作戦会議2
フールア村に、再び悪夢が訪れた。
大地を割る魔族がいなくなったと思ったら、今度は竜種が飛んできたのである。村人は家財道具も放り投げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
村の中には、家畜と虫の声しかしなくなった。
先に地面へ降ろされていた檻から、ユーゴとシアンが出てきた。続いて竜の姿をしたティルアが、村の中心にある広場を埋め尽くすように降りてきた。
舞い上がる粉塵が目に入らないよう、地上にいた二人が腕で顔を庇う。
ティルアの足が地面に着くと、風が止み、竜種の翼が折りたたまれた。そして、長い首を夜空に向けて伸ばす。
竜種の姿がかなりの勢いで縮み、次第に半変貌状態になった。
言わば竜人と呼ばれる姿だが、さらに変貌が続き、初めてユーゴが会ったときのような人の姿になった。
「ああ、疲れた。ご飯が食べたい」
「その前に服を着なさい」
まるで仲睦まじい姉妹のように振舞うシアンとティルアだった。
ユーゴは実家の扉を開けて、手招きをした。
「食事は無いかもしれないが、服ならあるはずだ」
そう言って、先に家の中へ入った。
寝室に行き、木製の収納箱を取り出した。アラベラが持っていた女性用の衣服から、何枚か選んで居間に戻る。
既に二人は家の中に入っており、シアンに至っては軍服に着替えていた。
「すいません、ユーゴ」
「いや、このまま収納箱のなかで腐らせておくよりはマシだよ」
シアンに服を手渡すと、ユーゴは台所に向かった。戸棚の中に保存食でも無いものか、と食料を探していると、数枚の干し肉を見つけた。
「これは……じいさんの酒の肴か?」
隣には自家製のワインもあったので、取りあえず全部持って居間に戻る。
着替えの終わったティルアが、椅子に座っていた。その隣にはシアンもいる。
「お下がりで悪いな」
ユーゴはそう言って、二人の前にあるテーブルの上へ、ワインボトルと干し肉を置く。
そして、食器棚から木製の椀を三つほど取り出してテーブルに並べ、椅子に座った。
「食べられそうか」
彼の問いに、シアンは頷いて見せた。彼女はワインボトルを持って、それぞれの椀に注いでいる。
「はい。食生活自体は、人間とそんなに変わりません」
「なら良かった」
ワインの注がれた椀を持ったユーゴは、匂いを確かめてから口に含んだ。少し渋めではあるものの、飲めなくは無かった。
「ところで――――」
シアンが椀を両手で持って、濃紫の液体を見つめながら言った。
「ん?」
「話とは一体何でしょう。ユーゴも、あの中佐の話を聞いていましたね。ならばわかってもらえるはずですが、我々はすぐにでも本国に帰って、防衛の準備をしなければなりません」
「そうだな」
ユーゴは干し肉の一枚を手に取り、硬そうに奥歯で噛む。
ティルアは話などお構いなく、平気で干し肉を食いちぎっていた。
そんな二人の緊張感のない空気に、シアンが口を曲げた。
「説明してください」
「……わかった」
齧りかけの干し肉をテーブルの上に放ったユーゴは、ワインを一口だけ飲んだ。
「恐らく、君たちが国に帰ったところで、全滅までの時間が少し延びるだけだ。エトアリア軍は、さらに増強されてる。俺はこの目で見てきたからな」
ユーゴの脳裏に、ジェラルドの傭兵団と、新兵の訓練風景が浮かんでいた。
「増強、ですか」
シアンは困惑顔をしていた。
現状でも既に、王国は魔族に兵力で勝っている。これ以上増強しなくとも、魔族は全滅させられるだけの力を持っているはずだった。
「ああ、エトアリア王国にとって、もう魔族は眼中に無いんだよ」
「…………んぐ」
食べることに集中していたかと思われたティルアが、干し肉を噛みながら上目でユーゴを見た。彼と目が合うと、また食事を再開した。
眉を寄せたシアンが問う。
「眼中に無いのなら、なぜ攻めて来るのでしょう」
「そうだな。じゃあシアンは、エトアリア王国がどうして魔族と戦争を始めたか知っているか?」
「はい。人間が宣戦布告したと聞いていますが」
「うん、間違っては無い。昔から小競り合いは頻繁にあったし、戦争もあった。ただ今回は、魔玉誘導式バリスタがあったからな。人間側が大攻勢をかけたって訳だ」
シアンが軽い溜息を吐いた。
「まあ、人間だけが悪いと言うつもりもありません」
「ああいや、善悪で戦争をどうこう言うつもりは無いよ。他にもちゃんと理由がある。……エトアリア王国は、大陸中部の平原に位置する国だ。周囲を他国に囲まれ、常に攻め込まれる危険を孕んでいる。特に、王国北部にある魔王軍のヴァレリア城は、戦略的に見てエトアリア王国の背後を突く形になっていたからな」
シアンは納得するように頷いた。
「それは知っています」
「ああ」
彼女が参謀副長であることを思い出したユーゴは、詳しく説明することを止めた。
