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勇者辞めました  作者: 比呂
1/18

魔の衰退と、人の夜明け



 ――――人と魔の争いは、最終局面を迎えていた。


 魔王が鎮座する大陸北部のヴァレリア城は、北の山脈から降りてくる吹雪に晒されていた。雪化粧をまとい、城壁の至る所が凍り付いている。

 

 城外に散見する見張りの兵士は、普段よりも数が少ない。主要な部分の警備を削っているわけではないが、警戒態勢としては不十分と言えた。

 

 それは近年まれに見る猛吹雪の所為ではなく、前線に兵士を注ぎ込んだためだった。

 

 ヴァレリア城から南方に、山を四つほど越えたところ――――ダイニール平原で、大きな争いが起こっている。恐らくは、戦史に名を残す規模だ。


 現在も、時間の経過と比例して、人魔両軍の死体が積みあがっていることだろう。

 城内の庭園を巡回していた魔族の兵士が、戦場の方向に顔をやり、白い息を吐いた。正面には壁しかないが、いまも戦友たちが戦っていることを思うと、やりきれなかった。


「……くそ、人間どもめ」


 魔族の兵士は、目を瞑って、頭を振った。雑念を払おうとしたのだ。

 それが彼の最後だった。

 

 兵士の背後から、白い布を纏った手が伸びてきて口を押さえる。兵士が驚く暇もなく、鋭利な短剣が首筋に突き刺さった。

 

 兵士は背中から白い布の塊に押し倒され、雪に倒れ込んだ。その状態で、背中から心臓を突き刺す二撃目が振り下ろされた。

 

 雪が彼らの上に舞い落ち、ただの雪原と見分けがつかなくなる。

 少し離れたところで、人が倒れるような音が聞こえた。


「…………」

 

 魔族の兵士に刺さっていた短剣が、ゆっくりと引き抜かれた。血が吹き出ないように、兵士の襟元を使って首の傷が押さえられていた。

 

 白い布が盛り上がって、顔だけがあらわになった。首を回して、城内へ入る扉の前を見る。

 そこには、同じような白い布の塊が、動かない兵士の上に馬乗りになったままで片手を挙げていた。

 

 短剣を腰元のホルダーに仕舞い込むと、被っていた白い布を脱いだ。それを死体の上へ置き、扉の前まで中腰で走る。

 軽鎧というよりは、主要部分しか守らないプロテクターに類似した装備の男だった。


「ターゲット2、クリア」

「クリア」

 

 扉の前にいた白い布の塊も、被っていた布を脱ぐと、同じような格好をしていた。違うのは、髪形と性別だった。

 長い金髪を後ろで纏め、切れ長の目をした女だった。人よりも耳が長く尖っている。


「さあ、早いところ、ジェラルドとヘクターを呼びましょう。それとも、このまま二人きりの方がお好みかしら、ユーゴ」


 世界で最も美しい種族と名高いエルフの微笑が、惜しみなく一人の男に注がれた。


「面白い冗談だ、アイサ」


 ユーゴは周囲の様子を探ってから、右手を上げて、そのまま拳で円を描くように回す。

 すると、平らな雪が、二つほど盛り上がった。

 その盛り上がった白い塊が二つとも、雪を掻きながらユーゴに近づいて来る。


「凍死するかと思ったぜ」


 巨躯と言って申し分ない体格をしたジェラルドは、大きな荷物を背負ったまま、苦笑いを浮かべた。背後から遅れてやって来たヘクターを迎え入れる。


「なあ、根暗魔術師」

「まったくだ、筋肉馬鹿」


 ヘクターは軽口を返すと、上着のポケットから、呪文の書かれた札を取り出した。木戸に備え付けられた錠前に札を貼り付け、背後を振り返った。近くに立っていたユーゴの肩を二回叩く。


 周囲を警戒していたユーゴは、振り向いて頷いた。

 ヘクターは木戸から少し離れ、もう一枚の起爆用の札を取り出して、その場で破った。

 

 小さな爆発が、錠前を跡形も無く吹き飛ばす。

 同時に、扉が内側へ、ぐらりと揺れた。

 

