記号類
僕とあいつはそれが読めなかった。だけどガキにはそれが読むものであるということすらわからなかった。
それはある特定の企業が使うオリジナルの言語だった。
僕らはその特定の企業に非常に興味を持っていたし、僅かながらの情報はあった。だから僕とあいつはそれが「言語」であることがわかった。
だけどガキには見たことのない形の記号類が言語だとはさっぱり分からなくて当然だった。
僕とあいつは正直に戸惑った。どうして、僕らの計画の核となるこの記号類が、となりのおっさんの壁紙に、しかもブラックライトに照らされて浮き出てくるのだろうか。
あのおっさんは、一体なにものなのか?
「なんだっこれ?」
ガキはただただ不思議そうに言う。
だけど僕とあいつはそれ以上の衝撃を受けていた。
僕らの計画の一部は、これらの記号類の奪取と解析だった。
「なんだ・・・どうしてだ・・・。」
あいつは、あいつも、久々に戸惑ってた。
僕は、ただ、それよりも、怖かった。
ただただ、怖くなった。真っ白な壁一面に殴り書きのようにしかし緻密で正確な文法に従って適切な大きさでびっちりと書かれて、いや描かれていたものに対して、僕は狂気を感じた。やっぱりあのおっさんは、正常じゃない。
ことの発端は、僕がまだ師匠からいろいろ教わっていた時だ。
僕はネットの海をいかに上手く航海できるか、またいかにしてその深遠まで覗き得るかということについて学んでいた。
「じゃあ、少し時間をあげるから、少しいろいろ調べてみなさい」
師匠はそう言って一枚のURLを僕に渡した。
そのURLをスタート地点として、僕は探りを入れていった。いろいろな事を調べ、深くまで潜り、もしくは引き出し、様々な情報を集めた。
与えられた時間はほんの僅かだった。まだまだ未熟な僕にとって、それは本当に、真実に辿りつくにはあまりにも短すぎる時間だった。
だけど僕は収集した一連の情報から、とある企業とその企業が生み出した独自の言語についての手掛かりを得る事が出来た。
その情報は、練習の材料にするには、あまりにも深く、巨大で、重いものだった。
だけど、このときの僕は、それを知る由もなかった。単なる、ほんとに練習程度の軽い情報の断片。ちょっと変わった企業だなあってな位でさ。企業がその内部のみで使うように開発された独自の言語なんて興味をそそられるものだったから、まぁ確かに師匠が選びそうな練習材料だな、なんて思ったりもしてさ。
ただまぁ、いろいろ教わった事を元にさ、そのことについてさらにいろいろ調べてみたんだ。興味深かったしね。
だけどそれが、なにもでないんだよ。ほんとに。なんにも出ない。ゼロ。検索結果、ゼロ。これはどう考えても、おかしい。果てしない異常事態がその検索結果に現れていた。その事に、僕は気づいた。誰だって気づくと思うかもしれないけれど、おかしいことにおかしいってちゃんと気づくのは、案外難しいもんなんだよ。
師匠が渡してくれたURLは、実はほんとうに貴重なソース源だったんだ。そこが唯一の出発点。一体どうやって手に入れたんだか。
師匠は、どうして、これを僕に渡したのか。直後の師匠との不通、逮捕。そして検索結果の驚くべき恣意性。
その企業は何故、独自の言語を開発したのか。そして、どうしてそれを隠したがるのか。
僕らは、面白そうなものを探していた。とてつもなく、面白いものを。
僕は師匠が逮捕されてから、そしてそのことについてよく考えてから、あいつにこのことを話した。あくまでも推測の域にすぎなかった。
だけど、当然だけど、あいつはその話に乗った。目の色を変えて乗ってきた。たぶん話を持ってきた僕も目の色が変わっていた。
また、まただよ。興奮の波。ノルアドレナリンえんどるふぃん全開だよ。
僕はすーぱーハイパーモードでキーボードを叩いた。とにかく情報が欲しかった。情報。情報。情報。それが全てであり、とてつもない武器になるのだった。
だけど、なかなか見えなかった。師匠の教わった方法でも、ごく僅かだった。企業は世界的規模にコングロマリット化した超巨大企業だったけど、かんじんの独自開発言語なんてものは表面は全く存在しなかったし、その情報に関して洩れることすらなかった。
僕はイライラしていた。何も出ない。膨大な屑の情報を前にして、普通のやりかたではなにもでないと思った。だから僕は師匠に教えてもらったURLから、一番深いところに入ることにした。それはハイリスクであって、リターンが少しでも期待できるわけではなかった。
無理やりねじ込んだ。結果、一枚の画像ファイルだけ、手に入れる事ができた。そしてその代償に、師匠からもらった大切なURLが、無効になってしまった。
その画像は、ホワイトボードに描かれた記号類の群れだった。30代くらいの白衣を着た男が、それらを指しながら何やら説明している。
「どうして白衣を着ているんだ?」
写真を見せた時、あいつは最初にそう言った。
それから、なにも進むことができず、お互いうっぷんが溜まっていたところへ、ガキが来、そして、息抜き程度に、この、真っ白な部屋へ来たんだ。
それが、
「まさか…」
「え、なに?二人ともこれ見たことあるの?」
僕たちは目を合わせた。こいつに、このガキに、どう説明しようか。
おそくなってごめんなさい。