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勇者辞めました  作者: 比呂
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破壊と決意2


「何をしているのだ?」


 妙な動きをするユーゴを気にして、ティルアが首を傾げた。

 ユーゴは竜種の巨体を庇うようにして彼女の顔に近づき、小さい声で言う。


「包囲されてる」

「……本当か? そんな気配は感じられないぞ」


 ティルアは目だけを動かして視線を周囲に走らせたが、何の異常もないように思われた。


「エトアリア軍第22連隊だ。俺が300人くらい、クレーターの外周で襲撃の準備をしていると思ってくれ」

「ユーゴが300人……相手をするのに苦労しそうな数だ」

「弱音とは珍しいな」

「そっちの話ではない」


 なら一体何の話だ、と言おうとして、ユーゴは口を噤んだ。世の中、知らなくてもいいことはある。


「で、どうする。閃光咆で薙ぎ払うか?」


 口を僅かに開きながら、ティルアが嗜虐の笑みを浮かべた。

 ジゼルのこともあり、怒りをぶつけられる場所を見つけられて高揚しているようだった。


「いや、駄目だ。それでも相打ちだな」


 ユーゴは渋い顔をした。

 自分たちがすり鉢状になったクレーターの底に位置しているという状況は、敵は攻撃し易く、ユーゴたちは攻撃し難い場所に晒されていることになる。


 さらには全周を包囲されており、閃光咆で一点を吹き飛ばしても、背後からの攻撃になす術が無い。薙ぎ払おうとする前に反撃を食らうだろう。


 それに今回のような場合、第22連隊の装備は、恐らくアイサが持っていたような連射クロスボウだと思われた。

 その一部は、抗魔金属仕様に換装されているはずである。

 完全変貌したティルアでも、300の射手による一斉射撃を受ければただでは済まない。


「なあ、ユーゴ。こちらを覗いている人間が、頭を出したり引っ込めたりしてるぞ。撃つか?」

「……それは偵察だ。撃ってもいいが、その瞬間、俺たちに矢の雨が降り注ぐぞ」

「かといって、他に手があるとでも?」

「さあな」


 最終手段は、既に考えてあるユーゴだった。それは痛みを伴う行為で、出来れば使いたくなかった。

 しかし、それ以上の案が思いつかなかったのも事実である。


 ユーゴが頬を歪めながら決断を下しそうになったとき、クレーターの全周囲で人が立ち上がった。

 それぞれがクロスボウを構え、第22連隊の軍装をしていた。顔をわからせないように覆面しており、布の隙間から覗く双眸が、延焼する炎の光を反射していた。


 その中の一人だけ、覆面をしていない者がいた。

 指揮官のベレー帽を被り、冷ややかな顔をしたエルフだった。


「……竜種が墜落したと聞いて来てみれば、面白いおまけがくっついていたわね」

「君こそ、除隊したんじゃなかったのか」

「ふん、戦時召集で呼び戻されたのよ。面倒だけれど、国王の命令だから仕方ないわ。……ああ、ユーゴは知らないかもしれないけれど、国王が変わったのよ」


 そこで、面白くなさそうな顔をしたティルアが、ユーゴに耳打ちした。


「何だ、あのいけ好かない女は。ユーゴの知り合いか。……もしや、過去の女だな」

「昔の戦友だよ。アイサはクロスボウの名手だった」

「ほぉ、呼び捨てにするような仲だったのか。そうか」

「……何か勘違いしてないか」


 彼が湿った目でティルアから睨まれていると、上から声を掛けられた。

 アイサが含み笑いを漏らしながら言った。


「あら、人間にもエルフにも相手にされないとなったら、今度は魔族に鞍替えしたの? しかも、そんな馬鹿でかい羽蜥蜴に懸想するなんて、ユーゴの品性を疑うわ。……でもまあ、嫌われもの同士でお似合いかしらね」


