『生還者』伊上浩介
「……はあ。全く、なんでこんなことに……」
普段はあまり着ないスーツをわざわざ新調してまで身に纏い、これからのことについて考えてため息を吐き出す。
「ほんとにな。なんだってこんなことになってんだ? まあ、俺たちは笑えるからいいけどよ」
「そもそも話持ってきたのてめえだろうが」
笑いながら話しかけてきた友人——ヒロを睨みながら文句を言うが、ヒロはどこ吹く風とばかりに肩をすくめるだけで終わらせた。
「しかしまあ、なんだな。若返ったってだけで、随分と格好つくもんだな」
「……まあ、覚醒者としての肉体で若返ったからな。昔の凡人としての状態よりも見れる見た目になってんだろ」
今の俺の肉体は三年前と比べて十歳ほど若返っているが、見た目は十年前のものとは少し違っている。
「ああ……覚醒者は生物的に優れた肉体になるからな。身体能力だけじゃなく、傷病耐性も生殖能力も向上するから、見た目も良いもんになりやすい。そんな状態で若返ったってんなら、まあ昔とは違う見た目にもなるか」
「別に、今更見た目なんて気にしちゃいねえんだけどな」
「お前はそうだろうな。何せ、気にしなくてもラブコールしてくれる可愛い女の子が四人もいるんだから」
そういう意味じゃねえよ。わかって言ってんだろ、お前。
だが、ここで文句を言ったところで躱されるだけだし、大事の前に無駄に体力を使わされるだけだ。
そう思い込むことで気持ちを沈め、息を吐き出すだけで終わらせる。
「……はあ」
「そうため息つくなって。幸せが逃げるぞ」
「そんなんで逃げるんだったら、もうとっくに俺の幸せなんて綺麗さっぱり消え去ってんだろ」
これまで何度ため息を吐いたと思ってんだ。
「まあなんにしても、〝頑張れよ〟」
「……ああ」
その言葉はきっと、これから起こるイベントに対するものもあるだろうが、その後に起こすイベントに対するものでもあるだろう。
「それじゃあ、行ってくるか」
改めて覚悟を決めるためにそう口にして、俺は舞台の上へと向かっていった。
——◆◇◆◇——
「それでは、これより『生還者』伊上浩介さんによる講演会を開始いたします」
壇上で聞く司会の言葉が、どこか遠いものに聞こえる。こりゃあかなり緊張してるな。まあ、しゃーないだろ。何せ、こんな何百人もの視線を集めて話をすることなんてこれまでの人生の中で一度もなかったんだから。まあ、その代わりここにいる全員が集まっても太刀打ちできないような権力者とは話したことが何度かあるが、あいつらとは別の怖さや圧がある。
だがまあ、ここに立った以上はダンマリ決め込むわけにもいかないし、覚悟を決めて話すしかねえ。
……ねえんだが、何話すかな。いや、話すことは決まってるし、紙だって書いてきた。
でも、それで良いのか? 俺の言葉次第で、ここにいる奴らの人生が変わるかもしれない。俺の言葉次第で、死んでいたかもしれない奴が生き残れるようになるかもしれない。
それなのに、あらかじめ書いた言葉を読み上げるだけで良いのか? ただ紙を読んでるだけの奴の言葉を、ここにいる学生達は真剣に聞くか? 聞いた話を素晴らしいものだと受け入れて成長の糧にするか?