 ユーゴと同じく、周囲を警戒していたアイサが扉に取り付き、持っていた鏡で室内を確認する。作戦前に記憶した城の見取り図によると、高級将校用の談話室だった。

 アイサは振り向いて頷いた。どうやら無人らしかった。


「…………」


 ユーゴはハンドシグナルで、アイサに突入指示を伝えた。

 彼女は扉の中へ、滑り込むように侵入する。続いてヘクターが突入後、その二人で別の入り口を確保する。この時点で、荷物を持ったジェラルドが室内の確認を終えていた。


 最後にユーゴが侵入し、扉を閉める。

 談話室に潜入を終えた全員が、彼の言葉を待っていた。

 ユーゴは、少し笑った。


「さて、ここまでは順調だ。これで作戦の七割を完璧に遂行したことになる。誇っていい」

「とても面白い冗談だわ」


 アイサがおどけて両手を挙げた。他の二人も笑みを浮かべる。


「……その通りだ。この作戦で魔王を殺さなければ、これまでのことはまったく無意味だ。この作戦のために死んでいく兵士は、いまも増え続けている。そうだな」


 三人が同時に頷いた。それを確認して、ユーゴは言葉を続けた。


「これからの作戦に変更はない。各自、くれぐれも脱出ポイントに遅れるな」

 

 その場にいる全員が、敬礼を交し合って、手を下ろしたときだった。

 入り口の近くに立っていたアイサが、口の前に人差し指を立てた。そして、人差し指を突き出した後で、手を逆さにして、人差し指と中指を交互に動かした。

 

 魔族が一人、こちらの部屋に歩いて来ているという意味のハンドサインだった。

 ユーゴは頷き、視線を全員に走らせる。

 

 ヘクターはアイサの援護(カバー)をするために入り口へ近づいた。ジェラルドは部屋の死角に隠れる。ユーゴは片手に短剣を握り、物陰に身を潜めた。

 

 真鍮製のドアノブが回転し、扉が開いた。

 瞬間、アイサが手を伸ばし、侵入者の口を押さえて部屋に引きずり込んだ。ヘクターが扉の外を確認すると、すばやくドアを閉める。


 アイサに押さえ込まれた侵入者は、軍服を着た女の魔族だった。肩についた階級章から見るに、作戦参謀だと見当がつく。

 殺害許可を求めるように、アイサがユーゴへ視線を向けた。


「待て、聞きたいことがある」


 そう言って静かに魔族の女へ近づいたユーゴだったが、女の魔族に憎悪の篭った眼で睨みつけられた。

 

 背筋が凍ってしまいそうなほど鋭く美しい、氷青(アイスブルー)の瞳だった。

 

 その瞳を見た彼は、この女の魔族が決して口を割らないことに気付いた。


「……気絶させろ」


 ユーゴの言葉に、アイサが驚いたように振り返った。


「なっ。正気なの、ユーゴ! この魔族がいなくなったことは、すぐに気づかれるわ。そうすれば捜索されて、この魔族が見つけられるのよ。そのときこいつが生きていたら、私たちの情報が漏れてしまうわ」

「いいんだ」


 彼女の言葉を遮りながら、ユーゴは屈み込んで、女の魔族の瞳を見返した。


「そうか」


 ユーゴは女の魔族の瞳の中に、仄かな感情を見つけた。それは、死にたくないという、生命の嘘偽り無い感情だった。


 その感情を意思の力で抑え込んでいることに敬意を払い、魔族の首筋に手刀を打った。

 アイサは気絶した女の魔族から身体を離し、ユーゴを睨んだ。


「どういうこと? 説明して」


「俺も聞きたいね」ジェラルドが近づいてきた。


「……ふん」不機嫌そうに、ヘクターが女の魔族を見ていた。


 それらすべてを無視するように、ユーゴは一歩前に出た。


「俺たちの目的は、魔王の暗殺だ。他の魔族の殺害は、俺に一任されている。抵抗力を奪われた女を殺すことは無い。俺の隊では原則禁止だ。そして、これ以上の反論は許さない。これは隊長命令と受け取ってもらって結構だ」


 三人は押し黙った。隊長命令は現場において、国家の意思と同じくらいの権限である。逆らえば、国家反逆罪で殺されても文句は言えないのだ。それに、魔王暗殺作戦の途中で部隊の人間が一人でも欠けると、成功率が下がるどころか、脱出すら危うくなる。


「……了解です、隊長殿」


 わざとらしく完璧な敬礼をしてみせたアイサが、気絶した女の魔族を携行品のロープで拘束した。見つけにくいように、部屋の中央にあった長机の下に押し込む。

 ジェラルドは背負っていた荷物を床に広げ、整理しながら言った。


「退却するときの、いい土産が出来たじゃないか。……相当な美人だったしな」

「ふん」


 鼻で息を抜いたヘクターが、長机の下に近づいて、女の魔族の顔を覗きこんだ。


魔術研究素体(サンプル)として売れば、高値がつく」


 彼は誰にも見つからないように、上着の袖口から極小の呪札を取り出して、女の魔族の耳の下に張り付けた。


「何をしてる」


 不振な動きを見せたヘクターに対し、ユーゴが歩み寄った。彼が肩を掴む前に振り返る。


「何でもありません、隊長」


 そのまま、ジェラルドのいるところまで戻ったヘクターだった。

 ジェラルドが軽く笑う。


「早すぎる男は嫌われるぜ」

「黙れ、脳みそ筋肉男。さっさと装備を仕分けしろ」

「もう終わってるんだよ、この変態野郎」


 ユーゴは二人の軽口を無視して、それぞれの隊員に対応した装備を身につけさせた。

 

