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勇者辞めました  作者: 比呂
12/18

存在証明


「……――――っ、んぁ」


 ユーゴが目を開くと、目前に草があった。

 何処にでも生えている雑草で、何処にでもあるようなものだった。


 身体を動かそうとして、関節が痛んだ。腕と膝を擦り剥いているようだが、そんな傷に覚えはなかった。

 上半身を起こすと、自分が道の脇にある草原に転がっていたことを理解した。


 状況から見て、走っている途中に気を失い、草原に倒れこんだのだと思われた。


 空を見上げると、日が傾いている。もう少し時間が経てば、夕日となるだろう。

 思ったより長い間、気を失っていたことに気付く。


 ユーゴはその場で膝を抱え、何をするでもなく、一点を見つめた。

 風が吹いて、彼の頬を撫でる。


 彼は、ただ前を見ていた。

 それ以外、何もしなかった。

 身体を動かす意味さえわからなかった。

 このまま砂のように崩れ落ちてしまえば、と言葉にせずに思った。


 風が吹く。

 ユーゴの前髪を揺らした。


「………………」


 遠くから、微かな騒ぎ声が聞こえてきた。


 まばらな人の群れと、それに合わせた速度で歩く馬車が、ユーゴの視界に入った。

 それは、ゆっくりとこちらに近づいてきた。


 人が、地面で何かを拾って、投げつけている。

 人が、はやし立てる。


 ユーゴは無意識に顔を上げ、ものが投げられる方向を見た。

 馬が引く馬車の荷台に、丸太が立てられている。


 そこに、女が縛り付けられていた。魔王軍の制服を着ているので、魔族であることがわかった。

 

 石を投げられ、血を流していた。


 見世物のように晒され、罵倒され、暴力を受けている。


「ああ――――」


 ユーゴは顔を伏せた。


 あの魔族を、救いたいと思った。

 魔王を殺しておきながら、随分と虫のいい話だと己を嘲った。


 しかしその程度で、心に灯った感情が消えはしなかった。

 ユーゴは、自分が魔王を斃した理由を考えた。


 それは国王に命令されたからではない。

 魔族に苦しめられる人間を、救いたかったからである。


 自分が兵士になった理由を考えた。

 それは、育ての親を救いたかったからだ。


「俺は――――」


 誰かを救いたかった。

 困っている人に手を差し伸べたかった。

 生きる理由など見つからなかったが、誰かを助ける理由はあった。


 救おうとする者たちの心の叫びを聞き届けた後にだけ、ユーゴの心は満たされた。



 ――――これは、罰だったのだろうか。



 親友に等しかった部隊の仲間に、騙された。


 魔王から助けたはずの国民からは、罵倒された。


 忠誠を誓った王国からは、死刑を言い渡された。


 育ての親は、村人たちに追い詰められて殺された。



 ――――誰かの不幸で喜びを得るような人間への、神罰だろうか。



「どこが、勇者だ。何が、英雄だ……」


 目指したものは、何処にも無かった。

 

