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婚約破棄したら皇位継承権を破棄された上に、国から追い出されることになりました【番外編】

作者: 歩芽川ゆい

「婚約破棄したら皇位継承権を破棄された上に、国から追い出されることになりました」

の番外編です。盛大なネタバレをしているので、本編をお読みになった後に読んでいただけるようお願いいたします。


「お父様に至急ご報告したいことがあるのですが」


 アルキ王国の王位継承権第1位の、ガイネが宰相を通して父親である国王に面会を申し込んだ。

 弟である王位継承権第2位のフィアッティならば、直接王の従者に頼めばいいのだが、ガイネはきちんと手順を踏むことを要求されている。『待たされる人々の気持ちを理解するため』などとそれらしい理由を付けられているが、どうせフィアッティの入れ知恵だろうとガイネは思っている。


「どのような事です?」


 宰相との面会も普通なら待たされるが、そこは流石にすぐに通してもらえる。それさえ正規の手順で、とか言われたら、皇太子としてのメンツも立たなくなるからだろう。

 宰相は仕事をしながら、上目遣いでガイネを見た。

 

 別に媚びているとか面倒くさいわけではない。老眼鏡をかけているので、遠くを見るには眼鏡を下にずらして見ないといけないだけだ。


「学院に編入してきたフレーテ男爵の令嬢クライネに関してです」

「ほう? その令嬢が、なにか?」


 今年の新学期に、ガイネと同学年の高等部2学年に編入してきた国の南の領地をもつフレーテ男爵の娘がいる。アルキ王国に学校は多々あれど、クレフィ学園は貴族と一般人が入り混じって学べる唯一の国立の学校で、貴族は殆どがこの学院に小学部から入学する。一般人は早くて中等部、ほとんどは高等部からだ。

 貴族のなかでも家や本人の都合でもう少し大きくなってから入る者もいるが、何にせよ高等部のしかも2年からの編入というのは非常に珍しい。


 そんな時期の編入生は良くも悪くも目立つ。しかしブラウンのストレートヘアをシンプルに結って、控えめにしている彼女は、成績も評判も悪くなく、自然とクラスに溶け込んだ。

 しかしそんな彼女は今年度、3年生になってから、妙な動きを見せ始めたのだ。


「どうにも彼女の挙動が不審なのです。しかも日常的に魅了魔法を使っているように見えます」

「証拠は?」

「魅了魔法に関しては具体的にはありませんが、行動に関してならいくつか」


 言いながらガイネは集めた資料を宰相に手渡した。宰相はそれを確認して、侍従にすぐに国王に面会を取り付けるようにと言づけてくれた。


「ガイネ様。彼女はあなたにも接近をしているのですか?」

「今のところは、直接的にはまだ。しかし私の興味を惹こうとしているのは確かです」

「なるほど。こちらでもクライネ嬢の事は調べましょう。ガイネ様は引き続き警戒をお願いします」

「はい」


 国王との面会日時はまた後日連絡ということで、ガイネは宰相の部屋を出た。


 ガイネは王城を出て裏手にある屋敷へと向かう。周りには護衛騎士が2人、無言で付いてきて、自室の前で近衛にガイネを引き渡して、無言のまま礼だけして戻っていった。

 ガイネはそんな彼らを見ることもなく自室に一人入り、学院帰りに直行したためにまだ制服だった服を着替え始めた。


 最近、幼馴染のガイネ専属騎士(予定)のブラッチェは、騎士団の任務に駆り出されていて夜しか一緒にいることはない。

 従者のベッケンも長期の研修に出ていて、今はフィアッティの執事が手伝いに来てくれているが、食事時と入浴時くらいしか来ない。それはそうだ、フィアッティを優先するのだから。

 来てくれないよりはまし、とガイネはため息をつきながら一人で着替えていく。


 この世界の王族が一人で着替えるなんて!

 ベッケンやブラッチェがいたらさぞかし憤っただろう。高位貴族ならば着替えや入浴は必ず従者がいるものだ。

 ガイネの場合、専属のメイドなどの使用人もふだんからフィアッティの半分以下しかいない。

『将来国王になれば嫌でも使用人に囲まれて暮らすのだから、今は自分で出来ることは自分でするべきだ』との国王の一言でこんなことになっているが、どうせこれもフィアッティの魅了魔法の影響だろうとガイネは考えている。


 弟のフィアッティとは仲が悪いわけではない。顔を合わせれば普通に話もするし、たまにだが勉強を教えたりもする。ただ彼は幼少時は体が弱く、両親が付きっ切りだったこともあり、基本的な接触は少ない。

 

 そのフィアッティは生まれながらの魅了魔法持ちで、その影響で小さい頃から周りに可愛がられていたが、最近は意識的にそれを使ってガイネを孤立させつつある。

 

 魅了魔法の面白い作用の一つに、自分を魅力的に見せて夢中にさせるだけでなく、邪魔者を排除しようという意識が術者にあると、そのものを周りが疎ましく思うようになるという効果が付随してくるのだ。


 フィアッティがどうしてガイネを排除したいのかは正確には分からないが、多分、王位継承権第2位というのが気に入らないとか、そんな理由だろう。


 ガイネ本人は継承権にこだわりはなく、フィアッテイの方が国王に向いていると言うのなら自分はいつでも補佐に回るつもりでいるのだが。

 何よりこの国は、一応王家に生まれた順番で王位継承権が与えられるが、必ずしも1位だからといって王になるわけではない。現王は継承権第3位だった。長兄は冒険者になりたいと早々に国を出て、各地で成果をあげているし、第2位の長女は南の国に渡って、そこで大学に所属して研究者として励んでいる。

 現王であるガイネの父は、その3兄弟の中でなるべくして王になった人物だ。

 長兄のように奔放でなく、長女のように一つの事に執着することもなく、それでいて国を治めることに誇りをもっており、能力のバランスも良い。適材適所とはまさにこの事だと言わしめた王なのだ。


 とはいえ、ガイネは国王になるべくして幼い頃から励み続けてきたので、いきなりお前はフィアッティの補佐だと言われたら心情的に面白くないことは確かだし、ほかのことをやれと言われたら途方に暮れてしまうだろう。

 ならば自分が国王になりたいと立候補すればいいのだろうが、まだまだ自分にそこまでの実力も自信もない。何より国王に笑われて終わりだろう。


 自分では頑張っているつもりだが、剣技も魔法も、学院の成績も何もかも、誰もがまだまだ駄目だ、実力不足の上、努力が足りないというのだから、もしかしたら自分に国王は向いていないのかもしれない。


 それに対してフィアッティは2歳年下だというのに、全てにおいて評価が高い。確かに学院の成績もつねに首位を保っているし、魔法攻撃能力こそガイネに劣っているが、そのほかでの事では教師や指導者が天才だと絶賛している。

