白球高々
ー白球高々。
舞い上がった打球はなかなか落ちて来ない。
夏の高校野球決勝戦。
9回ウラ2アウトランナー1塁。
カウント ツーストライク、ツーボールから5球目に放たれた打球はセンターを守る 叶 空の頭上に飛んでいた。
真正面の打球だ。観客から観ていれば平凡で簡単な勝ちが決まったかのような打球に見える事だろう。
だが、守っている当人からしていれば決して簡単な打球とは言えない。
正面に飛んだ打球とは遠近感が掴みにくく落ちてくるタイミングが他の打球より読みにくい。
それに加え、掴めば夢舞台。掴めなければー恐らくスタートを切っているランナーがホームに返り同点となるだろう。
手に入りかけた物が手から滑り落ちる事は手に入りかける前よりも遠く感じる事だろう。
ーやがて打球は最高到達点に達し、重力に逆らわず空のもとに落ちてくる。
掴めば甲子園。
落とせばー
午後12時36分。
試合が始まってから、2時間36分。
スコア5対4 9回ウラツーアウト。
ここで、回ってきた。
『3番。センター、只野君。』
野球の神様は残酷なことをする。
チームで一番、バットを振ってきた。
チームで一番、声を出してきた。
チームで一番、汗を流してきたーキャプテンだ。
いついかなる時も弱音を吐かず、野球だけでなく、日常生活も送ってきた彼は同級生や後輩だけでなく指導者にも一目置かれている人物である。
「「頼んだ」」「「打ってくれ」」「「繋いでくれ」」....夏を終わらせないでくれ
そんな言葉は彼の心に重く...重くのしかかる。
「ほんとに残酷だよ」
ぽつりと独り言をこぼしてしまう。
ここで打てなければ、全てが無駄になる。
もし打てなくてもみんなは慰めてくれるだろう。数日したら振り切ったフリをして笑顔で楽しい縛りが無い生活になるだろう。
ただそれは、今までの2年半が無駄になるのと引き換えに得られる未来だ。
勝つことが全てだ。
そんなことはない。と何も知らない人は言うだろう。
2年半で得られたそのメンタルは、その身体は、その考え方は、その継続力は他の事にも生かせる。
そんなのはーただの方便だ。
いや、方便はさすがに言い過ぎかもしれないが、この2年半の努力はそのためにして来たわけではない。
全ては勝つために。
甲子園に行くために。
古豪と言われながら県大会の決勝までは来るものの一度も甲子園に出られていないこの高校で、
初の甲子園に!
夢舞台に立つために。
「バッター、ラップ!!!」
審判から打席に立つよう指示が出た。
もう逃げられない。
もう行くしかない。
駆け足で三塁側ネクストバッターズサークルから左バッターボックスに入る。
三塁側のスタンドからは物凄い応援の声が巻き起こる。
それはどちらかというとバッターへの応援というより、守備への「圧」のほうが大きいだろう。
その応援の声はバッターボックスに入り、投手との、昨年まで夏の大会三連覇の絶対王者のエースピッチャーを前にすれば全く聞こえなくなるからだ。
準決勝で昨年の準優勝校とあたった絶対王者はエースを完投させていた。
その準決勝を事実上の決勝戦と踏んでいたのだろう。
よって、この決勝には背番号10番が先発し、二番手は背番号11番が登板していた。
この二人から6回までに4点をとったが相手ベンチは慌てず7回からエースを出し、ここまで無失点。
背番号10番と11番から苦労してとった4点はエースが登板した次の回に一挙5点を取られた。
「強豪校」とはこういう高校の事を言うのだろう。
「プレイ!!!」
審判が試合再開のコールをかける。
先程絶対王者は伝令を送り、マウンドに集まっていた。
9回2アウトから珍しく1球もストライクが入らず四球を出したからだろう。
作戦の終わりに「おおおお!!!」と声を出しマウンドから散って今に至る。
バットの先でベースの外側アウトコースの端を確認し、次にバットの先で投手を指す。そして左肩に置き、ゆっくりトップをつくり構える。
いつものルーティーンを終え、少しだけ落ち着く。
聞こえるのは自分の心臓の音のみだ。
ランナーが一塁にいるため、一瞥し、セット。数秒置いたのち速いモーション「クイック」でボールを放つ。
四球の後の初球。本来は狙うべきなのだがー
手が、でなかった。
それは最後の打席となるやもしれない初球だからか、本当に凄いボールだったからなのかは分からないが初球は見送った。