「エトアリア王国が他国に攻め込もうと思ったとき、魔族が邪魔だったんだ」
「ええ、我々魔族も、それが今回の戦争の原因だったと認識しています」
「うん。だからエトアリア王国は、魔族が人間に嫌われていることを利用して、他国に疑われないように戦力を増やしたんだ。感づいている国家もあったかもしれないが、魔族討伐という大義名分には文句を付けられなかったと思う」
ユーゴはワインで喉を潤してから言った。
「侵略戦争をするための戦力を得ることと、目障りだった魔族を壊滅させることが、エトアリア王国の目論見だったんだよ」
「もう魔族には、抵抗出来るような戦力など僅かしかないと思いますが」
「新兵を訓練していたからな。多分、他国に攻め込む前の実戦訓練として、残存した魔族を全滅させるんだろう。そうすれば、より精強な軍隊になるし、魔族の反乱を憂う心配も無くなる」
いまの魔族ならば、戦力的に見てほぼ負けることの無い相手だった。しかも長年の仇敵ならば申し分ない。
勝ち戦は、国全体の士気をあげる材料になる。
すなわち、魔族を討伐した精鋭の集まる軍隊と、戦争特需で賑わう経済、士気の高い国民が揃っている王国が出来上がるのだ。
それを手にするのが、国王という存在である。
「ジョアンの狙いは、それだったんだな」
ユーゴが独り言のように呟いた。
すべてを聞いたシアンは、拳を握る。
「我ら魔族には、滅びる道しかないというのですか……」
ティルアは、黙ったまま天井を見つめていた。
ワインを一気に飲み干したユーゴが、テーブルの上に椀を置いた。
「俺は、君を救うと言ったぞ」
シアンはユーゴの目を見た。
「しかし、どうやって――――」
「いまのエトアリア王国と正面から戦っても、どうやったって勝てない。だが、君たちが本国へ帰って戦うよりも、長い時間を稼ぐことは出来る」
「ふぅん」
ワインに口をつけたティルアが、珍しいものでも見るようにユーゴを眺めていた。
ユーゴはティルアに顔を向ける。
「それには無論、突竜飛行隊の協力がいる」
「ほぅ。いま飛べるのは私一人しかいないが、それでもいいのか」
「ああ、構わない」
「面白いことを言うのだな」
ティルアは、決して敵対的ではない笑みを浮かべた。
それを見たシアンが、大きな溜息をついて、ユーゴに笑いかけた。
「では救ってください。頼みますよ」
「わかった。……とにかく、やることは二つある。エトアリア王都に攻め込むことと、魔王軍に全面撤退を進言することだ」
「撤退を進言することは理解出来ますが、王都に攻め込む、ですか?」
「そうだ。時間を稼ぐためには、王都を攻撃して、エトアリア軍を下がらせるしかない。流石に王都が陥落すれば、新兵訓練どころじゃないだろう」
「無茶ではないですか? いくらティルアがいるとは言え、正面突破は不可能です。王都にだって、魔玉誘導式バリスタが配備されているはずです。そもそも、そんなことが可能なら、突竜飛行隊は壊滅していません」
「そのために、俺が行く。そのときは檻に入れられるんじゃなくて、背中に乗せて欲しいけどな」
「っ!」
シアンはいきなり立ち上がった。ティルアは、ぽかん、とした表情でユーゴを見ていた。
この状況に、ユーゴは眉を顰める。
「……な、何だ。俺は何か拙いことをしたのか」
「いえ」
難しい顔をしたシアンが、静かに椅子に座った。
ティルアは何やら考え込んでいる様子で、腕組みをしていた。そして、ユーゴを品定めするように見回してから、よし、と手を打った。
彼女は真剣な視線をユーゴに向ける。
「ユーゴ・ウッドゲイト。お前は本当に、この無謀な作戦を成功させられるのか?」
「勝算はある。俺だって、死ぬわけにはいかないんだ」
「うむ。ならば、もう一つ訊ねよう。……竜種は、好きか?」
「は?」
「いいから答えてくれ」
「あ、ああ」
ティルアの剣幕に押され、ユーゴは頷いた。
正直、好きか嫌いという分類に当て嵌める生物ではなかったが、別に嫌いというわけでもない、というのが彼の本心だった。
そこで、まだ難しい顔をしているシアンが、話に割り込んできた。
「少し待ってください。ティルアは本当にそれでいいのですか」
「しかし姉上、この状況で時間稼ぎが出来るのは貴重だ。非戦闘員を逃がすためにも、時間がいる」
「そうですが――そうだ、ユーゴに聞きます。ティルアの背中に乗るのは、私ではいけませんか」
「別に構わないが、そうすれば魔王軍に全面撤退を進言する役割が俺になる。魔王の仇が口にする言葉を、魔族がどれだけ信じてくれるかが問題だな」
「それは……難しいでしょうね」
考え込むシアンに、ユーゴは思い切って聞いてみた。
「なあ、その、ティルアの背中に乗ることが、そんなに難しいことなのか?」
「あ、いえ、そうですね……」
言葉を濁すシアンの代わりに、ティルアが口を開いた。
