人の国と嘘3
ユーゴが警備兵に連行された後、勲章授与式典は中止された。
国王であるアベル二世が、体調不良を理由に途中退場したことが決定的だった。
誰も体調不良などという理由を信じておらず、これ以上、王国の面子を汚したくなかったというのが本音だと噂された。
結果的に、《勇者分隊》に与えられるはずだった《エトアリア金剛勲章》は、完全に白紙撤回されてしまうこととなった。
隊長の不祥事ということで、その部下には同情的な意見が民衆から持ち上がったが、貴族たちが勲章授与を許さなかった。
国王すらも否定的な意見を述べたために、再び授与式を行うことはなかった。
勲章授与式典の中止が言い渡された後の行事は、予定通りに行われた。
流石にメインイベントが中止されたこともあり、城下町の活気も少しばかり大人しくなっていた。
ただし、城のすぐ真下に建つ貴族の豪邸では、どこよりも大きな活気に満ちた笑い声が響いていた。
それは、戦勝記念祝賀会という名目で、貴族のみが集められた饗宴だった。
会場となった屋敷は、小城に匹敵する大きさを誇り、メインホールが祝賀会に使われていた。
貴族のみが集められたといっても、数百人規模の人間が美酒を楽しんでいる。
主催者はもちろん、この豪邸の主で、貴族の中で最も権力を持つ男のジョアン・グレンフル公爵だった。
彼は、利権を求めて群がる貴族に囲まれていた。
その様子を、背中の開いたカクテルドレスに身を包んだ、アイサ・キサラギが見つめていた。
手に持ったシャンパングラスを傾けて喉を鳴らす。
「……あの御曹司ったら、人を呼び出しておいて、いつまで待たせるつもりなのかしら」
アイサの物言いに、怪訝な表情を見せたジェラルド・オグバーンだった。
「よせよ。聞き耳を立ててる貴族がいるとも限らんぜ? それよりお前も食ったらどうだ」
ビュッフェ形式の高級料理に、ジェラルドは片っ端から手をつけていく。
切り分けられた鴨の香草焼きを皿に取ったかと思うと、次には厚切りのローストビーフを奪うように取り込んだ。
巨躯の戦士は、見た目に違わぬ胃袋を最大限に活用していた。
そして、二人と同じくジョアンに呼び出されたヘクター・ミルズが、呆れた表情でワイングラスを飲み干した。ジェラルドを見て言う。
「お前、燕尾服がピッチピチだな」
「うるせぇよ」
ヘクターは空のグラスを、近くにいたボーイに渡した。
手ぶらになって、アイサの隣に立つ。周囲に人がいないか確認してから話しかけた。
「……あいつ、死んだんじゃなかったのかよ」
誰のことを言っているのか気づいたアイサは、口端を歪めた。
「私が確認したときは、脈が無かったのよ。……あなたの榴弾札が粗悪だったんじゃないのかしら」
「僕の手際にケチつけんのか」
「先に言いがかりをつけてきたのはどっちよ」
言い争う二人を見たジェラルドは、食べるのを止めて会話に割り込んだ。
「生きてたもんは生きてたんだから仕方ねぇだろう。それより、これからどうするか考えてた方がいいな。そのために、俺たちが呼び出されたんじゃねぇのか?」
ジェラルドのまともな意見に、ヘクターは口を開けて驚いた。
「……お前、飯食ったら人間に戻ったのか」
「どういう意味だ。俺は生まれたときから人間様だ、馬鹿野郎」
「いや、ゴリラだろ」
「ええ、ゴリラね」
小さく笑ったアイサが、ヘクターに同意するように言った。
「ちっ」
舌打ちをしたジェラルドは、頭を掻いて嫌そうな顔をした。
その彼の肩を、ゆっくりと叩く人物がいた。
「んだよ……あ」
ジェラルドが振り向いた場所には、笑顔のジョアンが立っていた。
いつの間にか、貴族たちの集団から抜け出してきていたのだった。
「ここでは目立つ。奥に貴賓室があるから、三人ともついて来い」
一人で勝手に歩き出したジョアンを、三人は慌てて追いかけた。
