黒き影迫る
「ゲホ、水が口ん中入った……」
幼い頃から海水が苦手であるライは口に入った海水を急いで吐き出した。口の中が塩辛くて、痛い。こんなものを頻繁に飲んでいるカイは間違いなく頭がおかしい。
ライと同様に渦潮に打ち上げれたナットとアイシェリカも塩水にやられている。特にアイシェリカは怪我がこの中で一番酷いので塩水が傷口に染みるだろう。もっといい救出方法はなかったのかと頭をひねるばかりだ。
「あ、兄ちゃん! いたいた!」
噂をすればなんとやらで、カイはヒョイヒョイと木の枝を渡ってこちらにやってきた。黒くてツンツンとしていた髪は海水によってサラサラとした銀髪に変わっている。久しぶりにみたが、こうして見るとだいぶ印象が違う。
「ん? その子、誰?」
「ナット、それは酷いな! 僕だよ。カイだってば!」
「え、カイくん? どうしたんだい。その髪の色……」
ナットは印象が変わったカイのことを別人だと思ったらしい。兄であるライですら、幼少期、ルカとカイを見間違えたぐらいなので納得がいく。銀髪のカイはかなり大人しくて知的そうに思えるのだ。
「ああ、これ? 黒く染めてただけだよ。海水で色が取れちゃったみたいだ」
カイは自分の髪をわざとかき乱し、いつもの癖っ毛に無理やり変貌させる。元々、カイは体が小さかったこともあり、三子だとバレないために外見をわざと変えていたのだ。
「ルカはどこだ?」
「兄ちゃん、姉ちゃんのことばっかりだ。姉ちゃんなら岸の方にいるよ」
「それならいいんだ。別にお前のことを心配してなかったわけじゃ無いからな」
カイが嫉妬に近い感情を宿らせているのを見て、ライはカイを安心させるように声をかけた。別にカイのことが心配なわけではない。それは確かなのだ。
「亜人たちはどうした?」
「海水を食らわせといたよ。あ、どうして場所が分かったのかは企業秘密だから内緒」
カイは口元に手をやると、話す気はないという意思表示をした。カイは昔っから自分のことについて詳しく話してくれないことがある。
詮索しようとしても、腹の内を探ることはできない。それはライだって同じではあるからある意味兄弟らしいのかもしれない。
「今なら逃げられるよ。……その人はどうするの?」
カイはライの腕を引っ張ったところで、アイシェリカの存在に気づいたのか、訝しげな目を向ける。カイにしては珍しい表情だ。どうやらアイシェリカが気絶しているらしい。やけに静かでおかしいとは思ったのだ。
体力の消耗なのか、傷の痛みなのか、どちらにせよライが原因の一端を担ってあるのは確かだ。ここで彼女を殺すのは簡単だ。しかし命の恩人に対して、その態度はあまりにも酷いのではないだろうか。
「いや、連れて行こう。このままだと亜人の餌になるだけだ」
「いいの? 仮にも君たちを何度も殺そうとしてきたはずでしょ?」
ライの判断にナットは珍しく、口を挟む。カイは黙っていて反応のひとつも見せない。ナットの発言はカイのことを意識しての発言だったのかもしれない。
「一応、命を助けてもらったからな。ん?」
ライは手負のアイシェリカを持ち上げようとしたところで、あることに気づいた。やけに彼女の体が重いのだ。別にアイシェリカの体重が重いという話ではない。重さの原因は彼女がマントの下に背負っている銀色の大剣だった。
「嘘だろ……。あの状況でこの剣を持ってたのか……」
命がかかっているあの状況で剣を持っていくという選択を取った彼女にライは驚かされる。それと同時にここまでの重量を背負っていながら、弱音ひとつ吐かないところが彼女らしくはある。
(この剣は弟のためなのか……)
ライはアイシェリカを抱えながら、巣穴での言葉を思い出していた。どうやらこの剣はクリスタル王国に昔、まつわれていたもので弟のお気に入りの剣でもあったらしい。
