君(本)の名(タイトル)は
皆様は、書店で、あるいはウェブで、ミステリ作品を探すとき、まず何に目を留めるでしょうか。まず間違いなく「タイトル」だと思うのです。書店で平積みされた本のカバーがあまりに目を引くデザインで、タイトルを読むより先にそちらに目が行ってしまった。ということでもない限り、我々が本に出会うファーストアプローチはタイトルとなるはずです。
まず名前から入る。これは考えて見れば、「小説」というメディア特有の現象だと思うのです。
たまたまかわいいキャラクターを見かけて、気になって調べてみたら、あるアニメや漫画の登場人物だった。という経験をお持ちの方は少なくないのではないでしょうか。
同じ本でも、漫画の場合は、背表紙でタイトルだけ目にしても、実際に手に取って表紙を見てから購入するかどうかを決める。という方は多いでしょう。漫画において「絵」は非常に大きな割合を占める要素だからです。
小説の場合大きく勝手は違ってきます。いくら綺麗な絵が表紙に描かれていたとしても、それが内容に直結しないからです。同じ作品でも、単行本と文庫版で全く装丁が違うということは当たり前に起きています。
そこで大事なのが「タイトル」になるわけです。「あっ、面白そう」と思ってもらうことも大事ですが、ミステリの場合、それに加えて、「ミステリだと分かってもらう」ということもタイトルの大きな役割なのではないでしょうか。
どういうわけだか、(私も含めて)ミステリを好んで読む読者は、まずタイトルを見て「これは果たしてミステリか?」と値踏みをすることが多い気がします。もう最初からミステリを読む体で書店や図書館に足を運んでいるのです。
「ちょっと気になるお店だったから、ふらっと入ってみたの。そうしたら大当たり。もう、この密室トリックが凄くって……超オススメです!」などという「素敵な偶然の出会い」など求めてはいないのです。暖簾をくぐるなり「親父、ミステリを頼む」と言い放ってカウンター席に座り込む。「男(女も)は黙って本格ミステリ」それがミステリファンなのです。
いささか前置きが長くなりましたが、今回はミステリのタイトルについて考えてみたいと思います。
さて、ミステリのタイトルと聞いて、まず多くの方(ミステリファン以外も)が思い浮かべるのは、「○○殺人事件」というものでしょう。定番も定番。あまりに定番すぎて、最近の若い書き手はむしろ使わないネーミングです。
「○○殺人事件」と聞いて、まず私が思い浮かべるのは、『D坂の殺人事件』(江戸川乱歩)『本陣殺人事件』(横溝正史)『刺青殺人事件』(高木彬光)以上の「日本三大『殺人事件』」です。
この三作品、ある共通点があるのですが、お分かりになるでしょうか。そうです、この三つは、明智小五郎、金田一耕助、神津恭介、俗に言われる「日本三大名探偵」がそれぞれ初登場した事件なのです。これらを書いた三人の作家が「殺人事件」というネーミングを好んで使っていた、ということではないです。三人とも「○○殺人事件」というタイトルがついた著作はむしろ少数です。
これは思うに、「こいつ(各名探偵)が出てくる作品は推理小説なんだぞ」という作者の宣言なのではないでしょうか(乱歩だけは、明智を最初からシリーズ探偵にするつもりがあったかは疑問ですが)。初登場作品で堂々と「これは推理小説である」と宣言するタイトルを冠していたことで、以降の作品が、あまりミステリっぽくないタイトルを付けられたとしても、「金田一(あるいは神津)が出てくるということは、推理小説なんだな」と、読者に安心してもらえるということです(ここでも乱歩の明智だけは、本格ミステリだけでなく通俗的なスリラーものに登場したりしているので、うまく当てはまらないかもしれません)。
近年になると、こういった「いかにも」なネーミングは特に若い作家に忌諱されがちのためか、あまり見かけなくなりました。中でも代表的なものを挙げてみましょう。
まず外せないのは『占星術殺人事件』(島田荘司)でしょう。こちらも、名探偵御手洗潔のデビュー作です。「占星術」という、女子の目を引くようなロマンチックなワードが入っているのに、女性の体を斬り刻んだ恐ろしいアゾート殺人が出てくるというギャップが面白いです。新本格勢では、『絶叫城殺人事件』(有栖川有栖)があります。本作は中~短編集で、収められた作品全てが「○○殺人事件」で統一され、さらに有栖川作品で「○○殺人事件」というタイトルを持つものはこれだけという(「あるいは四風荘殺人事件」という変則的な作品がひとつありますが)、珍しいケースです。『霧越邸殺人事件』(綾辻行人)は、閉ざされた屋敷を舞台に連続殺人が起きる〈クローズド・サークルもの〉の傑作です。『『クロック城』殺人事件』(北山猛邦)は、作者が特異とするSF世界を舞台にしたミステリです。驚愕のトリックを引っ提げた作者のデビュー作で、「物理の北山」の名を世に知らしめました。