 だが学院の成績はともかく、剣技も魔法能力も、そのほかも。自分の方がまだ勝っていると客観的にみても思うのだが。


「いけない、これが妬み嫉みというやつか。そんな風に思ってしまうこと自体が、僕がまだまだという証拠なんだろうな」


 頭を一度ふって思考をきりかえる。部屋着に着替え終わったガイネは執務机に向かって、積み上げられている書類を手に取ってサインをして行く。

 最近は少しずつ領地関係の書類に携わるようになってきた。まだまだ報告書の確認程度だが、国全体の領地の報告書だから数は膨大で、その中に間違いがないかなども確認しなくてはいけない。

 これで国王がサインすべき書類のごく一部だというのだから、頭が下がる。たとえ朝から仕事をしているにしても、仕事量が膨大過ぎる。

 これでは子供に構っているヒマなどあるわけがない。週に1~2度の家族での食事時間を取るのだって大変だろう。最もフィアッティは国王の執務室を遊び場にしていたが。


 

 こういう書類をただ右から左へとサインしていくのではなく、しっかりと読みこむことで領地経営の勉強になるからとこの仕事を貰ったのだが、確かにいい勉強だ。

 最初は全くわけのわからない文章や数字の羅列だったが、少しでも理解しようと城の図書館から本を借りたり、家庭教師に尋ねたりした甲斐はある。

 だがこのおかげで学院の予習まで手が回らない。来週から試験期間だが、試験勉強などする時間は全くない。学院での授業時間で覚えるしかない。


 婚約者のオッタヴィーノ嬢は学院入学以来ずっとほぼ満点での主席を守り通している。

 彼女も将来王妃となるために朝から晩まで勉強漬けだ。ただしダンスやマナーなどは早々に教育が終了しているので、今彼女が力を入れているのが諸国のことばとマナー、歴史と貴族に関してのはずだ。

 皇太子妃ともなれば、皇太子と共に各国を訪れ、また来客と会わなければならない。その際に相手の事をどれだけ知っているかで交渉の優位不利が別れる。言葉を完璧に話せる必要はないが、知っておくに越したことはない。


 もちろんガイネも現在並行して勉強中だが、覚えが悪いと家庭教師に毎回叱られている。睡眠時間を削ってなんとか対応しているが、だからこそ出来ればこういう着替えも入浴も、使用人任せで少しでも時間を作りたいところなのだが。


「僕が愚図なのがいけないのか」


 つい最近も、時間が足りなくてとこぼした時、帝王学の講師に怒られた。『時間がないのはガイネ様が愚図だからです。時間の使い方も悪い。フィアッティ様を見習ったらどうですか』と。


 うっかり集中力が散漫になっていた。いけない、とまた頭を振って、ガイネは書類作業に戻った。


**


 3日後に国王に面会できることとなった。フィアッティならば『お父様にお会いしたい』と言えばどんな内容だろうと半時以内には面会が叶うのに、ガイネだとこれでも早い方だ。

 ガイネはその間に制作した資料を手に、国王の執務室に赴いた。


「それで、報告とは?」


 国王は時間通りに来たガイネをちらりと見ただけで、直ぐに自分の目の前の書類に目を通し、サインをするという作業を続けた。相手がフィアッティならば仕事を中断して、一緒に茶を飲みながら話をするというのに。

 

「去年学院に編入してきた、フレーテ男爵の令嬢クライネに不審な動きがあります」

「不審な動き?」

「学院内で、禁止されている魅了魔法を使っている節があります。フレーテ男爵の娘と言うのも疑わしい点が……」

「身分詐称という事か? 両方とも証拠は?」

「現在調査中です」


 従者のベッケンか護衛のブラッチェがいてくれれば、彼らに調査を頼むことが出来たのだが、あいにく二人とも側にいないし、ガイネには他に頼める人もいない。それでも学院内でのクライネの行動を記した報告書を差し出すと、国王の執事がそれを受け取り、国王に渡した。

 国王はようやく書類から目を話したが、一瞥しただけで処理済みの箱に入れるように執事に指示をし、また書類作業に戻った。


「こんな不確かな情報では何も分からん。もう少しはっきりしてから報告しろ。まったく時間の無駄だ」

「……申し訳ありません」


 もう全くガイネに視線も寄越さない国王に、ガイネは一例をして部屋を辞した。


 想定済みの事だ。この程度の報告ではこうなるだろうと思っていた。今回は『報告をする』ことが目的だったので、これでいい。



 この後もガイネは定期的に国王にクライネの行動報告書を提出した。そのたびに報告書を見てもらえればいい方で、そのままゴミ箱に突っ込まれたこともある。

 ようやく研修から戻ってきたベッケンに協力してもらってクライネ嬢とフルーレ男爵のつながり──男爵の父が市井でつくった子供を、現男爵の養子とさせたと表向きなっている――も調べて貰い報告をしたが、それは一笑に付された。

『この程度の事は貴族間ではよくあることだ』と。


 同時にクライネ嬢がついに学院内でガイネに消極的な接触を始めた。消極的というのが姑息だとガイネは思う。

 

 ガイネは基本的に学院で浮いている存在だ。皇太子であり次期国王候補筆頭。貴族社会においても頂点に立つガイネにからもうとする令息令嬢など、ほとんどいない。唯一、身分的に話しかけてもおかしくないのが婚約者のオッタヴィーノ嬢という状態だ。

 もちろん小学部からいるので、クラスメイトはそこそこ知ってはいるが、オッタヴィーノ嬢が身分の下の者たちとの交流を良しとしなかった。

 結果的にガイネは良い言い方をすれば孤高の存在、悪く言えばお高くとまっているボッチとなってしまった。

 だがオッタヴィーノは言うのだ。


「クラスメイトとの日常的な交流など必要ありません。彼らの人となりは私が観察して判断しておきます。ガイネ様に必要な時にだけ彼らと交流すればよいのです」


 そのオッタヴィーノ嬢は言葉通りクラスメイトとも近すぎず遠すぎずうまく付き合い、一目置かれる存在となっている。

 なんだか釈然としない気もするが、オッタヴィーノの言葉にガイネは逆らえない。なにせ彼女は非常に暴力的なのだ。逆らったら往復の馬車で暴行が始まる。


 そんな彼女が婚約者となったのは、同世代の身分的に釣り合いの取れ、婚約者となりうる令嬢がオッタヴィーノしかいなかった。

 彼女は生まれた時からガイネと婚約することが決まっていたようなものだ。そのせいか、非常に我ままだった。

 きっと彼女だって大変だったのだろう。物心ついたときから厳しい教育で自由時間などなかったはずだ。それもこれも、全ては将来王妃となるため。

 自分の望みではないのに、期待と抑圧に押しつぶされであろう彼女は、その抑圧のはけ口をガイネにぶつけた。物理的にも精神的にも。


「あんたが頼りないから、わたくしに負担がかかるのですわ!」


 そう言いながらガイネをポカポカと殴ってきたのを、最初に我慢したのが良くなかったのだろうか、オッタヴィーノは周りに人がいない時に毎回難癖をつけては、殴る蹴るの暴行を振るうようになった。


