第5話 初めての社交界、最強の二人
正直に言おう。
この日が来るのは、少し――いや、かなり怖かった。
三百年前、大陸最大の覇権国家から独立を勝ち取ったこの日は、国を挙げて祝う、王国建国記念日である。
戦勝記念日でもあるこの日から三日間。国内貴族同士の結束を確認するために、最大規模の貴族パーティーが行われることになる。
王族から地方領主までが一堂に会するため、出席者は千人規模だ。
記念の夜会は、王宮に設けられた白亜の大広間で始まった。
音楽、笑い声、香水の匂い。
視界の端から端まで、人、人、人。
子どもの頃はまだしも、王立学園に通い出してからは一人で動かなくてはならない。
地獄だった。
まさか両親に「一緒にいて」と頼むわけにもいかない。むしろ、跡継ぎとなる、弟のジュリアンを、あちこちに引き回すことに夢中な両親。
悪気は無い。愛される末っ子を、次代の当主として顔見せするのは、貴族家としては当然なんだ。
――それは仕方のないこと。
オレは、クリスをエスコートしながら、会場を巡った。
『うーん、相変わらず、誰一人わからないなぁ』
顔がわからない。たまに、微かに見覚えのある顔もあった気がするが、名前は一切出て来ない。
と言っても、オレなりに努力はしている。
気安く手を振る相手には手を振り返す。
お久し振りですと、声をかけられれば「ご無沙汰しております」と丁寧に応じる。
何か話したそうな気配があれば……即座に逃げる。
編み出した「社交術」を駆使してきた。
しかし、いつ、逃げられなくなるのか気が気じゃなかったし、事実、何度も気まずい思いをしてきたのが、去年までのこと。
『落ち着け、ノエル。今日は一人じゃない』
そう自分に言い聞かせ、隣を見る。
『クリスは、今日も完璧だな。すごく落ち着いているし』
淡い色合いのドレスに、控えめな装飾。
派手さはないが、立ち姿と所作が、自然と視線を集める。
彼女は、オレにエスコートされるカタチで柔らかく微笑んでいる。しかし、心では、完全にオレがエスコートされていた。
「大丈夫ですよ、エル。私がついてますから」
小さな声。
それだけで、胸の奥が少し軽くなる。
『ああ。この人が隣にいるなら、間違えたって、立ち止まったっていい』
そう思えるのが不思議だ。
――そして、最初の試練は、あっさり訪れた。
「先日はありがとうございました。ヴァルディス伯爵家のご子息と、そのご婚約者様ですね」
声をかけられた瞬間、オレの頭は真っ白になる。
『誰だ? どこの誰だ?』
年配の男性。落ち着いた声。服装は上質。
『ヤバい、完全に同格か、上。かなりの地位だ。しかも、このトーンだと我が伯爵家に、何か関心があるパターンだぞ』
顔の識別はできなくても、相手の声のかけ方、調子で「目的」が大雑把に推測できる。
家名から入って、オレとクリスを確認してくるんだから「ヴァルディス伯爵家」との、なんらかの取り引き絡みだというのは歴然としている。
けれども、相手がわからなければ用件だって推測不能。いや、その前に、明らかに相手は、つい最近オレに会っている。
これで「相手を忘れてる」となったら、相手が怒り出す--あるいは「失礼案件」となるのは当然だった。
一瞬の沈黙。
貴族の社交で、この一瞬は致命的だ。
――その刹那。
「西辺境伯領、グレイヴ卿。お元気そうでいらっしゃいますね」
クリスティーヌは、一瞬で「侯爵家令嬢モード」に切り替えて、自然に一礼した。
「先般の治水事業の進捗は、さすがだと。父も心からグレイヴ卿のお働きぶりを感心なさっていらっしゃいましたわ。本当に、ご苦労さまでした」
完璧なタイミング。
完璧な声音。
完璧な内容。
相手の表情が、ぱっと明るくなる。
「おお、これはこれは。お父上もご存知でしたか。それはありがたく。しかしながら、道半ばと言ったところでしてね。まだまだ困難は待ち構えております」
『西辺境伯、グレイヴ』
クリスが、ほんのわずかに視線を動かす。
――合図だ。
ノータイム。
名前を聞いた瞬間、世界が切り替わるのだから。
頭の中で、情報が一気に繋がった。
寒冷地。近年の豪雨。鉱山の排水と絡んだ厄介な治水事業。
数年をかけているが資金不足。何よりも、石材の利用に技術が要求され、職人不足が顕著……
「グレイヴ卿。治水事業では、技術のある職人が最大の課題だと伺いました」
自分でも驚くほど、言葉が滑らかに出た。
「治水事業が進めば、道路の遮断も最小限となり、鉱石の流通も改善しますね」
「これはこれは。まさかご存知だったとは」
グレイヴ卿の目が見開かれた。王都に着くなり我が家を表敬訪問してくれたのは、このパーティーで、話を切り出したかったに違いないんだ。
「我が領の石工組合は技術も高いと自負しております。お館様に確認は必要ですが、お互いに利のあること。ご紹介することと、技術移転についての契約を結ぶことは可能だと思っております」
卿の目が、見開かれる。
「……こちらのお願いを、そこまでご理解いただけるとは思いませんでした」
オレは自嘲気味の笑顔を浮かべた。
「顔を覚えるのは苦手ですが、我が国の大切な貴領のことなら、けっして忘れませんので」
そう断言した瞬間、グレイヴ卿の顔から「試すような色」が消えたのがわかった。
周囲にいた貴族たちも、ごくりと息を呑むのに気付いた。
「どうやら、卿は『あえて』だったようですな」
「え?」
「おそらく『個人』という瑣末な情報を捨てて、背後にある『領民の暮らし』や『国の利益』といった、巨大な情報を扱っていらっしゃるようだ」
「いえ、そこまでは……」
「ご謙遜を。しかし、そうなると、伯爵家と言う枠では少々もったいないですな」
グレイグ卿は、笑顔になった。
「続きはいずれ。しかし卿のご提案は、とても有意義だったと考えていると、覚えていてくださいね」
そう言ってグレイグ卿は離れていった。
クリスが、そっと微笑むのが、横目で見えた。その笑みが、どこか誇らしげだった気がした。
よし、成功だ。
一つの「商談」がまとまると、気配を感じた人々は集まってくるのが、パーティーの原則だ。
次から次へと、人がやって来た。
「昨年、パーティーでお目にかかったかと」
ガッシリした体格のオッサン貴族。誰だっけ?
