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勇者辞めました  作者: 比呂
16/18

破壊と決意


 作戦の内容が語られて数時間経っていた。まだ空には、深い闇が広がっていた。

 村の中心にある広場で、完全変貌したティルアが待機している。その足元では、ユーゴとシアンが立っていた。


「じゃあ、魔王軍の方は頼んだぞ」


 片手に袋を提げているユーゴは、自然と笑っていた。何処にも不安が見えない態度であったが、逆にそれがシアンの心を惑わせた。


「はい。私は直接戦闘するわけではないですから、問題ありません。それよりも、ユーゴたちこそ気を付けてください。敵本陣に殴り込みを掛けるのですから」

「わかっている、姉上。私にはまだ、姉上で妄想すべき事柄がたくさんあるからな。……乞うご期待」


 ティルアは竜種の姿のまま、器用に首を捻ってウィンクして見せた。

シアンが微笑む。


「これっぽっちも期待はしませんが、生きて還ってこられたら、少しくらいは相手をしてあげましょう」

「……………………」

「現在進行形で妄想するのは止めなさい。本人の前というのもマナー違反です」


 シアンが鋭く睨み付けると、ティルアは首を竦めた。

 傍から見ているユーゴにしてみれば、恐ろしくシュールな光景だった。巨大な竜種が、若い女性に怯えているなど誰が信じるだろう。


「くく、はははっ」


 ユーゴは堪えきれずに笑った。


「……ふぅ、まったく」


 シアンが小さく笑いながら、完璧な敬礼をして見せた。


「では、私は一足先に行かせてもらいます。必ず生還してください。約束は守ってもらいますから」


 手を下ろし、短く息を吐いた彼女は、一歩前に出てユーゴに絡みついた。彼の首元に唇をつけ、小さく噛んだ。


「な?」

「武運を祈ります」


 シアンがユーゴから離れると、顔も見せずに背中を向けた。そのままの勢いで、小走りに駆けていった。

 噛まれた場所を押さえて呆然とするユーゴと、半目をしているティルアが、しばらく無言で立っていた。

 ティルアが長い首を曲げて、ユーゴを見た。


「未来の旦那様に、私も同じことをするべきだろうか。嫁として」


 人を丸呑み出来そうな口が開き、鋭利な乱杭歯が露になった。


「お前は未来の旦那様を殺す気か」

「気にしないで欲しい。ちょっとしたジェラシーだ」

「おい、俺を口の中に入れるな。ちょっとしたジェラシーで挽肉にされたくない……って、涎が垂れてるって」

「いやあ。つい、お腹が減ってな」

「つい、で食われたくないよ。……って、もしかして、俺を背中に乗せるのを恥ずかしがっているのか」


 妙に時間を稼がれていることに気付いたユーゴが問うと、珍しくティルアが照れた。


「生娘で悪かったな」

「そこまで聞いてない。……けど、まあ、いいんじゃないか? 悪いことじゃないし、そういうのは可愛いと思う」


 ユーゴにしては、恐怖の象徴である竜種が照れていることに正直な感想を述べただけだったが、ティルアはそう受け取らなかった。

 妙な低音の声で、彼女が言った。


「……乗ればいいぞ」

「あ、そうか。じゃあ、頼むよ」


 ユーゴは持っていた袋を懐に入れ、魔族の中で最高硬度を誇る竜鱗を足がかりにして器用によじ登った。

 広い背中の上に出ると、長い首の根元まで這っていった。

 あまり背中の中心にいると、翼が羽ばたくときに振り落とされかねないからである。


「よし、乗ったぞ。大丈夫か」

「変な感じがする」

「どんな?」

「ムラムラする」

「……聞くんじゃなかった」


 ユーゴが肩を落とすと、首を曲げたティルアが鋭い視線を投げかけてきた。


「………………」


 しばらく睨まれたので、ユーゴは頭を下げて謝った。


「俺が悪かったよ。生理現象は仕方の無いことだしな」

「ん、いや、すまない。妄想していただけだ。……ユーゴをネタにして」