 とはいえ相手はか弱い令嬢だ。ブラッチェと共に剣を学ぶガイネにとってはたいして痛くもないし、それで彼女の気が済むのならと耐えていたら、どんどんとそれがエスカレートし、さらには口撃も始まって、力も強くなったせいで、あちこちあざだらけだ。ガイネにとっては苦痛でしかない相手となってしまった。

 自分よりもフィアッティの方が話があう彼女なのだから、フィアッティと婚約しなおしたほうが良いのじゃないかと思ってしまうほどに。


 今まではブラッチェが側にいてくれたから良かった。彼女の攻撃はブラッチェでも抑えられない(彼女が身分を盾にブラッチェに手を出させない)のだが、彼さえいてくれれば、彼女の暴行から体を張ってガイネを守ってくれるし、自室で多少は愚痴も言えるし、剣の練習に付き合ってもらって鬱憤を晴らすことも出来た。

 だが最近はそれも出来ない。


 相変わらず家庭教師や剣と魔法の指導者たちからは才能も努力も足りないと言われ、国王も会ってはくれるが目も合わせてくれない状況で、問題のクライネ嬢は非常に面白い存在としてガイネの目に映った。


 何故だか彼女は一人で転んでみたり、噴水にいきなり入ったりという奇行を、ガイネが通りかかるタイミングで行う。妙な踊りを踊っていると思ったら、足元にはノートがあり、土まみれになったそれを大事そうに抱えあげるから、こっそり後を付けてみたらそれを教室の自分の机の中に入れて満足そうに頷いている。

 そして次の日の朝に、ガイネが教室に入ってきたタイミングでそれをそっと机の中から取り出して、ひとり悲しそうな顔をしてみせるのだ。


 この辺りはすべて国王に報告済みの奇行だ。そして今までその報告書を見ようともしなかった国王が、『彼女が何をしようとしているのか接触して調べてこい』とガイネに命令したのだ。


 自分が言い出した事だから仕方がないとはいえ、あんな奇行を行う彼女に接触するのは正直気が進まなかったが、同時に次はどんな奇行を見せてくれるのか、楽しみでもあった。


 そうして何も知らないふりをして、彼女がまた一人で転んでいる所に遭遇した振りで、ガイネは彼女に手を差し伸べてみた。


 途端に彼女からうっすらと桃色の魔力が立ち上がり、ガイネを包み込んでくる。


 魅了魔法だ。


 大胆もいい所だ。魅了魔法は使用が禁じられているというのに。 

 ガイネの対魅了効果を持つ指輪がうっすらと熱を持つ。使われているのは初級程度の魅了魔法のようだ。

 もともとガイネは魔法レベルが高いから、この程度の魅了魔法にはアイテムが無くても掛かることはない。半分呆れながらもクライネが手を乗せてきたので、引き上げてやる。


「も、申し訳ございません」

「……何を謝っているのかな?」

「あの、ガイネ様のお手を煩わせてしまいました」


 誰が名前を呼んで良いと言った? と思わず目が座りかけるが、一瞬でいつもの微笑を浮かべる。


「転んでいる人に手を差し伸べるのは当然だから、そんな事は気にしなくていい。それより怪我はない?」

「は、はい、大丈夫です、ありがとうございます」


 クライネはすぐに手を離し、恥ずかしそうに下を向いたまま小さな声で答えた。そうして大変失礼しました、とそそくさとその場を去って行った。


 クライネは魅了魔法をかけてきているのに、積極的に接触するのではなく、非常に令嬢らしく(勝手に名前を呼んではきたが)振舞った。そのギャップにガイネは興味を抱いた。


 これ以降クライネの奇行にガイネが立ち会う事が多くなり、その度に少しずつ彼女と会話を交わした。相変わらず魅了魔法をかけてこようとするが、その言動は控えめで、決して誰の悪口も言わないその態度は、好意的に思える。ただしそれとなく嫌がらせ相手を匂わせるのが小賢しくて面白い。

 それらが演技だろうが、どうせ一緒にいるのなら暴力女よりこういう女の子の方がいいな、と心から思えるほどに、表面的には淑やかで、行動の読めない面白い相手だった。


 これなら魅了魔法なんてなくても彼女に好意を持つ者は沢山いるだろうに、と思うのだが、フィアッティも最初の頃は無意識に魅了魔法を使用していた節があるから、魔力に目覚めてまだコントロールが上手くいっていないだけなのかもしれない。

 それにこの程度ならば、貴族は皆、魅了魔法に対抗するアイテムを持っているから問題もないだろう。 実際に学院でも彼女の影響を受けているのは、男子生徒のごく一部だ。

 クライネがガイネ狙いならば、婚約者であるオッタヴィーノは彼女の邪魔ものになるので影響が出る可能性があるが、オッタヴィーノがクライネを敵視したりすることはないと断言できる。なにせ彼女は嫉妬するなどと言う事がないからだ。


 というわけで断言出来るが、ヴィーノ嬢が巻き込まれた時のためにブラッチェを通じて騎士隊長に頼んで、王族付きの近衛にオッタヴィーノの護衛と行動報告を依頼した。これで何かがあってもオッタヴィーノの潔白は簡単に証明できる。

 

 今日もクライネは、自分と仲良い友達に頼んで『いじめられる令嬢』を演じている。しかしガイネが来るタイミングで階段から突き飛ばされた振りで、思い切り飛んでくるのは危険すぎるだろう。

 そのままにしたらどうなるのだろうと好奇心が湧いたが、自分めがけて飛んでこられたら受け止めるしかない。

 咄嗟に風魔法を使用して飛来速度を緩めて、とさりと腕の中に受け止める。


 あれだけ思い切りよく飛んだのに、ぎゅっと目と口を閉じて、こぶしを可愛らしく握って、こわごわと目を開けて、ガイネの顔を見て驚いた顔をしてみせた彼女に吹き出しそうになりながら、ガイネは帝王学で培った微笑を張り付けた。


「空から降ってくるとは驚きだね、大丈夫?」

「あ、あの、あの、ありがとうございます……!」

「転んだようには見えなかったけれど、どうしたのかな?」

「いえ、あの……」


 そう言いながらクライネは恐る恐るといった体で階段を見上げる。ガイネもつられたようにそちらを見れば、階段の踊り場には青い顔をした女子生徒が3人、慌てて逃げていくところだった。まさかクライネがあんなに勢いよく階段から飛ぶとは思っていなかったのだろう。気の毒なことだ。