バアアアアアアアアアアン!!!!といった銃弾のような音がミットから響く。
「ストライーク!!」
外側いっぱいにストレート。140キロ中盤は出ているだろう。
バックスクリーンには正確な数字が表示されているだろうが、それを確認する余裕はない。
ストライク。意味通り襲われている気分である。終わりへ一歩近づく死の宣告だ。
2球目ー。
先程より速いボールがインコース高めに外れる。
「ボール」
低い声で審判が宣告する。
1ストライク1ボール。
確かに速いボールではあるが...なるほど、昨日の準決勝の疲れはまだ残っているようだ。
コントロールが昨日よりは悪い。
3球目ー。
来たコースは、「真ん中」
意を決してバットを振る。
ボールは当たらなかった。
真ん中に来たはずのボールは自分のひざ元付近でキャッチャーが捕球している。
超高校級。いやプロの投手にも引けを取らないであろう「スライダー」。
2回目のストライクコールと同時に一塁側スタンドが湧く。
死の宣告がもうすぐそこまできていることを肌で実感にするには充分であった。
あとストライク1球。
4球目ー。
外側。ストレート。バットはー振れない。
銃弾のようなミット音。
一瞬の静寂。
どよめきが起こる。
審判が別の人だったら終わっていたとしてもおかしくないそんなボールだった。
昨日までだったらストライクだっただろう。
取り敢えず首の皮1枚つながった。
一呼吸置き、最初と同じルーティーンを繰り返す。
5球目ー。
ここで決めに来るだろう。
セオリー通りに行けば、決め球のスライダーを繰り出してくるだろう。
しかし、ここはー。
ピッチャーは首を振った。
ここで確信する。
ストレートが来る。
満にひとつでもワイルドピッチの可能性があり、振り逃げの可能性があるスライダーより、ストレートを選択してくる。
今大会無失点。その成績を支えたのは本来の決め球スライダーではなく、勝負所で投げるMAX153キロのストレート。
精密に投げ込まれるインコースへのストレートだ。
この確信が気のせいでタイミングを速めにし前のポイントで打たなければならない剛速球のタイミングでスライダーが来たら、詰みだ。
腹をくくり、構える。
セットポジション。
脚をしっかりと上げる。
目一杯の体重移動とともに放たれたボールは唸りをあげ、真ん中にきた。
反応のみ、反射的にバットを振る。
金属音が鳴る。
打球はー。
インコースを狙って投げた。
今大会防御率0.00を支えた決め球インコースへの真っすぐ。
この絶対王者の高校でエースナンバーを掴むことが出来たきっかけとなったボールでもある。
元よりコントロールには自信があったが、この高校にはコントロールが良いだけの投手などごろごろいた。
そこで磨いたのがストレートの精度だった。
どれだけ練習しても方向性が間違っていたらなんの意味もない。
間接等の可動域を広げる。
体重移動をスムーズにする。
上半身と下半身の連動をスムーズにするetc...
色んなことを試し、あるときそれを掴んだ。
誰にも打たれないスピードとキレのあるストレートを。
最初は一回だけだったがコツのようなそれを正解のようなものを継続する事で段々とそれに正確性が出てきた。
自信のあったボールだった。
昨日もこのボールを駆使し、12奪三振無失点。
去年の準優勝校をねじ伏せた。
今日は昨日の疲れがあるからか微妙にズレているがこのボールは大丈夫だろう。
実際、7回からの2回と2/3イニングでとった4つの三振のうち2つはこのボールで三振をとっていた。
7割ほどの正確性しか他のボールは出せていないが、この決め球だけはいつも通り決まっていた。
なのに、
最後の渾身の失投は相手バッターが振ったバットにタイミングよく当たり、センターの頭上へと高々く上がった。
掴めば、甲子園ー。
空はグローブを構える。
最高到達点に達したボールはどんどん落ちてくる。
しかし、空がいるのは落下地点ではない。正面の打球は奥行きが分かりにくい。遠近が分かりにくいのだ。
空は右手を自分の後ろに伸ばす
フェンスの位置を確認するためだ。
そして、フェンスは
ーすぐそこにあった。
空は目一杯構えたグローブを上に伸ばす。
白球高々。舞い上がった打球はーその先に落ちた。