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『子供』

 ——伊上浩介——


「すまんが、俺は明日は昼から用があるんだ。休ませてもらうな」


 新学期が始まってから一週間後、俺は宮野達にそう告げるとささっとその場を離れた。

 なんでそんな急いでるかって? んなの宮野達に止められないためだよ。


 明日のことを考えると今の時点でも気が重いってのに、そんないやそうな態度で話をしたらあいつらの気を悪くするかも知んねえからな。

 だから無駄話は避けて俺はさっさと帰ることにしたのだ。


「佐伯さん、もうすぐ着きます」


 そんなわけで翌日。俺は以前も来ていた研究所まで来ていた。


『そうかい? わかったよ。じゃあ扉の前で待ってるね』


 前回と同じように、というかいつも通りセキュリティを超えて目的の建物まで進んでいくと、そこにはやはりいつも通り佐伯さんがタバコを吸って待っていた。


「おはようございます」

「ああ、おはよう。こんな続けてだなんて、君も大変だね」

「それはそちらもでしょう? こんな短期間でのあいつの外出だなんて」


 ただでさえあいつの扱いはかなり慎重にならないといけないのに、今回は一ヶ月も間をおかずの外出だ。俺には何をどうしているのかわからないが、多分裏方は大変なことになってると思う。


「まあね。でも、今後も快くゲートの処理に参加してもらうためにはご機嫌をとっておかないとね。それに、下手に時期をずらすとそれはそれで面倒なんだよ。……ま、その辺のアレに関する調整やあれこれは上に放り投げてるから、僕自身はそう大変ってほどでもないんだけどね?」


 佐伯さんはそんなふうに肩を竦めて言うと、タバコの火を消して俺と共に研究所の中へと歩き出した。


 ──◆◇◆◇──


 そして時間は移り、俺たちは前回と同じように外出をし、たった今映画を見終わって建物から出てきたところだった。


 俺としては……いや、俺たちとしては映画館などという人の多いところにはあまり留まっていたくなかったのだが、ニーナたっての願いで来ることになったというか、来るしかなかった。


 なんでも、デートならば映画! という謎の理論をもとに決めたらしい。多分どっかしらの雑誌にでも書いてあったんじゃないだろうか。

 それにまあ、ぶっちゃけこの辺はこれといったデートスポットなんてないし、映画なんてのは妥当と言えば妥当なんだろう。


 一時間も車で出れば色々と見つかるが、こいつの場合は外出に時間制限があるのであまり移動時間には使いたくないのだろう。


 まあ映画を見るのだって二時間くらいかかるんだし今回もちょっと予定の時間を過ぎるが、それ以上他に行動しないってんなら多少の時間超過くらいはどうにかなるはずだ。


 というか、じゃないとニーナが暴走する。


「——映画というものは見る場所が違うだけであれほどまでに変わるのですね」

「まあ、じゃなきゃ映画館なんて行く意味ねえからな」

「ふふ、そうかもしれませんね」


 二回目ではあるが、俺は前回同様に警戒を緩めることなくニーナの隣を歩いている。


 後は待ち合わせ場所に行って車で送ってもらうだけなのだが、それでも気を抜くことはできない。


「……こんなふうに誰かと街を歩いていられる時が来るなんて、以前では考えることができませんでした」


 だが、俺が警戒しているのはわかっているだろうに、こうもニコニコと笑っていられると本当に警戒する必要があるのかと思えてしまう。


 もちろんそれが必要なことだとわかっているし、油断するつもりはない。


 ……だが、それでもこいつの事情には同情に値するものがある。

 そう思ってしまうのも事実なのだ。


「——ん?」


 そして歩いていると、ニーナの視線がどこかへ向いているのを察し、俺もその方を見てみたのだが……あれは親子だろうか?


 その親子は手を繋ぎ、父親の手にはなにやら荷物——お菓子でも入ってそうな箱が下げられていた。


 ……こいつもお菓子を食べたいんだろうか? ちょい時間オーバーするかも知んないけど、最後に菓子でも買ってくか? ご機嫌取りだっていえば、上の奴らも文句言わないだろう。


 そんなことを考えていると、ニーナは俺の顔を見上げて笑いかけてきた。


「わたしは、今がとても幸せです」


 こうして見てると、普段のヤバさなんてどこかへ消えて、年相応の女の子にしか見えないんだよな……。


 そんなことを思ってしまったからだろう。俺はつい一瞬、ほんのわずかな時間だが、先ほど油断しないと考えたばかりだというのにニーナから意識を逸らしてしまった。


「さあ、次はどこへ行きましょ——あ」


 その結果、ニーナは通行人にぶつかって、持っていた飲み物を落としてしまった。


 しまった! と思うが、もう遅い。


 即座に視線を移すと明らかにニーナが苛立っていた。このままでは今ぶつかった人物はもちろん、周りごと灰になる。


 こんな些細なことで、とそう思うかもしれないが、これがニーナだ。


「鬱陶しい……わたし達の邪魔するとは……灰すら残さないで——」

「待て待てっ! ここでんなもん使おうとすんじゃねえ!」


 そのままでは感情のままに力を使うだろうと思われたところで、俺はニーナの手を取って力を使うのを止める。


「ですが……」

「いいからやめろ!」


 俺がそう言うと渋々と言った様子で力を使うのを諦めたようだが、道の真ん中で声を荒げたせいで周囲の視線が俺たちに向いている……チッ!