 ティルアがアイサを睨む。

 ただし、声だけはユーゴに向けられていた。


「……あの女、消し炭にしてもいいだろうか」

「いまのところ、それは妄想で我慢しておいてくれ。アイサたちは包囲を完成させたのに、どうして殺しに来ないのか知りたい」

「ぐるるるるるっ」


 ティルアが唸って牽制しているのを横目で見ながら、ユーゴは考えた。

 ここまで包囲されれば、後は殺すだけなのだ。

 対象は犯罪者と魔族である。ためらう必要は何処にも無い。

 捕虜として連行するにしても、二人を捕まえにクレーターを降りてくる兵士はいなかった。

 いままでに投降の呼びかけも無かった。

 これではまるで、何かを待っているような感じだった。


 そして事実、ユーゴの予想は間違っていなかった。

 さっきまで二人を見下ろしていたアイサが、背後を振り返り、臣下の礼を取る。


 奥からゆっくりと姿を現したのは、ジョアン・グレンフルだった。

 白銀の鎧を身に着け、腰には聖剣を差している。まるでこれから戦うような装備を身に纏っていた。


「あれはいかんな」


 ティルアが呟いた。ユーゴが耳を傾ける。


「何が?」

「あの鎧、永遠蜘蛛の糸で編まれているぞ。永遠蜘蛛はこの世で唯一、竜種を捕食する生物だ。歳若い私の閃光咆では、無効化されてしまうだろうな」

「……知ってるよ」


 そうしていると、ジョアンがクレーターの前までやってきた。

 瓦礫が延焼して吹き上がる熱風が、金髪を靡かせる。酷薄そうな目つきでユーゴを見た。


「何だ、戻ってきていたのか。どこかで野垂れ死んでいるとばかり思っていたのだがな。……それにしても魔族と共にいるということは、どういうことだ。我々に対する復讐のつもりか。ついに馬脚を現したのだな、反逆者め」


 ジョアンが両腕を広げて叫んだ。


「どうだ、第22連隊の諸君。これが君たちの元同僚だ。犯罪者にして、人間の裏切り者だ。……それでもユーゴ・ウッドゲイトを撃てないと躊躇うならば、遠慮はいらない。下がりたまえ。だがしかし、君たちの部隊の汚名を返上したいのならば――――クロスボウを構えよ!」