「ライブラ子爵、初めまして。ノエル様と婚約が決まったクリスティーヌです」
なるほど。王都近郊にあるこの人の領地は、つい最近、牧畜を始めたんだっけ。
「お久しぶりです。その後、牧場の方は順調なご様子でなによりです」
「おお! もったいなきお言葉、深く感謝申し上げます」
「私のような若輩者にお声をかけていただくとなると、飼料のご相談でしょうか?」
「これはこれは…… まったく、なんたる慧眼。おっしゃる通り、上向いてきた牧畜ですが、飼料がこのままでは、ということでご相談に上がった次第です」
「それでしたら……」
我が領の余剰物や流通コストなら完璧に覚えている。基本的な提案は、その場でまとまりそうだ。
クリスが横で微笑んでくれれば、オレは無限に社交がこなせそうだ。
「先日の夜会でご挨拶をした……」
「ウェリントン閣下。父がお世話になっております」
軍部の大立て者だ。ふわりと視線で「オレの番」にしてくれるクリス。
「来月の演習の件ですね?」
「いやいや。すっかり、お見通しですか。お若いのになかなか」
演習に使う食糧が足りないという情報はしっかり掴んでいたからね。
話がまとまると、すかさず目の前に来た、髭男。
「ヴァルディス伯爵家のご子息でいらっしゃいますね? 先日の王立劇場でお目にかかった……」
ノータイムでクリスが応じた。
「ノエル様の婚約者となりましたクリスティーヌです。美髭閣下」
「これはやられましたな。その二つ名までご存知とは」
美髭閣下とは、王弟派閥のウォルト子爵のことだ。
『そんな面白いあだ名、よく覚えてるな。でも、あだ名であっても、それさえわかれば大丈夫って、オレを信じてくれている証しでもある。心地良いよね、この信頼って』
ウォルト子爵だとしたら、話は簡単。
「王都に新しく出されたスィーツのお店は順調のようですね」
「ははは、すっかりお見通しですな。早速ですが、貴領の上質な小麦粉の件で、お話しさせていただければと」
一つの商談成立は、次々と「商談」を呼び込むから、まさに、順番待ち状態で人に取り囲まれる。
以前なら、オレにとってはホラーな場面。今ごろとっくに逃げ出していた。
――一年前のオレなら。
『だけど、もう、怖くない』
「次」が現れるたびに、クリスが名前を告げてくれるから。
「カロル男爵、お久し振り」
「サンドレ侯爵家のお身内の方でいらっしゃいましたね。ケネス卿、ご無沙汰しておりますわ」
名前を受け取って、オレが応える。
「それでしたら、今の問題は――」
「代替案として、こちらはいかがでしょう」
気づけば、周囲の視線が変わっていた。
「……あの二人、すごくないか?」
「地味だと思っていたが」
「話の切り返しが、異様に的確だ」
小声の囁きが、耳に入る。
“地味な令嬢”。
“モブ顔の伯爵子息”。
――結構だ。
オレは、クリスの横顔を見る。
彼女は、相変わらず穏やかに立っている。
目立とうともしない。ただ、必要なことを、必要なだけしてくれる人。
『最強だな。いや、マジで。こんなに有能で美しい人を、王子たちは「地味」だと言って手放したのか? もう、感謝しかないだろう。世界中の誰が彼女の価値を見誤ろうと、オレだけは彼女を手放さないぞ』
ふと、彼女がこちらを見上げた。
「エル、次は南方商会の方です」
「了解」
その一言で、すべてが噛み合う。
顔を覚えられないオレ。
名前と所作で場を整えてくれるクリスに感謝しかない。
欠けた部分が、ぴたりと合わさった。
パーティーの終わり際。
「本日は、実に有意義でした」
何人目かわからない貴族が、そう言って去っていく。
オレは、深く息を吐いた。
「……助かりました」
「いいえ」
クリスは、静かに言う。
「私たち、ちゃんと“ふたりで一人”でしたから」
その言葉が、胸に沁みた。
『社交界において、これ以上の組み合わせはないぞ』
正直に言えば、社交界は、まだ怖い。
だが――クリスが隣にいる限り、怖いままでも、きっと進める。
そう確信した夜だったが、ただ一つ、不協和音を目にしてしまった。
賞賛と驚愕が混じった波が広がる中の不協和音。
人混みの向こう側に、見覚えのある――いや、顔は覚えていないが、不快な声だけは脳が拒絶反応を示す――あのピンク髪の令嬢と、苛立ちを隠せない様子の第二王子の服を着た姿があった。
どうやら、向こうもこちらに気づいたらしいが、その日、ついに会話をすることは無かったんだ。
「正しく評価される」ということが、どれほど人を救うのか――その続きを、最後まで描ききります。