「そんなことはない。物理的にはそう難しくも無いからな。問題は精神的な面だ」
「精神的な面?」
ユーゴの言葉に、シアンが観念したように言った。
「はい。竜種は交尾をするときに、雌側が下で、雄側が上にのしかかるような格好になります。そういう習慣もありまして、雌が背中に乗せる雄というのは、交尾を許可した者ということになります。平たく言えば、夫婦になるという意味です」
「……なるほど、な」
「それだけではありません。特にティルアの種族――光竜は、もうティルアしか残っていません。絶滅寸前でもあるため、夫を選ぶのには慎重にならざるを得ないのです」
「そうか」
ユーゴは、ファルクラン陣地の砲兵部隊を薙いだ光が思い浮かんだ。
よく聞く竜種としては、火炎放射や火弾を吐き出す火竜種が殆どだった。
光を吐く竜などは、そうそうお目にかかるものでもない。
ティルアが仕方なさそうに言った。
「とは言ってもだな、姉上。雄の光竜などこの大陸にはいないのだ。魔王軍の竜種も、最早私だけになってしまった。違う大陸に行けば他の竜種もいるのだろうが、婿探しにそこまでする気もない。それに私とて、相手が誰でもいいわけではないぞ。ゼルヴァーレン閣下の《魔玉》を持つ者だからこそ、身を委ねても良いと考えたのだ」
「ですが、一生の問題ですよ」
「ならば、魔族を見捨てるというのか」
二人の喧騒を聞いていたユーゴは、少し申し訳なさそうに言った。
「そんなに重く考えなくてもいいんじゃないか。背中に乗るだけだぞ」
シアンとティルアが同時に振り向いて睨んだ。
「女の魔族を侮らないでください。女にとって結婚は一大事です」
「私を舐めないで欲しい。結婚相手を決めたら、相手が嫌がってもとことん尽くす女だ」
すいません、と呟かざるを得なかったユーゴだった。
シアンが何かを思いついたように言った。
「では、この戦いが終わった後に、ユーゴには死んでもらいましょう」
「な、なんだとっ!」
ユーゴは思わず叫んでいた。
「あ、それは世間的にという話です。実際に死んでもらうわけではありません」
ティルアは口を曲げる。
「それは駄目だ。私は一度決めた雄としか添い遂げない。私は一本気なのだ。嘘でも死んでもらっては困る」
「だからあなたの種族は滅びかけているのではないですか。大して出生率も高くないのに、そんな精神論では繁栄出来ませんよ」
「ならば私とユーゴでばんばん交尾して、たくさん卵を産めば良いだけの話だろう」
「ん? ……ちょっと待て」
ユーゴは掌を突き出した。素朴な疑問が持ち上がったのだった。
「人間と魔族で、子供が出来るのか?」
「え」
「あ」
女性陣の二人は、完全に固まってしまった。しかし、シアンはすぐに自分を取り戻した。
「……確かに、前例はありませんね。基本的に私たちは、卵生ですし。胎生の人間とどうなるのかは、正直わかりません」
ティルアが難しい顔をして唸る。
「むぅ、しかしだな。ユーゴの作戦通りにするなら、私の背に乗るのは決定事項なのだろう。ならば、こうしよう」
彼女は細長い人差し指を立て、言った。
「ユーゴは、魔王軍に竜種を増やしてくれ。方法は問わない。夫婦で増やせれば言うことはないのだが、こればかりは試してみないとわからないし、いまは試している時間もない。竜種は唯でさえ希少種なのだ。頼む、我らを救ってくれ」
「ん、ああ」
ユーゴはシアンに視線を向けた。彼女は最初、難しい顔をしていたが、力を抜いて苦笑いを浮かべた。そのままユーゴに頷く。
彼も頷いて返事をした。そして、ティルアに言う。
「わかった、ティルアを救うよ。それだと、結婚はどうなるんだ」
シアンが腕組みしながら言った。
「まあ、仮に、ということで良いではないですか。この作戦が終わってから考えましょう。その時間を得るためにも、絶対に勝たねばなりませんが」
「そうだな。……とすると、いまからシアンを姉上と呼ばなくて済みそうだ」
「いえ、私とティルアは姉妹ではありませんよ」
「え、そうなのか」
ティルアは平然と答えた。
「そうだぞ。そうだったらいいな、と思って呼んでいただけだ」
「この子が得意な妄想です」
「……紛らわしいな」
ユーゴは肩を竦めた。
ティルアが片眉を上げる。
「非常に個人的な問題なのだ」
「出来ればそのまま、心の中にでも仕舞いこんだままにしておいて欲しかったのですけど。……まあ、ティルアは私より歳下ですし、間違っているわけでもありません」
「いや、そういう意味だけでは無いが」
心外な、と言わんばかりのティルアが腰を浮かせたのだった。
「えっと……」
ユーゴは妙な空気を感じた後で、無理やり真剣な眼差しになった。
テーブルの上に手を置いてユーゴが言う。
「とにかく。これからの作戦を詳しく説明する」
田舎になる木造の小さな家で、エトアリア王国に反逆するための作戦が語られたのであった。