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恋心

作者: ミュウサ

 「ありがと」

 下を向いたまま呟いた。

 15年ぶりに再会した彼は、あの時と変わらず「影」を感じさせ、私は「うん」としか言えなかった。

 


 彼とは中学の頃から学校が一緒だったので面識がない訳ではなかったが、同じクラスになったこともなく、話もしたことがなかった。

 そんな彼と初めて言葉を交わしたのは、高校に通いだし毎朝の通学時に顔を合わせるようになってからだ。言葉を交わすといっても、そんなに込み入った事を語り合うわけではなく、「今日は混んでるね」とか、「電車に乗り遅れそうになった」とか、そんな他愛のないことを言うと「そうだね」と返してくる程度であった。

 高校2年生の夏、帰りの電車の中で一緒になり、電車を降りた後の自転車も彼と共にした。その時、「付き合って」と言われ、私は「いいよ」と言った。そして、私たちの付き合いは始まった。

 それまでにしょっちゅう顔を合わせていたのに、私は彼のことを何も知らなかった。唯、なんとなく感じる彼の「影」に魅力を感じ、彼をもっと知りたいと思った。



 付き合い始めてすぐに私たちは帰り道でキスをした。初めての事で私は動揺していたが、彼は動じることもなく慣れた風であった。

 それからも時々一緒の時を過ごしたが、私は彼の心の中を理解できずにいた。彼の悩みや喜び、苦しみ…。わかっているのは何か感じる「影」だけで、その影が本当に存在するのかもわからなかった。彼はいつも私には優しかったけれども、時折、鋭く冷たい表情もみせた。そして、その後決まって寂しい目をした。きっとそれを私には悟られまいとしていたのだと思うが、私は痛いほどその「影」を感じ、その理由がどこにあるのか知りたい気持ちでいっぱいになることもあった。一緒に過ごす空間はとても切なく、壊れそうな不安に駆られることもあったが、彼は裏切ることもなく私との時間を大切にしてくれていた。

 ところが、そんな感じの関係が数ヶ月間続いた後彼はバッタリと駅に姿を現さなくなった。今日はいるんじゃないかと期待を胸に駅に向かっても彼は何処にもいない、そんな日が何日も続いた。その時初めて、私は彼の家も連絡先も知らないことに気づいた。いや、初めて気づいた訳ではなく、聞いてはいけないような気がしてあえて触れていなかったのだ。

 彼とはそれきりだったが、春になり高校3年生になっても、今日は駅にいるんじゃないかと期待する日々が続いていた。でも、私は彼の家を知ろうとは思わなかった。中学が一緒だったのだから、調べようとすればきっと簡単に見つけられたのだけど。なんとなく彼は知ってほしくなかったような気がしたのだ。



 大学に進学してから私には新しい彼氏が出来た。あの頃のことは忘れてはいなかったが、なんとなく思い出に変わっていた。彼との日々とは違いその人とはなんでも気兼ねなく話せたが、彼の中に感じた「影」や切なさ、儚さは全く感じなかった。

 私は、「これでいいんだ」と感じていた。大学は日々新しいことの連続で、面白く充実した毎日だった。高校の時の切なく壊れそうな日々と比べ、大人になるということはこういうことなのだとさえ思えた。

 そんな感じで、彼との切ない日々はもう終わった事として心の片隅にしまっていたのだが、ある朝、私はテレビで衝撃的なニュースを知り、現実の想いとして蘇させざるをえなくなった。


  彼が母親を刺し殺したのだ。


 私はそのことを知り、信じられない想いより先に、彼の「心の影」の核心が読み取れたような気がして、母親を殺めてしまったことが仕方ないと思える程の深い訳があると悟った。そして、これから密かに彼の「影」を支えて生きていこうと強く思った。



 取調べが進むうちに彼の殺害の動機が明らかになってきた。長年に渡り母親から性的関係を強要されそのような関係を持ち続けていたこと、高校になってから彼女の存在を母親に知られ、それから学校に行かせてもらえなくなったこと…。その後、母親の精神異常はエスカレートし、彼は監禁状態に置かれていたことなど、あまりにも無残で悲惨な状況が露になった。

 私は、そのことをメディアでしか知ることが出来なかったけれども、これに関連したニュースやワイドショーを目にする度に、あの時彼の「影」に踏み入る勇気がなかった自分を悔いるとともに、踏み入っていたらどうなったであろうかという無念さを想像した。そして、これでよかったと思い直す、そんな事を繰り返していた。

 結局、彼の動機は自身の証言として裁判で取り上げられたが、状況証拠のみであったのと、彼と母親の肉体的な力関係において彼は逃げ出せる状況であったと判断されたことで、彼の罪は重く、無期懲役の判決が下された。

 私と彼との関係は何かと問われたら、答えられない。きっと今は他人でしかない。だから、私は彼と連絡を取れない。でも、心でいつも彼のことを想う。きっと、ずっと想い続けるだろう。



 大学を卒業した後、私は児童相談員として就職し養護施設で勤めていた。忙しいけれども単調な毎日の中、いくつかの恋愛を経験したものの長続きせず、結婚の機会もなく32歳を迎えようとしていた。彼のことは、今では現実とは結びつかず、不意にあの時のまま切なさが込み上げてくることがあるものの、すぐにそれは空想でしかないと思い直すようになっていた。そんななか、私は就職してから3度目になる転勤の辞令を受けた。今度の職場は家からは少し離れたところにあったが、車の運転は好きな方なので、さほど気にはならなかった。

 新しい職場に慣れてきた頃、私は一人の少女のことが気になるようになっていた。16歳の彼女は、知能の遅れがあるものの、非常に感性豊かで心が美しい少女であった。そして、気になる理由はそれだけでなく、少女が非常に彼に似ていたこと、苗字が彼と一緒であったことであった。私は、日に日に少女が彼と肉親関係にあるような気がしてきた。これは私の彼に執着する気持ちから発する妄想かと疑うこともあったが、少女の瞳をみる度彼が浮かび、そのことから、決してそうではないと確信していた。

 私は少女の担当であり彼女には身寄りがなかった為、外出には同行することが多かった。そして、少女が半年に一度の兄との面会に行く時に同行することが決まった時から、私の心はどうしようもない位揺れ動き、いく晩も寝つけない日々が続いた。

 少女はこっちを見ながら無邪気に言った。

「明日、お兄ちゃんに会うの。お兄ちゃんが帰ってきたら一緒に暮らすのよ。」


 少女はあの事件を知っているんだろうか。

 少女の父は…。

 私は彼に会いに行くべきなのか。

 彼が帰ってきたら…?

 

 考えるだけで今まで築いてきた単調な毎日がガタガタと崩れ落ちてゆく。

 

 私は十数年の日々の中で、いつの間にかあの頃のような真っすぐできれいな心を失ってしまったのではないだろうか。

 

 

 それでも私の心は彼に惹かれていた。


 


 

 

 

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