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口直しのブローチ

「何なんだ、あれは。あんなに態度が悪いとは」

 王立図書館から出て歩きながら、グレンが呆れた様子で呟く。


「グレン様ひとりなら大丈夫です。媚び媚びに媚びてくれますよ、きっと。ご安心ください」

 過去に容姿の良い貴族男性に媚びているところを何度も目撃しているので、間違いない。

 だが、グレンの眉間の皺は戻らない。


「毎回、あの調子なのか?」

「同行する公爵がいなくなると、あんな感じです。毎回ノートは取り上げられるので、偽物を用意しています」


 今日も模写したノートは鞄の奥底に入れてあり、手に持っていたのは適当な言葉を書き綴った偽物だ。

 中身を見れば図書館で写したものではないとわかりそうなものだが、未だに何も言わないところを見ると、そのまま捨てているのだろう。



「酷いな。……よく、ステラも行こうと思えるな」

「あそこにしかない文献がたくさんあるのです。今のうちに、学ばないといけません」


 いつまでも公爵の厚意に甘えるわけにはいかない。

 となれば、できるだけのことをしておかなければ。


「閲覧権は手に入るのだから、もう無理をしなくても」

「……そうですね」

 不思議そうに首を傾げるグレンに、当たり障りのない笑みを返す。


 確かにグレンとの契約で閲覧権は手に入る。

 伯爵夫人となれば、さすがの司書も表立ってステラの邪魔をするわけにはいかないだろう。

 だがそれは、一時的なまやかしのようなものだ。


 一年後には閲覧権を持っていようとも平民に戻る。

 結局今までと同じ……いや、同行者がいない上に、一年間の鬱憤がある。

 恐らくは更なる嫌がらせに走るのだろう。


 そもそも、一年後にグレンが閲覧権をくれる保証もない。

 確実に閲覧可能なこの一年が勝負と言ってもいいだろう。



「それにしても、毎度あれでは勉強にならないだろう」

「いえ、あの人は特別酷いです。どうやら公爵に好意があるようで」

「……は?」

 グレンが驚く様子が面白くて笑いそうになり、慌てて口元を隠す。


「たまたまあの女性が公爵に言い寄っているのを目撃しまして。どうやら私のことを愛人だと思っているらしく、軽蔑と嫉妬をしているようです。他の司書なら、ノートは取り上げません」


「それ以外は、あるのか」

 無言で微笑んで肯定すると、グレンの眉間に皺が寄っていく。


「既に治癒院で働いていて、腕もいいと聞いた。そこまでして勉強する意味は何だ?」

 グレンはステラを頭ごなしに否定したりしないが、やはり生粋の貴族にはわからないのだろう。


「生きていくためです。身寄りのない平民の女がひとりで生きていくためには、お金が……手に職が必要です。薬も日々進歩します。学ばなければ、取り残されて役立たずになってしまうでしょう」


「……そうか」

 グレンは何かに得心がいったように、うなずいている。


 大抵の男性はこの話を聞くと、「女のくせに」とか「小賢しい」とか「可愛げがない」などと否定することが多かったが、グレンは違うようだ。


 仮初めとはいえ一年間は夫婦という扱いになるのだし、治療のために顔を合わせることも多くなるだろう。

 心底嫌な人間ではないというだけでも、ありがたかった。



「なので、今は勉強と節約です。何があるかわかりませんし、ひとりで生きるには備えが大切です」

「……だから、装飾品のひとつも身につけていないのか?」


 意外な言葉に立ち止まって顔を見ると、紅玉(ルビー)の瞳はステラに向けられていた。

 嘲笑でも軽蔑でもなく、ただの疑問の表情にしか見えない。

 だが、何故そんなことを聞かれるのかがわからなかった。


「貴族令嬢ではありませんし、何も身につけないのは普通です」

「治癒院には指輪やネックレスをしている薬師も多かった。ああいう店もあるくらいだし、平民だって装飾品を楽しむだろう?」


 既に図書館の敷地を出ており、グレンの視線の先にはいくつかの露店が並んでいる。

 遠目ではあるが、食品以外にも色々売っているようだった。


 グレンが歩き出したのでついて行くが、どうやら露店の方に向かっているらしい。

 自分の主張通りの品を売っているか確認したいのだろうか。


「あれは恋人や家族に贈られたり、自分にご褒美として買ったりしたそうです。どちらも、私には無縁です。……それよりも、今日はお手数をおかけしました。とても助かりました」

 頭を下げて帰ろうとすると、グレンに手をつかまれる。



「まだ時間があるし、治癒院に戻るのなら送ろう」

 そう言いながら手を引いて進む方向は治癒院ではなくて、露店の方だ。

 よくわからないままについて行くと、ひとつの店の前でグレンが立ち止まる。


 どうやら日常使いできる装飾品の店らしい。

 ステラの手を解放したグレンは、何やらじっと商品を眺めていたかと思うと、ブローチを買っている。


 伯爵も普通に露店で買い物できるのかと少しばかり感心していると、支払いを終えたグレンがブローチを差し出してきた。

 小さな星がいくつか集まったそれを眺めていると、グレンはステラの手にブローチを握らせた。


「あげるよ。ステラの名前は『星』を意味するし、ちょうどいい」

「……え? ですが、まだ婚約もしていないのに」

「あの司書の態度はさすがに気分が悪い。口直しのようなものだから、受け取ってくれると嬉しいんだが」


 なるほど、グレンには女の嫉妬や陰湿な嫌がらせは衝撃だったらしい。

 気分転換したいのはわかるが、何もステラに渡さなくても、いくらでもそういう女性はいるだろうに。

 ……いや、グレンの周囲の貴族令嬢には、このブローチでは物足りないか。


 何にしても、顧客となるグレンが贈ると言っているのだから、受け取るのが無難だろう。

 仮に後から報酬から差し引かれたとしても、このブローチくらいならば問題はないはずだ。

 結論が出ると、ステラは営業用の微笑みを浮かべた。



「では、お言葉に甘えまして。ありがとうございます」

 礼を言うステラに、グレンは少し驚いたように瞬き、次いで口元を綻ばせた。


 さすが、美青年は微笑みも麗しい。

 感心していると、グレンはステラのワンピースにブローチをつける。


 手際の良さは経験値の高さゆえだろうか。

 キラキラと光を反射するブローチはまさに星のように美しかった。


「うん、似合うよ。ステラの瞳と同じで、輝いている」

「……ありがとうございます」


 ステラの瞳は濁ったことはあっても輝いたことなどないはずだが、これはきっとお世辞なのだろう。


 さすが、美貌の伯爵は女性が喜びそうな言動と行動に抜かりがない。

 ステラの乙女心が消えていなかったら、このブローチひとつでも勘違いして舞い上がっていたかもしれない。


 グレンは、一年の契約結婚と中和業務で報酬と閲覧権をくれる大切な顧客だ。

 面倒な乙女心がないことに、ステラは感謝の気持ちを覚えた。



ランキング入りに感謝を込めて、今日も3話更新予定です。


ブックマーク、感想等ありがとうございます。

とても励みになっています。

m(_ _)m



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 「薬草も日々進歩します。」 薬草は進歩しないような? 薬か薬学ではないですかね。 [一言] グレン、完璧なだけに呪いの正体が気になります。 「媚び媚びに媚びてくれますよ。」のフレーズが…
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