「……彼女たちは関係があるのかな?」

「いえ、あの……」

「本当の事を言ってもらいたいな。こうして飛んできた君を受け止めたんだから」

「あっ、すみません、降ります降ろしてください」


 今さらこの状態に気付きましたと言わんばかりに顔を赤くする彼女に半分感心しながら、ガイネはお姫様抱っこ状態から降ろしてやった。


 クライネはしばらくその乱れた髪を耳に掛けたり、制服のジャケットを意味なく引っ張ったりしていたが、やがて意を決したようにガイネに話し始めた。


「階段の上で私がよそ見をしていて彼女にたちぶつかってしまったのです。そのはずみで足を滑らせまして……」

「彼女たちがぶつかってきた、ように僕には見えたけれど、違うのかな?」

「え、あ、その、いえ、違います!」


 一度言いづらそうにしておいてすぐに否定。『言ってはいけない事だった』感をよく出している。


「本当に違うの? 彼女たちにいじめられているのではないのかい?」

「ほ、本当に違います、そんなことは……ありません」


 これまた絶妙な間を取る。この間、クライネは一切ガイネと目を合わせていない。


 皇太子であるガイネとは簡単に目を合わせてはいけないので、これは基本的な貴族マナーだともいえるのだが、この場面では『嘘をついています』というアピールだろう。


 本当に面白い子だ、とガイネは内心で笑った。


**


 そのうちにクライネはガイネに妙な指輪を渡してきた。男爵家に代々伝わるアイテムで、『状態抵抗の指輪』だというが、アイテム作りもするガイネから見たら、それだけではない不思議な指輪だった。いつもはめている国宝級の『魅了魔法対抗指輪』を外してそれをはめてみるが、特に変化はない。

 だがクライネがただの指輪を渡してくるはずがない。念のためにと宮廷の鑑定人にも見てもらったが、確かに強めの『状態抵抗の指輪』であり、害はないだろうという鑑定が出た。

 

 ガイネはその指輪に関しても国王に報告したが、その報告書はガイネの目の前でそのままゴミ箱に直行していた。


 クライネとは学院内で、1日のうちに数分程度一緒にいることがある、程度なのに、『ガイネがクライネと親しくしている』という話があっという間に広まったのもこの時期だ。

 おかげで往復の馬車で共に通学しているオッタヴィーノからの暴力が激しさを増した。朝のとげとげしい挨拶から始まり、学院に着くまでずっと女子生徒と親しく話などしないようにとくどくどと言ってくる。

 そんな事はしていないよと答えようものならば、速攻で令嬢の標準装備の扇子で殴られる。

 しかも彼女の扇子は殴りに最適化するように強化して作られたものなので、打たれた腕は、長袖のブラウスの下で痣になっている。一度手が出るとオッタヴィーノは更にヒートアップする。帰りは帰りで、今日もあの女と親しくしていたそうですわね、と扇子が飛んでくる。


『別にガイネ様がどなたと仲良くしようと、ワタクシは全く興味はありませんが、立場を弁えなさい。女ったらしの皇太子など、誰が尊敬しますか!?』


 アタクシがもう一度一から叩き込んであげますわ! と特別製の扇子を振り回し、姿勢が崩れたと足を蹴り、と狭い馬車でやりたい放題だ。

 大人しく殴られ蹴られているガイネの脛も太ももも腕も、服の下は毎日あざだらけだ。 


 ひとしきり殴るのに飽きると、『将来こんな浮気者の男と一緒にならなければいけないあたくし』がいかにかわいそうか延々と聞かされ、ようやく学院や家に到着すると、人が変わったかのように微笑を浮かべて令嬢モードに入るオッタヴィーノに、これまた感心しながら、ガイネはあちこち痛むのを無視して微笑を浮かべてエスコートをしながら馬車を降りる毎日だ。


 そのうちクライネは、ガイネが心を許し始めたと確信したらしい。控えめではあるが、徐々にオッタヴィーノの言動に否定的な発言をし始めた。


 ちなみにオッタヴィーノの言動がガイネにのみ冷たいのは今いま始まったわけではないので、小学部や中学部からいる学生たちは全員知っているのだが、編入のクライネはそれを知らないらしく、しきりにガイネに同情的に話しかけてくるようになった。


『オッタヴィーノ様が、あんなガイネ様を傷つけるような物言いをされるなんて、酷いです。私ならそんな事は絶対に言わないのに』


 ガイネが授業中になんとなく外を見ていたり、教師の質問に一瞬でも言いよどめば、休み時間に『授業に集中していませんでしたね? どうかなさいましたの?』と腕組みをして見下ろして言ってくる。

 オッタヴィーノ的には体調を気遣う言葉なのだが、あまりに冷たいその声色と態度に、一般にはそうは思えないだろう。


 そういった部分に同情し、ガイネを気遣う振りをしながら魅了魔法を全開にしてかけてくる。いっそ潔いほどに取り入ろうとする彼女に、ガイネは微笑を貼りつけながらありがとう、大丈夫だよとだけ答えた。


 暫くしてガイネは妙なことに気が付いた。クライネの魅了魔法が多少だが効いてきたのだ。

 確かに相手に好意を持てば、魅了魔法は効きやすくなるのだが、正直ガイネは全くクライネに好意を持っていない。いい所で興味深い相手、という所か。

 しかも魅了魔法に反応するはずの指輪が反応しなくなっている。やはり渡された指輪に何かがあるようだ。渡された手前、学院ではしているが、クライネと別れた瞬間に外している。それでも作用があったから魔封じの箱に入れているほどだ。これだけのものを手に入れられるという事は、それなりの背後があるという事か。

 ちょうどクライネとフルーレ男爵を調べていたベッケンが戻ってきたので、報告を受け取って、次にそれらの調査を頼む。適宜休暇を取るように伝えてあるが、ベッケンがしっかり休んでいるかは疑問だ。

 この件が落ち着いたら長期休暇を取らせなければとガイネは決意した。


 強くなる一方のクライネの魅了魔法だが、ガイネにはまだ効果は少ない。少ないが指輪のせいもあってうざったく思う程度には効いてきたので、学院内ではクライネには気が付かれないように魔法防御を展開しているが、影響はガイネだけではなく、クラスメイトの庶民に及んできたようだ。

 もともと好意的だった男子生徒5人が、好意を隠さなくなり、しかしそれを見ている周りも、暖かく見守っている生徒たちが出てきたのだ。

 そうして彼女もどうどうと彼らと親しく話をしている。庶民同士なら当たり前の状況だが、貴族が関わるとそうとはならない。たとえ男爵であろうとも、性別が違えば適切な距離を保っての短い会話で切り上げなければならない。現にガイネがクライネと話すときは、必要以上に間をあけてほんの数分だけにとどめている。


 そうしてベッケンからの最終報告が上がってきて、ガイネは確信した。


 クライネはガイネを魅了して自分が皇太子妃になろうとしているのだ。そこまでは想定内だったが、ベッケンの報告で、彼女が隣国フェアラート王国とかかわりがある可能性も浮上してきた。