 覆面をした第22連隊の兵士が、一斉にクロスボウを構える。それぞれの銃眼から、紛れもない殺気が感じられた。


 ユーゴはそれを、当然のように受け入れた。

 兵士たちが覆面をしていても、動きや体格で誰だか理解できるほどの苦労を共にした仲間たちだった。

 心が痛まない訳が無い。


 ただ、エリート部隊である第22連隊は国の模範であった。

 王の命令を裏切ることなど許されない。

 国家の安寧を脅かすものを許すわけにはいかない。


 いまのユーゴは敵でしかなかった。

 クロスボウを構えた兵士の一人が、大きく叫んだ。


「発射準備良し! いつでもあの馬鹿を始末できます!」


 馬鹿だと、とユーゴは吹き出しそうになった。

 決して『裏切り者』や『敵』という言葉を使わなかった兵士たちに、苦笑いを浮かべた。


 これから互いに殺し合う間柄になってしまった。

 それは立場上、仕方がない。

 ただ、それで今までの友誼が無くなる訳でもなかった。

 友のまま殺し合いをしようと言うことだ。

 眼光鋭い兵士たちの覆面の下が、笑っている様に見えるユーゴであった。


 そんなことなど無視するかのように、ジョアンが腰の剣を抜き放った。


「よろしい。大いに結構だ! そのまま構え続けていろよ」


 兵士たちがクロスボウを構えていることを確かめたジョアンが、不敵に笑った。

 そのまま一歩踏み出して、クレーターに飛び降りる。

 兵士たちの間で、思わず声が洩れた。


「なっ」

「うろたえなくてもいいわ」


 動揺する第22連隊の兵士を手で制したアイサが、皮肉を込めて言う。


「あれが、我らが国王様の望みなんだから」


 ジョアンは、削り取られたような斜面を滑りながら、ユーゴの所まで辿り着いた。地面を踏み躙るように歩を進める。

 ユーゴに近づきながら、聖剣を向けた。


「さあ、舞台は整ったぞ。竜種殺しは《勇者》の仕事だ――――その前に、犯罪者を処断しなければならんがね」

「黙って殺される訳がなかろう」


 ティルアが首を持ち上げて口を開こうとした。

 しかしジョアンは薄く笑い、睨み返す。


「誰も抵抗するなとは言って無い。存分に暴れるがいい。……ただしそのときは、その身に無数の矢が突き刺さるぞ。私に殺されるか、矢で嬲り殺されるか、好きな方を選べ」

「何だと……」


 怒りを抑えきれなくなったティルアが、身を乗り出そうとした。

 そこで、ユーゴが彼女よりも先に歩き出す。左手に黒杖を持ち、右手は腰元の短剣に添えられていた。


「ティルアは待っていてくれ。出番はもう少し後だ。俺が先に指名されたからな」

「余裕だな、貴様。肩に穴を空けられたことを忘れたのか? 余程私に処刑されたいと見える」


 ユーゴはジョアンに向き直り、問い質すように言った。


「……そこまで『勇者』に拘る理由は何だ。国王の座を手に入れても、まだ不満なのか」


 部下を使えば、もっと簡単にユーゴとティルアを殺せるはずだった。

 それにも関わらず単身で挑んでくるジョアンは、彼には理解し難い存在だった。


「私は、『私の望む自分』になる。それだけのことだ。たったそれだけのことだ。理解も誤解も哀れみも優しさも必要ない。貴様の評価も筋違いだ」


 エトアリア王国の頂点に君臨する男が、決然と言い放った。


「『誰かのために』などと他人を理由にして生きる貴様の罪深ききことよ。人として生まれたならば、誰のためでもなく、己の欲を満たすために動けばよかろう。それを、何だ。『誰か』などという訳のわからぬものに責任を押し付けて、自身の罪を栄光とする貴様を許してなどおけるかよ! ――――貴様は惨めな死を迎えなければならぬのだ」


