エンパイア
次の次の日、つまり月曜日、僕とあいつでおっさんを尾行する。
「なにかあったら僕に教えてね。リアルタイムでだからね」
ガキはそう釘を指して学校へ出かけていった。
電車に乗り約20分後、おっさんは他の人間と同じように駅に降りた。
その光景に僕はとても不思議な感覚を覚えたんだ。逆転というか。正常ではないおっさんが正常な人達と何の区別もつかずに駅に降り立ったんじゃなく、おっさんはあくまでもこの光景通りにまわりと同じことをしているのかもしれないってね。まわりも、おっさんなのかもしれないってね。
そしたら僕たちもそうなんだろうか?隣に立つあいつも?
5分ほど歩き目的地に到着のご様子だ。なるほど、それは本社だった。首を曲げて曲げてやっと一番上が見れるほどの他と同じくらいの高さのビルだった。
ガラス張りのいかにもオフィス・ビルディングの大きな入口におっさんは入っていった。おっさんの背中から読み取るに、あまり会社に行きたくないように感じがした。
「どうする?」
おっさんがここに来るのはだいたい予想はついていたけれどね。
「後の尾行はここの社員にならない限り無理そうだね」
「じゃあなるしかないな。」
火曜日。もっと朝早くに僕たちは出かけて、本社ビルの右側面でじっと突っ立っている。スーツ姿のあいつは言うまでもなく似合っていた。毎日画期的なイノベーションを起こしそうなだけどそれがめんどくさそうな社員みたいだった。でもそんな社員はいないから結局は違和感として僕の目に映った。
「あいつはどうだろう。」
あたりが少しずつ明るくなってきたころ、ようやく社員第一号が現れた。表情から読み取るに、あまり会社に行きたくないような感じがした。
すっと僕らは音もなく歩きだす。そして音もなく彼の両肩を固定し、音もなく右側面の道に引きずり込む。さるぐつわをし、手足をバンドではめ、磁気カードを取り出す。カードを見る限りどうやらそれなりの下っぱのようだった。
「おわり。」
植え込みのなかに隠す。
「次。」
次はその5分後だった。背の低い男だった。さっきと同じような顔だった。この会社はそんなに劣悪な環境なのだろうかとその時の僕はぼんやりと思った。
同じようにすっとやってすっと終わった。今日は寒かったからカイロを腹の上にじかに並べて置いた。でも後になって思うとあれじゃあ腹だけが死ぬほど熱くなっただけだったかもしれない。
淡々と進んでゆく。
8時20分頃には多くの人が入口に吸い込まれていった。僕らもそれに紛れて入口に入る。
その瞬間から、相変わらずの僕は急に緊張しはじめた。心臓がきゅうっとなって、バイオリンのE線でもピアノ線でもいいけど、それがピンと張りつめられた感覚がした。と同時に、この状況に関する様々な情報が一気に僕に流れ込んでくる。
ここは日本でも、いや世界でもトップクラスの企業。僕はその入り口に立っている。そしておそらく日本で屈指のハイパー頭脳集団たちがなんともない顔で僕の傍を通りすぎている。一瞬だけ、いや一瞬じゃないけど、そのビルに入っていた間だけど、僕はその社員になった錯覚を起こしていた。半分は意図的ではあったけれど。
僕はこんな場所に勤めているのか。誰もが羨む場所。勝ち組の象徴?人生の安定を保証するもの。
入口からの景色はとても、よかった。美しいとか綺麗とかではなく、気分をよくさせるなにかがあった。君達の将来は我々が保証するよとでも言いたげな、「受け入れる」ようなエントランスだった。
どうやらおっさんは遅めの出勤らしい。社員の波の第一波は、昨日おっさんが入社した時間よりも30分ほど早かった。
ぼくらはその第一波に揉まれながら、すました顔でカードを当て磁気ゲートをくぐる。
残念ながら、ここのセキュリティに関しては、何の情報も得られなかった。それはとてつもないことなんだけど、だからこそ僕らはもう行き当たりばったりになるしかなかった。
「おい、あんまりじろじろ見ると不審がられるぞ。」
そう言いながら僕の肩を叩いて、ガラスのらせん階段の上にあるスターバックスを指さした。
「おっさんが出勤してくるのはもうちょっと先だからあそこで見張っていよう。」
すげー。すげー。階段を上る間僕はそれしか言わない。語彙の少ない僕にはそれしか言えない。
スターバックスにはMacと向き合ってかたかたしている人や、ウォールストリートジャーナルを広げて読んでる人もいた。いかにもだった。僕も同じようにしていかにもになりたかった。僕はもう全部忘れて一生ここに座っていてもいいんじゃないかなとさえと思った。
しばらくすると、社員の波の第二波がやってきた。おっさんは相変わらず着こんでいて丸くなっていたので、すぐに見つけられた。
僕とあいつは静かに席を立ち、僕は最後に後ろを振り返って名残惜しそうに他の人たちを見てから、あとについていった。