弟が何度も聞かせてくれた剣。もしかしたら姉としてその剣を持ち帰ってやりたかったのかもしれない。もちろん、これはライの単なる想像でしかない。
「俺たち、同じなんだな……」
ライは先を急ぐ、カイとナットを追いかけながら、彼女の行動に共感した。
* * *
「プリンセス母!! もう、海に進んでいいよ!」
カイは浜辺が見えてくると、浜辺の入り口でじっと待っていたクイーンに向かって声をかけた。その中にはルカとプリンセスが立っている。ルカの様子を見る感じ、怪我はしていなさそうだ。プリンセスも元気よくその場で跳ねているので、無事なのだろう。
カイの一言にクイーンは海の中に潜り始めた。クイーンが海に潜る時間を短縮するためだろう。
「うわあぁぁ!! きてるきてる!」
途端、三人の中で一番足が遅いはずのナットがカイとライを余裕で追い抜かしていく。背後を振り返ると、多くの亜人が牙をたぎらせ、こちらへと追いかけてきていた。どう見ても目がやばい。追いつかれたら完全に食い殺されるだろう。
「くそ、間に合えー!」
ライは負傷している体に鞭を打つと、アイシェリカを抱き上げたままクイーンの体にダイブした。
* * *
「カイのやつ、間に合ったかな?」
島の崖でくつろいでいたレオはカイから渡された通話機をしげしげとみながら、カイの安否を思った。兄弟がいる場所も教えてし、できる限り嘘の場所を仲間に伝えて仲間を混乱させたりもした。
上手くいくかはカイ次第だろう。それで死んだのならそれだけのやつだったということだ。
「カイのやりたいことってなんだろ?」
レオはカイと話した時間を思い返し、自分が何故あんなにもカイと打ち解けたのかを疑問に思った。レオにとって人間は憎き仇だったはずだ。しかしカイに対してはそんな感情を抱かなかった。
「あいつが人間じゃないから?」
カイはレオを説得する時、自分は人間に見えるけど違うと言っていた。だから何十年も前のことが分かるのだという。でなければ母のことをあんなにも詳しく知っておるはずがない。
感慨に浸っている最中のレオの背後から誰かが近づいてくる。それが誰なのかは見て確認しなくても匂いで分かった。レオは冷静に通話機を毛皮の中に隠した。
「レオ、一体どういうつもりだ?」
「……」
レオは耳を逆立ててやってきた下の姉、ラフェルトの発言で質問の意味を理解した。姉はこう言っているのだ。『何故、逃したのかと』。
他の亜人には上手く誤魔化せていたようだが、姉の洞察力で人間の逃走にはレオの手招きがあったということは分かったらしい。どうやらごまかしても無駄そうだ。
「怒らないでよ、姉さん。僕がやりたいことは何一つ変わってないよ。ねえ、姉さんは人間のことをどう思う?」
「……。レオは私を馬鹿にしているのか? 人間は憎き仇だ」
姉は何を当たり前のことを聞いているといった表情で言葉を吐き捨てた。予想していた通りの発言だ。
「だよね。僕も同感だ。でも、今のやり方じゃ亜人がひのめを見る日は来ないと思わされたよ」
「?」
姉はレオの言葉に疑問の色を浮かべる。姉たちが考えているのは人間に復讐することではあるが、それはあくまでも人間の数を減らすだけであり、優しい二人はレオのように無惨な考え方はできない。
要するに子供なのだ。復讐という言葉を口にしてはいるが、具体的にどうすればいいのかを考えていない。
「あいつはね言ってくれたんだ。自分のやりたいことが終わったら、僕の計画に協力してくれるって!」
「計画?」
「人間大虐殺だよ!」
レオは立ち上がると、これまでにないほどにオレンジ色の目を喜びに輝やかせた。その目に姉は恐怖を覚える。弟にこんな感情を抱くのはおかしい。そう思いながらも、恐怖は止められない。