 あの国はこの王国を狙っているとの情報もある。

 という事は、ガイネを篭絡して、クライネ経由でフェアラートの間者を引き込んで、将来的に国の中枢に食い込む可能性が高くなってきた。

 

 ならばクライネをこのまま泳がせておくのは危険だ。だが逆に追放しても危険が残る。万一彼女がこの国の情報を集めていて、それをもっていかれたら困るのだ。

 だったらクライネの狙い通り、ガイネと婚約してしまえばいい。


 避けているだけでは進展しないから少し作戦に乗ってみようと決意し、その旨のみ国王にも報告し、いつも通り好きにしろという言葉を貰って、ガイネは積極的に彼女と関わり始めた。

 

 **


 正直言って、まったく影響のない魅了魔法にかかった振りをするのは辛かった。その上幼少時から一緒にいるオッタヴィーノでさえ手をつないだことくらいしかないのに、クライネはしなだれかかってきて腕に抱き着く。体を押し付けてくる。ただでさえピンク色の魔力が気持ち悪いのに、そんな事をされて反射的に着き飛ばそうとしてしまったことが何度あったことか。

 帝王教育のお陰でなんとか踏みとどまったし、表情も崩さずに済んだけれど、どうしても口持ちが引きつった。その状態でつかみたくもない彼女の手を掴んだり、腕をそっと掴んで自分から離す。そのたびにクライネの不思議そうな表情を見るのも、いい加減うんざりだ。一応男爵令嬢を名乗っているのだから、最低限のマナーくらいは守ってほしい。

 まったく、一刻もはやくこんな茶番は終わらせたい。


 面倒になって彼女が魅了しているクラスメイトの男子生徒に、オッタヴィーノがクライネにしているという嫌がらせ行為を調べて報告してくれないかと頼んでみた。

 皇太子から声を掛けられた彼らは、待ち構えていたかのように二つ返事で張り切って引き受けてくれた。

 

 待ち構えていたかのように、ではなく待ち構えていたのだろう。クライネに、オッタヴィーノからのいやがらせを止めさせるためには、ただ『こういうことがあった』というだけでなく、証拠と、詳細を書類として書き留めておくことと目撃者が必要だから、クラスメイトに協力を頼んだ、と告げた時、しなだれかかったガイネに見えない角度でニヤリと笑ったのが分かった。


 そのあと潤んだ瞳でガイネを見上げて、『そんな事をしてオッタヴィーノ様にご迷惑が掛かったらいけません』などと小声で言う。

 ガイネは更に笑顔が引きつるのを必死に押さえた。

 迷惑も何も、オッタヴィーノを悪役にしたがっているのはお前だろう、今さら何を言っているのかとと思わずツッコミたくなるのも必死に押さえた。

 誰かを悪役にしなければならない状態で、それがオッタヴィーノであるということはガイネにとっても都合がいいので話に乗っているだけだ。


 そう、ガイネはこの件を利用して、オッタヴィーノとの婚約を解消しようと考えていた。オッタヴィーノでなければ相手は正直誰だって良い。直接・間接問わず暴力を振るってこない相手ならば誰でも。

 それに別にクライネと結婚する必要もない。ガイネを騙しきっているとうぬぼれているクライネに、事後、真実を伝えてやれば別れるのだって簡単だろうし、分かれないと言うのならばこちらの有利に話を持っていくことだってできる。クライネがフェアラートの間者だというのなら、それを逆に利用する手もある。


 ついでに正確に言えばオッタヴィーノは「王位継承権第1の婚約者」だ。それを利用して、ガイネはこう計画を立てた。


1,ベッケンに集めてもらったクライネに関する資料をクライネ本人に突き付け、禁止されている魅了魔法の使用と、ガイネに対する不敬罪、スパイ容疑で逮捕する。

2,スパイを逮捕した褒美に、オッタヴィーノ嬢との婚約破棄を国王に願い出る。理由として、オッタヴィーノ嬢はフィアッティは互いに好意を持っている。逆に自分とは性格的に合わないし、互いにそこまでの好意を持っていないからとする。

3,自分が国王になった場合、その後継者にはフィアッティとオッタヴィーノの子を第1位に指名すると約束する。


 これが考えうる一番最適な対応のはずだ。これならばクライネだけを罪に問える。そして穏便にオッタヴィーノをフィアッティに押し付けられる。


 今まで何かと評価の上がらない自分だが、これは非常に大きな成果となるはずだ。なにせ誰よりも早くクライネに目を付け、調査をし、被疑者を特定、逮捕に尽力しているのだから。

 これだけで自分が将来の国王に確定するとは思わないが、大きな手柄なのは確かだ。


 小学部の時の剣技大会で準優勝した時と同じように、誰にも文句を言われない成果が手に入る。


 これならばきっと、お父様も僕を認めてくれるに違いない。


 ガイネはそう考えて、まずは宰相に話を通すべく、資料を作り始めた。


**


 ガイネはこの資料を持って宰相との面会を取りつけた。そうしてまさにその資料を宰相に差し出し、説明しようとしたときだった。

 宰相は資料を見たことは見たが、すぐに残念そうに首を横に振った。


「ガイネ様、この件に関してはすでに解決済みです」

「……え? 解決って……どういうことですか?」

「国王よりこの件に関しての調査は終了との通達が出ています」

「ですから、どうしてですか? この件は私が調査を進めていたのです、宰相様もご存知でしょう? それをいきなり終了といわれましても、納得できません!」


 珍しくもガイネが声を荒げて抗議した。宰相は大きくため息をついて、机から一冊の資料を取り出してガイネに差し出す。


「一足遅かったのです。昨日、フィアッティ様からこの件に関しての最終調査が提出され、国王に受理されました」

「そんなバカな!」

「残念ながら事実です。これよりこの件はフィアッティ様の案件となりました」


 差し出された資料を奪うように取り、ガイネは急いで目を通して、愕然とし、表情を取り繕うのも忘れて、宰相に言った。


「フィアッティがこれを……?」

「……はい」

「嘘だ。だってこれ……」


 ガイネは震える手でその資料を指し示した。確かに提出者にフィアッティのサインが、そうして国王の確認のサインが入った、その資料は。


「僕が、お父様に提出していた資料ではありませんか……!!」


 それは今まで国王に提出し、その場で捨てられたり、処理済みに入れられていた、ガイネの資料だったのだ。しかしそれをすべて確認していたはずの宰相は、頭を横に振る。


「滅多なことを言わないでください。お二人が調べた結果が同じなら、同じ資料が出てもおかしくありません。それとも、これらがガイネ様が提出した資料だという証拠がありますか?」


 これは確かにガイネの制作した資料だ。だが筆跡が違う。


「どう見たって私が提出した資料そのものではありませんか! 宰相様だってご覧になったでしょう? これは私の資料を書き直したのです!」

「ですから、そうおっしゃるのならばその証拠をだしてください。出来るものなら、ですが」

 

