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勇者辞めました  作者: 比呂
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痛みと苦しみ4


 王立魔術研究所は、エトアリア城の近くにあった。

 重要な研究機関であるから、防御しやすい場所に建てられるのは当然だった。


 魔術に関する技術には機密事項が多く、未だ民間には普及していない。

 比較的多くの兵士に使われている榴弾札でさえ、一般人に見せることは禁止されていた。


 その厳重に警備された建物の門の前に、ユーゴは立っていた。

 ある程度の魔術兵器に関する座学は受けていたが、王立魔術研究所に立ち入ったことはない。


 魔術を専門分野とするヘクターでさえ、何度か足を運んでいるだろう程度のものである。

 ユーゴには、どうやったら王立魔術研究所の研究員になれるのかすらわからなかった。


 研究所の方から、数人の白衣を着た研究員らしき人間がやってきた。その前後には、護衛の兵士がしっかりついていた。

 門を挟んで、研究員の一人と向かい合う。


「さて、ウチの所長と面会したいって言ってるのは君かい?」

「ああ」


 平然と答えるユーゴに、研究員は不思議そうな顔をして言った。


「この場所がどこか、君は理解しているのかな」

「王立魔術研究所だろ」

「……第一種進入禁止区域だ。貴族であっても立ち入りを制限される場所だぞ。そんな場所に、おいそれと君のような人間を入れるわけにはいかないんだ」


 ユーゴは研究員の言葉で、王立魔術研究所がどんなに重要な施設か気付いた。そんな場所では、責任者の許可でもない限り、いくら粘っても通れるようになることは無いだろう。


「じゃあ、言伝を頼んでもいいか」

「僕は小間使いではないのだけど……まあ、いいだろう。それで、何と伝えればいい?」

「金貨三枚を貸してくれ、と伝えて欲しい」


 研究員は呆れたような顔をして、ユーゴを見つめた。そして次第に蔑むような表情となり、研究所に戻っていった。


 門前に残されたユーゴは、返事が来るのを待つあいだ、周囲に視線を巡らせる。

 彼の左側には、大きな練兵場があった。新兵であった頃を思い出し、苦笑するユーゴだった。


 そのまま練兵場を見続けていると、広場の端から、軽鎧を身につけた男たちが現れた。数百人ほどの新兵が槍を持ち、整列する。


「訓練、か?」


 常備軍が錬度を落とさないための定期訓練ではなく、本当に何もしらない新兵を兵士に育てる訓練だった。

 妙な感覚を覚えつつも、ユーゴは黙ってその光景を見つめていた。


「おい、君」


 唐突な呼び声にユーゴが振り向くと、先ほどの研究員がやって来ていた。


「所長がお会いになられるそうだ。ついてこい」


 研究員の傍に立っていた護衛の兵士が、門を開けた。

 平らな石で整地された道を歩き、研究所に近づいていく。入り口の前で、ユーゴは簡単な持ち物検査を受けたが、何も無さ過ぎて、逆に不審な目で見られた。


 所内に入ると、安全上の理由ということで、手を背後で縛られた。まるで罪人のような格好だが、従うしかなかった。


 しばらく研究員の背中を追うように歩き、途中で目隠しをされる。続いて、階段を上がったり降りたりして、高低感覚を麻痺させられた。


 自分が何階にいるかも分からなくなった頃、ユーゴの目隠しはようやく外された。目の前には扉がある。


「では、話が終わるまで、僕はここで待っている」


 研究員はそう言って、扉を示した。

 ユーゴが後ろ向きになって言う。


「縄は外してくれないのか」

「……この施設にいる間は外せない」

「なるほど。じゃあ、すまないが、扉を開けてもらえるか」


 渋々、といった様子で、研究員は扉を開けた。

 部屋の内部は、薄暗くて全貌がつかめなかった。ただ、結構な広さであることは、肌の感覚でわかった。


 一歩先に進むと、背後で扉が閉まった。

 さらに部屋が暗くなるが、ようやくユーゴの目も暗闇に慣れてきた。


 乱雑に積まれた木箱や、購入すれば幾らかかるか見当もつかないガラス製の大きな円筒があった。フラスコやビーカーも、そこら中に並べられている。

 そしてユーゴが最も目を引かれたのは、壁に額ごと飾られた『黒杖』だった。


「ああ、やっと来たのか。……小汚い格好だね、元隊長」


 声がした方向にユーゴが目を向けると、のっそりと白衣が動いた。疲れ気味の青白い顔をした研究所所長、ヘクター・ミルズだった。


「金貨三枚だっけ? 実験体になってくれたら考えてもいいけどねぇ。まあ、そうしたら生きていられないか」


 黙っていたユーゴは、踵を返して帰ろうとした。

 ヘクターが呼び止める。


「まあ、話でもしていけよ。こっちは研究ばかりで、息抜きしたかったんだ」


 笑顔で近づいてきたヘクターは、そのままユーゴの顔面を殴りつけた。

 ユーゴは木箱を倒して転がり、仰向けに倒れた。手が縛られているので、思うように身動きが取れない。


 そこへ、ヘクターが走ってきて蹴りを入れた。