……多分、そうはならないだろう。
だったら、仕方ねえ。恥を晒すことになるかもしれねえが、知ったことか。
「——これから冒険者として活動していく、あるいはすでに活動している学生のお前達に言っておくことがある」
「お前達は俺のことを英雄だって呼んでいるかもしれねえが、俺はそんな大層な人間じゃない。そのことを念頭においておけ」
「そんななんでもない凡人がこんな壇上に立ってる理由はただ一つ。ただ単に、運が良かっただけだ。俺なんて、これまで必死になって足掻いて、這いつくばって、泥に塗れながら運よく生き残ってきただけの雑魚でしかない。今回ゲートからこっちに帰ってくることができたが、それだって俺の実力なんかじゃなくってただの運だ。運が良かった。それだけなんだ」
「だが、お前達に何も教えられないわけじゃない。俺は確かに運が良かったから生き残ってこれた。だが、その運ってやつを掴むには、相応の努力が必要だ。その努力を、俺がこれまで何をしてきたのか、どんなふうに生きてきたのか、それを語ろうと思う。そこから何を感じ、どう自分の糧にしていくかは、話を聞くお前達自身にかかってる」
「俺が覚醒したのは、もう三十間近っていうかなり遅い時期だった。それまでの俺は、普通に一般人として暮らしてたもんだ。普通に学校を卒業して、普通に働いて、普通に恋人と生活して。そんな生活を送っていて……」
そこで一旦言葉が止まってしまい、一度深呼吸をする。そして……
「恋人が死んだ」
そうはっきりと口にした。
言葉にすればとても短い事実だが、学生達はその言葉をどう受け止めたのか息を呑んだような空気が感じられる。
それからは、恋人の死に対して俺がどう考え、ダンジョンに対してどんな思いを抱き、冒険者になった後にやってきた訓練の内容について話していった。
「そうやって努力して努力して、身を削るように知識を詰め込み、体を鍛え続けた。その結果が今だ。色々面倒や理不尽なこともあったが、努力を続けた甲斐があってイレギュラーに遭遇して運よく倒すことができたし、そのおかげで一部からは『生還者』なんてたいそうな名前で呼ばれるようになった。果てはこうして偉そうに壇上に立って話しをすることになってる」
本当に色々あった。思い返してみると話題に事欠かないくらいには騒動に巻き込まれたもんだ。
今だって、ガラでもないのにこんなところで偉そうに喋ってる。人生何があるかわからないもんだよな。
ただまあ、そろそろ話をまとめにかかるか。俺の過去だの、やってきた訓練方法だの知識の一部だのをしゃべったが、そろそろ良い時間だろ。
「これまで長々と話したが、結局何が言いたいのかって言ったら、一つだけだ。俺が言いたいのは、最後まで生き抜くために努力しろってことだ」
俺が一つだけ伝えるとしたら、それだ。たったそれだけ。ただ生き抜く努力をしろと、それだけを覚えておいてもらいたい。
「お前達が今後冒険者をやっていく上で、いつか必ず困難が立ち塞がる時が来るだろう。自分の全てをかけて何かに挑戦する時が来るはずだ」
冒険者に限らず、生きている限りいつかそんな機会が来るはずだ。どうしても頑張らなければならない、そんな時が。
「なんだっていい。何かしらの困難や挑戦があるはずだ。そんな事態に直面した時、きっと周りの奴らは言うはずだ。『そんなのは無理だ』、『お前じゃできない』、『諦めろ』と。確かに、諦める理由なんていくらでもあるだろう。挑戦すること、立ち向かうことを否定する言葉を幾つも吐き出してくるだろう」
頑張ってる姿はカッコ悪いもんだ。全力で、自分の力の限り思い切り走ってみろ。きっとブッサイクな顔になってるぞ。綺麗なまま全力で頑張れる奴なんていないんだよ。
だから『潔い美しい死』を求める者ってのは、それなりにいるもんだ。みっともなく足掻いて結局失敗するくらいだったら、最後くらい斜に構えて潔く終わった方がかっこいいし楽だと、そう考える者は絶対にいる。
そして、そんな奴は自分が諦めたくせにそれを他人にも強要したがる。だって、他の奴が頑張ってれば諦めた自分がカッコ悪いから。
だが、そんなふざけた奴の戯言なんて無視しとけば良いんだ。