談笑する貴族たちの間を通り抜けながら、メインホールの中央にある、大階段横の部屋に入った。
数人が寛げるテーブルセットと、部屋の奥にはグランドピアノがあった。
壁や棚に飾られている装飾品は、そのどれもが金色に輝いていた。
「さあ、座りたまえ」
薦められるがままに、三人はテーブルセットの椅子に座った。
ジョアンは棚から人数分のグラスと、異国風のボトルを取り出した。
それぞれの前にグラスを置き、琥珀色の液体を注いでいく。
自分のグラスを用意すると、空いている椅子に座った。一口だけ酒を含み、香りを楽しんでから、ゆっくりと喉に流し込んでから言う。
「私は殺せと言ったはずだが」
その言葉に、三人は何も反応を返せなかった。
重苦しい時間が続くかと思われたが、唐突な笑い声が沈黙を破った。
「――――くっくくく、あははははっ。何を怯えているんだ。お前たちは魔王を斃した勇者の仲間なのだろう? この程度のことがどうしたというのだ」
まだ背中を振るわせているジョアンだった。
面白くない表情をしたアイサが、グラスに口をつけてから言った。
「では、私にクロスボウを持たせてくださいませんか? それならば魔王の前であろうと国王の前であろうと、怯えずに微笑んでご覧に入れますが」
「ああ、それも悪くない。でも一つ聞いておくが、君が言った国王と言うのは、前国王のことかな? それとも、『次期国王』のことか」
さっきまで笑っていた男が、目の色だけを凄まじいものに変えた。
狂気とさえ呼べるような瞳でアイサを射抜く。
笑顔だが笑っていないジョアンを恐れた彼女は、精一杯の虚勢を張って言った。
「ジョアン様に弓を引くほど、愚かではありません」
「ならいい。存分にクロスボウを振り回せ」
ジョアンは、空になったアイサのグラスに酒を注いでやり、ボトルを置いた。椅子に深く座りなおし、足を組んで背もたれに背中を預けた。
「さて、君たちを呼んだことについてだが」
三人は固唾を呑んで、次の言葉を待った。
「ご苦労、良くやってくれた。前もって言っていた通りの約束を果たそう。……ええと、ヘクター君だったか。君は王立魔術研究所の所長の椅子が欲しいと言っていたな? 明後日には辞令が届くだろう」
「は、はい。光栄であります……」
ヘクターは恐縮しながら礼を述べた。
ジョアンはそれに手振りだけで応え、どうでもいいように話を次に進めた。巨躯の男に目を向ける。
「ああ、君はジェラルドだ。君のようなでかい男はそうそう見ないから覚えている。君との約束は、聖剣と白銀の鎧だったな。城の者に手を回させる。……それから、傭兵団を旗揚げするそうじゃないか。後ろ盾として、グレンフルの名を使うことを許そう」
「あ、ありがとうございますっ」
ジェラルドは歓喜に頬を緩めた。自分の夢である傭兵団長が叶うことになり、嬉しさを噛み締めていた。
そもそも、彼が魔王討伐の英雄として傭兵団の旗頭になれば、大勢の入団希望者が集まるだろう。
しかし、それだけではまだ烏合の衆である。強者を集めねば、傭兵団は名を上げられない。
その強者集めの切り札として、聖剣と白銀の鎧を欲しがっていたジェラルドだった。
加えて、エトアリア最大の貴族が後押しをしてくれることになった。
すなわち、金の心配が要らなくなったと考えていいのだ。
既に彼の夢は実現したと言ってよかった。
ジョアンは視線を横にずらした。
「ふん、最後は君だ。アイサ君」
アイサは息を吐き、諦めるように笑った。
「どうせ、私のこともお調べになっているのでしょう?」
「無論だよ。君は服飾ギルドを新しく設立するそうだな。服を扱う商人や職人に詳しい貴族を紹介しよう。約束していた金は当然として、ギルドの運営資金も望むままに出す」
「それは結構ですわ」
彼女は不敵に笑う。
ジョアンが片眉を上げた。
「気に入らないのか」