 ジョアンが聖剣を振りかぶって、上段に構えた。少しでも隙を見せようものなら、即座に切り捨てられそうな雰囲気だった。


「そうだな。お前は正しい。何も間違ってはいない。――――だけど、俺にだって譲れないことはあるんだ」


 対するユーゴは、左手で持つ黒杖をジョアンに突き出すように伸ばし、牽制の構えを取っていた。

 僅かではあったが、ジョアンが間合いを詰めていく。

 ユーゴの持つ黒杖が、牽制するように動いた。


「っ!」


 聖剣が振り下ろされる。手で掴んだままの黒杖が、地面に叩きつけられた。

 後の先を狙っていたユーゴは、相手の間合いに踏み込んで、右手の短剣を振るった。考えられる限り最高速度の抜き打ちが放たれる。


 そのとき、聖剣が下から跳ねた。

 死を予感したユーゴは、必死で抜き打ちを停止させた。下方から迫る凶刃に短剣をあわせる。


 短剣の刀身が、容易く切り落とされた。

 冷や汗を掻きながら、ユーゴは背後に下がって間合いを取った。

 聖剣を切り上げた状態で保持しているジョアンが、再び上段に構えなおす。


「次は貴様の首だ」

「…………くっ」


 ユーゴは使えなくなった短剣を捨てて、黒杖を正面に構えた。いまのところ、強度だけは信頼に足る得物だった。

 最も威力の乗った、上段からの振り下ろしに耐え切ったのだから当然だろう。しかし、武器が硬いということだけで勝てる相手ではない。


 息を呑んだユーゴが、足音を消した。ジョアンの動きを見ながら、次第に息を整えていく。

「懲りない男だな」


 ジョアンは表情を変えずに呟いた。王城の広間で戦ったときに、ユーゴの手の内は経験していた。

 気配を消して間合いを詰める戦い方も、仕掛けがわかれば対処は容易だった。ユーゴを視線で追わず、全体として捕捉するのだ。


 そうすれば、細かい動きは見えなくても、ユーゴを見失うことはない。

 剣先がユーゴに合わせられた。

 だが、彼は独特の揺れる動きをしながらも、攻める様子を見せなかった。

 ジョアンが探りを入れるように、一歩踏み出して間合いを詰めた。

 同じくして、ユーゴが後ろに下がる。


「…………何だ」


 違和感を覚えたジョアンは、もう一度足を踏み出した。すると、寸分違わずユーゴが下がってみせる。

 まるで動きを読まれているようだった。


「ちっ」


 舌打ちをしたジョアンが、緊張した息を吐く。

 同じように、ユーゴも息を吐いた。


 呼吸を盗まれたか、とジョアンが心の中で呟いた。

 戦いにおいて、呼吸というのは重要な要素である。人間であれば常に呼吸をしていなければならず、それは戦いの最中でも変わりは無い。

 呼吸というのは、戦いにも密接に関係していた。

 人が力を込めるときは、大抵が短く息を止めているからだ。重いものを持ち上げるときと同様に、剣を振り下ろす場合も息を止めるか、吐き出していることだろう。


 そして逆に、息を吸うときは筋肉が弛緩していると言える。

 息を吸っているときに襲われれば、緩んでいる筋肉に力を込めるタイムラグが生まれ、対応が遅れる。

 呼吸を盗ませないというのは武人の心得の一つだが、こうもあっさりとユーゴに盗まれるとは思っていなかったジョアンだった。


「ふん」


 これから先、ある程度の攻撃は読まれると思って間違いなかった。呼吸を盗まれたのならば、攻撃のタイミングを読まれるのと同義だからだ。


「……見事だ。しかし、それだけだ。曲芸の域を出てはいない。背負っているものが軽すぎる」


 呼吸を盗まれているのを承知で、ジョアンが襲い掛かった。

 ユーゴもそれに合わせて黒杖を振りかぶる。

 重く響くような剣戟が起こった。


「くっ」


 ユーゴの持つ黒杖が、聖剣の勢いに押し負けた。

 ジョアンが頬を歪めて笑う。


「剣質が違うのだよ。呼吸は盗めても、力の差は埋まらない。相打ちならば、勝つのは私だ」


 王者の剣は、真っ向から敵を叩き伏せるために、力強い剣でなくてはならない。負ければすなわち死あるのみ。

 逃げることも隠れることも許されない。圧倒的な強さを見せ付けるための剣技である。


 それは、王者であることを証明するためのものだった。暗殺者ごときの剣に屈するものではない。

 振り上げられた聖剣が、大気を切断しながらユーゴを襲う。

