人の国と嘘
――――魔王が死んだ。
その情報は、風のように王国中に広まった。国民の戦勝気分は一気に盛り上がり、誰もが喝采をあげた。
城下町には人が溢れ、昼夜を問わずに大量の酒が振舞われた。至る所に出店が軒を連ね、大盤振る舞いを行っていた。
見知らぬもの同士が、酒を片手に肩を組んでいる様子も珍しくない。
加えて今日は、魔王軍に勝利した兵士たちを歓迎するための戦勝パレードが行われる日だった。
ほぼ一週間もお祭り騒ぎ状態の城下町だが、戦勝パレードはやはり規模が違っていた。
これは国を挙げての行事だから、その力の入れようは比べ物にならない。
まずは、ダイニール平原で散った将兵に黙祷が捧げられた。次に、勇猛果敢に戦った部隊の名前が呼び上げられていく。
そして最後に、魔王を討ち取った《勇者分隊》の名前が叫ばれた。
特殊部隊は原則として隊員の顔を晒せないため、本人たちが不在のままパレードは続く。
流石に、英雄の顔を見たかった民衆は不満を漏らしたが、パレードの最後にある勲章授与式典に期待することで落ち着いた。
「…………あいつらも、パレードには出ないのか」
ユーゴ・ウッドゲイトは、そんな街の様子を、鉄格子のあるテラスから眺めていた。
彼は沈んだ面持ちで、自分の境遇を思った。
エトアリア城の東側にある別塔――――普段は貴人の捕虜を軟禁する場所に、帰還してからずっと閉じ込められている。
本人としては、軟禁される心当たりはまったく無い。それどころか、どうやって帰還したのかも覚えていない。
記憶にあるのは、ヘクターが榴弾札を投げたところまでだった。
ユーゴは、ヘクターの判断ついて非難するつもりはなかった。
部隊の任務は魔王殺害が最優先なのだ。
ユーゴから見えない場所で、魔王が反撃しようとしていた可能性もある。一概に悪いとは言い切れないのだ。
部隊の皆は無事なのか、とユーゴが心配していると、扉をノックする音が聞こえた。彼は自分の身だしなみを確認してから、扉に向かう。
「どうぞ」
外側から鍵が開錠された。最初に現れたのは、王族付きの侍従だった。次に入って来る者が誰かは、簡単に想像できた。
エトアリア国王――――エイドリッヒ・エステン・アベル二世その人である。金糸の刺繍が入った豪奢な外套を羽織り、ゆっくりと歩を進める。
ユーゴは即座に膝をつき、頭を下げた。
国王が手を上げると、侍従が頷いて、口を開いた。
「ユーゴ・ウッドゲイト大尉。面を上げよ」
「はっ」
彼は国王の顔を見上げた。生還の望みが少ない『ヴァレリア城急襲作戦』の作戦会議の際に、お忍びで激励に来たとき以来の謁見である。
アベル二世は見事な王冠を被り、綿のような白い髭を蓄えていた。既に初老の域に達していると思われる容姿だった。
「ふん。久しぶりだな、ウッドゲイト」
「はっ。お目にかかれて光栄です、国王陛下」
ユーゴの礼に対し、アベル二世は目を細めるだけだった。
彼が謁見で会ったときとは、随分と様子が違っていた。
アベル二世とは、特殊任務の際に度々と顔を合わせているが、このような顔を見るのは初めてだった。
「お前が、魔王を討ち取ったのかね」
「はい。魔王を斬りつけたのは自分です。しかし、止めを刺したのは、我が隊のヘクター・ミルズ少尉の榴弾札だと思われます」
「思われる?」
アベル二世は難しい顔をして、ユーゴを見た。
ユーゴは考えていたことを素直に述べた。
「恥ずかしながら、榴弾札の爆発に巻き込まれ、エトアリアに帰還するまでの記憶がありません」
「……ふむ」
口をもぞもぞと動かしながら、アベル二世は視線を宙に泳がせた。すると、すかさず侍従が耳打ちし、何かの説明を始めた。
侍従が国王から離れ、アベル二世の言葉を待った。
「余が聞いておる話と、ちと違うな」
「は、はあ」
困惑するユーゴだった。しかし、反論は許されないので黙って聞く。
「お前は魔王と相対した瞬間に、怖気づいたそうではないか。部下に無茶な突撃命令を繰り返し、己は安全なところに隠れていた、と聞いておるぞ」
「……なっ! そんなことはありません!」
ユーゴの反応に、国王付きの侍従が怒鳴る。
「貴様の発言を許した覚えはない! 恐れ多くも、国王の御言葉を遮るとは何事だ!」
「よい」
アベル二世は、視線だけで侍従を下がらせた。再びユーゴを見る。
「お前の部下には全員、詳細な話を聞いておる。だが、お前だけは事実と違うと言う。……ならば、部下が嘘をついておるということだ。それでよいのか」
「そ、そんなはずは……」