このタイプのネーミング作品を話題にするのであれば、『○○○○○○○○殺人事件』(早坂吝)は外せないでしょう。タイトルの「○」は全て伏せ字ということになっていて(ですので「○」の数にも意味があります)、小説を読みながら作中のトリックを当てることに加え、「タイトルの伏せ字も当てる」という前代未聞の「読者への挑戦」があるミステリです(冒頭で、伏せ字は、ある〈ことわざ〉だとヒントが出されます)。何と、こちらも作者のシリーズ探偵、上木らいち初登場作品です。こんなところにクラシカルなミステリの脈絡が受け継がれていたのです。
『クロック城』も『○(途中略)殺人事件』も、王道というよりは異色系のミステリで、これらを書いた若い作家は、「殺人事件」という(彼らにとっては)「ベタ」なタイトルをあえて使うことにより、ミステリを少し斜め上から客観的に見ている姿勢を表したのかもしれません。
「○○殺人事件」の次に思い浮かべるミステリタイトルのパターンといえば、「住所系」か「名刺系」だという方も多いと思います。
「住所系」から見ていきましょう。これはずばり「作品の舞台となった地名や場所の固有名詞がそれひとつだけでタイトルになっている」というパターンです。
代表作は何と言っても『獄門島』(横溝正史)これ以外あり得ないでしょう。「ごくもんとう」という、音で聞いただけでも恐ろしさがストレートに伝わって来る名前。シンプルイズベストの極地。最高です。正史作品では他に『八つ墓村』『悪霊島』といった名作もあり、このジャンルは横溝正史の独壇場といえます。
このネーミングにもクラシカルな雰囲気がありますが、実は若い作家は少しだけアレンジしてこのパターンを使うことを好んでいます。そのアレンジとは、もうお分かりでしょう。住所のあとに「の殺人」を付け加えることです。『十角館の殺人』(綾辻行人)に始まる「館シリーズ」はあまりにも有名ですが、他にも『菩提樹荘の殺人』(有栖川有栖)『体育館の殺人』(青崎有吾)『眼球堂の殺人』(周木律)『星降り山荘の殺人』(倉知淳)『屍人荘の殺人』(今村昌弘)と、今もっとも目にするタイプのネーミングではないでしょうか。
思い返してみれば、世界最初のミステリ「モルグ街の殺人」(エドガー・アラン・ポー)がまさに、この「住所」+殺人という形式のタイトルでした。世界初のミステリのタイトルの法則が、現代の若い書き手たちに支持されているというのは何とも感慨深いです。
次の「名刺系」これもそのものずばり、作中に登場する、主に犯人の渾名がそのままタイトルになっているというものです。
住所系が正史なら、この名刺系は江戸川乱歩のひとり舞台です。三島由紀夫が戯曲化したことでも有名な『黒蜥蜴』のほか、『怪人二十面相』はあまりにも有名ですし、『白髪鬼』『魔術師』『地獄の道化師』『人間豹』『一寸法師』と(ミステリでなく、スリラーものも含まれますが)枚挙に暇がありません。中には『ペテン師と空気男』のような、『ルパンレンジャーVSパトレンジャー』みたいな豪華なネーミングのものまであります(そういえば、乱歩作品を原案にした『盲獣VS一寸法師』という映画もありました)。
こちらもクラシカルなためか、近年の作家に継承者はあまりいません。メジャーなところでは、『地獄の道化師』(二階堂黎人)『ハサミ男』(殊能雅之)くらいでしょうか。犯人名というわけではありませんが、折原一は『冤罪者』『逃亡者』といった「○○者」という、各作品ごとに特に繋がりがあるわけではありませんが、統一されたネーミングのシリーズを出しています。
ほかに、あまり例はありませんが、「統一系」があります。先に出した折原一の「○○者」のように、シリーズを通してタイトルに一定の決まりをつけるというものです。
こちらの代表選手が京極夏彦であることに異論を挟む方はいないでしょう。鮮烈デビューを飾った異色作『姑獲鳥の夏』に始まり、『魍魎の匣』『鉄鼠の檻』といった妖怪の名前を冠した「百鬼夜行シリーズ」は大人気を博しました(このシリーズ、まだ完結していませんよね?)。一冊一冊が分厚いことでも有名ですね(最近は分冊版も刊行されていますが、百鬼夜行シリーズは、あの分厚い本自体もアイデンティティのひとつだ、と考える私のような読者も多いのではないかと思います)。