 そんなものはない。この報告書はひな形に沿って作ったものであり、この国のものならば誰もが使う仕様だ。それでもこの論の立て方、報告の仕方、言葉の選び方は紛れもなくガイネのものだ。そういう点を時間を掛ければ証明することは出来なくはないだろう。

 だがそのためには『フィアッティもしくは彼の手の者が、ガイネが制作した資料を盗用した』と公表して調べなくてはならなくなる。


 しかも、このフィアッティの味方しかいないような場所で、それが出来ると言うのか。

 

 呆然としたガイネの目から、つう、と涙がひとすじ流れた。


 やられた。フィアッティに成果だけを横取りされた。


 一生懸命、地道に調査をし、こまめに国王へ報告していたことがすべて裏目にでた。唯一全てを知っている宰相すら、ガイネの味方にはなってくれなかった。


 下を向いてしまったガイネを宰相は気の毒そうに見ていたが、国王命令を告げなければいけない。嫌な役目だ、と大きくため息をついて、宰相は口を開いた。


「今後の行動は国王からの指示があるまで、今まで通りクライネの行動を監視しつつ接触していてください。決して勝手にクライネを捕まえたり真実を暴こうとしない事。良いですね?」

「……はい」


 意味が分からない。クライネの企みが分かったならばすぐさま捕まえればいいじゃないか。フィアッティが。

 

 もしかしてその際、フィアッティが気が付いたのに、気が付かずに彼女に接近していたガイネは愚か者として断罪されるのだろうか。


 下を向いたままのガイネの目から、パタリと涙が落ちた。


 評価してもらえるどころか、これでは自分はおとりではないか。

 

 いや、おとりならまだいい。


 この状況での自分は。


 道化だ。


 心がポキリと折れる音がした。


**


 ここからガイネの記憶には霞がかかっている。衝撃のあまり頭が働かないまま、宰相の部屋を後にしたところで、フィアッティが向こうから歩いてきた。

 咄嗟に表情だけは取り繕ったが、顔色がわるいですよとさも心配そうにフィアッティが近づいてきて。


 ガイネにレベルMAXの魅了魔法をかけてきた。


 失意のどん底にいたガイネは、それにあらがう事が出来ずにかかってしまった。


 フィアッティに言われるまま彼の後をついて、城を出て屋敷の彼の部屋に入り、言われるままにソファに腰掛けた。


 そこでさらに催眠魔法使いながら、フィアッティはガイネに言った。


「兄さま、卒業前のダンスパーティの日に、大好きなクライネと婚約するために、ヴィーノを断罪して婚約破棄するんだ」

「断罪……婚約破棄……」

「そう。まさにダンスパーティが始まる直前に、その会場で。大丈夫、音楽も流れているし、みんなも盛り上がっているから、怒鳴りでもしなければ声なんて聞こえないから」

「そうかな……」

「兄さまのクラスメイトが、ヴィーノの悪事の数々を書き留めた証拠を持ってきてくれる。それを突き付ければヴィーノは認めざるを得ない。そうすれば兄様はクライネと目出度く一緒になれるよ」

「……そう」

「あとはクライネのいう事を良く聞いて。兄様は彼女を心から愛しているんだからね」

「……」

「この部屋を出たら、ここでの話は忘れるんだ。さあ、ダンスパーティのその日まで、せいぜいクライネと仲良くするといいさ。後の事は任せて。もう行って良いよ、ガイネ兄様」

「……うん」


**


 幸いなことにガイネの魔法レベルは、フィアッティよりもだいぶ上だった。魅了魔法のレベルはフィアッティの方がはるかに高かったが、全体的なレベルが上ならどんな魔法も効き目が悪い。

 失意のどん底にいたために一度は掛かってしまった魅了魔法だが、フィアッティの後ろをついて歩いている間にガイネは正気に戻った。なにせ城から屋敷は遠いのだ。結構な距離がある。効き目の悪い魔法なら、解けて当然だ。

 

 そうすると今度は怒りが湧いてきた。

 ひとをどん底に突き落としておいて、すかさず魅了魔法をかけるとは。

 だがガイネはぐっとこらえて魅了された振りをして大人しく付いて行った。フィアッティの出方をみるために。


 案の定フィアッティは催眠魔法まで持ち出して、ガイネに暗示を与え始めた。これには身に着けている状態異常抵抗指輪が役に立った。

 フィアッティはクライネから渡された、アイテムを無効化する指輪をガイネがしていると思っているのだろう、ガイネが催眠にかかっていないと疑いもせずに、今後の指示を出してきた。


 その場ではいくら魔法抵抗値が高く、アイテムのお陰で魔法の掛りが悪いとはいえ、一瞬でも魅了魔法にかかってしまったので、頭の回転が遅い。霞がかかったように感じる。とりあえずフィアッティが帰っていいというので大人しく部屋を出て、とぼとぼと自室に向かった。


 部屋ではベッケンが心配そうに待機していた。ガイネがフィアッティと共に屋敷に来たという報告は受けている。だがそのままフィアッティの部屋に付いて行ったというので、ベッケンはやきもきしながら部屋で待っていたのだ。


「ガイネ様、大丈夫ですか!?」

「ベッケン……」


 いつもは冷静なベッケンが心配顔で出迎えてくれた。それだけでガイネの張り詰めていた心が崩壊した。

 そのまま驚くベッケンの胸元に倒れ込む形で抱き着いて、慌てるベッケンの胸の中で、ガイネは声を殺して泣いた。



 **


「ぶっ殺しましょう」

「……誰を?」

「手始めにフィアッティ様ですね。次にクライネ嬢。国王もぶっ殺して良いですか」

「あははは」

「私は本気ですよ。どこまでガイネ様を冷遇すれば気が済むんですか、あの二人は。それにあの女はあなたを巻き込んだ。生きる価値などありません」

「ベッケン、目が座っているよ」

「ええ。本気ですから」


 散々泣いたあと、ベッケンに今日の出来事を全部話した。おかげでガイネはだいぶ冷静になったが、代わりにベッケンが激怒した。

 その激怒しているベッケンを見て、ガイネは更に落ち着きを取り戻すことができた。やはり一人でため込んでいるのはよくない。


「ベッケン、殺さなくていいよ。そんな事をしてあなたが捕まったりしたら、その方が困る」

「捕まらない自信がありますが」

「ダメだよ。あれでも一応国王とその息子なんだ。手を上げたら最後だよ」

「あなただって国王の息子なんですよ!?」

「もういい。もう諦めた。それよりも作戦を練り直すから、付き合ってくれるかな」

「……もちろんです」


 悲しそうに笑うガイネに、ベッケンの胸は詰まったが、どうやら少しは前向きになっているようだ。自分に出来る事なら何でもしよう、とベッケンは心に決め、ガイネの作戦に耳を傾けた。