 自分のやり方が正しいとは思っていない。

 自分のやって来たことが正しいとは思っていない。


 ――――だが、誰かを救うことは間違っていないはずだ。


「……」


 彼は腰の短剣を抜いて、草原に突き立てた。


 何処にも無いなら、見つかるまで探してやろう。


 救いを求める者に、惜しみなく救いを与えてやろう。



 ――――誰かに優しくすることが、間違いではないと言うことを、俺が証明してやる。



 ユーゴは地面に刺さった短剣を引き抜き、立ち上がった。


「わかったよ。俺が証明できるまで、死に物狂いで救ってやる」


 彼は自分に、呪いをかけた。

 独善にしか過ぎない救いを誓った。

 悪質でしかない契約を交わした。


 短剣を持ったまま、ゆっくりと歩き出す。

 馬車はこちらに向かってきていた。

 五人の槍を持った兵士が、馬車に随伴しながら護衛している。その周りに、野次馬と化した村人たちが騒ぎ立てていた。

 我先に石を拾っては、縛られた魔族に投げつける。


「この魔族っ」

「てめぇがいるおかげで、今年も凶作だ!」

「死ね、死ね、死ねぇ!」


 兵士たちは、投石から魔族を守ろうとはしない。薄笑いを浮かべた顔で、村人たちの行為を黙認するだけだ。


「ん? 誰だ、貴様は」


 夕闇に浮かぶ、人影が一つ。


「あいつ、武器を持ってるぞ!」


 馬車の先頭に立つ兵士の一人が、槍を構えた。

 それに続いて馬車が停止し、残りの兵士も駆けつけた。村人たちは石を拾い上げ、状況を静観している。

 兵士は目を細め、突然現れた不審者を睨んだ。


「魔族を助けようとしているな。……こいつも魔族だ! 殺せ!」


 ユーゴは俯かせていた顔を上げる。


「救わせてくれ」


 目の前の人間すべてを無視して、縛られた女の魔族だけに、懇願した。


「俺は君を助けたい」

「なんだぁ……こいつ、狂ってやがるのか」


 兵士たちは槍を構えたまま、ゆっくりとユーゴに近づいてきた。

 三人がユーゴに槍を突きつけ、先行した二人の兵士が、警戒しながらユーゴの隣に立つ。


「こいつ、ブツブツと何か言ってるぞ」

「頭おかしいんじゃねえの、なぁ」


 そう言った兵士が同僚の肩を叩くと、同僚が力なく崩れ落ちた。首から血を噴出して、地面に突っ伏している。


「は、え? 何だ?」

 