 脳天、手首、肩、胴に至るまで、剛剣が吹き荒れた。


 辛うじて黒杖で受けるユーゴだったが、力負けする所為で、手が痺れてきていた。あと数合もすれば黒杖を叩き落され、そのまま身体を切り裂かれることだろう。


「――――」


 だが、ユーゴの目は諦めていなかった。

 死を忘れるほど楽観的な状況でないことは、彼自身がよく理解していた。

 それでも、己の技術を総動員して、生き抜くための技とした。


 盗む、逃げる、隠れる、騙す。

 誇りがあるとは言えない技ではあるが、それ故に、どんな戦い方よりも人を殺すために特化した技術なのだ。


 使う者の心を問われる非道の剣。

 使う者の心を示し現す正道の剣。


 無類の強さを持つ王を斃す天敵は、やはり、闇に紛れた暗殺者だろう。非道の剣とは、道に非ず。常に道を行くとは限らない。

 天敵同士の喰らい合いに、変化が起きた。

 ジョアンの剣が空を切る。代わりに、黒杖が振り下ろされた。


「っ」


 僅かに後退してそれを避けるジョアンだった。後ろに下がったのは、ここにきて初めてだった。

 ユーゴの攻撃を見切ったつもりが、どこからともなく現れた黒杖に襲われたのだ。


「暗剣、か」


 薄く笑ったジョアンが、ユーゴを見ながら言った。

 精強と名高い第22連隊の隊長格が見せる、最高の暗剣だった。


「……打ち破るには、ちょうど良い」 


 ジョアンの集中力が高まってきた。一点を見つめるような目つきで、すべてを見通すような動きを見せた。

 ユーゴがどんなフェイントを仕掛けようとも、微動だせずに見破られてしまうだろう。


 彼の呼吸を盗む技術を、ジョアンは感覚だけで成し遂げた。天才と呼ぶしかない才能の持ち主だった。

 間合いを外そうと、ユーゴが無音で動いた。

 そのとき、僅かに黒杖を掴む手が痺れた。予想以上の攻撃を受けていたのだ。


「――――」


 刹那の瞬間に、ジョアンの殺気が膨れ上がった。

 ユーゴは暗剣を合わせようとする。


 だが、間に合うわけがなかった。

 彼は殺気に反応しただけで、剣影などまるで感じられなかったからだ。

 音も、動きも、どこか遠くに置き忘れてきたような剣速だった。

 剣術において、極地の一つと呼ぶに相応しい技であった。


「がぁっ」


 ユーゴの黒杖が弾かれ、右肩が裂かれていた。黒杖のお陰で剣線の軌道がずれたのか、思ったよりは軽傷だった。


 しかし、問題はそこではない。

 人間の知覚を凌駕する剣。

 そんなものを、どうやって避ければ良いというのだろう。察知出来なければ反応出来ず、ただ漫然と切り殺されるのを待たなければならないのか。


 否――――それは否だ。


 ユーゴは死ぬわけにはいかないのだ。

 自分の生き方が間違っていないことを、証明せねばならない。

 身が砕けても、心が枯れても、世界が滅んでも。


 ――――この世の誰か一人でも救うことが出来れば、俺の勝ちだ。


 斬られた右肩を確かめたユーゴは、覚悟を決めた。


「……くれてやる」


 ユーゴはそう呟きながら、左手に黒杖を持ち替え、右手を突き出した。

 そこはジョアンの間合いの中だった。

 誰にも知覚出来ない極限の剣線が跳ぶ。

 音も無く軌跡も無く自覚も無く、時間を超越したような結果だけが現実として残った。


 突き出したユーゴの右腕が、肘まで真っ二つに分かれた。


 傷口からは血も流れず、痛みも無く、皮と筋肉と脂肪と骨が、はっきり見分けられた。


「うおおぉぉぉぉっ」


 それでもユーゴは止まらなかった。ジョアンの間合いの内側に入る。

 人間の知覚を凌駕するということは、ジョアンにも制御出来ないということだ。


 あまりに速すぎる剣速は、狙いを定めるという行為を代償にしていた。

 攻撃対象を選ぶことが不可能だったのである。急所を『狙う』ことが有り得ないのだ。


 そして、癖なのか条件反射なのか、ジョアンが知覚を凌駕する剣を振るうとき、右側を攻撃してくる傾向が見られた。

 王城の広間での戦いも、さっきの剣も、ユーゴは右肩を攻撃されたのだ。

 腕一本を犠牲にしても、勝負する価値はあった。


 二人の勝負が、いま終わる。 

 ジョアンが詰まらなそうな顔で言った。


「ふん、下らんな。下らん結末だ」

 