ほかに有名なものでは、三津田信三の『厭魅の如き憑くもの』に始まる、「○○の如き○○もの」の形式にタイトルが統一された「刀城言耶シリーズ」があります。期せずしてこちらも、最初の○○に入るのは、各作品に登場する妖怪や怪異の名前です。先に出ましたが、綾辻行人の「館シリーズ」も統一タイトルのシリーズですね。
海外に目を向ければ、エラリー・クイーンの「国名シリーズ」を外すわけにはいきません。本格推理のエッセンスを凝縮したともいえるこのシリーズは、いわゆる「新本格世代」に多大な影響を与え、特に有栖川有栖は自らも「国名シリーズ」を書くまでになりました。
この統一系は長編よりも短編集に多く使われているかもしれません。こちらも海外作品では、レジェンド中のレジェンド、シャーロック・ホームズシリーズの短編集は全て「シャーロック・ホームズの冒険」(コナン・ドイル)に始まり、「シャーロック・ホームズの○○」で統一されており、これも多くのフォロワーを生み出しています。名探偵最初の短編集に「(探偵名)の冒険」と名付けるのは、もはやお約束の域でしょう。
個人的に大好きなシリーズでは、柴田よしきの「猫探偵正太郎シリーズ」があります。このシリーズの短編集は全て「猫は○○で(に)○○」という形式で統一されており、「猫は密室でジャンプする 猫探偵正太郎の冒険①」というようにナンバリングもされています(ここでも「冒険」が)。
あまり例がないとか書いておきながら、結構ありましたね。すみません。
さて、エッセイとしては多めの紙幅を費やしてしまったので、このあたりで締めに入りましょう。
最後にご紹介するパターンは、ずばり「かっこいい系」です。とにかくタイトルを読んだだけでかっこいい。声に出して読みたいタイトル。自然と中身も読みたくなる。しかし、ただかっこいいだけじゃない。それがミステリであることを見事に示唆している。そんな理想ともいえるタイトル群です。一気に挙げていきましょう。
『遠海事件 佐藤誠はなぜ首を切断したのか?』(詠坂雄二)そそられるタイトルです。こんなの読まずにいられません。八十件以上もの殺人を犯しながら、死体を完全に隠蔽し続けたことから容疑すら免れていた殺人鬼、佐藤誠。だが、彼が一度だけ、首を切断した死体を現場に残した事件があり、それがきっかけとなって佐藤は逮捕されます。どうしてこの事件だけ彼は死体の首を切断し、現場に遺棄したのか? とにかく読ませる一冊です。
『人形はなぜ殺される』(高木彬光)名探偵神津恭介ものの一作ですが、タイトルのかっこよさではミステリ界でも一、二を争うのではないでしょうか。死体が現れる前に、まるで予行演習であるかのように、殺された状態の人形が出現する。人形はなぜ殺されるのか? 神津の推理が冴えます。
『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』(麻耶雄嵩)作者のデビュー作で、シリーズ探偵、メルカトル鮎の初登場作品でもあります。えっ? それなのに「最後の事件」? 登場と同時にミステリ界に大きな衝撃を与えた問題作です。(まさかミステリ界の問題児、麻耶雄嵩作品が地上波でドラマ化される時代が来るとは(『貴族探偵』)。感慨深いです)
『すべてがFになる』(森博嗣)本作の初刊行は1996年。先年に登場した「ウインドウズ95」により、世の人たちにパソコンの「OS」というものが認知され(私もこれで知りました)、家庭用ゲーム機は「初代プレイステーション」と「セガサターン」が激しい攻防を繰り広げていた時代です。こういった時代背景を見ると、本作は「オーパーツ」と言ってよいでしょう。この時代にこんなものを書くとは。実写ドラマ、アニメ化もされたので、そちらでご覧になった方も多いかと思います。ですがやはり原作が頂点です。女性が完全な密室内で四肢を切断されて殺されるという、とびきり不可解な謎に、犀川創平と西之園萌絵が挑みます。ご存じS&Mシリーズ第一作。このタイトル、読み終えた(トリックを知った)あとに、その意味が分かります。
『女には向かない職業』(P.D.ジェイムズ)「かっこいいタイトルのミステリ」といえばこれでしょう。ミステリ的な仕掛けというよりも、主人公である女探偵コーデリア・グレイの生きざま、探偵ざまが読みどころです。ラストは泣けます。
さて、作品の数だけあるミステリのタイトル(当たり前か)。皆さんはどのミステリのタイトルが好きですか? ここに挙げられたもの以外でおすすめの作品があれば、ぜひ教えてくれると嬉しいです。