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トロマの禍  作者: 駄犬
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軽蔑と共に

「なんですか……それ」


 目上の人間をあけすけに誹るような礼節を著しく欠いたことはしない。それでも、眼前で取られた態度や言動を訝しむ程度の不満は立ち振る舞いに現れ、殊更に眉が持ち上がった。怒気や軽蔑が込められた左手の握り拳と、とっさに閉じた口は舌鋒をどうにか押さえつけようと苦闘している。


「お前にもいつか分かるさ。いや、分かるとも限らないな」


 隙を与えない短い間に自問自答を完結させて、上司は奇妙な独り言を呟く。


「だが確かなのは、どれもこれも、経験でしか補えないことなんだよ」


 年嵩に準じて語りがちな物事に対する身構え方は、一回りも年齢が下回る相手からすれば、やけに陳腐な口吻となって映り、まともに耳を傾ければ、億劫になって当然の講釈が長々と垂れ流されるかもしれない。そんな機運が漂い、彼は早々に上司へ「ノー」を突きつける。


「嗚呼、そうですか」


 吸殻とするにはまだ早い煙草を灰皿に落とす。辛気臭い口から吐き出される白煙を吸い込むことに辟易とし、痰の絡まった咳払いを合間に聞いたのも相まって、喫煙所から離れる決意をする。逃げるように勝手知ったる出入り口の押戸に手を掛けた直後、敬うべき年上の上司に対して背中を向けたまま立ち止まった。後ろ髪を引かれたかのような名残惜しさを感じさせ、のちになって悔恨に姿を変える蟠りを吐き出す前の、初期微動らしきものとして伝わってきた。そしてそれは、老齢の悲哀を体現する上司への反抗心であると看取できる。しかし、喫煙所を脱する手前で立ち尽くす彼の情景に、上司は全く興味を示さず、煙草の煙と戯れるだけであった。


 前述した“諦め”とは、無関心を身につけ、誰からも影響を受け付けない所謂、朴念仁を演じる姿勢にあるのだと知る。上司の正体について彼は肌で理解しており、やおら開いた口はある種の啓蒙を連想させる力強さが満ちていて、もし仮に振り向こうものなら、意図しない軋轢を生みかねない。そんな恐れから、背中越しに注進する他なかった。


「でも、世間は無視しませんよ。真相の一端に触れようと誰かの声に耳をそばだてるはずです。それがどれだけ胡散臭く、陰謀論めいたものであったとしても、縋るだけの価値を見出しますよ」


 痩せこけた老木のような超然とした上司の看過が、如何に警察の掲げる大義名分を蔑ろにしているかを糾弾した。それでも、退屈だと言わんばかりに生あくびを吐き、そこらじゅうに転がる有象無象の主張とさして変わらないと首を掻く。経験に裏打ちされた最もらしい弁舌すら授かれないとなれば、上司との会話は空々しい問答に終わって当然のものになり、軋轢を不安視して礼節を弁える優等生じみた振る舞いは不要であった。いくら尻を向けたところで疾しく感じることはない。


「お疲れ様です」


 何の後腐れもなく手足をあやなして喫煙所を出ると、上司はぽつねんと静寂と戯れ始めた。

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