 風を切る音がする。

 それはユーゴにも聞き慣れた音だった。

 狙いを研ぎ澄まされて放たれた矢が、ジョアンの心臓を突き刺そうとする彼の左肩に突き刺さった。


「ぐぁっ」


 ユーゴがその場に崩れ落ちる。膝を突いて、無様に倒れ込んだ。

 クレーターの外周の上で、アイサがクロスボウを構えていた。


 ジョアンは聖剣を振り上げる。狙いはユーゴの首だった。

 地面に倒れたままのユーゴは、口を歪める。

 目を細めたジョアンが言った。


「卑怯だと思うか?」

「いや、そんなことは無い」

「ふん」

「お互い様だからな」


 ユーゴは左手に持つ黒杖を振り上げ、ジョアンの胴を薙いだ。


「無駄な足掻きを――――」


 白銀の鎧で守られたジョアンの身体に、傷一つ付くことはなかった。それほどに弱々しい、渾身の一撃だった。


 だが、白銀の鎧自体は別だった。

 黒杖で薙がれた部分すべてが、崩壊するように消えてなくなった。


「――――なっ」

「知らなくて当然だよ。俺も最初は知らなかった」


 ユーゴが笑う。


「さあ、出番だ」


 その笑みが何を意味するのか知って、ジョアンは顔を上げた。

 竜種が口を開けて待っていた。


「待ちくたびれたぞ」


 周囲に光が洩れたかと思うと、ジョアンの腹部に穴が開いていた。白銀の鎧が自己修復を始め、傷を隠すように再生していった。


「……やはり貴様は、思い通りにならんのか」


 ジョアンは口から血を吐いて、倒れた。聖剣が放り出され、瓦礫に紛れる。

 うつ伏せになったまま、息をする間隔が、次第に短くなっていく。そして、ゆっくりと死んでいった。


 クレーターの外周で、動揺が広がった。

 数本の矢がクロスボウから発射されて、ユーゴの足元に突き刺さる。


 それを見逃すティルアではなかった。

 取り囲みながら攻撃してくる兵士たちに、容赦するはずもない。


 倒れているユーゴを庇うように前進しながら、閃光咆を放つ。

 耳に障る悲鳴と、人間の蒸発する音が響いた。


 何とか応射してきた矢が、ティルアの背に当った。その内の数本は抗魔金属の矢だったらしく、竜鱗を貫いて深々と突き刺さる。


「この程度で私を殺すつもりか、人間っ!」


 クレーターの縁を撫でるように光線が薙がれ、次々と第22連隊の兵士が斃れた。

 反撃の矢が飛んでこなくなって、ようやくティルアが閃光咆を吐くことを止める。


「さて、ようやくお前を消し炭に出来そうだぞ」


 彼女が皮肉気に言いながら視線を向けたところには、アイサが座り込んでいた。


「ひ、ぃっ」


 ティルアの咆撃が始まる直前、アイサはクレーター内部に飛び込むことで難を逃れていたのだった。

 しかし、逃げ切れているとは言えない状況だった。敵陣のど真ん中に入って行ったのと等しい。


「……ちょっと待て。重い」


 そのとき、ティルアの腹の下からユーゴが声を出した。

 圧し掛かられるようにして庇われていたため、このような状態になっていたのだった。


「ああ、すまん。忘れていた」


 ティルアが横に動くと、半分瓦礫に埋もれたようなユーゴが寝転んでいた。光竜の手が差し出され、それを左手で掴んだ。『永劫回帰』が発動し、彼女の傷が治っていく。彼は、ようやく立ち上がって言った。


「……怪我はどうだ」


 ユーゴの問いに、竜種は獰猛な牙を見せて笑った。


「心配ない。抗魔金属の矢につけられた傷以外は、跡形も無く治っている。ユーゴの『永劫回帰』のお陰だ」

「ならいい」

「それより、ユーゴの右手はどうなんだ。……傍目から見ると、かなり痛そうなのだが」

「確かにな。俺もそう思う」


 自分の右手を見たユーゴは、二枚に下ろされて宙で揺れていた。

 脳が現実を処理していないだけなのか、聖剣の切れ味が良すぎたのか、激しい痛みは無い。

 ただ、切り裂かれた箇所が、じんわりと熱くなっているだけだった。


「自分の傷は治らないのか」


 ティルアが心配そうに言う。


「いや、確かに傷の治りは早くなってるみたいだ。だけど、聖剣に斬られてるしな。《魔玉》とは相性が悪いんだろう。流石にこの傷だったら切断ものだろうけど、治ったら治ったで人間離れしてると思うよ」


 ユーゴはティルアに手伝ってもらって、上着を脱いだ。

 廃材を添え木にして、上着ごと右腕に括りつける。ついでに左肩の矢も彼女に抜いてもらった。


 応急処置を終えたユーゴは、座り込んでいるアイサに近づこうとする。

 すると彼女は、顔を歪めて後ずさった。


「こ、来ないでよ、化物っ。やっぱりあなた、魔族だったのよ。だっておかしいじゃない! あの時、ちゃんと死んでたのに……。脈だって計ったのよ、身体だって冷たかったもの!」