**


「フィアッティ様考案の、オッタヴィーノ嬢断罪劇をそのままやるんですか?」

「うん。図らずも、ヴィーノとの婚約破棄は出来るみたいだからね。あくまで僕のミスでの婚約破棄ならば彼女の経歴に傷がつくことも、彼女が傷つくこともないだろう。それにあの案なら、僕への処分は王位継承権はく奪か降格処分程度だろう。王都には居られないかもしれないけれど、どこか小さな領地でも貰えれば、あとはのんきに暮らしていける。嫌なら国を出たって良い」

「でもガイネ様は、何も悪くないんですよ!?」

「後継者争いに負けてしまったのだから仕方がないよ。命があるだけ儲けものだ」

「他の国ならともかく、この国では継承者争いなんてほとんどなかったのに」

「仕方がない。とにかく、ベッケンは今後の準備にうごいてくれるかな。僕はフィアッティの暗示に従っているように動くから」

「……その断罪の場で、逆に断罪を乗っ取ればいいのでは?」

「いや、もういいよ。もうこの国のために頑張ろうという気は無くなった。僕が要らないと言うのならばさっさと出て行くさ。でも少しでも有利に動きたい。ダンスパーティーまであとひと月ないんだ」

「……残念です。私はガイネ様の国王になるお姿が見たかったのに」

「ありがとう。そう言ってもらえるだけで嬉しいよ。ああベッケン、僕の銀行口座っていま、どの位お金あるのかな?」

「ざっと2億ですかね」

「そこそこ溜まってたね。それを早々に引き出して隠しておいてくれるかな。断罪劇が始まったら、僕の資産も押さえられるだろうから」

「ならば少しは残しておいた方が良いですね。わかりました」

「あとは図書館の本を少し頂こうかな。領地経営と魔物、建築関係の本を揃えておいてくれる?」

「かしこまりました」

「いざという時のためのアイテムもいくつか作っておきたい。これから書く素材もそろえておいて。ああ、あとブラッチェには作戦を知らせないでおこう」

「それは、なぜ?」

「ここから僕は最後に大逆転を狙う。ベッケンならそ知らぬふりで僕に協力ができるけれど、ブラッチェだと顔に出るだろう? 特にフィアッティはそういうのに敏いから、僕が思い通りに動いてないとバレる可能性がある。しばらく彼には就寝時間以外は別任務に就いてもらう事にしようか」

「きっと後で怒りますよ。 ブラッチェはあなたの事を何よりも心配しているのですから」

「知っているよ。怒ってもいいさ。見捨てられてもいい。あれは誰よりも強い。一緒にいてくれればこれほど心強い事はないけれど、多分騎士隊長が手放さないから、降格された僕に付いて来る事も出来ないだろう。その時のためにも真実を知らせない方が良い」

「……そうですか。ま、アイツなら騎士隊辞めてもあなたに付いて行くと思いますけどね」

「ははは、それなら心強いけど」


 泣きはらした目で、ようやくガイネが少しだけ嬉しそうに笑った。そんなガイネをみてベッケンは苦笑する。


「なんにせよ、目が腫れないように冷やしましょう」

「……目立つかな?」

「ブラッチェが見たら大騒ぎするくらいには」

「それは困る」

「今日は夜番まで部屋に来ませんけれど、寝ているガイネ様をみて気が付かれても困るでしょう? 私も作戦を考えておきますから、ガイネ様は少し休んでください。夕飯は食べられそうですか?」

「……あまり食べたくない。果物だけもらおうかな。酸っぱいのが良いな」

「かしこまりました。着替えを手伝いますから、着替えたら横になっていてください」

「うん」


 学院の制服から部屋着に着替え、ベッケンが用意してくれたミルク多めの紅茶を飲んでから

ガイネはベッドに横になった。すぐにベッケンが目元に冷やしたタオルを置く。


 冷たくて気持ちがいい。高ぶっていた気持ちも紅茶とタオルで少し落ち着いてくると、泣いたことで一気に疲れがでたのだろう、ガイネはすう、と眠りの中に吸い込まれていった。


 そっとそれを気配を消して見守っていたベッケンは、どこまでもガイネを冷遇する国王とフィアッティにもう一度殺意を燃やして、しかしガイネの頼み事と実行すべく、そっと部屋を出て行った。


***


 その後落ち着いたガイネとベッケンは時間を見て打ち合わせを重ねた。

 ダンスパーティーでは愚かな悪役皇太子を演じるしかないけれど、必ずフィアッティの悪事の数々を暴いて断罪してやる、という計画だ。

 しかしこれらはすぐに出来るわけではない。それでもどれだけ時間がかかっても、やりとげてやる、とガイネは今までの依頼任務や公務での経験も最大限に生かせる計画を立てた。

 

 お陰で吹っ切れたのか、ガイネは「見事に逆断罪されてみせる!」と張り切って『間抜で哀れな悪役皇太子』の練習をするほどだった。


 相変わらずクライネはガイネに馴れ馴れしいし、魅了魔法にかかった振りで、今までより積極的にクライネといる時間をふやしたが、接触は極力避けた。最低限のマナーは守らなければ真実味がない。

 相変わらずクライネといることも苦痛だが、これも立派な『おまぬけ皇太子』を演じるためだとガイネは頑張った。


 クライネで疲弊した精神力を、学院の帰りの馬車の中でオッタヴィーノの罵詈雑言がさらに削り取る。一度うっかりため息をついたら、思い切り髪の毛を引っ張られてハゲるかと思った。

 子供っぽい攻撃だったがこれが案外、弱った心に効いて、久しぶりに夜番でガイネの寝室に入ってきたブラッチェに、泣きながら眠っているのを見られてしまったほどだ。


 気配に気が付いて目を開けると、ブラッチェが困り顔でガイネを見下ろしていた。


「どうした? 何があった?」


 ブラッチェはベッドに乗り上げながら、ガイネの背中をゆっくりそっと擦ってくれた。


「……何でもない」

「なんでもなくてお前が泣くものか。誰だ? 国王か? フィアッティか? オッタヴィーノ嬢か?」


 名指しされたメンバーに、ガイネは思わず笑ってしまった。

 それにブラッチェは少しムッとした顔をして、ガイネの額を軽く指ではじいた。


「笑うな。お前が泣く原因なんてその3人しかないだろう? それとも違うやつか? それならそいつを今からぶっ飛ばしにいくけど」

「……最近、ブラッチェがいないから、オッタヴィーノ嬢がいつも以上に狂暴なんだ」

 

 そう答えてみたら、ブラッチェはきょとんとして、その後苦虫を噛み潰したような顔をしながら髪をガシガシと掻いた。


「ぶっ飛ばされるのは俺か? ……あの女に何されたんだ?」

「髪を引っ張られた。禿げるかと思った」

「どのへん?」

「ここ」


 ブラッチェは引っ張られたと言われた当たりの頭皮を覗き込み、ポンポンと叩くようにそこを撫でた。


「護衛できなくてすまない」

「任務で疲れていても、必ず夜には来てくれるじゃないか。それでいいよ」

「……そうか、悪いのは俺をガイネから引き離す、騎士隊長だな」

「これから殴りに行くのか?」

「返り討ちにされるオチしかみえない……」

 

