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とある王国の城、その塔の上、彼女はひっそりとその人生を生きていた。
ビアンカはとても甘やかされて育った。
マナーを教えても、ダンスを教えても、淑女の慎みを教えても、彼女はそれに全く興味を示さずに放りなげてしまった。
では彼女は何に興味を持ったのか?
「…なんでこんなに私は綺麗なの?いつ見ても惚れ惚れする」
鏡と相対するのは私の至福の時間だった。
深雪のような肌、そこに薄くさす桃色、白銀に輝く長髪、そして紅に染まるその瞳。
そう、彼女は自分の容姿に絶対的な誇りを持っていた。それこそマナーもダンスも、そんな小手先の技は必要ないと。その誇りは自分に仕える侍女の手を借りないという領域に達していた。もはや傲慢である。
「見て見てハドリー!めっちゃキマってるでしょ!」
こんな可憐な自分を横目に聖書を読んでいるのは白髪混じりの眉間にシワが寄った神父。たまに顔を出してくる私のお世話係の一人らしい。古株で、仕事だけは早い奴だ。
哀れな事に左頬が裂けたようで雑なツギハギ跡が残っている。今は慣れたが初めにその顔を見た時はお化けだと思い、一日中自室に籠ってしまった。確かにその顔で鏡を見るのは憂鬱かもしれない。少し申し訳ない気持ちになる。
「あぁいい感じですよ、王女様はとても綺麗です。ですが今回はドレスではなくこれを」
「…なにこれ」
渡されたのは男物のチェニックとブレー。確かに上等な素材で伸縮性があり良い代物だと分かる。でも私王女なんだけど、なんで?バカにされてる?
「もしかしてそういう趣味だったりする?」
「気持ち悪い妄想しないでください。今日はお忍びなんですよ、気持ちは分かりますがご容赦を」
とは言いつつ初めて着る服にワクワクしながら鏡を見る。着てみると意外にも悪くない。
「どうハドリー!!カッコカワイイでしょ!!」
「そうですね、支度は終わりましたか?」
彼は一切こちらに目配せもしないでそんな薄っぺらい事を言う。気が滅入るほど厚い聖書の内容がそこまで崇高なものなのだろうか。だが今日は機嫌がいい、私の人生でも特別な日になるだろう。
私は生まれてからずっと城の中にいた。理由は自分はとても特別な存在で、人の目に晒されるとその美しさのあまり失神する者が続出してしまうからだと神父に聞いた。なるほど、神父と他のお世話係は何か特別な訓練を受けているのだろう。とにかく理由は教えてくれないようだった。
この城の生活に特段不便な事があった訳ではないが、この見慣れた予定調和の世界から遂に一歩踏み出せると考えると自然と口角が上がってしまう。バクバクと胸の高まりが止まらない。
「でもなんで今日なの?別にお祝い事がある日じゃないよね、父上も何も言ってなかったよ?」
父上はこの国を統治する十五代国王だ。彼は賢王と呼ばれ、民衆からの支持も厚く、その手腕を遺憾無く発揮しているそうだ。ゆえにとても多忙で半年に一回しか面会できない。でもいつもきっちりここに来て私に会いにくる。
彼は私のこの美貌をいつも褒め、最高級の衣服をくれる。欲しい言葉を的確にプレゼントしてくれる。私に映える最高の脇役を私のために贈ってくれる。
そんな父上のことは…正直苦手かもしれない。
母上は国王の正妃だったが、私を産んですぐに崩御してしまった。そのうえどうやら子供は私しかいないようで、子に恵まれていないそうだ。
父上はもしかしたら寂しいのかもしれない。そんな孤独の穴を埋められるのが私なのかもしれない。唯一の私が知る肉親。
だが正直その背景を知ってしまうと詮索せずにはいられない。もしかしたら私を憎んでいるかもしれない。
正直気まずい。自分が悪いとは思っていないが、その事実に思うところはある。
でも彼の贈ってくれる衣服はどれも情緒溢れ、私に映えるものばかりだ。それだけは彼を信頼している。
「…では行くのをとりやめましょうか?滅多にない機会だと思いますが」
「それは話が違うじゃん!あともうちょっとだから待ってよ!!」
でも一つセンスがないところがある。なぜ父上がこんな無礼な男を私の世話係にしたのか。本当なら首が飛んでもでもおかしくないだろうに、考えるほど謎が謎を呼ぶ。まぁ私は優しいので多少の無礼は目を瞑る事はできる。自分に自信があれば自然と相手にも配慮ができるものだ。
今日のお城はやけに騒がしい様子だった。私の住む塔は閉鎖された空間で、限られた人しか入れないらしい。私はここから出た事は一回もないが、そもそも不便な事は何一つなかった。だから出る理由も特になかった。
でも耳を澄ませば人の賑わいがよく聞こえた。
今日は何かの祭りでもあるのだろうか、今日は一段と盛り上がっているようだ。
でもそんな疑問はすぐに飛んでいってしまった。自分から出るつもりはなかったが、出れるというのなら喜んで堪能しようじゃないか。
「…で、なんであなたと一緒なの?」
これは想定外だった。
なんでこんな無礼者と共に馬車に乗らねばならないのか。何かの嫌がらせだろうか、こんな人生の転換点に泥を塗るようなことはさすがの私も見過ごせないのだが。
「申し訳ありません、王女。それとスカーフで顔を隠すようお願いします。被害者が出てしまっては困るので」