 自分の手と同僚を交互に見た兵士は、いつの間にか不審者が消えていることに気付いた。後ろを振り返ってみると、控えていた三人の兵士が、槍を向けていた。


「なに、やってんだよ……つぁ、あ?」


 背中を押された衝撃があった後で、兵士は自分の胸から刃が突き出ていることを知った。ずるぅ、と刃が引き抜かれる。

 心臓を背後から貫かれ、兵士が絶命して倒れると同時に、ユーゴが駆けた。


「せいやっ!」


 突進に合わせて、一人の兵士が槍を突きした。

 短剣で槍の穂先を受け流したユーゴは、兵士の間合いの内側に入る。

 槍では対処が出来ないと思った兵士が、槍から手を放し、後ろに下がりながら腰の剣を抜こうとした。

 しかし、手首が無かった。反対の手で剣を抜こうとしている間に、首元へユーゴの短剣が突き刺さる。


「っか……」


 ユーゴは何も言わず、短剣から伝わる人の死を実感していた。


「ちくしょう、何だお前はぁっ!」


 残った二人のうちの一人が、槍を横に薙いだ。首を刺された味方の兵士ごと叩き払うつもりなのだろう。

 短剣から手を放したユーゴは、兵士の死体を掴んで身体を入れ替えた。

 同士打ちをしたところで、死体から短剣を引き抜く。その動きを利用して短剣を振りかぶり、投擲した。


「がっ」


 短剣は槍を振り払った兵士の胸に突き立ち、のけぞるようにして倒れた。


「う、あぁぁ……」


 最後に残った兵士が、震える手で槍を構えていた。

 それを視界に入れようともしないユーゴは、投げた短剣を回収しようとする。


 死体の傍に立ち、短剣を引き抜いた。

 そうしてようやく、震えている兵士の方を向いた。短剣を無造作にぶら下げたままで、一歩一歩、ゆっくりと近づいた。

 背中を見せれば切り殺されると思っていた兵士は、強く槍を握り締めた。


「はっ、やってやる、上等だっ、殺ってやるぞっ!」

「…………」


 ユーゴは何か考え事でもするように、空を見上げる。

 そして、兵士に向かって素直に言った。

 かつて、魔王が言ったように。


「……俺とお前は、友になれると思うか?」

「ふ、ふざけたこと言ってんじゃねぇ!」

「そうだよな」


 槍を突き出す兵士の横を、ユーゴは素通りする。短剣を持っていた右腕だけが、素早く振りぬかれた。


「かっ――――くかっ」


 兵士が槍を落とし、自分の喉を抑える。指の隙間から、湧き出るように血の泡が溢れ出していた。溺れるような声を出し、地面に倒れて息絶えた。

 最後の兵士の死を見届けると、ユーゴは怯えている村人を見た。


「まだ、殺され足りないのか?」

「ひ、ひいやぁぁぁっ」


 村人たちは、持っていた石を落とし、我先にと逃げ惑った。

 その場に、ユーゴと馬車と、兵士の死体が残される。


「――――はぁ」


 深い溜息をついた彼は、馬車の荷台に上り、魔族を縛り付けている縄を確かめた。

 きつく縛られていて解けそうもなかった。短剣で縄を切り、魔族を解放する。


 荷台の上に倒れこみそうだった魔族を片手で受け止め、手と足を拘束している縄も切った。

 ユーゴに抱かれたような格好の魔族は身体を捩り、彼の胸を押し返して拒絶する。


「……放してください」


 しかし、彼女の力は弱く、衰弱しているようだった。

 ユーゴは首を横に振った。


「俺に救わせてくれ」


 彼は強引に魔族を肩に担ぎ、荷台から降りた。

 護衛の兵士を皆殺しにして魔族を助けた以上、ここに長居は出来ない。逃げた村人が、役人に通報するのも時間の問題だと思われた。


 とにかく一息つける場所、ということで、フールア村方面に歩き出した。

 女の魔族も観念したのか、それとも疲れ果てているのか、抵抗しなくなった。

 しばらく歩くと、遠目に村が見えた。


 ユーゴは村へ続く道から離れ、草原に入った。その先にあるのは、木の生い茂る山しかない。

 獣道も無いような場所を掻き分けて進み、山裾の斜面を登った。

 そして、五人がかりで両腕を広げても囲えないくらいの幹をした大樹の元へ辿り着く。


「……よかった。まだあったな」


 大樹の根元には、大きな(うろ)があった。

 元は熊の寝床だったのだろう。大人が優に寝転べる広さだった。

 ここは、ユーゴが幼い頃に見つけた場所であった。誰にも言ったことの無い秘密基地だった。

 先ほどから少しも動かない女の魔族を、洞の奥に寝かせた。


「とりあえず、手当てか」


 近くに川があったはずだけど、と独り言を呟き、水を汲みに出かけようとした。女の魔族に背を向けたときだった。

 腰に差していた短剣を奪われた。


 ユーゴが振り向くと、短剣を構えた女の魔族が立っている。

 憎悪の篭った眼で睨みつけられた。背筋が凍ってしまいそうなほど鋭く美しい、氷青(アイスブルー)の瞳だった。


「君は……」


 一瞬ですべてを思い出したユーゴは、口を開こうとしたが、彼女の声に遮られた。


「私を覚えていますか、エトアリアの兵士」


 女の魔族が、切れ長の目を鋭くして言う。


「魔王軍参謀副長、シアン・コルネリウスです。あの時は互いに、自己紹介も出来ませんでしたね。それと、素敵な首飾りを頂いたようで感謝します。お陰で首が吹き飛びました」


