小話④「若い日の宗一郎」
宗一郎が美桜を雇った背景が分かると思います。
まだ宗一郎が二十歳くらいの頃。
五条家の工房。
蒔絵の粉が空気に漂っている。
宗一郎は机に向かっていた。
何度描いても線が気に入らない。
筆を置く。
「くそ…」
小さく舌打ちする。
そのとき。
障子が開く。
「宗一郎」
志乃だった。
同級生で、近所に住んでいる。
志乃は盆を持っている。
「おばあちゃんに頼まれて、お茶」
宗一郎はぶっきらぼうに言う。
「そこ置いとけ」
志乃は机を見る。
「また失敗?」
宗一郎は黙る。
志乃は蒔絵を見る。
「綺麗じゃん」
「綺麗じゃ家は守れない」
志乃は笑う。
「何それ」
宗一郎は言う。
「五条の蒔絵は殿様に仕えた仕事だ」
「半端は許されない」
志乃は肩をすくめる。
「まだ二十歳でしょ」
宗一郎は言う。
「関係ない」
沈黙。
志乃は宗一郎を見る。
少しだけ優しい顔で言う。
「宗一郎さ、職人向いてると思うよ」
宗一郎は驚く。
「なんでだ」
志乃は言う。
「こんなに悩んでるから」
宗一郎は少し黙る。
志乃が笑う。
「適当にやる人は悩まない」
宗一郎は何も言わない。
でも少しだけ顔が緩む。
志乃は帰り際に言う。
「完成したら見せてね」
宗一郎
「なんでだ」
志乃
「楽しみだから」
そう言って去っていく。
宗一郎は机を見る。
蒔絵。
そして小さく言う。
「……志乃」
少し間。
「お前が嫁なら楽だったかもな」
でもすぐ首を振る。
「馬鹿か」
筆を取り直す。
それから何十年も経ち。
志乃は別の人生を歩み。
宗一郎は五条家を継ぎ。
二人ともその話をすることはなかった。
ただ。
美桜が志乃の家に来たとき。
宗一郎は思った。
(志乃は昔から)
(こういう子を拾う)
そして少しだけ懐かしく思った。
(変わらんな)
宗一郎くんの初恋は志乃ちゃんというわけでした。
宗一郎は志乃の「人を見る目」を昔から信じているから志乃が連れてきた美桜を雇ったということです。