「――――アイサ」


 立ち止まったユーゴは、悲しむような顔をしていた。


「何よ、ふ、復讐する気? 私を謝らせたいわけ? この私に、頭を下げさせたいのね? ……冗談じゃないわ。どうしてそんなことしなくちゃいけないのよ、ねぇ。私が悪かったの? 私だけが悪かったって言いたいの? ふざけないでよ。あんただって――――」


 急に動き出したユーゴが、地面に落ちていた黒杖を拾った。

 アイサの顔に動揺が走る。


「ちょっと、それで何する気よ。嫌よ、殺さないで、死にたくないもの! 全部あんたが悪いんじゃないのよ! 嫌――――」


 左手で振りかぶり、突き刺した。


「――――え」


 アイサが呆然とした顔を見せる。

 その横に、黒杖が立っていた。故意に狙いを外した黒杖が、地面に突き刺さっていたのだ。

 ようやく彼女が事態を理解したとき、視線がユーゴに向けられた。


 彼は刺さっていた黒杖を引き抜いた。アイサを見返しながら言う。


「金貨三枚の借り……ここで返すぞ」

「……な、何で」

「もう二度と会うことはないだろうからな。借りを清算しておきたかったんだ」


 アイサは貸した金貨のことを思い出し、僅かに顔を歪めた。


「……私が投げ捨てた、金貨のことかしら」

「ああ」


 ユーゴは目を伏せた。金を借りようとしていたとき、横暴でも金貨三枚を工面してくれたアイサには、感謝をしていた。

 そのことを思うと、殺すことは忍びなかった。

 しかし彼女は、頬を引きつらせた笑いを浮かべた。


「……何よ。私には金貨三枚程度の価値しかないっていうの? 私はその程度の価値だって、認めさせたいわけ?」

「違う。そうじゃない」


 彼は首を振って否定したが、アイサは聞く耳など持たなかった。


「馬鹿じゃないの。私が金貨三枚? ふざけないでよ」


 怒りに表情を歪め、アイサは周囲を探った。彼女の近くに落ちていた連射式クロスボウに手を向ける。

 何をしようとしているのか理解したユーゴは、願うように言った。


「わかってくれ、アイサ。違うんだ。そのクロスボウを取らないでくれ」

「……嫌よ」


 右手がクロスボウを掴んだ。初弾を装填し、発射口をユーゴに向ける。


「あまり私を安く見るんじゃないわよ」


 ユーゴが黒杖を強く握り締めた。

 クロスボウの銃爪が引かれる。

 矢が飛び出して――――身を乗り出したティルアの竜鱗に突き立った。


「お前の価値など知らないが、ユーゴに弓引くことは許さない」


 間髪入れずに閃光咆の体勢が取られた。

 アイサが肩の力を落とした。力なく笑う。


「――――」


 光が溢れた。押し流される光はアイサを一瞬で包み込み、跡形も無く蒸発させた。

 彼女が生きていた痕跡は、何も残っていなかった。

 ユーゴは黒杖を構えたまま、その場に立っていた。

 ティルアが首を曲げて、彼の顔を覗き込む。


「撃たない方が良かったか。自分で避けられただろう」

「いや、助かった。すまない」

「ユーゴが女に甘いからこういうことになる。次からは自分で手を汚せ。優しいのは美徳だが、優し過ぎるのは罪だ。覚えておけ」

「ああ――――確かに。肝に銘じておくよ」

「是非そうして欲しい。それで、作戦は終わったのか」

「そうだな。第一目標の王立魔術研究所は潰したし、第二目標の国王も殺した。これで、エトアリア王国の内政は混乱する。魔王軍は、かなりの時間を稼げるはずだ」

「うん。後は、私たちが無事に脱出するだけか」

「その通りだ」

「では早く乗ってくれ」


 ティルアが地面に低く伏せ、上目でユーゴを見ていた。


「頼むよ」


 ユーゴは頷いて、黒杖を腰に差した。片腕で彼女の背中に乗る。

 身体を起こしながら、ティルアが言う。


「人間と魔族で、子供が作れると思うか?」

「どうだろうな」

「出来ると良い」


 ティルアはユーゴの返事を待たず、翼を広げて羽ばたき始めた。砂塵が舞い、風を掴んだ両翼が浮力を得る。


