第三話:信じる
自宅の大掃除をしていた。普段使わない引き出しを全部開けて、品々を床に並べ、はてこれは取っておくべきか、捨てるべきかと頭を捻る。この判断がなかなか難しい。他人にとってはただのガラクタでも、自分にとっては大切な想い出の品だと思えるものがたくさんあったのだ。
そんなときに、玄関のチャイムが鳴った。出てみると、宗教の勧誘だった。
「こんにちは。私は今、宗教の勧誘でここらの家を回っております。よろしければ、お話を聞いていただけませんか」
愛想のよい人間に、玄関先でそう言われた。
「なんの宗教ですか?」
「『ムシュウ教』という宗教です」
「聞いたことがないなあ」
「無理もありません。できたばかりなので、まだ有名ではないのです」
そのまま勧誘員と少しばかり立ち話をした。その人が、ムシュウ教の教会を見学させてくれると言うので、行ってみることにした。
小さな教会に足を踏み入れると、まだ有名でないとは言いながらも、なかなかたくさんの信者が集まっていた。厳粛な空気は無く、むしろ、俗っぽく和気あいあいとしている。建物のいちばん奥には、天窓から光の差すところに、神様を模した聖像らしきものが飾られていた。聖像の頭は、星の形をしていた。
勧誘員は、集まっている人々のうちのひとりを手招きで呼び寄せて、私を紹介した。
「この方は、三角コーナーにはまったチーズ絶体絶命さんです。今日は、教会の見学にいらっしゃいました」
呼び寄せられた人間は、これまた愛想のよい、素直そうな顔つきをしていた。私に向かって頭を下げる。
「初めまして。私は海底都市に沈んだケーキ四面楚歌と申します」
「どうも、初めまして」
私もお辞儀を返した。
勧誘員は、ケーキ氏の肩をぽんと叩いた。
「海底都市に沈んだケーキ四面楚歌くん、この方のために、教会の中を案内して差し上げなさい。先日入信したばかりのきみなら、誰よりも新鮮な気持ちでご案内できるだろうから」
「わかりました」
そうして、私への対応は、新米のケーキ氏に引き継がれた。
ケーキ氏は、私と連れ立って教会の中を巡り歩いた。氏は、ムシュウ教について、いろいろと、誇らしげに説明してくれた。
「私はつい先日このムシュウ教の存在を知ったのですが、その教えに感激して、すぐに入信を決めたんですよ。きっとあなたも、そのうち入信したい気持ちになりますよ」
「ほう。あなたはいったい、この宗教のどういうところに感激したのですか」
「そうですねえ。ムシュウ教の最大の特徴は、なんと言っても、我々がするべきことを、話し合いで決められるということです」
「話し合い、ですか」
「そうです。従来の宗教はみんな、神様が良い悪いを決めて、信者はそれに従うだけでした。でも、ムシュウ教の場合は、その判断を信者たち自身ですることができるのです。何が正しくて、何が正しくないのか、自分たちで決めるのです。非常に先進的でしょう?」
「ふむ」
なんとも言えなかったので、私はただ小さく唸った。
建物の中をひと通り見学し終えると、ケーキ氏は言った。
「今日は、神様にお供え物をする日です。神様にお供えをした後、私たちも同じものを食べて、お祝いします」
「何をお供えするのですか?」
「今から話し合いで決めます。よかったら、それも見学して行ってください」
私は、言われた通りにした。
時計がぼーんと打つ頃に、信者たちが、星の形をした聖像の前にわらわらと集まって、車座を作り始めた。ケーキ氏も、わくわくとした様子で、その輪の中に入って行く。氏によると、信者でない者も意見を述べてくれて全然構わないとのことだったが、さすがに今日来たばかりの自分が、ずけずけと話し合いに参加する気にはなれない。私は、皆から少し離れたところに座って、静かに眺めていることにした。
信者たちは、話し合いを始めた。
「さて、神様に捧げるお供え物は、いったい何にしたらいいだろう?」
「はい、意見があります」
「なんですか」
皆は口々に、あれがいいこれがいいと意見を出し合った。食べ物の提案もあれば、短歌を読もうとか、くしゃみをしようとか、そういうものもあった。提案が出されるたびに互いに、いいんじゃない? と賛同したり、もしくは、それはあんまり……と否定したりした。
私は、輪の中に座っているケーキ氏のほうを見やった。氏は、話し合いが始まってから、まだ一度も発言をしていなかった。しかし、機嫌はよさそうだ。身体をそわそわ動かして、今にも何か言いたげな様子だった。
ようやくケーキ氏は、おずおずと手を上げた。
「はい、意見があります」
「なんですか」
「私は、オレンジジュースをお供えしたらよいと思います。黄金のような美しい色をしているので、神様に似合うと思います」
満を持して、そう提案したのだった。
しかし、自信有りげなケーキ氏の態度とは裏腹に、周りの反応はいまいちだった。美しい色というのが、ピンと来ていないようだった。