 皮肉の笑みを浮かべたシアンは、ユーゴの言葉を待った。

 彼は、真顔で頭を下げる。素敵な首飾り、という言い回しが何を意味するのか理解できなかったものの、誰が何をやったのかくらいは見当がついていた。


「ユーゴ・ウッドゲイトだ。その節は、部下が大変失礼なことをした。許されるとは思わないが、謝罪させてもらう。すまない」


 シアンが気分を害したような顔をした。腹立ち紛れに、どうでもいいようなことを指摘する。


「……官位と所属は名乗ってもらえないのですか」

「既に軍籍から外されているから、名乗れないんだ。官位も剥奪されているしな。……さらに不名誉なことだが、いまは国家反逆罪で死刑宣告を受け、脱獄して逃亡中の身だ」


 何気なく言ったユーゴの言葉に、シアンが眉を顰める。


「魔王討伐の英雄が、死刑に脱獄、ですか。……私には、人間が理解し難いようです」

「ああ、俺のことはどうでもいいんだ。それより、君の怪我の具合はどうだ。人間と同じ方法でいいのなら、救急治療くらいは可能だ」

「結構です。傷ならもう、治りました」


 これには、ユーゴの方が驚いた。彼女は先ほどまで、自分で歩けないほどの重症を負っているように見えた。加えて、ひどく衰弱もしていた。

 何体もの魔族を相手にしてきたユーゴにも、彼女の治癒力が異常であることはすぐに分かった。

 ユーゴが黙っていると、シアンは短剣を彼の心臓に向けた。


「質問があります、人間」

「あ、ああ」


 有無を言わせぬ剣呑な雰囲気で語りかけてきた彼女に、ユーゴは頷くことしか出来なかった。

 シアンは言葉を続けた。


「どうして私を救ったのですか。見かけは女ですが、私は魔族です」


 根本的な問題だった。魔族という存在は、人間にとって恐怖の対象なのだ。

 単純な身体能力だけで比べれば、シアンはユーゴのそれを凌駕している。

 女に見えるとはいえ、人間の首すら捻り切る力を持っている魔族を救うなど、正気の人間がすることではない。


 ましてや、ユーゴは同族の人間を殺してまで救ったのだ。彼女の疑念は必然的なことだった。裏があると考えるのが普通だろう。

 だがユーゴは、臆面も無く答えた。


「証明したかったからだ」

「……証明? 何を言っているのですか、あなたは」

「君を救いたいと思った。だからそうした。それだけだよ」

「いまの状況を考えてください。救った相手に殺されることを考えていなかったのですか」

「救った相手が、俺を恨もうが殺そうが関係のないことだ。それこそ、人も魔族も関係ない。救いたい相手は俺が決める」


 不可解な生き物を相手にするようにして、シアンが言った。


「そんな適当に誰かを救って、あなたは何を得ると言うのですか」

「わからない。……でもそれは、絶対に何かを得なければならないことなのか?」


 理解に苦しむ、といった表情を見せながら、シアンは質問を続けた。


「絶対とはいいきれませんが、それで生きていけるんですか? 人間と言うものは」

「それもわからない」

「え?」

「わからないから、証明する。俺が生きていることで、生きていても良いんだと言うことを、証明する」

「それは――――」


 当たり前のことではないのか、と彼女は口に出しかけた。

 生まれて、成長して、死んでいくのは人間も魔族も変わりは無い。そんなことに理由などないのだ。

 シアンは誰にも聞こえないように呟いた。


「自分が生きていることを証明するために、私を救ったのですか……」


 『救う』ことに『救い』を求めるという。

 しかも、救う相手は誰でもいいのだ。

 その日の気分で救う相手が変化しても不思議ではないし、敵を選ぶ根拠さえ見当たらない。


 それを狂気と言わずして何と呼ぶのだろう。

 まともな人間ではない。

 だが、ユーゴの真剣さだけは理解したシアンだった。


「そうでしたね。あたなは私の命を救いました。まともで無いというなら、それで構いません。……これで二度も救われたことになりますね」


 そう言った彼女は、持っていた短剣を半回転させた。刃を自分側に向けて、柄をユーゴに差し出す。


「いいのか」


 ユーゴの言葉に、シアンは微笑んで見せた。


「魔族とて、恩くらいは知っています。それに、短剣しか持たない人間の一人程度、傷が治った私の敵ではありません」


 短剣を返してもらったユーゴは、手馴れた手つきで腰の鞘に収めた。先ほどから疑問に思っていたことを聞いてみる。


「ところで、本当に傷は治ったのか? さっきまでは、どう見ても重傷に見えていたんだけどな」

「ええ、その通りです。重傷でなければ、あの程度の兵士に捕まることはありえませんからね」


 少し悔しげな表情で、顔を俯かせるシアンだった。


「じゃあ、君が凄いんだな」


 ユーゴがそう言うと、彼女は怪訝な顔をした。


「……あなたは、教えられていないのですか?」

「は? 唐突にそんなことを言われても、何を答えていいかわからないんだけど」

「では――――」


 シアンが確認するように言った。


「あなたの左胸には、ゼルヴァーレン閣下の《魔玉》があることも?」

「……それはどういう意味なんだ」


 自分の胸を一瞥して、ユーゴは難しい顔をした。


「言った通りの意味です。……ところで、《魔玉》についての知識はありますか」

「あ、ああ。魔族が使う特殊能力の活力源で、弱点ということくらいは知ってる」


 特殊部隊にいるときに、座学で習ったことを繰り返した。他にも魔術品の原料であることも知っていたが、それには触れなかった。

 腕組みをしたシアンが、少し呆れた顔をする。


「まあ、人間ならその程度の理解でしょうね。間違っているわけでもありません」


 その含むような彼女の言い方に、ユーゴは眉を寄せて黙り込んだ。シアンは続ける。


「《魔玉》というのは、魔族そのものです。魂と言ってもいいでしょう。実際、《魔玉》というのは魂の結晶です」

「……魂の、結晶?」

「はい。魔族は死んだ者の魂を、自分の《魔玉》に取り込むことが出来ます。魂の純度が高ければ高いほど、《魔玉》の価値があがるのです。それは魔族の誇りでもあります」

「命を溜め込むのか」


 シアンは軽く頷いてから、口を開いた。


「相手が同じ魔族であろうと、戦って自分より強い魂を集めるのが魔族の本能です。戦い好きと思われるのは、それが原因でしょう。魔族であれば《魔玉》の気配や強さが、大体の感覚でわかりますしね。そして、負けた魔族は、強者に対して《魔玉》を差し出します。強者は受け取った《魔玉》を己の《魔玉》に取り込んで、相手の強さを称えるのです」