 空中に飛び上がった巨体は、高度を稼ぎ始めた。

 そのとき、地上からクロスボウの矢が飛来した。通常の矢は竜鱗で弾かれるが、抗魔金属の矢が何本か突き刺さる。


「くそっ、第22連隊の生き残りだ!」


 クレーターの底から放った直線的な閃光咆では、敵を全滅させられなかったのだ。

 ユーゴは黒杖を抜いて、飛んでくる矢を撃ち落そうとした。しかし、ティルアの声に制される。


「構わない。この程度なら、どうと言うことは無いからな。それよりも、しっかり捕まっていてくれ」

「……わかった」


 高度を取ったティルアが、降下するときの運動力を使って加速した。そのまま低空を滑空するように飛び続ける。

 ユーゴが横を見ると、翼に幾つか穴が開いていた。クロスボウの弾痕だと思われる。


「飛び続けられそうか」

「それは大丈夫だが……あれは何だ? 鳥か」

「鳥……だって?」


 ユーゴは空を見回した。確かに、鳥のような影が飛んでいた。それはユーゴたちを追いかけるように、次第に近づいてきた。


「間違いない、あれはガルーダだ」

「ふん。あの変な声で鳴く鳥がどうかしたのか」

「エトアリア王国で実験配備中の兵員輸送鳥だ。魔王暗殺のときにも使った奴だよ。けど、何でこんなときに飛ばす必要があるんだ?」


 目を細めたユーゴが、接近するガルーダを見つめる。

 ガルーダは基本的に、空中戦闘力を持っていない。爪や嘴で獲物を捕らえる能力はあっても、竜種に対抗出来るほどのものでは無かった。

 純粋に戦えば、ガルーダは竜種の敵ではない。


 空の覇者である竜種がいる以上、エトアリア王国ではあくまで兵員輸送に限られて使用されているはずだった。


「……ん。兵士が乗っているのか」


 ユーゴは、ティルアの後ろについたガルーダに、巨躯の人間が乗っていることに気付いた。

 その人間が、何かを叫ぶ。何を叫んでいるのかは聞こえなかった。


「あれは……ジェラルドか」


 ガルーダに搭乗することが出来て、それほど大きな体格をした人間など、ユーゴの知る限り一人しかいなかった。

 ジェラルドは叫びながら、肩に何か担ぎ上げる。

 鈍い光が反射して、それが魔玉誘導式バリスタだと判別出来た。


「なっ――――ティルア! 後方のガルーダからバリスタだ、回避しろ!」

「わかった、掴まれ!」


 光竜は首を上に向け、急上昇した。

 後ろについたガルーダもそれを追う。

 すぐさまティルアは右下降旋回するが、ガルーダは振り切れなかった。

 旋回能力では、小柄なガルーダに軍配が上がる。しかもティルアは背にユーゴを抱え、全力で空中移動することが出来ていない。


「…………」


 自分の身を気遣って貰っていることに、ユーゴは気付いていた。ティルアはクロスボウの矢を受け、万全な状態で無いこともわかっていた。


 ユーゴ自身、覚悟は決まっていた。

 背後を振り返ると、その瞬間が訪れたことを知る。


 ジェラルドが反動で仰け反った。

 加工された魔玉が弾頭に備えられた矢は、飛び出してから加速度的に速さを増した。

 ティルアがバリスタの発射に気付き、速度を上げようとする。


 そのときだった。


「婚約は破棄だ」


 ユーゴは竜鱗を掴んでいた左手を放した。真正面から突風を受け、背後に飛ばされた。ティルアの姿があっという間に小さくなった。

 空中を流れながら、ユーゴは黒杖を腰から抜いた。


「来いよ。《魔玉》ならここにもあるぞ」


 バリスタの矢は、現状で最も近くにある《魔玉》へ進路を変更した。

 黒杖が振りかぶられた。

 高速で迫り来る弾頭と黒杖が激突する。


 ――――空中で爆発が起こった。


 すべてが爆炎の中に包まれてしまうのを、ティルアは呆然として見つめるだけしか出来なかった。


 

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