厳しい訓練を共にした戦友、しかも命懸けの任務までこなした部下たちを疑いたくないユーゴだった。
それに、自分がそんな行動を取ることが信じられなかった。
彼の苦悩を余所に、侍従が威圧的な口調で言った。
「貴様は、エトアリアに帰還するまでの記憶が無い、と言ったな。それに間違いはないか」
「……はい、間違いありません」
このやり取りだけで、ユーゴは何を指摘されたのか理解した。臍を噛むような思いだが、事実であるだけに、認めないわけにはいかなかった。
一歩前に出てきた侍従が、得意満面に言い放つ。
「記憶が無いのに反論したのか、この愚か者! 国王の前で偽証するなど、死罪に等しい大罪だと考えなかったのか! 己の無能を部下に押し付けるのも、指揮官として恥ずかしいと思え!」
それだけ言うと、侍従は再び元の位置に戻った。
アベル二世が、短く息を吐いてから言う。
「何か、言いたいことはあるか」
「…………。いえ、ありません」
「ならば、よい。先程のお前の発言は、不問とする」
言葉を区切ったアベル二世は、顎鬚に手をやった。
「ふむ。お前には、色々と世話になった。特殊任務で世界各地に派遣し、多大なる戦果を挙げたことは忘れておらん。最後の最後に不手際があったとはいえ、お前は勇者に相応しい。そして、民衆は英雄を求めておる」
「……はあ」
ユーゴは眉根を寄せた。国王の真意が理解できなかった。
「余の言いたいことが、わからんかね」
図星を突かれたユーゴは、思わず頭を下げた。
「申し訳ありません」
「面を上げよ。叱ったわけではない」
「はっ」
「それでよい。お前は《勇者分隊》隊長として、勲章授与式典に参加せよ。魔王を討伐した英雄となれ。世を治めるには象徴が必要なのだ。お前がどうあれ、民衆を納得させねばならん」
「あ、いえ、しかし、特殊部隊の者が顔を晒しては、今後の任務に支障が――――」
「構わぬ。魔王の討伐を果たした者を、いつまでも実戦部隊においておくつもりはない。いずれ配置転換するのなら、顔を晒しても問題はなかろう。……聞きたいことはそれだけか」
「はっ、了解しました。ありがたく拝命いたします」
「うむ」
アベル二世は深い溜息を吐くと、踝を返した。そこで何かに気付いたようにして歩みを止め、背中越しでユーゴに言った。
「カティーナから話があるそうだ。聞いてやってくれ」
「姫様が……?」
国王と侍従は、今度こそ部屋から去った。
入れ替わるように、幾重にも刺繍がされたドレス姿の姫――――カティーナが現れた。ハイヒールで石床を叩きながら、ユーゴの前に立つ。
彼は膝をついた状態なので、自然にカティーナを見上げる格好になった。
口を歪めた彼女は、吐き捨てるように言った。
「……ごきげんよう」
「はっ。姫様もご機嫌麗しゅう存じます」
「へぇ、あなたにはそう見えるのね。私はそうでもないのだけれど」
挑発的な物言いに、不思議そうな顔をするユーゴだった。
それすらも気に入らない、といった様子で、カティーナは彼を睨む。怒りを爆発させるように口を開いた。
「この臆病者が、どの面下げて戻ってきたというの? 私の婚約者だったと思うと吐き気がするわ。あなた一人が逃げ出すだけならまだしも、味方まで危険に晒す無能だなんて、まるで害虫のようだわ。魔王にでも踏み潰されればよかったのに!」
彼女の一方的な罵倒を、ユーゴは黙って聞いていた。恐らくはカティーナの評価が、この城における己の評価と一致するのだと思ったからだ。
「あ、あら、言い訳さえもしないのね。そ、それは、自分の非を認めるということなのよ。……黙ってちゃ分からないじゃない! 悔しかったら言い返してみなさいよ! やはりあなたは愚か者なのよ! この屑!」
呂律が回らず、激昂したカティーナを悲しく思ったユーゴは、事実だけを述べることにした。
それがどれだけ彼女の怒りを煽ることになるか知っていたが、どうしようもなかった。
「そのような指揮を執った覚えはありません」
「お、覚えですって? 私を馬鹿にしているの? それとも何、忘れたいほど恥ずかしいことをした自覚はあるのかしら。……どちらにしても、あなたは私を侮辱したのよ」
嫌悪と憎悪が混ざり合った視線が、ユーゴに降り注ぐ。
カティーナはしばらく黙っていた後で、手袋を脱ぐ。膝をつくユーゴの顔に、その手袋を思い切り叩きつけた。
「わかっていると思うけど、婚約は破棄させてもらうわ。あなたと婚約なんて、寒気がするもの。まあ、お父様が勝手に言っていたことだし、婚約破棄はお父様も納得済みだから、あなたの意見なんてどうでもいいのだけれどね。気付かない振りをして、私に言い寄られても迷惑だから、きちんとこの場で言っておくわ」