「つまり――――」


 ユーゴが結論に辿り着いたと同時に、彼女が言った。


「閣下は、あなたに《魔玉》を託したのでしょう。……人間に《魔玉》を差し出した魔族は、恐らく閣下が初めてだと思いますが」


 むぅ、と唸りながらユーゴが悩み始めた。

 そんな様子を、シアンが鋭い目で見ている。


「そもそも、閣下の《魔玉》を持つ人間だから、私は敬語で離しているのですよ。念のために言っておきますが、我が身を救われたからといって、魔族が人に懐くと思われては不愉快です」

「……君は、魔王を殺した俺を憎んでいないのか」

「正直に言えば、憎んでいます。しかしそれは、敬意とは別物です。閣下が自らの《魔玉》を差し出すほどにお認めになられた人間を汚すことは、閣下の《魔玉》を汚すことになります。我ら魔族にとって、誇りと魂は同義ですから」


 ユーゴは自分の胸を見つめた。そして、彼女の芯が通った生き方に、敬服した。


「ありがとう」

「あなたに礼を言われる覚えはありません」


 僅かに視線を逸らしたシアンは、咳払いをして言った。


「ええと、話を戻します。……私の怪我が治ったのは、あなたに触れた所為で、私の《魔玉》が活性化されたのだと思います。閣下の能力である『永劫回帰(ウロボロス)』でしょう」

「何だそれ」

「閣下は魂を扱う魔族の出身でしたから、その所為だと思います。何故あなたが使えるのか、詳しい原理は不明ですが、それを言うなら人間が《魔玉》を持つこと自体、前代未聞なことですので説明することは出来ません」

「前例とかは、無いのか」

「ありません」


 ユーゴは、目の前にいる軍服の女魔族を眺めた。見た目は人間と変わりない姿だった。特徴的な瞳が、僅かに人間離れした輝きを放っている程度だ。


「……何ですか」


 シアンに睨まれるユーゴだった。


「いや、何でもない。ともかく、傷が治ったのはいいことだ。それで君は、これからどうするんだ? ……というか、魔王国の参謀本部で参謀長の補佐をするのが君の任務だろう。何でまた、こんな前線に――――あ」


 ユーゴが気付いたときには時既に遅く、彼女の視線はさらにきつくなった。


「ええ、あなたの仰る通りです。魔王軍はゼルヴァーレン閣下を失い、指揮系統に混乱が生まれました。加えて、壊滅的な打撃を受け続けている我が軍に、もう組織的な反撃は見込めなくなっています。そこで、辛うじて生き残っている参謀本部は、動ける人員を割いて、前線に送り込むことを決定しました。……それはまあ、閣下を暗殺するためにやってきた暗殺者に捕らえられ、その上、情けをかけられるような魔族を前線に飛すための口実でしょうけれど」

「あ、いや、その、何と言っていいか……」

「…………」


 嫌な沈黙が流れた。

 次の言葉を切り出せずにうろたえるユーゴを助けるように、シアンが溜息をついた。


「私は自分で志願しました。前線行きを断ることは出来なかったでしょうが、それでも私は自分の意思でここに来たのです。あなたを責めるつもりはありません」


 彼女の気遣いに対し、ユーゴは頭を掻いた。


「すまない。それでも原因は俺に変わりないだろう」

「上官命令の責任を、他国の敵兵士に負わせることなど出来ません。そして、私の戦いを勝手に背負ってもらっては困ります。我々が出来ることと言えば、一生懸命に死ぬことです。その行為に是非はありません」