「ちょっと待て。俺の謝罪を返せ。あと、俺はお前の妄想の中でどんな扱いを受けているんだ」

「聞かない方が良いことも世の中には存在するぞ」

「そんなに酷いのか」

「酷くはない。エロい」

「やめてくれ」

「私は竜将軍だ」

「こんなときだけ思い出したように階級を利用するな」

「……ふむ」


 ティルアは納得したように、宙を見つめて頷いた。


「仲睦まじい夫婦の会話とは、こういうもので良かったのだろうか」

「そんなことは考えなくて良いから、出発してくれないか」

「了解だ」


 村を覆いつくしてしまうような巨大な翼が広げられ、空を叩いた。

 砂埃が舞い、藁葺屋根の家は屋根が吹き飛んだ。古い家屋が薙ぎ倒される。


 何回も羽ばたき、僅かに浮力を得た。

 それを逃すまいと、連続した翼の動きが、見えない空の手すりを掴んで昇るように、空へ飛翔した。


 周囲の地形が一望出来るほど高度を稼ぐと、前倒しに降下しながら滑空する。

 風景が激流のように流れていった。

 必死で鱗にしがみ付いていないと、振り落とされそうな勢いだった。

 それでもユーゴが竜種の背中に乗っていられるのは、彼の目前に風防の役割をしてくれている鱗があったからだった。


「……すまないな」


 ユーゴがそれに感謝するように呟くと、思いのほかまともに返事をされた。


「何がだ」

「この風の中で話せるのか?」

「触れられるくらい近くにいる者なら、話くらい出来るぞ」

「それは朗報だな。あと、風除けの鱗には感謝してる。これが無かったら、落ちるところだった」

「風除けの鱗?」


 不思議そうに言うティルアの声に、ユーゴは首を傾げた。


「ああ、これのことだが」


 彼は、目前の鱗を指で突いた。


「ひぐぅっ!」

「な、何事だ!」

「……そ、それは、逆鱗だぞ。間違っても引き剥がしてくれるな」

「わ、わかったが、引き剥がしたらどうなるんだ」


 溜飲を下げるような間がおかれた後で、ティルアが恐ろしいことのように言った。


「それは――――エロいことになる」

「エラいことの間違いだろ、なあ? お前しか知らない俺には、竜種全体のイメージダウンに繋がるんだ。よく考えて喋るんだぞ?」

「人間が無闇に竜種の逆鱗を触って、エラい目に会えばいい」

「腹黒っ! ……というか、竜種の逆鱗を触れるほど近くに行ける人間ってのがいないだろうなぁ」

「冗談だ」

「お前の冗談はどこまでが冗談か、本気でわからない……」


 その気が無くても、ティルアの会話ペースに巻き込まれてしまうユーゴだった。

 口を開くことを止めて、どうにか周囲の景色を把握しようとした。

 細かい目印は見えないので、夜空と境目のある山の稜線を記憶に照らし合わせて、距離を測った。


 そうすると、既にユーゴが歩いてきた二日分の道程を飛び去っていた。

 彼が歩いた距離は四日間だが、目的地まで直線で空を飛ぶ竜種の移動速度を考えれば、すぐにでも王都へ到着するだろう。

 ユーゴはいま見える地形から現在地を予測し、記憶の中の王都周辺を思い起こした。


「もう、そろそろか」


 そう彼が呟くと、おぼろげに王都の姿が見えてきた。周辺は何も無い平原で、時折、思い出したように小さな森が存在するだけだった。

 王都の姿が、よりはっきりとした形になってくる。


「いま、何か光ったぞ」


 ティルアの報告に、ユーゴも頷いた。先ほど上空を通り過ぎた小さな森が、激しく燃え上がり始めたのだった。それは赤い点となり、闇夜には良い目印になっている。


「早期警戒網に引っかかったみたいだ。まあ、魔玉誘導式バリスタと併用して運用している防空戦術の一環だな。これは、夜目の利く監視兵を褒めるしかない」


「いいのか」


 妙に落ち着いた声で、彼女が聞いてきた。

 ユーゴは笑いながら答える。


「予想範囲内だ。ただし、これから先は、いつ魔玉誘導式バリスタが飛んできてもおかしくない。充分に気をつけて欲しい。それと……たった三十体で第一次防衛ラインを突破した突竜飛行隊の意地を見せてやれ」

