医術師アフ
わずかに意識を取り戻したかと思うのも束の間、凄まじい高熱ですぐ気を失ってしまう。
ベノスはそんな状態を何度も繰り返していたが混濁する意識の中、誰かに手当てされ、看病されているということだけは薄っすら理解できた。
ゴブリンの死体の山から救出され数日…。
ベノスはようやく意識を取り戻し、なんとか声を発した。
「ここは…?」
「あら!意識がもどったのね?!よかったわぁ!」
声の方に目をやると、白髪、だが歳の頃なら30代くらいの美しい女性がベノスが横になったベッドの側にいた。
「無理しないで。まだ動かない方がいいわ。一週間近く危険な状態だったんだから。傷は痛む?」
女性は優しく語りかける。
「少し…」
一週間?!そんなに長く…。どうりで腕も足も自由がきかないわけだ。傷は…正直山の中を彷徨っている時に比べたら
魔法傷も殴られた顔や体の痛みは格段に緩和していた。
もっともゴブリンどもとの戦いで新たに負った傷はズキズキと痛み熱を持っていた。
「喉渇いてるでしょう、お水を。すぐ食事も持ってきますから」女性はコップをベノスの口元に運びゆっくりと飲ませてくれた。
「どなたか存じませんが、手厚い看護、感謝します…」
今や無頼の者となったベノスであったが思わず育ちの良さが
出てしまった。
「あ、自己紹介がまだだったわね。私はアフ。ここ、ヘキオン村で医術師を任されています。」
ヘキオン村?聞いたことがない。とりあえずベノスも名を名乗った。
「ベノス・ディ…、ベノスといいます。」
もはやディメナード家を出奔した身。家名を名乗るのは辞めた。
「失礼だがここは王都からどの辺の位置に?覚えている限りでは王都西のバルダ郡付近の山中にいたはずと記憶していますが」
「バルダ郡?!ここは王都から遥か南方、メクスドラとの国境に近い村よ。」
そんなバカな!?
山中を彷徨っていたのは多く見積もってせいぜい4、5日。王都から国境まで人の足なら20日以上かかる。
なにがどうなっているんだ?驚きの表情でアフを見つめた。
「う〜ん…これは推測なんだけど、山中でなにか不思議なことが起きたり妙なモンスターや動物に遭遇したりしなかった?
どこかで知らないうちに“ゲート”を通ったのかも…。」
“ゲート”──
どんな長距離でもわずかな時間で移動できる異次元の通路だ。そんなところを通った覚えは…。
…いや、遭遇した。
あの馬車、あの少女だ。あれと遭遇する直前、辺りが何か異様な空間に変貌していくような感覚があったがあれはもしかして…。
心当たりのありそうな顔をしたベノスに、アフは
「…まあなんにしても少し遠方に移動した程度で済んで運が良かったと思った方がいいわねえ。最悪魔界だとか人間の生きていけないような場所に飛ばされることもあるそうだから」
と話した。
確かに。それにベノスは出来るだけディメナード家から離れようとしていたのだからむしろ好都合か、と思った。
「食事を持ってきましょうか。傷を治すには食べて体力をつけなきゃ。
そうだ、村長さんがあなたの体が回復したらゴブリン退治のお礼を言いたいと言っていたの。あのゴブリンの群れにはみんな本当に困っていたしね。」
優しく笑みを浮かべ静かに部屋を出た。
…何日ぶりだろう、人と話しをしたのは。
それにしてもディメナードの屋敷でも騎士団の寄宿舎でもこんなに心落ち着いた気分になったことはない。
ベノスも、妙に安らぐ状況に不思議な気分になった。