 シアンは、ここにきて初めて優しく微笑んだ。


「最後に魔王閣下の《魔玉》に出会えたことだけでも、身に余る幸運でした。感謝します、ユーゴ・ウッドゲイト殿」


 魔王軍式の敬礼が、静かに行われた。


「あなたの武運を祈ります。では、失礼します」


 手を下ろした彼女は、もう兵士の顔に戻っていた。ユーゴを置き去りにするようにして、歩き出した。


 彼は、シアンにかける言葉を持っていないのに、急いで振り向いた。

 喉まで出掛かった、言葉にならない気持ちを反芻した。

 魔王がユーゴを殺さなかった理由。

 生き残るべきだ、という言葉の意味。

 託された《魔玉》。


 そして何より、初めてシアンと出会ったときに見た――――深く青い、必死に生きようとする意志の宿った――――氷青の瞳を思い出した。


 死の恐怖を押し殺した、覚悟の瞳だ。

 そんな瞳をされて、果たして彼女は救われたといえるのだろうか。何より、ユーゴの心中は穏やかでは無かった。


「俺はまだ、『証明』出来てない――――」


 ユーゴは咄嗟に駆け寄って、彼女の肩を掴んだ。


「え?」


 虚を突かれたシアンは、驚くほど簡単に振り返った。まだ何が起こっているか理解していない表情をして、胸の前で両腕を交差させている。

 ユーゴが彼女の両肩を押さえて、挑むような顔をして言った。


「君を死なせはしない。俺が君を救う」

「――――は、はあ、そうですか」


 勢いに押され、思わず頷くシアンだった。

 興奮した様子のユーゴと、呆然としているシアンは、しばらく見詰め合っていた。


 そして、先に沈黙を破ったのは、シアンの方だった。

 ようやく頭の回転が現実に追いついたのだろう。鋭い眼をさらに吊り上げ、吹雪のように冷たい瞳でユーゴを睨み付けた。


「……ふざけないでください。私を馬鹿にしているのですか。いますぐその手を放さないと、あなたの首を捻じ切りますよ」


 最後通告のような、残酷さを滲ませた言葉だった。

 だが、ユーゴは覚悟を決めていた。

 命も懸けずに吐いた言葉などでは決してない。


「俺の言葉が信じられないなら、この場で殺せばいい。そして《魔玉》を持っていけ。その資格が君にはある」

「――――っ」


 シアンは魔族特有の怪力で、肩を掴むユーゴの手を弾き飛ばした。間髪を入れずに右手を突き出し、彼の頭を掴む。


「死にたいようですね」

「君がそれを決めるなよ」


 ユーゴが犬歯を剥き出しにして、叫ぶように言う。


「俺が決めるんだ。いや、俺が証明しなけれないけないんだ。そうじゃないと、俺は誰も救えない」


 彼はようやく、魔王の言っていたことが理解出来たような気がしていた。自分の目で確かめることの大切さがわかったのだ。

 そんなユーゴに、彼女は試すようなことを言った。


「……私を救うと言いましたね。では、そのために大勢の人間を殺すことになっても、まだ私を救おうと思いますか」

「君を救う限りにおいて敵を選ぶことはない」

「…………相当、歪んでいますね」


 シアンはゆっくりと、彼の頭を掴む右手を離した。ユーゴの目を見れば、言ったことが本気であるとわかった。《魔玉》を持つ人間という存在にも、興味が無いといえば嘘だった。

 小さく頷き、彼女も真剣な顔をして言う。


「わかりました。あなたの申し出を受けます。私のことはシアンと呼んでください。私もあなたのことを、ユーゴと呼びます」


 彼女は、握手を求めるように手を出した。


「私を救ってください、ユーゴ」

「ああ、俺に救わせてくれ」


 ユーゴはシアンの手を握り、握手を交わした。

 そこで彼女が、ふ、と思う。

 人間と握手するのは初めてですね、と心の中で呟いた。

 魔族と人間が、こうして握手することが出来ることが不思議だったのだ。しかし、悪いことではないと考えた。


「大丈夫か」


 ユーゴは心配そうに、シアンの顔を覗きこんだ。

 目の前に現れた人間の顔を睨みつけた彼女は、瞳の色と同じような雰囲気を醸し出していた。


「いきなり顔を近づけないでください」

「わ、悪い。けど」


 弁解しようとするユーゴを、視線だけで押しとどめた。


「私の心配をする必要はありません。それより、これからのことを話し合いましょう」


 まだ手を繋いでいることに気付いたシアンは、手を放した。咳払いをしてから、胸の前で腕組みをした。


「ひと先ず、私の現状からです」


 ユーゴは頷いて、聞き耳を立てた。


「こうなればすべて話してしまいますが、私は魔王軍突竜作戦に参加していました。まあ、名前の通り、第1魔王航空作戦群に残存していた突竜飛行隊を、すべて投入した反抗作戦です。無謀にも程がある下策でしたが、生き残っていた軍の上層部に押し切られました」