賛も否も示さない聴衆に、ケーキ氏はしゅんと肩を落とした。
そのとき、別の人が声をあげた。
「はい、意見があります」
「なんですか」
「正しいお供え物は、がんもどきだと思います。神様は、星の形をしています。星は、がんもどきが好物なのです。神様は気に入ってくださると思います」
「星は、がんもどきが好物なのですか?」
「そうです。科学的に、そう証明されています」
すると、その対面に座っていた人が口を挟んだ。
「そういえば僕も、そんなことをサイエンス雑誌で読んだ気がします。星の好物は、がんもどきだって」
「科学的に証明されているなら、間違い無いな」
「神様は、絶対に喜んでくれるね」
信者たちの心は、一気にがんもどきに掴まれた。
「それではそろそろ、多数決でも取って、決めてしまいましょう。がんもどきを供えるのが正しいと思う人?」
全員が、手を上げた。
「それでは、がんもどきに決まりですね」
鮮やかな勝利に、拍手。
人々は、話し合いの結論をさっそく行動に移した。星の形をした聖像の前にがんもどきを置き、手を合わせて祈った。
しばしそうやって敬虔な気持ちを表した後に、あの勧誘員が立ち上がって、皆に呼びかけた。
「さあ、食堂に移動しましょう。我々も、お祝いをしましょう」
信者たちは楽しそうにお喋りをしながら、隣の食堂へと出て行った。
勧誘員は私のほうへ近づいて来た。
「三角コーナーにはまったチーズ絶体絶命さんも、どうぞ召し上がってください」
「いいんですか?」
「もちろんです。一緒に楽しみましょう」
正直なところ、私はもう帰りたい気持ちに駆られていた。しかし、勧誘員の愛想があまりにいいので、断ることができなかった。私は皆の後から食堂に入り、大きなパーティーテーブルの端の席に腰を下ろした。
料理が来るのを待ちながら、居心地の悪さに、そわそわと周りを見回していると、ふと、あのケーキ氏の姿がどこにも無いことに気づいた。
やがて、奥の炊事場から、大量のがんもどきの乗った皿が運ばれて来た。
「神様と同じものを食べて、健康になりましょう」
人々は、一斉にがんもどきに食らいついた。おいしそうに頬張る。
私の目の前の皿にも、いつのまにかがんもどきが配られていたが、参った。私は実は、がんもどきというものを生まれてこのかた食べたことがなかったし、見たのもこれが初めてだったのである。この未知の物体が果たして私の口に合うのか、つゆわからなかった。
私は迷った挙句、恐る恐るがんもどきを口に放り込んだ。
だがその瞬間、私は飛び上がってしまった。がんもどきが口に合わなかったのである。
私は食堂を飛び出して、便所に駆け込んだ。急いで個室に入り、食べたものを便器に吐き出す。
吐き出した後も、ふうふうと呼吸が乱れ、動くことができなかったので、しばらく便器にすがりついて休んだ。やっと息が整って、立ち上がれる状態に戻った頃、ふいに、さっきからずっと、隣の個室からすすり泣く声が聞こえていたことに気づいた。
「おや、そこに居るのは、海底都市に沈んだケーキ四面楚歌さんではありませんか」
「はい、そうです」
鼻をすする音のあいだから、ケーキ氏の声が答えた。
「どうして泣いているんですか」
「私は、神様のためにオレンジジュースをお供えしたかったのです。それが、叶わなかったので」
「でもあなたは、がんもどきに手を上げたじゃありませんか」
「ええ。手を上げなければならない流れでした。あのときにはもう、みんなが、がんもどきが正しいと思っていましたから」
ケーキ氏の声を聞きながら、私は腹がきりりと痛むのを感じた。
「私は新入りですので、話し合いに参加した回数はまだ少ないのですが、実はこれまでもずっとオレンジジュースを提案して来たのですよ。ぜひともオレンジジュースを飲みたくて、準備もしてあるのです。でも、まだ一度も、採用されたことがありません。なかなか難しいものですね」
「そうですね。ところで、海底都市に沈んだケーキ四面楚歌さん、お願いがあるのですが」
「なんですか?」
「私を病院に連れて行ってくれませんでしょうか。口に合わないものを食ったせいで、腹が痛いのです」
「それは大変だ。構いませんとも、行きましょう」
私が腹を押さえながら個室を出ると、同時にケーキ氏も隣の個室から出て来た。氏はまだ少し泣いていた。
私とケーキ氏は連れ立って病院を訪れた。
病院の待合室は混んでいて、自分の番が来るまではまだ時間がありそうだった。私はやれやれと、連れとともに長椅子に腰を下ろした。
待合室には、暇つぶし用の本棚があったので、私はそこから無作為に、一冊の雑誌を抜き出して広げた。
世紀の大発見・星の好物がついに判明
