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溢れる何か

〜ライが倒れた数時間後〜


「ライくん、大丈夫かな? ルカちゃんもかなり取り乱してたし……」


隣の椅子に座っているナットは不安そうな表情を浮かべて、ライを心配している。キューという名の医師が診察しているらしいが、今のところ朗報はない。カイはその間もずっと黙りこくっていた。


(耐性がないなんて、そんなの知らなかった……)


この島にだけ吹いている毒の風。人間には害が全くない風だと言われているが、ごく稀に風の毒に耐性がない人間がいるらしい。


 体の強い弱いは関係なく、むしろ体が強いものほど風の毒に早く侵されてしまうという。一説には極度のストレスや肉体的疲労を感じている状態で吸い込んでしまうとかかりやすいようだ。


 たしかに兄はここ数日、ずっと疲れている感じだった。自分がもっと気を遣って、兄をサポートするべきだった。そういえば兄はいつも自分達より遅く起きる。


 あれは兄が寝すぎなわけでも、ねぼすけなわけでもない。カイとルカが寝るまで待っているのだ。いつだって自分のことを最優先にはしてくれない。それで倒れられたとしたらカイは一生、自分を責める。


「大丈夫? カイくん?」


「……大丈夫ってなにが?」


 考え事に茶々を入れてくるナットに対して、カイはかなりイラついた。元々、二人がいたから大人しくしていたのであって三人だけの空間を邪魔するナットも自分にとっては邪魔な存在であった。


「だいぶ混乱しているみたいだから、ライくんはきっとすぐに目を覚ますさ!」


「勝手なこと言うなよ!」


カイは椅子から立ち上がると、ナットを強く睨みつけた。ナットは全く分かってない。自分にとって兄と姉が全てなのだ。兄が目覚めないという状況に立たされているカイの気持ちが他人に分かるわけがない。


「何をやってるんですか?」


「! ね、姉ちゃん……」


カイの大声を聞きつけたのか、医療部屋からルカが駆けつけてくる。なんだか悪いところを見られたような気分で気が咎める。


「そうやって人に八つ当たりをしても、兄さまは喜びませんよ」


「わ、分かってる。ごめん、ナット。僕、少し取り乱してた」


 姉であるルカに諭され、カイは素直にナットに謝罪する。今の自分はとても冷静とは言えない。つい苛立ってしまったことをカイは反省した。と、言うのは嘘で実は反省しているふりをしているだけなのかもしれない。


「いいよいいよ。気にしてない」


ナットはカイの怒り具合に一瞬、驚いた顔をしたもののすぐな普段の落ち着きを取り戻した。


「兄ちゃんの具合はどう?」


「あいからわず、眠ったままですね。目覚めの花であるメイビスの花を使用すれば目覚めると言うことですが……」


 ルカはカイの質問に対して、厳しい現実を突きつける。メイビスの花などという名前の花は見たことも、聞いたことがない。恐らく、ここでしか咲いていない花の名前だ。ナットもカイと同様、知らないらしく頭を抱えている。


「聞いたことのない花の名前だね」


「この島に風が吹く前に咲いていた花だそうです。今は全て枯れてしまっているらしいです」


「なんとか手に入る方法はないの?」


 カイは手に入らないということを理解しつつ、キューから話を聞いたはずのルカに問いかける。無駄だと分かっている。姉なら手に入れる場所を聞いたら真っ先にカイと相談することもなく、その場に急行するはずだ。そうしないということは、現状どうやっても手に入らないものだ。


「この風が止まないかがり花の確保は無理だそうです」


「風……」


カイは空を見上げると、紫色のもやがかかってある風を目に通した。カイも住民から聞いた話しだが、イルタグルに住んでいる住民が健康に暮らせている以上、人間の身体に害はないらしい。


 港にいた野良猫なども普通に生存していたので、植物にかかる病気といった方が正しいだろう。イルタグルの住民にとって死活問題であるはずだ。


 カイの能力は本当に役に立たないと思う。海を操れる力なんて病気の前では無力だ。そんなカイの心労を察したのか、ルカが医療室までの道を開ける。


「兄さまのことが心配なのなら、まずは会いに行ってあげればいいんじゃないですか?」


「うん……」


 カイはルカの言葉な素直に従った。もう太陽が完全に沈み、深夜だ。騒がしかったはずの港も静かさに包まれており、誰一人として出歩いてはいない。


 カイもルカと一緒にキューの話を聞きたかったが、取り乱していたカイは姉によって外に出されてしまった。故に見舞いはこれが初めてだ。


 あの時、兄はいきなり倒れた。キューが担架を持ってきて急いで医療室に運んでくれた。姉だってカイと同じで取り乱していたはずだ。なのに看病や症状の説明を聞くことを全て姉に任せてしまったことが申し訳ない。


「この風、どこから吹いてくるんだ……?」


カイは医療室の廊下にまで充満している毒の風に眉を寄せた。この島にだけ密集している風の集合体。まるで生き物のようだ。他の島に流れ込むこともなく、島中を漂っている。


「くそ! こんなもん!」


カイは羽織っていた上着で風を追いやった。まるで意志があるかのようにまとわりついてくるこの風はシンプルにきみが悪い。


 カイは兄が寝ているはずの部屋の扉をゆっくりと開けた。誰も入っていないかを確認するためだ。看病していたキューも看病疲れしてしまったのかベットの上に顔だけ乗っけて、寝てしまっている。


 カイは初めて見るぐらい、気持ちよさそうに寝ている兄の寝顔を見て、少し落ち着いた気分になる。こんなに穏やかな顔で寝ているところは見たことないかもしれない。いつだって悪夢にうなされている。眠れたことはある意味幸せなことなのかもしれない。


「でも、無責任だ!」


自分達をほっぽり投げて、寝てしまうなんてずるい、睡眠はある意味、現実逃避だ。辛い現実から合法的に逃げられる唯一の場所。


「これ、医療用のナイフ……」


カイは兄に八つ当たりしてしまう自分を抑えているところで、あるものに気づいた。それは医療に使うためのメスのようなナイフだ。銀色に光り輝いており、カイの目を一際引きつけた。


「そうだ。そもそもこんな島に来なければ、兄さんはこんな目に遭わなかったんだ!」


カイは自分の爪が食い込んで手から出血するぐらいに握り拳を作った。痛みなんて今はどうでもよかった。カイは置いてあるナイフを血だらけの手で握りしめると、隣の部屋に向かった。先程は混乱状態だったが、あの女が寝かされたのは隣の部屋なことは記憶している。


カイはできるだけ足音を立てずに部屋の扉を開いた。きしむ扉の音で起きてしまったのかと怯えたが、相手は起きる気配もない。


 風の毒にやられているわけではなく、単純に亜人から負わされた怪我が脳にダメージを与えたらしい。目覚める確率は少ないとのことだ。


 カイははやる心臓を自ら押さえつけると、ナイフを逆手に持った。それを彼女の心臓に刺そうと、振り切った。


「やっぱりそうくると思いましたよ」


「!!」


背後には音もなく現れたルカが扉を背にして立っていた。



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