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聶史  作者: 鍋島五尺
第1章
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山寺の岩 第6話

 条眼和尚が真に泥鬼の素質に気がついたのは、それから暫く経った後でございました。

 寺に入り、新たな日常を泥鬼が過ごしていたとある日のことでございます。その日も泥鬼はいつものように言いつけられた仕事をこなし、一日の終り、夕刻になって御堂の掃除をしておりました。すると、一人のやせ細った男があの長い石段を登りきり、条眼和尚を訪ねて参りました。この村人はどんなに食べても痩せ細った体が変わらず、それで女に相手をされない自らの容姿を嫌っていたそうです。だからこそ自分よりも醜い泥鬼をひどく嫌い、誰よりも気勢よく男を痛めつけた者たちの一人でありました。

 弱い立場の者がより弱い者を虐げるというのは珍しいことではありませんね。人間のみならず、動物の世界でも、社会性のある動物ですとこのようなことがあるそうです。誰も皆、自らが弱い立場であるという事実に耐えられません。その自覚を持ったまま過ごしていくうちに、ほとんどの者は心が壊れてしまいます。それこそ、人一倍強い心を持っていない限りは。そして心を守るため、自分よりも弱い者がいると確認したいと思い、何かを虐げるのです。自分の地位を最低のものにしないため、自らよりも下に何かを置こうとするのです。

 「天上天下唯我独尊」という言葉はよく誤解されがちなものです。この言葉が意味するのは「他と比べて自分のほうが尊い」ということではありません。天上天下、つまりこの世界の中に、人の命に差別はなく、皆一人一人として、平等に尊いという意味です。これをよく心に刻んでおきたいと私は思います。


 さて、この村人は泥鬼を見つけると、甚だ疎ましげに住職はどこにいるかと尋ねました。自業自得だとはいえ、昔自分がこっぴどくいじめ抜き、ついには村から追い出した相手ですから、大変会話のしにくい相手だったことに間違いありません。後ろめたさというものはなかなか厄介です。罪悪感からくるものだというのに、それを払拭するための謝罪の機会さえ奪ってしまいます。彼もこの時に謝罪をしていれば、それが受け入れられたかどうかはわかりませんが、また泥鬼との関係を修復できたのやもしれません。ですが、彼がそれをすることはありませんでした。

 泥鬼は黙って離れの方を指差し、仕事を続けました。男はそれに感謝することもなく、指された方へ歩いて行きました。半刻、今の時間単位で言うと1時間ほどすると、村人は和尚を連れて戻って来ました。おそらく彼にも彼なりの悩みがあったでしょうから、どこかのお堂で話し込んできたのでしょう。彼は泥鬼の姿が未だ御堂にあるのを見ると、村にいた頃では思いもよらないような、先とは打って変わった優しい物言いで「本尊の前で少し祈りたいのでそこを開けてくれないか」と泥鬼に話しかけました。泥鬼は仕事をほとんど終えていたので、黙って御堂を明け渡しました。


 泥鬼の胸中を思うと、私も胸が苦しくなります。彼はきっと激しい怒りの中にいたのでしょう。そしてそれを言葉に表すことのできない、誰にも共感してもらうことのできない苦しさは、それは想像を絶するものだったでしょう。泥鬼は村にいた頃のことを思い出しました。その醜さ故に疎まれ、煙たがれ、訝しがられました。彼が何かを行ったわけではなく、ただ醜いと言うだけでその仕打ちを受けました。言うまでもなく、彼が望んで醜い姿に生まれたわけではありません。酷く筋違いで、不条理な扱いを受けたのです。しかし、泥鬼は昂る感情を抑える術を知りませんでした。いいえ、これまで通り、村にいたときのように、心を殺して噛み潰すこともできたのかもしれません。ですが、なくなったはずの苦しみがつきまとい、開放されたはずがまた苦しめられると思うと、これまで通りには行かなかったのでしょう。

 その怒りから泥鬼は雄叫びをあげ、ところ構わず駆け出しました。その声を聞いた条眼は少し泥鬼のことが心配に思い、村人が帰ったのち泥鬼を探しました。


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