科学者グループの実験により、ついに星の好物が判明した。科学者グループが、星に様々な食べ物を食べさせる実験を行ったところ、星はほとんどのものを特段の偏りを見せずに食べた。しかし、がんもどきを口にしたときだけは飛び上がって、実験室を出て行ってしまった。出て行った星はいまだに見つかっていない。だが少なくとも、口にすると飛び上がってしまうくらい、がんもどきが好きだということは明らかになった。星の好物ががんもどきだと科学的に証明されたことは、世紀の大発見だと言えるだろう。
そのとき、看護師に名前を呼ばれた。
私は雑誌を棚に戻すと、ケーキ氏と一緒に診察室に入った。
しかし、いざ医者を目の前にして、問題が発生した。さっきまで痛かったはずの腹が、待っているあいだに自然と治ってしまったのである。
「ええと、三角コーナーにはまったチーズ絶体絶命さん。腹痛の症状がおありということで」
医者は、問診票を見ながらそう尋ねた。
私はなんとも言えずに、ただ口をつぐんでいた。
「胃カメラを入れて、腹の中の様子を見てみましょう」
もうすっかり治っているのというのに、そんなつらい仕打ちは受けたくなかった。私は、ケーキ氏の身体を引っ張って、自分の前に立たせた。耳打ちする。
「海底都市に沈んだケーキ四面楚歌さん、あなたはまだ泣いていますね。きっと、私よりあなたのほうが今は重症です。どうぞ、診てもらってください」
泣いているケーキ氏は、言われるがままに検査用の椅子に腰かけた。
医者は、胃カメラをケーキ氏の口に差し込んだ。ずるずると中に押し入れる。わきにあるモニターに、ケーキ氏の身体の内部が映し出された。ピンク色のトンネルの中を、進んで行く。
私はじっとモニターを見守っていたが、カメラが、おそらく胃であろう、開けた空間に出たところで、何かが散らばっているのに気づいた。思わず身を乗り出す。
医者も、カメラを押し入れる手を止めて、モニターを覗き込んだ。
「これはなんだ?」
胃の中には、ひとつの段ボール箱と、小さなおもちゃやら本やら、雑多な品物がたくさん散らばっていた。そして、その真ん中に、丸っぽい頭をした何かがうなだれていたが、全身が半透明なせいで、背景の色と溶け合って、はっきりとは輪郭が掴めなかった。丸っぽいものは、ふと頭をあげた。透けていてよくわからないが、モニターを挟んでこちらと目が合ったような気がした。謎の物体はカメラのほうに近づいて来た。何かを訴えるように腕を振り回す。
「何か言っているようですよ」
医者は聴診器を取り出して、ケーキ氏の腹に当てた。モニターの中の丸っぽいものは、必死に腕を動かしている。
「おや、おなかがすいたと言っています。何か食べさせてやらないと」
「何か食べさせてやらないとと言ったって、食べ物なんて……」
しかし私はふと、座っているケーキ氏の服のポケットから、オレンジジュースの瓶が飛び出しているのに気づいた。
「あ、ちょうどいい。これをあげましょう」
私はオレンジジュースの瓶を取り出すと、栓を抜いた。そして、ケーキ氏の口に差し込まれた胃カメラのコードのわきの隙間から、ジュースを流し込んだ。
医者と私は、ジュースの瓶を傾けたまま、モニターのほうに目をやった。半透明の物体はじっと立ち尽くしている。
やがて、上から橙色の液体が流れて来て、その脳天に降りかかった。オレンジジュースが、みるみるうちに丸っぽいものの輪郭線に注ぎ込まれて行く。謎の物体の、頭の縁が、身体の縁が、黄金色に輝く。瓶が空になり、ジュースの雨が止んだ頃にはもう、その丸っぽいものは、半透明ではなくなっていた。
そこに居たのは満月だった。
満月は、輪郭をはっきりと黄金色に輝かせながら、カメラのほうを向いて、礼を言うように手を合わせた。そして踵を返し、床に正座をすると、散らばっている品物を拾っては、虫眼鏡でじっと観察し、腸に繋がる穴に放り捨てたり、あるいは段ボール箱に投げ入れたりし始めた。
「よかった。よかった。元気になったようです」
医者は安心して、胃カメラを引き抜いた。清々しい輝きを放つ満月は、モニターの画面の端に追いやられ、そして消えて行った。
胃カメラが完全に外に出ると、開けっ放しにされていたケーキ氏の口が閉じた。氏はもう、泣いてはいなかった。
医者は、ケーキ氏の顔を見て、思い出したように言った。
「あ、そうだ。あなたの腹痛を治さなきゃいけないんだった。すっかり忘れてましたよ。すみません」
しかし、その声は患者の耳には届かなかったようだ。ケーキ氏は、すっくと立ちあがって叫んだ。
「私は、すっかり復活しましたよ! ああ、今までなんて馬鹿なものを信じていたんだろう。私はもう、あんな宗教はやめます!」
その表情は、とても晴れやかだった。
ケーキ氏は、喜びに満ちた様子で、外へと駆け出して行った。
私も、こんなところにぐずぐず居座って、また治療されそうになっては敵わないので、診察室を出た。
教会に寄らずに、まっすぐ家に帰ることにした。
口直しにチョコレートを頬張り、ふと上を見ると、街灯から吊るされた時計が二時を指しているのが目に入った。
いい曲が、できそうだ。