8.宗一郎のお願い
夕方。
工房の奥。
宗一郎は木を削っていた。
静かな音が響く。
シュッ……シュッ……
戸が開く。
美桜が入ってくる。
「ただいま戻りましたー」
宗一郎は手を止めない。
「遅いな」
「ちょっと用事が」
美桜はエプロンを外す。
そのとき。
机の上に封筒が落ちる。
小さな白い封筒。
美桜は慌てて拾う。
宗一郎はちらりと見る。
封筒の端に印刷されている文字。
ひかりこころクリニック
宗一郎は何も言わない。
また作業を続ける。
美桜は少し気まずそうにする。
沈黙。
木を削る音だけが響く。
しばらくして宗一郎が言う。
「彩梅は」
美桜が顔を上げる。
「?」
「今日どこ行ってた」
美桜は少し迷う。嘘をつくか。
でも、この人には通用しない気がする。
「……病院です」
宗一郎の手が止まる。
「どこだ」
美桜は小さく言う。
「ひかりこころクリニック」
静かな空気。
宗一郎はまた木を削り始める。
「ふん」
それだけ言う。
怒らない。責めない。でも、何か考えている顔。
しばらくして聞く。
「お前もか」
美桜は少し笑う。
「はい」
「前から通ってます」
宗一郎は黙る。
作業の音が止まる。
「……そうか」
短い言葉。
美桜は少し構える。
責められるかと思った。
でも宗一郎は違うことを言う。
「彩梅は」
「?」
「何て言われた」
美桜は少し考える。
「頑張りすぎ」
宗一郎は少し笑う。
「その通りだ」
美桜も少し笑う。
宗一郎は机の上の木を撫でる。
そして言う。
「お前」
「?」
「彩梅のこと気に入ったか」
美桜は少し驚く。
「……はい」
少し考えてから言う。
「放っておけない」
宗一郎はうなずく。
「そうだろうな」
美桜は少し不思議そうに聞く。
「怒らないんですか」
「何を」
「精神科」
宗一郎は鼻で笑う。
「馬鹿か」
美桜は目を丸くする。
宗一郎は言う。
「人間は」
木を持ち上げる。
「壊れる」
静かな声。
「木と同じだ」
美桜は黙って聞く。
宗一郎は続ける。
「だがな」
「?」
「割れた木ほど」
少し笑う。
「味が出る」
美桜は少し笑った。
宗一郎は美桜を見る。
「お前」
「?」
「彩梅の友達だろ」
美桜はうなずく。
宗一郎は言う。
「なら」
少し間。
「そばにいろ」
それは、祖父の命令ではなく祖父のお願いだった。
夜、工房。
灯りは一つだけ。宗一郎は作業をしている。
彩梅は入口に立っていた。
「……祖父様」
宗一郎は手を止めない。
「なんだ」
彩梅は少し迷う。
でも言う。
「今日」
「?」
「病院に行きました」
宗一郎の手が止まる。
ゆっくり振り向く。
「知っている」
彩梅は驚く。
「……え」
宗一郎は木を机に置く。
「坂元から聞いた」
彩梅は少し黙る。
そして言う。
「怒らないんですか」
宗一郎は眉をひそめる。
「何を」
「精神科」
宗一郎は鼻で笑う。
「馬鹿か」
彩梅は少し目を丸くする。
宗一郎は言う。
「人間は壊れる」
机の上の木を指で叩く。
「木と同じだ」
静かな声。
「割れる」
「曲がる」
「腐る」
彩梅は黙って聞く。
宗一郎は続ける。
「だがな」
少し間。
「直せる」
彩梅は小さく言う。
「……でも」
「?」
「私は」
言葉を探す。
「弱いです」
宗一郎は少し笑う。
「知っている」
彩梅は驚く。
「え」
宗一郎は言う。
「お前は昔から弱い」
彩梅は俯く。
でも宗一郎は続ける。
「だがな」
少し声が柔らぐ。
「弱い人間ほど」
工具を置く。
「強くなる」
彩梅は顔を上げる。
宗一郎は彩梅を見る。
「人間はな」
静かな声。
「守られて強くなるんじゃない」
少し間。
「守りたいものができて強くなる」
彩梅は言葉を失う。
宗一郎は続ける。
「お前は」
「?」
「坂元を守りたいか」
彩梅は驚く。
美桜の顔が浮かぶ。
笑っている顔。料理している姿。神社の夜。
少し間。彩梅は小さく言う。
「……はい」
宗一郎は頷く。
「なら」
作業台を叩く。
「強くなれ」
静かな声。
「それでいい」
彩梅は初めて思う。
家を継ぐ理由が少しだけ分かった気がした。
翌日、夕方。工房の裏口。仕事終わり。
空は少し赤い。
彩梅は縁側に座っている。
美桜が隣に座る。
「疲れたー」
大きく伸びをする。
彩梅は少し笑う。
「美桜は働いてない」
「働いた」
「ほとんど喋ってただけ」
「接客だよ」
少し沈黙。
美桜がふと聞く。
「彩梅ちゃん」
「?」
「なんでそんなに頑張るの」
彩梅は少し考える。
「……家のため」
「五条家?」
「うん」
美桜は空を見上げる。
「そっか」
少しして言う。
「でもさ」
彩梅を見る。
「彩梅ちゃんって」
少し笑う。
「強いんじゃないよね」
彩梅は驚く。
「え?」
美桜は言う。
「強くいようとしてるだけ」
静かな声。
「ずっと」
彩梅は何も言えない。
美桜は続ける。
「本当はさ」
少し笑う。
「めちゃくちゃ普通の女の子だよ」
彩梅は俯く。胸が少し痛い。でも嫌な痛みじゃない。
美桜は言う。
「だから」
「?」
「無理しなくていい」
小さく笑う。
「私の前では」
彩梅は少しだけ笑った。




