表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/17

5.彩梅の初めての反抗

夕方。

店の閉店後。

彩梅は配達に出ていて、店には宗一郎と美桜だけが残っていた。

作業台の上には、彫りかけの木の皿。

宗一郎は黙って鑿を動かしている。

カン、カン、と静かな音。

美桜は少し離れた椅子に座っていた。

「……あの」

遠慮がちに声を出す。

宗一郎は手を止めない。

「何だ」

「私……ここで働かせてもらって、本当にいいんでしょうか」

「嫌なら辞めればいい」

あまりにあっさりした返事に、美桜は少し笑う。

「そういう意味じゃなくて……」

沈黙。

宗一郎は彫刻刀を置いた。

「お前」

美桜を見る。

「死のうとしたことがあるな」

美桜の表情が固まる。

「……どうして」

宗一郎は肩をすくめた。

「木を触れば分かる」

「?」

「死にかけた人間はな、

物を触る手が違う」

美桜は何も言えなくなる。

宗一郎は続けた。

「だが」

皿を持ち上げる。

「壊れてはいない」

「……」

「まだ削れる」

静かな声。

「人も木も同じだ」

美桜の目が少し潤む。


その時。

店の外で足音。

彩梅だった。

配達から戻ってきた。

扉の前で、会話が聞こえる。

宗一郎の声。

「死にかけた人間はな——」

彩梅は凍る。

「……」

その言葉だけを聞いた。

全部は聞いていない。

彩梅の中で怒りが膨らむ。

どうしてそんなこと言うの。

扉を勢いよく開ける。

「おじいちゃん!!」

宗一郎と美桜が振り向く。

彩梅の目は怒っていた。

「なんでそんなこと言うの!!」

宗一郎は眉を動かさない。

「何の話だ」

「美桜さんに!!」

美桜は慌てる。

「彩梅ちゃん違うの——」

「違わない!」

彩梅の声が震える。

「おじいちゃん、人のことそうやって決めつけるの?」

「……」

「死にかけた人とか、そういう言い方!」

「……」

「美桜さんはそんな人じゃない!!」

店の空気が凍る。

今まで。

彩梅が宗一郎に逆らったことは一度もなかった。

沈黙。

宗一郎はゆっくり言う。

「言いたいことはそれだけか」

彩梅は唇を噛む。

「……」

宗一郎は再び木を持つ。

「なら聞け」

彩梅を見ずに言う。

「お前はまだ」

鑿を打つ。

「人を見ていない」

カン。

「自分の思い込みだけで」

カン。

「守った気になるな」

彩梅の胸が強く痛む。

「……っ」

美桜は言葉を失っていた。

宗一郎は静かに続ける。

「守るってのはな」

木の皿を見せる。

「壊れてることを知った上で」

一呼吸。

「それでも削ることだ」

彩梅は何も言えない。

怒りなのか、悔しさなのか。

分からない感情が溢れる。

その横で。

美桜が小さく呟く。

「彩梅ちゃん」

彩梅は顔をそむける。

「……知らない」

そして店を飛び出した。


夜。

彩梅が店を飛び出してから、しばらく経っていた。

店の中は静かだった。

美桜は入口の方を気にしながら立っている。

宗一郎は作業台の前に座ったまま、ゆっくり湯呑みを持ち上げた。

「追いかけなくていいんですか」

美桜が聞く。

宗一郎は首を振る。

「放っとけ」

「でも……」

宗一郎は少しだけ笑う。

「昔からだ」

「?」

「泣くときは一人で泣く」

美桜は少し驚く。

「彩梅ちゃんが?」

「そうだ」

宗一郎は木の皿を撫でた。

「小さい頃な」

少し遠くを見る。

「親に叱られても、転んで怪我しても」

「……」

「絶対に人前では泣かなかった」

美桜は黙って聞いている。

「庭の裏に行ってな」

宗一郎の声が静かになる。

「誰もいないところで泣いてた」

「……」

「泣き終わると」

宗一郎は少し口元を緩める。

「何もなかった顔して戻ってくる」

美桜の胸が少し締め付けられる。

宗一郎は続けた。

「強い子だと思うか?」

美桜は答えられない。

宗一郎は言う。

「違う」

静かな声。

「弱いのを知らないだけだ」

美桜はゆっくり息を吸う。

「……」

宗一郎は美桜を見る。

「お前は」

「?」

「知ってる顔だ」

「……」

「弱いってことを」

美桜の目が少し揺れる。

宗一郎は立ち上がった。

「だから来たんだろ」

美桜は何も言えなかった。


夜の神社。

小さな境内。

街灯が一つだけ灯っている。

彩梅はベンチに座っていた。

両手をぎゅっと握っている。

「……」

胸が苦しい。

さっきの言葉が頭の中で繰り返される。

守った気になるな

「……」

彩梅は唇を噛む。

私、間違ってた?

でも。胸の奥に別の感情がある。

美桜の顔。優しくて、少し寂しそうな笑顔。

彩梅の目に涙が溜まる。

「……なんで」

声が震える。

「なんで言ってくれないの」

ぽろっと涙が落ちる。

「……」

「なんで」

声が小さくなる。

「私には……」

涙が止まらない。

「そんな顔するの」

肩が震える。

「……」

彩梅は顔を両手で覆う。

静かな夜。

遠くで電車の音がする。

ぽつりと呟く。

「私だって」

涙がこぼれる。

「苦しいのに」

その言葉は、初めて外に出た本音だった。

彩梅は声を出さずに泣いた。

長い間。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