硝子の小瓶
風が吹く。
ゆっくりと、でもだんだんと強くなる。そんな風の夜。
たしか今日は土曜日だった。
今日で諦めがついた。あとは、レイカちゃんの日記さえなくなればいい。そして私は平凡で退屈な日々に戻るだけ。もう誰かに助けを求めるのは止めた。
私は一人で公園のベンチで夜空を眺めていた。ああ、綺麗だ。漆黒の闇。満天の星。私の心はひどく落ち着いていた。
「お姉ちゃん」
こんな夜更けに背後から声が聞こえる。
聞きなれた可愛い声だ。
「私も座ってもいい?」
「あいにくともう帰るところよ、レイカちゃん」
いつのまにか彼女は私の目の前に立っていた。
赤いランドセルを背負ったワンピースの女の子。
月の光に照らされたて瞳は金色に見えた。
「ねぇ、もう諦めちゃうの?」
「ええ、そうよ」
「なんだつまらないの」
私はもう一度、彼女の顔を見た。
「いいのよ。だって私はつまらない人間だもの」
「ああ、もっとお姉ちゃんが苦しんで、焦って、泣いて、絶望して、期待して、また裏切られる。そんな姿をもっともっと見ていたかったのに。そんな反応じゃつまらないよ」
金色の瞳は妖艶に光る。
ぼんやりと私はその顔を見た。私のよく知るレイカちゃんの顔。
「あなたって暇なのね……」
「ええ、だって私は満月の魔女だもの」
微笑む彼女は大人びていた。
「はじめましてよね」
「驚かないの?」
不思議そうな表情で魔女が言う。
「魔女の噂は聞いたわ。でもどんなに繰り返して私が魔女に会うことはなかった。でもレイカちゃんの近くには絶対にいるはずだと思っていたから」
まさかレイカちゃんの姿で現れるとは思わなかったが。
「ここで会ったがなんとやら。ついでに言いたいことがある」
「聞いてあげてもいいわ。聞くだけならね」
クスクスと彼女は笑う。
「レイカちゃんの日記、燃やしてくれない?」
「なぜ?探偵さんに頼んだんじゃないの?」
「頼んだわ。でもアキラくんもリョウたんも優しいもの。レイカちゃんから手に入れられるかしら?あなたのことは好きじゃないけど、魔女に頼んだ方が確実だわ。もう私にも飽きたでしょ?グルグルこの世界を堪能するから、他の人はもう巻き込みたくないの」
少し寂しいが仕方ない。
「残念だけどそれはできないわ」
魔女は肩をすくめた。
「なぜ?何か不都合でも?」
「レイカちゃんの願いを叶えた代償に私と友達になって貰ったの。そんなことしたら嫌われちゃうでしょ?」
まるで子供のように笑う。
「記憶がなくなれば、日記がなくなったことにも気がつかないわ」
「あいにくとそれはお断り」
魔女は譲らなかった。
私は深い溜息を吐く。
「なら、代わりに小瓶を頂戴」
「小瓶?」
「いつかレイカちゃんが言ってた。これは私の宝物って」
「宝物なら渡せないな」
「でも、お姉ちゃんにならあげてもいいと言われたわ」
「へぇ、よく覚えてるんだ」
「くれるの?くれないの?」
「私があげると思う?」
「思わないけど聞いてみただけ」
ポケットから取り出された小瓶は、月の光に照らされてキラキラ光った。
「これがどんなものかわかってる?」
「わからない。でも大事なものなら意味があるんじゃないかって」
「そうよ、これは大事なもの。この中に願いを叶える魔法が詰まってた。でも今は空っぽ。もう願い事は全部叶えたから。これは空っぽの硝子の小瓶。おまけみたいなものよ」
「でも、あなたにとっては大事なものかもね。これはあなたの命そのものよ」
黄金の瞳が私を見る。
「どういうこと?」
「こういうことよ」
彼女の手の中の小瓶はあっという間に粉々崩れる。そして手の平から砂のように流れて落ちていく。
「もうあなたを閉じ込めるのは飽きたわ。もう時間は繰り返さない。次の月曜日は最後の一週間。日曜の夜にあなたは事故で死んでしまう。せいぜい私を楽しませてよ。高丘リカコさん」
ケタケタと魔女は笑う。
「繰り返し最後の日曜日を有意義に使ってね」