「それはいいんだけど…私一応王女だよ?もっと国民に見せつけるべきなんじゃないの?パレードとか大きな式典とか、そういうのないの?」
「被害者が出るので」
「…あっそう」
初めて外の世界に出た感想は…案外普通だった。別に窓から城下町の様子は覗けたし、今更それが近くで見れたところで感動はない。いつか自分のこの容姿がもっと皆に知れ渡るのを想像していたのだが、それが叶う日は遠いのだろうと期待を裏切られてすっかり盛り下がってしまった。
もう少し街を進んでいくと何やら騒がしい様子だった。ただ騒がしいのではなく、なにか熱狂しているような、とにかく違和感のある様子だった。思わず周囲を見渡す。妙な胸騒ぎがしてやまなかった。
…ふと壁にかかる旗に目が留まった。それは荒々しい文字で書かれていた。
『国王に死を』
思考が一瞬追いつかなかった。何かの見間違いだろうかと目を擦り、もう一度まじまじと見る。
『国王に死を』
「…どういうこと?なんでこんな旗が…」
私はハドリーに問いかける。彼の眉間のシワはより深く、重く刻まれていた。こんな表情を私の前でしたことは一度だってない。なにか異常な事態が起きているとすぐに理解できた。
「…貴方はなぜ城に閉じ込められていたか知っていますか?」
「ハドリー、ちゃんと答えて。これは命令、今すぐ」
次の瞬間彼の表情はより深刻なものになった。初めて彼と会った時を思い出す、殺気を持った表情だった。
彼は大きな溜め息を吐いた。
「…世間知らずのガキが、自分の立場を理解しろよ」
聞き逃しそうになった。今なんて?私に向かって言ったものなのか?あり得ない言葉に思わず硬直してしまう。こんなこと一度もなかったのに。
「ハドリー!!王家の血筋である私に向かって…」
「黙れ、死にたくなかったら私の話をよく聞け」
左頬のツギハギは彼の表情をいっそう複雑怪奇にし、まるで同じ人間にみえなかった。
「ひっ…!!」
思わず身がすくみ、声が出なくなってしまった。
「…ビアンカ、単刀直入に言う」
「お前は忌み子なんだよ」
「…へ?」
この私が…忌み…?
「お前の出生は秘匿され、その存在はなかったものとされている。だがこの情報が何者かによって国中にばら撒かれ、国の状況は混沌を極めて…」
「ちょ…ちょっと待って!おかしいよ!私が忌み子?そんなデマ、なんで…」
頭が理解を拒んでいる。何が起こっているのだろうか、もしかして自分は何か過ちを犯しただろうか、無意識に頭の中を散策する。
―――――最悪な予想が頭をよぎった。
なぜ存在を否定された?
このスカーフはなんのために?
ハドリーのあの顔は?あの対応は?
なぜ私はあそこから出られなかった?
こう言う時に変に頭は冴えるものだ。ダメだ、自分らしくないだろう。
認めたくない。
認めてしまったら、私は…
「お前が何度も見ても飽きないその風貌、白い髪、白い肌、そしてその赤い瞳は…」
「悪魔の象徴だと、そう言われている」
どんどん近づく喧騒のなかで、私の耳はなにも音を通さなくなっていた。立て続けの事実にひどく動揺しているようだ。
もし自分が本当に忌み子だったら自分はどうなるか、そして父上はどうなるか、理解出来ないほどの温い人生は送っていない。
「世の中にはこういう理不尽もあるってことだ、これも勉強だ」
初めて自分を否定された。そもそもの根本から根こそぎ覆された。人生を否定されているのだろうか。こんな惨めな気持ちを味わうのも初めてだ。吐き気がしてきた。
私がこんなに自信を持っていたこの姿は、こんなに陶酔していたこの姿は、世界には認めてもらえないみたいだった。
「…じゃあさ、なんで父上は私を殺さなかったの?そうすれば最初からこんな事には…」
「それはお前が考えることだ、私はただの護衛に過ぎない。これから国外に亡命する予定だったが…気が変わった」
「もうじき父親も死ぬしな、いい機会だ」
「何を、言って…」
馬車がピタリと止まる。
全く頭が追いつかない。だが何か酷い惨事が起こる事だけが予感できてしまう。
喧騒は一層激しく、熱狂的になっている。異常な雰囲気が全身に感じられ、思わず身震いしてしまう。
ハドリーは突き刺すような目で私を睨みつけてくる。私はそれから逃げるように馬車の窓から外を見た。
そこはどうやら街の大広間のようだった。しかしそこには夥しい量の民衆が埋め尽くしていた。怒号と歓声が無差別に飛ぶ状況に、私の背筋は冷たくなっていた。言い表せない恐怖を感じた。
彼らは何かを取り囲むようにしており、その中心には、私がよく知っている男がいた。
「…父上!?なんで!!なんであんなところに!?」
起きているのは祭りでも、式典でもなかった。無知な自分でも今起きている状況がどんなに深刻かは分かった。彼は多くの兵士に取り囲まれ、数人に囲まれて腕を縛られている。兵士の顔は遠くから見ても分かるほど、無情に満ちていた。
なんでそんな顔をしていられる?自分達の主人も忘れてしまったのか?
「…つまらない死に方だ、お前はそんな男じゃなかったはずなのに…」
ハドリーは再び溜め息を吐いた。しかし、私にそれに気付くほどの余裕はもうなかった。
私は父上の隣にある、異様な空気を纏う物に気が付いたからだ。
それは簡素な木材で出来た柱と、上に吊り下げられた、鈍く光る巨大な刃物…
断頭台だった。




