4.満開の桜の中で
花冷えのする夜、五条工房。
金属を打つ音が響く。
カン。カン。
五条宗一郎は黙って仕事をしていた。
火の赤い光。鉄の匂い。
弟子が言う。
「最近、あの子よく来ますね」
宗一郎は答えない。
カン。
「坂元って子」
カン。
弟子は続ける。
「孫娘さんと仲良いみたいです」
宗一郎は手を止める。
少しだけ考える。
「……あの娘」
弟子
「はい」
宗一郎
「目が濁っていない」
弟子は首をかしげる。
「濁ってない?」
宗一郎は言う。
「死にかけた人間の目だ」
弟子は驚く。
「え?」
宗一郎は火を見る。
「一度底まで沈んだ人間は目が変わる」
カン。
鉄を打つ。
「余計なものが消える」
弟子は言う。
「それって良いことなんですか」
宗一郎は答える。
「知らん」
少し間。
「だが、強い」
弟子
「強い?」
宗一郎
「あの娘、笑っている」
カン。
「普通の人間は沈んだら、戻ってこない」
カン。
宗一郎は鉄を見つめる。
「彩梅の近くに一人くらい、壊れた人間がいてもいい」
弟子
「壊れた?」
宗一郎は言う。
「壊れた道具は使えん」
少し間。
「だが、壊れた人間は案外強い」
カン。
工房の音が夜に響く。
宗一郎は何も言わない。
だがその夜、初めて坂元美桜という少女を覚えた。
桜の花が咲き誇っている頃。
美桜が北陸に来て五条家でアルバイトを始めて、1ヶ月が経とうとしていた。
宗一郎から美桜は彩梅を外に連れ出すよう指示されていた。
春休み中、ずっと。
彩梅は家業と勉強で工房と家に引きこもっていた。
桜の花見。
美桜と彩梅は河川敷に来た。
美桜はお手製のお弁当を広げる。
彩梅はそのお弁当を見て細やかさが目に入った。
漆器や蒔絵に必須な細やかな手作業を感じた。
「どうして料理できるんですか」
美桜は即答。
「家が地獄だったから」
「…?」
「台所は安全地帯」
「安全?」
「誰も来ない」
美桜は軽く言う。でも少し意味深。
彩梅は美桜の態度に違和感を感じた。
美桜にも暗い一面があるのだと。
4月上旬の北陸。朝晩の寒暖差が大きい。
冷えで風邪を引く前に帰路についた。
北陸の田舎道。田んぼ。夕焼け。
彩梅が言う。
「美桜さんはどうして笑うんですか」
「どうしてだろ」
美桜は少し考える。
「泣くより楽だからかな」
彩梅は真剣に考える。
ここで彩梅が少しだけ笑う。
それから、数日後。
彩梅は高校2年生に進級した。
始業式からの帰り道。
小さな通りを曲がる。
そこに、白い建物がある。
町で唯一の精神科。
「ひかりこころクリニック」
彩梅は特に気にしていなかった。
この町では珍しい施設だが、ただの病院だ。
そのとき。
扉が開いた。
中から人が出てくる。
見慣れた髪。美桜だった。
彩梅は立ち止まる。
美桜は気づいていない。
少しだけ疲れた顔をしている。
いつもの笑顔ではない。
ただ静かに歩き出す。
そのとき、顔が上がる。
目が合う。
沈黙。
美桜が、ほんの一瞬だけ驚く。
でもすぐに、
いつもの笑顔に戻った。
「彩梅」
手を軽く振る。
「奇遇だね」
彩梅は言う。
「……病院ですか」
美桜は肩をすくめる。
「まあね」
沈黙。
田んぼの水が揺れる。
彩梅は聞く。
「体調が悪いんですか」
美桜は少し考える。
そして笑う。
「うーん、生きるの下手なだけ」
彩梅は言葉を探す。
でも見つからない。
美桜は少し近づく。
「内緒にしてくれる?」
彩梅はうなずく。
「はい」
美桜は笑う。
「ありがと」
沈黙。
彩梅が言う。
「……驚きました」
美桜
「引いた?」
彩梅は首を振る。
「いいえ」
少し考えてから言う。
「私も生きるの下手です」
美桜は一瞬だけ、驚いた顔をした。
それから、
少し優しく笑った。
「仲間だね」
風が吹く。
遠くで鳥の声がする。
二人は並んで歩き出した。




