恋人たちの終着駅
「恋人たちの終着駅はどこだと思う?」
「『お別れ』かな。普通に別れることもあるし、結婚したとしても離婚するか死別するのがほとんどで、同時に死にでもしない限り、必ず一人になるし」
「なんて夢のない答え……」
「間違ってる?」
「正しいよ。選択肢にないことを除けばな」
俺の背後、ベッドでうつ伏せになりながらマンガを読んでいるはずの冴子が「どれどれ」と言った。
「『結婚』『二人で見つけるもの』『俺たちに終着駅なんてない』ね……。他は?」
「ない」
ふっ、と息が吐かれる音。長年の付き合いだ、鼻で笑ったのがわかる。
ベッドの側面を背もたれにしていた俺は肩越しにふり返る。想像通り、冴子は小馬鹿にするような笑みを浮かべていた。
「ずいぶん前向きな選択肢ばかりだけど、康太はどう思うの? 恋人たちの終着駅」
「結婚」
「結構なことで」
自分から『なんか話ふって』と声をかけておきながらその返事はあんまりでは? まあ、演技する必要のない関係だと思ってもらえてるのであればそれに越したことはないけど。
ゲーム画面に向き直り『結婚』を選ぶ。楽しげだったBGMが消えて、攻略中のヒロインが下を向いた。顔が陰って表情が読み取れなくなる。
「……そんなわけない」囁くように口にして、「そんなわけないッ!」と髪を逆立て足を開きこぶしを握り力強くこちらを射抜いてきた。「それならなんでママは結婚できなかったの? 結婚式当日にあの男は来なかった。ママのお腹にはすでに私がいたのに! 私が中学生のときに付き合ってた男にも年下の女と浮気されて捨てられて生きる気力を失って……。どうしてママがこんな目に合わなきゃいけないの? なにも悪いことしてないのに……、どうして、ママが……」
一気にしゃべって「あっ」ときまりの悪そうな顔をした。
「……ごめんなさい」
ヒロインの足音が遠ざかり、画面が暗転した。
いきなり時が流れ、うだつの上がらない大学生になった主人公が飲み会で酔っ払って家に帰る途中、お腹の大きくなったヒロインと気まずい再会を果たして『THE END』と出た。明らかなバッドエンドだ。
「はい、攻略失敗」
「言い訳してもいい?」
「どうぞ」
「まずさ、あのヒロインの家庭環境に問題があるだなんてヒントがなかったと思うんだ」
「うん」
「そもそも即死選択肢は酷い」
「そうかもね」
「だから、賭けは無効に」
「ならない」
「ですよねー」
俺は額を抑えて金勘定をする。今月は新しいスパイクを買ったし正直ピンチだ。デート用の服も新しく新調したかったけど賭けに負けた以上無理だ。映画代に加えてご飯代も俺持ちになる。冴子はこちらの懐事情を多少は考えてくれるけど、そこまで遠慮しないタイプだ。まあ、俺もこの前賭けに勝ったとき少し高めのランチを頼んだし不満はない。
それより再来週の誕生日プレゼントをどうしよう。親に頭を下げ……ダメだろうな。スパイク買うためにこづかい前借してるし……。
「となると京子しかないか……」
「京子ちゃん?」
考えていたことが口に出てしまった。
「……なんでもない」
「そう? ちなみに、選択肢があの三つしか出なかったら強制バッドエンドだから」
「ああ、だから『他は?』って聞いたのか」
鼻で笑ったのも勝利を確信したからか。
「あのヒロインを攻略したかったらヒロインの友達にも何回か電話しないとダメだよ。ある程度仲良くなると、ヒロインの家庭環境が聞ける」
「マジか。後でもう一回やってみるわ」
「ところで康太、お金ピンチなんでしょ」
「そんなことないけど」
「……お兄ちゃんってばサエちゃんのためとはいえ妹にお金をせびったんだよ、なんて京子ちゃんから聞きたくないんだけど」
「めっちゃピンチです。助けてください」
「よろしい。では選択肢を授けよう」
冴子が人差し指を立てる。「ひとつ。恥を忍んで京子ちゃんに頭を下げる」
中指を立てて「ふたつ。お金のかからないデートをする」
薬指も立てて「みっつ。短期バイトを見つける」
冴子はほんの少しだけ間を置いて、いかにも作りましたという笑みを浮かべた。「即死選択肢があるから気をつけてね」
不穏な言葉に心拍数が上がる。だけど頭ではわかっていた。たとえひとつ目の選択肢を選ぼうともフラれないことを。
少し考える。かなりストレートにやめてと言われているひとつ目は絶対ない。
ふたつ目。先週から新作映画と、駅前に新しくできたケーキ屋を楽しみにしている冴子にその提案はしにくい。俺がしたくない。
みっつ目。現実的に無理。遊びに出かけるのは明後日だ。
「……どれも選ばない」
「じゃあ、どうするの?」
これはゲームの流れを汲んでいる。選択肢が三つなことと、わざわざ『即死選択肢』なんて言葉を使ったことが証拠だ。
「冴子はどうしたい?」
選択肢が三つしかなかったらバッドエンド。ならどうするか。冴子が言っていた。友達に電話をすればいい、と。これがハッピーエンドへ到達する道なのだと。
電話をする。これは『情報を集めろ』と言い換えれなくもない。加えて、恋人とのデートをどうすればいいか、なんて俺が冴子の友達に電話したところで自分で考えろと返されるのがオチだ。なら、直接聞くのが正解だろう。
「割り勘にしようよ。次のデートは」
「でもいいのか? 賭けが無効になるけど」
俺が肩をすくめると、冴子が両眉をきゅっと寄せて、それから大きく息を吐きながら微笑んだ。
「いいに決まってるでしょ? だって私は『お別れ』するその日までずっと、康太と楽しく過ごしたいんだから」