「とりあえず、こっちに来い」

「あ——」


 俺はニーナの手を握ったまま道を外れ、近くにあった脇道に逸れた。


「はあああぁぁぁ……」


 人目から逃れたことで俺は大きく息を吐き出すと、ニーナへと向かい合った。


「いいか? 街中では力は使うな」

「ですが、先程の男はわたしの背を突き飛ばして……」

「背中を押したんじゃなくてぶつかっただけだ」


 俺はニーナの手の中にある映画のグッズを指差しながら話を続ける。


「見ろ。お前の手の中には今日買ったものがあるわけだが……楽しかったか?」

「はい! もちろんです! まさかわたしにこのような日が訪れようとは、夢にも思いませんでした!」


 このような日、ね……チッ。


 たった数時間だけの、車での移動時間を考えれば、実質ほとんど活動できる時間がないような扱いであるにもかかわらず、こいつはそれでも幸せなのだと言っている。


 俺は、それがどうしようもなく気に入らなかった。


 こいつのやってきたことを知っている。

 こいつがどんな奴なのか知っている。

 こいつが危険な存在だってのも、いやってほどに知っている。


 だが、それでも目の前で笑っているニーナを見ていると、こいつの境遇が、こいつの選択が、こいつを取り巻いている環境が気に入らない。


 そして何より、それに関わっているのにこの現状を良しとしている俺自身が——どうしようもなく気に入らない。


 ニーナと俺はもう三年近い付き合いだ。

 ここでそんなことを思うならなんで今まで見逃してきたんだって話だが、俺がこんなことを思ったのは多分、今回の外出があったからだと思う。


 今まで俺はこいつと外出なんてしたことがなかった。

 これまではただ厄介なことを押し付けられたな、と思いながらこいつの話し相手として機嫌をとっていただけだった。


 それが、前回と今回一緒に外出したことで、こいつに対して……まあ、情が湧いたって言うんだろうな。


 だからだろうか、やけに気に入らないと感じてしまった。


 もしかしたら宮野達を教えるようになったことも関係しているのかもしれない。こいつとあいつらは歳が近いからな。


 あるいは姉と話をしたからだろうか? 姪のことで話したせいで、ニーナも姪のように面倒を見なければと思った、なんてこともあるかもしれない。

 今までもニーナの面倒を見ているとも言える状況だったし、ない話じゃないだろう。


 もしくは……恋人のことを思い出したからか。

 宮野たちや姉との会話に昔の恋人のことが出てきたせいで、隣を歩いているこいつには余計なことを考えてしまったというのはあるかもしれない。


 もう何年も前のことだが、あの時の俺は、隣を歩いていた恋人に笑っていてほしいと、心から幸せになってほしいと本気で思っていた。


 今回の俺の迷いは、その時のことを思い出したのかもしれない。


 ——こいつに幸せになってほしい。なんて、俺はそんなことを思ってしまった。


 それは恋人としてではなく、どちらかと言えば、やはりさっき考えたように教え子や姪、あるいは自分の子供や妹のような感じだと思う。


 だが、幸せになってほしいと、そう思ってしまったという事実に変わりはない。


 俺はそんな自分の感情を理解すると、もう一度ため息を吐きだした。

 そしてわずかに悩んで、だが最終的には覚悟を決めて口を開いた。


「……楽しんだならいいが、これを買うことができたのは、ここに人が集まってるからだ。この場所に人がいなければ、俺は今日お前をここに連れてくることはなかったし、こうして買い物をすることはできなかった。わかるか? 鬱陶しいからって周りを全て灰にしてみろ。お前はもう二度と今日みたいにここで買い物を楽しむことができなくなるんだぞ?」

「それは……」


 俺の言葉を聞いて目を見開いたニーナは、何を言えばいいのかわからないのか言い淀んでいる。


 こいつ相手に説教なんてすれば、不興を買って焼かれている。こいつに取ってはそれが当たり前だった。


 だから説教なんて……いや、説教どころか、こうして真正面から自分のことを見られて話をしたこともなかったんじゃないだろうか?


 邪魔をするなら、不愉快にさせるならとりあえず殺しておく。それがこいつの『普通』だった。だから誰もこいつに深く関わろうとしなかったから。


「それに、だ。お前がここを灰に変えるってことは、今日の俺との買い物に来た場所には残しておく価値のない無駄なものだったと言うのと同義だ。お前は、そう思ってるのか? 今日はそんなにつまらなかったか?」

「そ、そんなことはありません! とてもっ、とても楽しかったです!」

「そう思うなら、すぐに力を振おうとするな」

「……はい。申し訳ありませんでした」


 そう言うと、ニーナはしょんぼりと肩を落とした。

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