「例えば、イレギュラー。冒険者をやるんだったらわかりやすいピンチ——立ち向かうべき困難だ。勇者でさえ諦めるような存在が突然目の前に現れたとして、その時お前達はどうする? 何を思い、どんな行動をする? 怯えているだけの奴、逃げ惑うやつ、とにかく無茶苦茶に攻撃する奴。そんな奴らはいっぱい出てくるだろう。まあそれも仕方ないだろうな。気持ちはわかるさ。状況次第では勇者でさえ諦めるような存在なんだから、自分達如きじゃ勝てるわけがない。そう思ってしまっても無理はない。……だが、それでいいのか?」
良い訳がない。カッコ悪いのは嫌だが、死ぬのだって嫌なはずだ。
賢しらに諦観してカッコつけて死んでくよりも、みっともなく足掻いてでも生き残ったほうがいいはずだ。
「勝てないって事実は、生きることを諦める理由にはならない。無謀だという誰かの笑い声は、挑戦することを躊躇う理由にはならない。必死で足掻くを姿を笑う奴の声は放っておけ。そうやって笑ってる奴はそのうち死ぬ。それが冒険者って職業で、命をかけるってことだ。なんだったら、笑ってる奴がいたら、ああこいつそのうち死ぬな、なんて憐れんでおけ。そいつが死んだ後の思い出になるぞ。そんで、今度はそいつが笑いものになるんだ。ああ、あいつはバカだったな。なんて死んだ後にみんなから笑いものにされる」
誰から笑われようとも、諦める理由にはならない。足を止める理由にも、努力を放棄する理由にもならない。
「世界中の誰もが無理だと笑っても、もう限界だと思っても、絶対に無理だと不安に押しつぶされそうになっても——一歩踏み出せ」
そうだ。そうすれば、最初の一歩さえ他者の声を無視して踏み出すことができれば、あとはどうとでもなる。踏み出した後は他人との戦いではなく、自分との戦いだ。定めた願い、たどり着くべき目標に向かって努力を重ねていくだけ。
「不格好でもいい。無理やりにでも笑ってみせろ。そして、恐れをねじ伏せて前へ進め。そうやって歩き出したら、もう勝てる勝てないなんて関係ない。踏み出したんだったら、あとはひたすらに全力で進み続けるだけだ」
そうして進み続けることができれば、誰だって大抵の願いは叶えることができるし、俺みたいにイレギュラーだろうと生き延びることができるようになる。
「そうやって恐れも邪魔も振り切って、勇気を出して一歩を踏み出した先にこそ、未来が待ってる。そこにランクの差も才能の差も関係ない。嘘だと思う奴もいるだろう。だが、事実だ。何せここに俺がいるんだからな。これまで何度も言ったが、俺は三級だ。特殊な能力があるわけでもなく、ただの三級だ。むしろ、三級の中でも才能って面では下の方だろう。それでも、俺はここにいる。今までイレギュラーに何度も遭遇してきたが生き残り、こうして分不相応にもみんなの前で偉そうに話しなんてしてる。三級であってもここまでできるんだ。だったら、やり方次第、努力次第で誰だってできるってことだ」
努力の結果に才能なんて関係ないんだってことは、俺が証明している。才能なんてなくても、努力と、それを最後まで貫き通す覚悟があれば、勇者だって、世界最強だって倒すことができるんだ。
「もちろん、さっき話したように相応の努力は必要だ。今後お前達が冒険者を続けていきたいというのであれば、大なり小なりそういった努力は必要になってくるだろう。三級であれ特級であれ、程度の差はあれど等しく辛い日常を送ることになるはずだ。少なくとも、ゲートに関わらない一般の者よりは遥かに苦しい日々だ。最低限の冒険義務期間さえ終えたら辞めるという者だっているだろう」
才能で全てが決まるわけではないが、才能の差というのは確実に存在している。それを埋めようとするのであれば、相応に辛い日々が待っている。そしてそれは一般人であれば経験しなくても良いような日々だ。なんでこんなことをしているんだろう。もっと楽に生きたいな、と思う奴は絶対に出てくる。
「だがそれでも、困難に立ち向かうことを……生きることを諦めないでほしい」
諦めずに努力していけば、きっと生き残ることができるはずだから。
「これで俺からの話を終わりとさせてもらう」
そう言って話を締め、司会の生徒へと顔を向ける。
「——以上、『生還者』伊上浩介さんからのお話でした」