 そう言ってガックリと頭を落とすブラッチェの頭を、ガイネは手を伸ばして撫でてやった。


「お前も疲れているんだろう? 着替えて休みなよ」

「お前が寝たらな」


 軽く抱きしめられて、布団を直される。そのさいに擦られた肩が暖かくて、その暖かさ心も温かくなり、ガイネはいつの間にか寝てしまった。


**


 「オッタヴィーノ。今日をもってお前との婚約を破棄する」


 ガイネは目の前の婚約者に告げた。そして心から安堵した。ああ、これでこの女性たちから自由になれると。

 

 予定通りなのだろう、不自然なタイミングでいきなり静かになったダンスホールにガイネの声が響き、断罪劇が始まる。


 想定外だったのは、いきなり国王が乱入してきてガイネを殴り飛ばし、さらには廃嫡と国外追放を告げたことだ。


断罪するガイネを、断罪する役がいるのは分かっていた。それは宰相かオッタヴィーノ嬢の父親である外相か、フィアッティだろうと想定していた。

だからこの場に部外者であるフィアッティがいるのだと思っていたが、まさかの国王の登場だ。


一番、ガイネが冤罪であることを知っている国王。


 またしてもやられた。2回も殴られたガイネは、フィアッティの計画が、ガイネの降格ではなく完全に排除するためのものだったと遅まきながら気が付いた。


 そこまで僕を憎んでいたのか。こっそりとフィアッティを伺い見れば、必死に表情を繕っているが、その口の端が上がっている。


 まあいいさ。今はお前の思い通りに追い出されてやる。


 だけど必ず、お前を断罪して見せる。


 それとお父様。あなたが誰より僕の無実と行動を知っているのに。

こんなにひどいめまいがするほど殴らなくたっていいじゃないか。


 そんなに僕を憎まなくたっていいじゃないか。


 僕がクライネの魅了魔法に、ハニートラップに引っかかったというけれど、お父様だってフィアッティの魅了魔法にどっぷりとやられているじゃないか。それに気が付いてさえいないじゃないか。

 

『いきなり近づいてきた者への警戒、この程度のハニートラップに対処できない愚か者は、私には必要ない』


 彼女が要注意人物だと先に伝えたのは僕で、こまめに報告をしていたのに、それすらなかったことにする。


 そんな父親、僕には必要ない。


 全部を知りながら、知らないふりをした宰相も、もう期待しない。こんな人たちしかいないこの城に、国に、もう用はない。


 殴られたせいで演技をする必要もないほどに頭も回らないし、体もふらつく。弱々しく引きずられていく元皇太子は、さぞ滑稽にそこに居た人々の目に映っただろう。

 ベッケンが心配そうに馬車の中で回復魔法をかけてくれたけれど、頬の腫れは引いても脳震盪は治せない。


 しかも休む間も与えられずに大量の書類にサインをさせられた。こんなものまで用意していたのか、と感心するほどの手際だ。


 本格的にお父様は僕を排除するつもりだったのだ。


 ガイネが婚約破棄を行わなくとも、きっとあの場でクライネの正体を明かして、そのスパイと一緒にいたとか親しくしていたとか言って、結局はガイネを廃嫡するつもりだったのだ。


 流石にサインをする手が震える。


 あの時、頑張って頑張って、少しでも認めてもらいたいと張り詰めていた心が折れた。

 だから自暴自棄になってフィアッティの茶番に乗ることにした。

 ベッケンが必死に慰めてくれたから、その後の計画を立てて心を持ちなおそうとしたけれど、やっぱりだめだ。


 宰相から次々に差し出される書類にサインをしながら、ガイネの目には涙が浮かんできた。


 何一つ、僕のしてきたことは評価されていなかった。いくらフィアッティの魔法があろうとも、文句がつけられない程に成果を出したものもいくつもあったのに、それすらなかったことにされた。


 決意した断罪劇だったが、ガイネの心は想像以上に傷つけられ、折れた。


 ようやく解放されて、乱暴に城から連れ出されて、乱暴にブラッチェに引き渡される。


 ブラッチェの顔を見たことで気が緩んだ。相変わらずのめまいも相まって、すこしだけ甘えさせてもらう事を自分に許して、ソファに横になった。

 

 まさか3日で出ていけと言われるとは思っていなかったから、持ち物などはこれから用意しなければいけないけれど、それでも事前準備は済んでいる。最低限の資金だけ銀行預金は残した。もちろん引き出した資金はベッケンが別の銀行に確保してくれている。


 そのうえブラッチェが付いてきてくれることになった。非常に嬉しい。けれどしばらくは『追放された間抜けで哀れな元皇太子』を演じなくてはいけない。ブラッチェには徐々に僕らの計画に参加してもらうけれど、一気に話してしまう事は出来ない。


 ブラッチェを疑っているわけではない。決して。

 誰よりも信頼しているからこそだ。全てを打ち明けたら、剛直な彼は一気にフィアッティに詰め寄るのが目に見えているからだ。

 フィアッティを断罪するのは、全ての証拠がそろってからでなければならないのだ。



 王都を出たら、いきなり今まで重くのしかかっていたフィアッティの魅了魔法が無くなり、長年無意識に抑え込んでいた反動で魔力の加減が分からず、しばらくの間、魔力の無駄遣いでぼぅとしてしまったが、一晩野宿したら久しぶりに体が軽くなっていた。


 ああ、良い夜明けだ。


 これからが僕の人生の始まりだ。


 まずは生活拠点を作らなければ。まさか領地を貰えないとは思わなかったから。


 やはり生活するには、王都から離れた場所が良い。そうだ、フレーテ男爵の領土でも奪い取るか。僕がこんな目に遭ったのは、フレーテ男爵のせいでもあるのだから。


 近くには旧王都もある。いままでも依頼で何度か立ち入ったあそこを活用する手もある。すでに手は打ってあるし。


 お父様は興味が無くて知らなかったようだが、僕のレベルはすでに100相当だ。何度も依頼でオークを一人で倒しているのだから。それを知っているのは騎士隊長のみだけど。

 

 だから僕はすでにこの国を出なくても良いのだ。ザマアミロ。


 おっと口が滑った。


 さあ新しい人生を楽しむぞ。


 

 しばらく魔力の調整が上手くいかずにボケボケ状態になってしまったのは、ご愛敬。

 














 

 


お読みいただきありがとうございました。


これにてガイネたちのお話は全て終わりです。


頑張って書いたね、お疲れさま、と思っていただけましたら、イイネをぽちっとお願いいたします。


 ありがとうございました。

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