「任せろ。噛み付くのは得意だ……今度、ユーゴで試してやろう」

 妄想だけにしておいてくれ、とユーゴが言う前に、ティルアが速度を増した。長かった首を縮め、翼を折り畳み、急降下するような勢いで突っ込んだ。

 ティルアの黄金の瞳が、前方で待ち構える集団に気付いた。


「防空バリスタ群、その数およそ60基!」

「――――撃て」


 竜種の口が開かれる。

 暗闇に一瞬、目を焼くような光の華が咲いた。要塞すら穿つ光線が放たれ、地表を走った。


 前方に展開していた砲兵部隊は、光に押し流されるように消えていった。

 その後の大地は直線に燃え、被害状況が確認できた。光線が直撃しなかったバリスタや砲兵が、松明でも燃えるようにして、点々と転がっている。

 その光景に何かの感想を抱く前に、次の報告がされた。


「正面に――約500基の防空バリスタ群! 左右にも同程度が配備されているぞ!」

「何だとっ! ……くっ、よくここまで掻き集めたな――――」


 ユーゴは歯噛みした。絶望的な防空力が目の前にあった。

 己が予想していた数よりも、圧倒的に多数の魔玉誘導式バリスタが集められていた。

 これでは、前線には魔玉誘導式バリスタが殆ど配備されていないだろう。


 地上でバリスタの照準を合わせている音が、いまにもユーゴの耳に聞こえてきそうだった。

 そのとき、甘美に過ぎるティルアの声が聞こえた。


「さあ、行こうかユーゴ」

「……そうだな」


 彼女の鱗に手を置いたユーゴが、覚悟をした顔で言った。

 すると、彼を乗せた竜種は、首を上にして空を昇り始めた。勢いはそのままに、かなりの速さで飛んだ。


 夜空には、悠然と星が散っていて、その中には煌々と輝く月があった。


 ――――月を目指して飛翔する竜種(ドラゴン)