突竜飛行隊(フレアダイバーズ)、か」


 感慨深げにユーゴが呟いた。

 エトアリア王国が長年に渡って苦しめられてきた存在が、第1魔王航空作戦群だった。

 中でも突竜飛行隊は空前絶後の戦果を上げており、『要塞潰し(フォートレスバスター)』と恐れられていた。

 その航空戦力は、魔族が絶大な力を誇る根幹と言ってよかった。


 とにかく人間にとって、竜種(ドラゴン)というのが手に負えなかったのだ。

 翼のある巨体で大空を飛び交い、防御の薄い上空からの火炎放射および、火炎砲弾を放たれる。弓も届かない射程外(アウトレンジ)から、一方的な攻撃に晒されるのである。


 エトアリア王国は対策として、攻城兵器のカタパルトで岩石を打ち出したが、竜種は簡単に避けられる機動力を持っていた。

 他にもバリスタで応戦したが、強固な竜の鱗を貫くことが出来なかった。

 何の対抗策も打ち出せずに数百年もの間、北方からの進行に悩まされ続けたエトアリア王国だったが、一つの技術革新が戦況を逆転させた。


 それは、王立魔術研究所が開発した、魔玉誘導式バリスタだった。

 バリスタの弾頭に、削りだした《魔玉》を装着し、誘導(ホーミング)と爆発力を備えさせたのだ。これで、硬い竜の鱗も貫通し、狙いが外れることも無くなった。


 そして反撃の狼煙を上げたのが、今回の戦争だった。

 初撃の戦闘で、殆どの竜種の撃滅に成功したエトアリア軍は、破竹の勢いで侵攻を始めたのである。

 結果、《勇者分隊》の空挺奇襲(エアボーン)も成功し、魔王軍が壊走した。


「私たちの上層部は未だ、飛行隊決戦に固執しているのでしょう」


 シアンが悔しそうにして言った。


「そして、最後の希望だった突竜飛行隊も全滅しました。前線航空統制官(FAC)として従軍していた私も、全滅から程なくして捕まりました」

「大変だったんだな。……そういえば、シアンは参謀副長だったのに、よく前線航空統制官なんか出来たな」

「魔族は寿命が長いので、複数の兵科を修得している者が少なくありません。私もその一人で、元は魔王軍第2蜥蜴(リザード)中隊偵察小隊にいました」


 ユーゴは、彼女は俺より年上なのだろうか、と声に出さず思った。

 その気配を敏感に察知したシアンは、目が笑っていない笑顔を見せた。


「私は確実にユーゴより年上ですが、それが何か」

「いや、頼りになるってことだよ」

「……それはどうも」


 思ってみなかった言葉をかけられた彼女は、どこか不服そうに頷いた。

 対するユーゴは、シアンの反応など気にしておらず、自分の持っている情報と彼女の情報を照らし合わせた。


「突竜飛行隊の指揮官は、竜将軍でいいのか」

「はい。それは間違いありません。残存兵力すべてということで、竜将軍も出撃しています。むしろ先頭に立って出て行かれました。その後、エトアリアの新兵器に撃墜されたのを、私が確認したのですが……」


 シアンは言葉の最後を濁して、苦渋の表情で俯いた。

 前線航空管制官の彼女が攻撃目標の指示を出して、交信していたのだ。それは竜将軍も例外ではない。魔族の希望が魔玉誘式バリスタで撃ち落されたところまで見ていたのなら、彼女の絶望は計り知れない。

