もそれなりに息抜き出来るのだった。
「いやぁ、2年生の担任は、修学旅行があるから嬉しいですね」
主任の浅川も、旅のしおりを広げなから嬉しそうにしている。実は服部も密かに楽しみにしていた。こんな機会がなければ、そう遠くにも出かけられないだろう。ホームルームでは、山下も嬉しそうに友達と旅の計画を立てていたのだった。
「服部先生、最近いい事でもありましたか?」
突然浅川にそう聞かれて、服部は目を丸くした。
「まぁ少しは……どうしてそう思われたのですか?」
「いやね、君の表情が以前より優しくなったなと思って。余計なお世話だったかな?」
浅川はそう笑うと職員室を後にした。そんなに分かりやすく出ていたのか。試しに自分の顔を触れてみても、剃り残しを幾つか発見しただけだった。
いい事と聞かれても、服部は山下との関係しか思いつかなかった。先月山下の気持ちを受け入れてからは、彼女を女性として扱うようになった。付き合っているのかと聞かれると、そんな気もするし、そうでもないような気もする。要は今までの関係を続けていこうと再確認したまでだった。
学校にいる限り、あいつは他の生徒と何ら変わらない。それに卒業するまでは、手を出すつもりもなかった。背伸びして強がっていても、山下はまだまだ子供だ。世間を知らなさすぎる。学校と言う狭い世界でしか生きてきていないのだ。だからこそ安易に傷付ける訳にはいかない。
もう夜の8時か。山下はまだ部屋にいるのだろうか。携帯を見たが、メールは来ていないようだ。部屋を出る時には連絡をくれる様になったので、まだ居座っているのだろう。たまにはシュークリームでも買って帰ってやるか。
服部は学校を出るとショッピングセンターへ立ち寄った。自分でもこういう所が甘くなったと思う。あの日置き去りにしてきた感情が、再び呼び戻されようとしていた。もう同じ過ちは繰り返さない。8年前の自分とは違う筈なんだ。答えの出ない感情に、服部は翻弄され始めていた。
先生達の修学旅行は、保護者の代わりに子守をする事だった。流石に生徒達は高校生なので、物事や時間の分別が出来、道中特に困るような事態もなかった。
「先生、写真撮ってー」
「私もー」
建造物の前では、度々生徒達のカメラマンをさせられていた。服部は生徒達からちやほやされる方ではないので、後方から自分も観光しつつ歴史を楽しんでいた。
「先生、私も撮ってよ」
いつの間にか、近くに山下がいたので驚いた。友達2人を引き連れている。人数分のデジカメを渡されたので、服部は1枚ずつ丁寧に撮影してやった。
「ありがとうございまーす」
行こ行こ、と友達と仲良く先に進んでしまった。その背中を気付かれないよう静かに見守る。折角見知らぬ土地へ観光に来ているのに、傍にいてやれないのが残念だった。山下がこっそり振り返って、嬉しそうに笑った。
前を見ないと転ぶぞ。服部は呆れながらも、手を振って答えた。無邪気だ。普段の山下は気を張っているせいか、あんなに楽しそうな姿を見る機会は滅多にない。父親の元を離れているのも要因の1つだろう。随分と可愛い生徒に好かれてしまったものだと、服部は照れ臭そうに笑った。
ホテルでの夕食を済ませ、部屋に戻ろうとした時だった。ロビーにいた山下と目が合う。
「あ、先生!」
嬉しそうに顔を綻ばせる。服部は周囲に悟られないように、警戒しながら近付いた。
「どうした?」
「これ、落し物です。先生で預かって下さい」
小さなお土産袋を差し出す。服部が受け取ると、山下が白々しい態度で去って行った。
何だ、落し物ではないのか。不思議に思い部屋に入ってから開けると、中にはお守りとメモ用紙が入っていた。
『先生にあげます。自分じゃ絶対買わないでしょ?』
今日行った縁結び神社のお守りらしかった。確かに自分では絶対買わないな。鞄にでも付けておこうかと笑った。
「服部先生、シャワーお先でしたー」
同室の吉田先生が、浴衣姿でバスルームから出て来た。彼は服部より6歳下の英語教師で、隣のクラスの副担任だった。咄嗟にお守りを鞄の中にしまう。
「ああ、俺もすぐに浴びるよ」
タオルと着替えを持って立ち上がると、吉田が「そうだった」と言って引き止めた。
「服部先生、今晩一緒に晩酌でもどうです?」
吉田が楽しそうに酒を煽る仕草をした。
「晩酌?」
「はい。実は鳥羽先生にも声をかけていまして、この部屋で飲もうと思っているのですが」
今年就任してきた若い社会科の先生だった。吉田が彼女に好意を抱いているのは知っていたので、3人で飲む事に些か疑問を持った。
「若い2人で飲めばいいじゃないか」
「服部先生、分かっていないですね。2人っきりだと、女は警戒するんですよ。それに緊張して場が持ちません。だから中立の立場である服部先生に、是非ご同行願えないかと」
彼の言いたい事は分かる。しかし、自分が2人の仲を取り持てるとは思えなかった。
「協力出来るとは限らんが」
「いいんです、いいんです。服部先生はいてくれるだけで充分ですから。2人っきりだと、他の先生方や生徒に見つかった場合、言い逃れが出来ないのでお願いしますよー」
調子のいい事を並べる奴だ。正直腹が立ったが、同じ部屋では仕方があるまい。
「わかったよ。明日も早いから、お酒も程々にな」
「ありがとうございます。じゃあ生徒達の就寝時刻、22時頃に呼んでおきますね。僕は今からつまみでも買ってきますー」
嬉しそうに財布を片手に飛び出して行った。出掛け先にまで女性を誘う辺が、吉田らしいな。服部はメールで山下にお礼を送ると、1人シャワーを浴びて煙草を吹かせながら待った。