 鍛えぬいた腹筋を蹴られたとはいえ、内臓まで響く威力だった。


「アイサには、もう会ってきたのかよ」

「……いや、まだだ」

「だよなぁ。あいつにそんな格好、見せられないだろ。はっ、これが隊長だったなんて、本当にどうかしてるよ」


 ヘクターは、倒れているユーゴの頭を踏んだ。


「――――ほら、あんたの前にあるものを見てみろよ」


 ユーゴは顔を地面に付けたままで、その目前にあるものを見た。

 ガラス製の大きな円筒が、薄明かりに照らされていた。中には液体が充填されているようだった。


「……あ」


 液体の中で浮かび、揺らめいている女の裸体。

 胸の部分を見事に刳り抜かれていた。


 それは、《魔玉》を奪われ、標本のように亡骸を保存された、魔族の姿だった。


 ガラスの前に立ったヘクターは、曲面を軽く叩き、弾むような声で言った。


「これは約二百年前に、エトアリア王国が初めて完璧な形で捕らえた魔族だ。……この世のものとは思えない美しさだろう、なぁ」


 決して動くことは無い死体に、まるで愛人のように語り掛けている。

 この現状を、ユーゴはどう考えていいのかわからなかった。ただ、心臓の辺りが、焼け付くような激痛を感じていた。


「エルフのアイサより綺麗だろう? こいつは誰だと思う」


 ユーゴは無意識のうちに、最悪の答えが返ってくることに気付いていた。


「魔王の妃だった――――ジゼル王妃さ」


 ヘクターがガラスに額をつけ、死体を見つめながら言う。


「ジゼルから取り出した《魔玉》が、此処で研究されていたのさ。それをきっかけとして、魔術が発展した。……僕の言ってること、わかってるか? 呪札とか、魔術品の原料って、魔族の《魔玉》なんだよ」


 ユーゴは顔を歪めて、胸の痛みに耐えていた。

 ヘクターは眉を顰めたが、結局無視して喋りだす。


「元々は占い師とか魔女が、死んだ魔族から《魔玉》を盗んで、怪しい研究をしていたのが魔術の原形だったんだ。その有用性を知った王国が、極秘裏に研究を開始したのさ。何体もの魔族を捕まえては、老若男女の区別無く《魔玉》を抉り出してたみたいだね。実験のために、生きたまま刳り抜いたこともあったそうだよ」


 さも嬉しそうに語るヘクターだった。大仰な身振りを加え、傲慢な一人語りが加速する。


「そして何より、この王立魔術研究所が挙げた成果といえば、魔玉誘導式対空バリスタの開発だろうね。こいつのお陰で、最大の邪魔者だった魔族の竜種を撃退出来たんだからなぁ。……ん?」


 熱弁していたヘクターは、耳慣れない音を聞いた。その音の発生源を探して、ユーゴの背中に行き当たった。


「は、何だ。そんなことをしても無駄だって……」


 苦悶の表情を浮かべたユーゴが、縛られている縄を力ずくで引き千切ろうとしていた。


「ぐぅぅううあああぁぁぁぁぁぁっ!」


 縄が弾け飛び、両腕が自由になる。

 痛む心臓を庇うようにしながら立ち上がり、ヘクターの傍まで行った。


「や、やるのか」


 警戒するヘクターを無視して、ユーゴはガラスに手を当てた。

 彼自身、自分が何をやっているのか理解していない。自覚の無いままに行動し、左目から涙が出るのも、まるで他人事のようだった。


 突然、彼の視界が揺れた。ユーゴの後頭部に、鋭い痛みが走る。

 ヘクターが呼び寄せたのだろう、護衛の兵士が棍棒を構えて立っていた。


「なに、を……」


 ユーゴが自分の後頭部に触れると、手が濡れた。真っ赤に染まる手を見ようとして、護衛の兵士に取り押さえられる。


 再び両腕を縛られ、部屋から運び出されていく。


 その間もずっと、ガラスの円筒の中で眠ったように死んでいる女から、目を離せなかった。


 頭に麻袋を被せられ、視界が途切れた。兵士が二人掛かりで、ユーゴを荷物のように担ぎ上げた。


 来た道を戻るように何度も階段を上下し、乱暴に運ばれた。


 麻袋の隙間から、光が差し込んできたことにユーゴが気付くと、いきなり地面に放り投げられた。


 頭に被さっていた麻袋を外されると、手首の縄も解かれた。

 ユーゴを棍棒で殴った護衛の兵士がやってきて、吐き捨てるように言った。


「さっさとこの場から立ち去れ! 今後、この研究所に近寄れば、侵入者として即時対応する。我々には、侵入者に対する殺害許可があることを忘れるな」

「……あ、ああ」


 研究所の門が、勢いよく閉められた。

 ユーゴはのっそりと立ち上がり、身体についた土を払った。少しだけ研究所の建物を眺めると、諦めるように背を向けた。


 彼が空を見上げたら、既に夜の帳が下りようとしているところだった。


「あれ」


 心臓が痛まないことに気付いた。

 後頭部から流れ出ていた血も、いつの間にか止まっている。手首に残っていた縄の跡もなくなっていた。


 それらのことを不思議に思ったが、次第に暗くなっていく空に急かされるように歩き出した。


 どうにか日が暮れて道が見えなくなる前に、アイサの止まっているヘクトンホテルにたどり着きたいと考えた。


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