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トロマの禍  作者: 駄犬
8/18

理解が及ばない

 吐瀉物さながらに口と喉から血液を滝のように流れ落ち、肌に付着すると意思を持って張り付くような粘性を帯びた。危険信号を全身に送って、床へ横臥することを進める生物としての生存本能とは裏腹に、有馬は立っていることを自身に強制している。合理性を欠いた堅固と言わざるを得ないその思考を覆したのは、皮肉にも自分の血であった。両手を支柱にし、二本足の補助にしていた手の平の下に血が回り始め、テーブルをひっくり返されるようにして、肘がくにゃりと曲がり、その拍子に椅子を蹴飛ばす。スタジオに響き渡る騒音と共に、有馬の姿はテーブルの下に消え、放送事故に名高い惨事は暗礁に乗り上げた。


 露悪的な有馬の一挙手一投足は、その場に居合わせた人間からすれば、悪夢と呼んで差し支えなく、お茶の間に於いても目を背けて然るべき光景であった。トチ狂った一連の出来事は、後世に語り継がれる放送事故の歴史に名を刻み、規制で雁字搦めになった昨今のテレビメディアに風穴を開ける。計り知れない影響力を発揮し、広大なネットの海に放流されると全世界に発信された。


 政治的主張や、個人の感情を下敷きに発露された理解し難い私的理由とは相反し、それらは突発的に、蜃気楼の如く立ち現れた。原因に耳を傾ければ、表現の差異はあれど“とある存在”が仄めかされて、皆一様に頭を抱えた。


「そんなの有り得ません!」


 女性の白髪混じりの頭髪は酷く乱れ、連日の寝不足からくる隈が目元に跋扈する。声を張り上げた直後に起こした呼吸の乱れは、老いよりも不安定な精神が息切れしたからに違いない。整理整頓が為された広々とした玄関で、大の大人二人がシワ一つないスーツを身に纏い、誠意らしきものを見目に拵えながら、深々と頭を下げる。


「じ、自殺の原因をちゃんと調査して下さいよ!」


 言い出すのも忌々しい「自殺」という単語に女性は声を詰まらせつつ、しっかりと主張すべきことを訴えた。


「いえ、しっかりと調査したうえで、原因が判然としないのです」


 お手上げだと言わんばかりに恰幅のいい男がハンカチで額の汗を拭きつつ、仕事の環境を苦にして自殺を選んだ訳ではないと、女性に対して告げた。


「そんな……」


 腰砕けになるように女性は膝から崩れ落ちた。軟化した身体を見るに、一人で立ち上がることもままならないだろう。その為、女性への受け答えを担っている男がすかさず、身を案じて素早く動いた。


「大丈夫ですか?!」


 補助を買って出る男の手を、女性は取り付く島もなく拒絶する。長年連れ添ってきた夫が自死を選んだという、早々受け入れられない事態に際して、誰を恨んでいいのか分からず、ひたすら頭を抱えるしかなかった。それでも、今目の前にしている相手を仮想敵とし、女性は炯々たる睨みを捧げた。


「私が今、何より懸念しているのは、夫の自殺の引き金となった原因を隠蔽しているのではないかという疑念、それだけです」


 女性の怒りを助長させるような真似は避けねばならなかったが、同僚の死に因んだあらゆる事物に関して、嘘偽りなく伝える必要があり、それは警察官としての職務でもあった。


「遺書も見つかっておりませんし、何か深刻な悩みを吐露するようなこともありませんでした」


 拳銃を自らのこめかみに当てて撃ち抜くという、警察官の名誉を著しく損ねる自殺の方法は、警察組織への腹いせが含まれているのではないかという、俗世間の見方やメディアの報じ方が主流だ。しかし、女性に告げたことが全てであり、明確にすべき事柄は曖昧模糊とし、霧がかった背景ばかり浮き彫りになる。真実を度外視した推測の数々は揶揄に富み、普段から公的権力に対してどのような感情を抱いているかが形となって現れた。

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