「……はい、わかりました」
「何よ、屑のくせに」
目を瞑り、粛々と物事を受け入れるユーゴに、カティーナは苛立ちを募らせる。
このままでは怒りが収まりきらない彼女は、あることを思いついて頬を緩めた。
「ジョアン・グレンフル騎士団長、入室を許可します。入ってきなさい」
「御意」
扉の向こう側から、背の高い騎士が現れた。華麗にして剛健な甲冑を身にまとい、腰には意匠の凝らされた剣を下げている。
長めの金髪に、碧色の瞳をしている男だった。優男と言ってもよい顔立ちだが、その堂々とした雰囲気は、見る者の息を飲ませるに充分である。
この人物こそ、歳若くして多数の貴族を束ねる、『騎士団派』の頂点だった。
「どうされましたかな、カティーナ姫」
ユーゴとカティーナを見比べ、彼女に優しく問いかけた。
「ええ、この男が私に、乱暴狼藉を働きそうになったのよ。少し自分の立場と言うものをわからせてやって」
ジョアンは小さく笑い、ユーゴに向き直った。
「いかんな、ウッドゲイト大尉。このようなか弱き女性に暴力などとは」
「決してそのようなことはしておりません」
ユーゴは頭を下げたまま言う。しかし、そんなことはお構い無しだった。
「ならば、姫様が嘘をおっしゃったと?」
胸倉を掴みあげられる。
また嘘か、と苦笑してしまうユーゴだった。もう何が本当かすら、どうでも良かった。どうせ何を言っても信じてくれないと思った。
反論する気力さえ失ったユーゴは、首を横に振った。
「……いいえ」
そう彼が言ったのと同時に、手甲に守られたジョアンの拳が飛んできた。視界が流れ、前後不覚に陥る。
備え付けのテーブルを薙ぎ倒してようやく、ユーゴは自分が倒れていることを知った。
頬の部分が熱く、口の中に唾以外の液体が溢れてくる。それを吐き出して初めて、口の中が切れているのだと気付いた。
「ほう? 気絶しなかっただけ褒めてやろう」
言葉と共に、ジョアンが顔を蹴り上げてきた。
彼は咄嗟に腕を交差させて防御したが、脚甲の蹴りを完全に防ぐことは出来なかった。
腕が骨折したかと思うほど強烈な衝撃に飛ばされ、身体が床に投げ出される。
「ぐ、ぁ……くっ」
「これで理解したか。貴様がやったことの愚かさを恥じるがいい」
ジョアンに頭を踏みつけられ、何本か髪の毛が千切れた。石の床と顔面が擦れて、頬の皮膚が破ける。
「…………っ」
「ふん、これでも抵抗しないか。大した腰抜けだな。汚れ仕事ばかりの特殊部隊は、どいつも影に隠れる臆病者ぞろいか。どうせ魔王討伐も卑怯な手段を使ったのだろう。我が騎士団には、貴様のような腑抜けは一人もおらんぞ」
「……こ、のっ」
ユーゴは我を忘れて、頭を踏みつけているジョアンの足を掴んだ。脚甲が軋むような音を上げるまで握り締める。
「何をしている、卑怯者が」
何の感情も篭らない、ジョアンの冷徹な声が響いた。
頭を踏みつけられたまま、ユーゴは怒りのままに口を開く。
「自分の部隊の……暴言だけは、撤回して頂きたいっ!」
「暴言? 本当のことを言って何が悪い。それに、上官の足を掴むとは、礼儀もわきまえていないのか。殊更、貴様には失望したよ」
ユーゴの手を払いのけたジョアンは、近くに転がっていた椅子の足を持った。それを高々と振り上げ、倒れているユーゴに叩きつけた。
派手な音と共に椅子が砕け散り、ユーゴは肩を押さえて蹲った。
「国王の命令が無ければ、この場で殺しているところだ」
そう言い捨てて、ジョアンはカティーナの隣に戻った。
カティーナは満足げに頷いた。
「この程度で許すなんて、ジョアンは心が広いのね」
「あのような小物、相手にするだけ時間の無駄ですから」
「そうね。では、行くとしましょう。私たちの将来のことも、考えなくてはいけませんからね」
「これは光栄の極みですな」
「いやだわ、ジョアン。ふふっ」
姫と騎士団長は、一度も振り返らずに、扉の外へ出て行った。
分厚い扉が閉じられ、厳重に施錠される。そして何人かの去っていく足音が遠ざかった。静かになった部屋に、テラスの方から聞こえてくる喧騒が響き渡った。
ユーゴが痛む身体を起こすと、服の上にあった椅子の破片が床に転がった。
「……………………」
血の混じる唾を吐き出した。テラスの方を向いて、鉄格子に囲われた空を見上げる。
戦勝パレードの喧騒は、当事者を取り残したまま、部屋に響き続けた。