 ユーゴは彼女の気持ちを慮りながら、優しく口を開いた。


「その竜将軍だけど、多分、生きてると思うぞ」

「それは本当ですかっ」


 いきなり歩み寄って来たシアンは、彼の肩を掴んだ。


「あ、ああ。四日くらい前に、竜将軍を捕縛した、って知らせを聞いたからな。場所は確か……ファルクラン陣地だったか」


 脱獄しようとしてジョアンと戦っていたとき、そこへ割り込んできた伝令兵の言葉を覚えていたユーゴだった。


「ファルクラン陣地はちょうど、この先の山を二つ越えたところにある。一度だけ、第22連隊との合同訓練で行ったことがあるんだ」


 彼は指で、山の稜線を示した。しばらくして手を下ろすと、宙を見つめて考え始めた。


「……そうなると、俺はエトアリア城から伝令兵と同じ方向に来たことになるな。早馬を使って伝令を持ち帰ったとしても、それほど遅れてないはずだ。それに、伝令兵は殺されていたから、伝令そのものは確実に遅れてるだろ」


 徒歩と早馬の差を考え、仮にファルクラン陣地へ伝令が届いていたとしても、日は浅いはずだった。

 加えて、竜将軍のようなトップクラスの軍人を、すぐさま処刑することは無い。


 人質交換や、降伏交渉として使える手駒を、わざわざ殺す必要が無いからだ。拷問して情報を引きずり出すにしても、数日間は間を置くはずだった。

 もしも殺すなら、もっと効果的な場面で殺すだろう。


「んー……っと」


 我に返ったユーゴが正面を見た。するとそこには、まったく視線を逸らさず見つめてくるシアンの瞳があった。

 ユーゴは気恥ずかしくなって目を逸らした。


「どうしたのですか。……何か、不都合なことでも?」

「いや別に」


 近寄ってくるシアンに対して距離を取ろうとしたユーゴだが、肩をがっちりと固定されていて動けなかった。流石に魔族の腕力には逆らえない。

 仕方なく、息が掛かりそうな近距離で会話することになった。


「……ともかく、シアンはどうしたいんだ。俺は君を救うつもりだが、目的を聞いていた方が何かと動きやすい」

「私は――――」


 何かに気付いたように、シアンは動きを止めた。下を向き、考えて、結論を出した。


「生き残った魔族を救います。そのために戦います」

「それは、人間を絶滅させるまで続く戦いか?」


 ユーゴの問いに、彼女は首を横に振った。


「いいえ。私たちの戦争は、もう終わりました」

「……うん、そうだな」


 苦笑いを浮かべたユーゴが、穏やかに同意した。

 既に、エトアリア王国と魔王軍との勝敗は決していた。これ以上の戦いは戦争とは呼べず、虐殺に近い行為となる。

 少数の人間による、少数の人間のための平和が、現実のものとなるのだ。

 シアンは真摯な瞳をして言った。


「私は竜将軍を救出しようと思います。ですが……」


 途中で言葉を詰まらせた。

 原因は、その救出のことである。

 敵軍の陣地に、人間と魔族の二人で攻め込むには、無謀としか言いようが無い戦力差があった。それが現実問題として圧し掛かっている。


 そして、仮に救出が成功したとして、竜将軍が人間であるユーゴを敵視しかねないのだ。最悪、敵とみなされてユーゴが殺されてしまうだろう。

 彼女は、それでも戦ってくれ、と口に出すことが出来なかった。

 しかし、ユーゴは朗らかに笑った。


「じゃあ、決まったな。まずは、その竜将軍を助けに行こう。魔族を救うには戦力が必要だ。それが、あの突竜飛行隊を指揮する勇将なら申し分は無い」

「……いいのですか。竜将軍はあなたを殺すかもしれませんよ」

「君を救ったときも、似たような状況だった」


 ユーゴがそう言うと、彼女は頬を赤らめた。


「俺は君に約束した。そんなに俺は頼りなく見えるのか?」


 ユーゴの心配をするということは、つまりそういうことだった。

 シアンは彼の肩から手を放した。そして、誰が見ても非の打ち所がない敬礼をやって見せた。


「失礼しました。あなたを信用します」

「ありがとう」


 答礼を返してから、ユーゴは自分の頭を掻いた。


「竜将軍を救出する前に、寄りたい場所があるんだが」

「ええ、構いません。救出作戦を練る必要がありますから。無策で敵陣に突撃するのは避けたいところです」

「あー、うん。作戦を練るには……ちょっと騒がしくなるかもしれない。実は、人間の村に寄りたいんだ」

「……どういうことです」


 シアンが怪訝な表情を見せた。疑っているのではなく、意図がわからない、と言った様子である。


「歩きながら説明するよ」

「お願いします」


 歩き出したユーゴの隣に立った彼女は、歩幅を合わせて話を聞いた。


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