 地上からユーゴたちを見ていた砲兵たちには、そう見えていただろう。だが、それは王都を焼き尽くすために飛来した魔族に違いない。


 照準が終わった、総勢およそ1500基による魔玉誘導式バリスタが、砲兵隊長の号令を待っていた。


 怒声のような掛け声と共に、射撃命令が下される。

 砲兵たちは、一斉に引き金を絞った。


 矢が放たれる。


 風を切り裂く音が集結して大気を揺らし、上空を昇るティルアを追いかけ始めた。


 こうも矢数が多ければ、矢群に追いかけられているというより、津波に追いかけられているような気分にさせられた。


 月の光を反射して、矢じりの先にある《魔玉》が宝石のように光を蓄えている。

 ティルアが優しく微笑んだ。


「はははっ、まるで流星の大群にでも追いかけられているようだ」

「うん、綺麗だ」


 凍てつく息を吐き出すユーゴだった。かなりの高度を稼いだため、空気は薄く、気温が低かった。


 そこは、大陸さえ見渡せそうな光景だった。地平が曲線を描き、空の彼方へ消えているように見えた。

 ユーゴは、懐から袋を取り出して言った。


「貴君らの魂と誇りに、心から敬意を示す」


 ティルアも小さく呟いた。


「お別れだ、また会おう」


 ユーゴの持っていた袋の紐が解かれた。その中から、輝く宝石が幾つも転がり落ちた。

 宙を舞い、別れを告げるように光った。


 それは紛れも無く、《魔玉》だった。


 撃ち落され、死んでいった突竜飛行隊の誇りだった。

 魔玉誘導式バリスタならば、この《魔玉》を見逃すはずも無い。


 ゆっくりと降下する突竜飛行隊の《魔玉》と、上昇するバリスタの矢が、引き寄せられるように接触した。


 瞬間――――地表に太陽が現れたかのような光が溢れた。


 空中に爆発の塊が生まれて、追いかけてくる矢が次々に突入しては誘爆する。


 大気中で生まれた爆圧は、腹に響くような振動と共に、空にいるユーゴたちと地表に展開する砲兵部隊を叩きつけた。

 風圧の奔流に耐え切ったティルアは、背中に向かって言った。


「どうする?」

「噛み付け。突竜飛行隊(フレア・ダイバーズ)の名が伊達じゃないことを証明しろ」

「……わかった。しっかり掴まっているのだぞ?」


 口元を歪めて意地悪そうに笑ったティルアは、急降下の姿勢をとって、爆発の余韻が残る空域に飛び込んだ。

 いままでの高速飛行などとは比べ物にならない加速度だった。


「ぬ、ぐぅおっ」


 ユーゴは思わず声を漏らした。体中の内臓や血が、すべて後ろに引っ張られるような気分だった。

 視界などまるで利かず、何処までも続く深淵の闇へ堕ちていくようにしか感じられなかった。


 空中漂う爆煙を突き抜け、王都上空でティルアは翼を広げた。巨大な空気の壁に衝突して、舞い上がるように減速する。


 彼女は攻撃態勢を整えた。

 絶好のポジションを得た光竜が、いままでより大きな口を開いた。喉の奥から尋常ではないほどの光が溢れる。


 城壁が取り囲む王都の上空で、光の柱が生まれた。

 大地が爆ぜ、バリスタが吹き飛び、砲兵部隊が燃える。光で撫でるように照射された地面は、溶岩が溢れ出したような惨状となっていた。


 およそ魔玉誘導式バリスタが配備されていそうな場所を焼き尽くしたティルアが、延焼する王都の炎に照らされていた。

 彼女の背後から顔を出したユーゴは、唖然としながら言う。


「凄いな……」

「いや、自分でも驚いているぞ。私の閃光咆(ブレス)にこんなに威力は無かったはずだが。……調子に乗って焼き過ぎたかもしれない」

「居住区に当ったか」

「私を見損なうな。それらしい場所は避けている。……しかし、不思議だ」

「……俺の所為かも」


 ユーゴは自分の左胸を覗いてみた。特に変わった様子はなかったが、思い当たる原因はそれしかなかった。


「まあいい、作戦は順調だ。じゃあ、第一目標に向かうぞ」

「了解だ」


 ティルアは翼の角度を変え、ゆっくりと滑空した。

 暗闇に浮かぶエトアリア城を避けるようにして、近くにある王立魔術研究所の上空に行った。

 翼で風を受けながら旋回し、王立魔術研究所の概観を確認した。


「あの建物を狙うんだ。《魔玉》の研究施設を焼き払えば、魔玉誘導式バリスタの生産は難しくなる」


 エトアリア軍から魔玉誘導式バリスタを奪えば、ティルアが航空戦力として復帰できる。そうなれば、反撃は出来なくとも、さらなる時間を稼ぐことが出来るだろう。


「そういえば……」


 ユーゴはあることに思い至って、ティルアに条件を付け加えた。


「王立魔術研究所には、地下室がある。強めに吹き飛ばしても構わない」

「わかった、強めだな」


 彼女が口を開き、閃光咆を吐こうとしたとき、ユーゴはティルアの背中から手を放した。

 先ほどよりは少し細めの光が、地上の建築物を根こそぎ吹き飛ばす。光線は地下まで及び、大きなクレーター状の穴を作り上げた。


「……あれ? 弱くなったか」


 不思議そうに考え込むティルアに、ユーゴは肩を叩いて言った。


「いや、それくらいでいい。それより、あのクレーターの中心に降りてもらっていいか」

「構わないが、地上戦は苦手だ。私にあまり期待をしないで欲しい」

「わかってる、すぐ終わるよ」