「いえ、職人を紹介していただけるのは光栄です。しかし、資金が望むまま、というのは心苦しいですわ。初めの約束の通りの額面だけで結構です」
「……ああ。グレンフル家の後ろ盾は必要なく、あくまで実力に拘りたいと?」
「ええ、その通りです」
「好きにすればいい」
おどけるように肩を竦めたジョアンは、組んでいた足を解いた。
「ではこちらの番だ」
彼が指を鳴らすと、入り口の扉が開き、正装をしたエリック・クランマー伯爵が入ってきた。
「やあ、こんばんは。勇者たち」
会釈するクランマーを一瞥してから、ジョアンは視線を三人に戻した。
「まず、《エトアリア金剛勲章》のことは、未来永劫諦めてもらう。この話を再燃させるようなら、我々は容赦しない」
三人は、それぞれ頷いた。ここで拒否しても殺されるだけなので、逆らうだけ無駄だということはわかっていた。
「そして次だが、君らにはエトアリア軍第22連隊を除隊してもらう。今後、軍に戻ることは禁止だ。……まあ、君たちは自分の夢をかなえるために、最初から除隊するつもりだったのだから心配はいらないか」
自分で納得するように頷いたジョアンが、口を歪めて言葉を続けた。
「では最後だ。今後、ユーゴ・ウッドゲイトと接触することを禁じる。諸君に会いに来た場合は、私に連絡するか、追い返せ。彼を庇って裁判所に訴え出ることも認めない。そんなことをすれば、クランマーにも迷惑がかかる」
それを聞いたアイサは、どうしてここでクランマーが入室してきたのか理解した。
ジョアンとクランマーが勲章授与式典で口裏を合わせていたことは、それなりに重要な秘密であるということだ。
ユーゴを庇って裁判をするな、という約束は、裏を返せば、それが弱点になるという反証に他ならない。
つまり、それだけのリスクを負って、あの芝居を打ったことになる。
勲章授与式典でジョアンが得た効果といえば、国王の権威を失墜させることと、ユーゴを陥れることしかなかった。
次期国王を狙うジョアンが、現国王であるアベル二世の権威を失墜させるのは、早期の国王交代を促す行為として、まだ理解ができる話である。
しかし、ユーゴをあそこまで追い詰める必要があったのかは、疑問であった。
そんなことをせずとも、ジョアンくらいの権力者ともなれば、特殊部隊の隊長を暗殺することくらい容易かった。
そもそも、カティーナ姫と恋仲になっているジョアンは、既に次期国王が内定しているのだ。そんな危険を冒す必要はなかった。
アイサは疑念を押さえきれず、口に出した。
「そこまでユーゴ・ウッドゲイトを気にする理由――――是非とも教えて頂きたいですわね」
ジョアンは目を細めた。肉食獣が獲物を前にしたような仕草で言う。
「どういう意味だ」
「言葉以上の意味はありませんわ。それほどユーゴを気になさるのでしたら、殺してしまえばいいでしょうに」
「――――ああ」
納得がいったように、ジョアンが表情を緩めた。
「あいつが気に入らないからだ」
「……気に入らない? ただそれだけなのですか」
「そうだ。あのユーゴ・ウッドゲイトという男は、存在自体が気に入らない。生まれからその成り立ちまで、すべてだ。勇者など必要ない。手駒にもならん。何故かわかるか?」
「いえ、私にはとても」
「ふん、それは奴が厚顔無恥な正義面をしているからだ。そんな奴には、地の底まで堕ちてもらう。生き地獄を味わえばいい。己の無力さを嘆いてから死ぬべきなのだ。……そう言う意味では、魔王城で仲間に裏切られて殺されようが、すべてを奪われてから失意のままに死んでいこうが、どちらでも構わんのだよ」
「そうでしたか。わかりましたわ」
恭しく礼をしたアイサは、それだけでユーゴについて考えるのを止めた。
元は殺すはずだった上官というだけである。
これだけジョアンに恨まれているのなら、関わるだけ損だと考えたのだった。