 翼を羽ばたかせ、ティルアはクレーターの中心に足を付けた。その場に寝そべるような体勢を取って、ユーゴを地面に降ろす。


 ユーゴが立っている場所は、以前にも訪れたことがあった。

様々な瓦礫と化した研究道具に埋もれて、ガラス製の大きな円筒があった。


 ティルアの閃光咆で破壊されていないのは、奇跡に等しかった。

 そして、その奇跡を起こした男が、ガラス製の円筒の前にその前に、血塗れで座り込んでいた。

 ヘクターが黒杖を抱え込んだまま、顔を上げる。


「……今度は何しに来たんだよ。ええ? 金なら無いぜ」

「それはもういいんだ。金のことは解決した。別に、お前に会いに来たわけじゃない」


 ユーゴがそう言うと、ヘクターは眦を吊り上げて叫んだ。


「近寄るなっ! お前もこいつが欲しくなったんだろう! そうはさせるか……そうはさせるかよぉ」


 血塗れの身体を、引き摺るようにしてヘクターが立ち上がった。瀕死の息で黒杖を構え、ユーゴに突きつける。錯乱している様子だった。


「いぃっつも、そうだ。お前は、いつも、俺の、邪魔をするぅっ! い、いいじゃないか、少し、くらい、俺が、報われてもよぉぉぉっ!」


 ユーゴは真顔で、ヘクターを見つめ続けていた。


「渡さねぇよ……渡してたまるかよ!」

「そういうことじゃ、ないんだ」


 表情のまったく変わらないユーゴの左目から、一筋だけ涙が落ちた。


「俺は友人の恋人を、静かに眠らせるために来たんだ。お前の都合は関係ない」

「ふ、ふざけるな!」

「こっちは大真面目だ」

「お前の事なんか知るかっ!」

「じゃあ、さよならだ」


 ユーゴは突きつけられた黒杖を左手で押さえ、右手で腰の短剣を抜き打ちした。

 鞘鳴りの音が響き、鋭い刃が皮と肉を切断した。刀身に血脂すら付いていない早業だった。


 ヘクターが叫んだ状態のままで崩れ落ちる。

 あまりの剣速に、痛みすら感じることなく絶命したのだった。

 ユーゴがヘクターの死体を整えて、綺麗に寝かせてやった。そして、後ろを向いた。


「ティルア、少し手伝ってくれ」


 すると、長い首だけを伸ばして、彼女が顔を見せた。


「終わったのだろうか」

「ああ。後は、ジゼル王妃をゼルヴァーレンの元に送るだけだ」

「は? 何を言って――――」


 ティルアはガラス製の円筒の中身を見て、絶句した。しばらく息を忘れるほど驚いていたが、気を落ち着けると、ユーゴを見た。


「知っていたのか、ユーゴ」

「最近知った。人間でも、この事を知ってるのは極少数だ。責めるべき相手も、もう死んでるだろう」


 人間は二百年も生きられない。ジゼル王妃を捕らえて実験体にした研究者たちは、とっくの昔にこの世から姿を消しているのだ。


「ティルア」


 ユーゴが、竜の姿をしている魔族の名を呼んだ。


「ジゼル王妃を閃光咆で葬送してやってくれないか」


 彼女は歯噛みをしながら、殺意の篭った目で彼を睨み付けた。人間が実験体にした王妃を、魔族に処理させるような態度が気に食わなかったのだ。


「私はいま、初めてユーゴという人間を殺してやりたくなった」

「このまま王妃を晒し者にしておくのか」

「わかっているっ!」

「だったらやれ。これはお願いじゃない。命令だ」


 ユーゴの左目が、僅かに光を帯びた。それは、魔王の胸にあった《魔玉》と同色の輝きだった。

 そのことに、彼を見ていたティルアだけは気付いた。


 ――――生命は死を迎えても、誇りが死ぬことは無い。


 王が王たる由縁も、そこにあるのだと彼女は思った。

 ティルアが精一杯の虚勢を張って、笑った。


「命令? 私はユーゴの部下ではないぞ」

「え? あ、いや、そうだな。何で俺は命令って言ったんだろ」


 不思議そうに首を傾げたユーゴだった。左目から流れる涙にも気付いていないようだった。

 ティルアが息を吐いてから言った。


「だからこれは、私の意志でやったことだ。このことは誰にも言わないで欲しいのだが」


 ユーゴは優しく微笑んだ。


「わかった、約束しよう。誰にも言わない」

「姉上にもだぞ。魔族が知って、気持ちのいい話ではないからな」

「もちろんだ」

「……ようやくジゼル様は解放されるのか」


 口を開いたティルアが、ガラス製の円筒に狙いを定めた。死を悼むように目を細めてから、閃光咆が放たれた。

 溢れる光が円筒を包み、一瞬で蒸発する。跡形も痕跡を残さずに消えてしまった。周囲の瓦礫も見事に抉られている。


 冥福を祈るために、二人は短く目を瞑った。

 閃光咆の余波で木材が倒れ、落ちていた黒杖が弾き飛ばされ、ユーゴの足元へと転がってきた。

 ユーゴは黒杖を拾い上げて、眺めてみた。


「結構軽いんだな」

「ああ、黒杖(グリーダル)ではないか。元々黒杖は閣下のものだ。閣下の《魔玉》を持つユーゴに相応しいだろう。持っておけばいい。損にはならないと思うぞ」

「そうか、な――――っ」


 ユーゴは突然、嫌な空気を感じ取った。

 それは予感ですらなく、死の宣告にも似た底冷えのする気配だった。


 クレーターの底から周囲を見回したユーゴは、逃れ得ない危機が迫っていることを知った。



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