 彼自身も、恐ろしく雰囲気のある剣と、白銀の鎧を装備する。それは純然たる対魔王武装だった。

 一切装飾の無い剣は、妖精王オーベロンの御許でしか採れない抗魔金属(オリハルコン)で作られたものだった。

 

 純粋に抗魔金属だけで製造されているので、もはや聖剣と名乗るに相応しいものである。

 水晶湖の女王から下賜された白銀の鎧も、永遠蜘蛛の糸で織り上げた自己再生する鎧であった。竜種の咆撃すら防ぐという代物だ。


 他の三人も、各々に合わせて作られた抗魔金属の武具を持っていた。

 装備を確認し終えたユーゴは、全員に向き直った。


「作戦Aは、即時破棄。これからは、作戦Bでいく」


 作戦Aとは、完全隠密行動であり、作戦Bは、作戦途中で敵兵に侵入が発覚されたときに採る行動の名称だった。

 その作戦変更には、誰も意見を言わなかった。

 ユーゴとジェラルドが、互いに拳をつき合わせて笑い合う。


「貴君に栄光を」

「隊長に勝利を」


 二人の隣では、アイサがヘクターの肩に手を回し、小声で会話していた。


「……で、あの魔族に何したの?」

位置捕捉(マーキング)と小爆破を兼ね備えた呪札を張っておいた。この部屋から動き出せば、僕の意思で爆破できる。呪札があの程度の小ささじゃ威力は小さいけど、しばらく会話ができないくらいには、あの細首を吹っ飛ばせる」

「上出来」


 彼女は笑って、同僚の背中を叩く。ヘクターが言葉を続けた。


「魔族を生かしておく必要は無い」

「その通りよ」


 アイサが、舌で唇を潤す。その光景は妖艶に過ぎて、ヘクターは目を逸らした。

 腕組みをしたユーゴが、二人に近づいた。


「何の悪巧みをしている」

「何でもありません、サー」


 意地悪く笑って、アイサはヘクターから離れた。彼女はユーゴの隣に立つ。

ジェラルドとヘクターが、睨み合いながら並んで立っていた。


「では、作戦Bを開始しよう。諸君らの奮闘を期待する。……必ず生きて帰るぞ」


 全員で拳を突き合わせ、静かに頷いた。

 ユーゴが呟くように言う。


「行け」


 ジェラルドとヘクターは、まるで生まれながらの双子のように息を合わせ、談話室から出て行った。

 彼らが目指すのは兵舎であり、そこを爆破して混乱を引き起こすのが目的だった。そして、兵舎の爆破は陽動も兼ねていた。


 城内が混乱している隙に、ユーゴとアイサの別働隊が魔王を急襲するのだ。


「ねえ」


 アイサの声に、ユーゴが振り向いた。彼女は目を閉じて言った。


「キスして」


 ユーゴは苦笑いして、アイサの唇に人差し指を触れさせた。


「悪い。俺にその資格は無いよ。君の唇を奪うのは、俺じゃない他の誰かだ。……それに」


 言い淀むユーゴの言葉を奪って、アイサが人差し指に音を立てて口付けした。


「姫様に悪いって? 無事に帰還できたら結婚するらしいわね」

「国王陛下がお決めになられたことだ」


 仕方なさそうに肩を竦めたユーゴだった。


「英雄の義務よ」


 彼女は小さく笑うと、森の(エルフ)が特注で製造した連射クロスボウを構えた。矢じりは鉄ではなく、抗魔金属に換装済みという豪華仕様である。


「それじゃ、栄えある王国の未来のために頑張るとしましょう」

「……ああ」


 表情を引き締めたユーゴは、聖剣ではなく、愛用の短剣を確かめた。


 魔王と戦うときならばともかく、聖剣の長さでは、狭い通路や室内で斬り合うのが不利だったからだ。 短剣は飛び道具(スローイングナイフ)として使えるという利点もあった。


「先に行くわ」


 アイサは真鍮製のドアノブを回し、静かに廊下へ躍り出た。前後の確認を済ませている間に、ユーゴが階段側へ無音で走り抜ける。


 哨戒する兵士が、鎧の擦れあう音をさせて、上階から降りてきていた。


 ユーゴはハンドシグナルでアイサに状況を伝え、首を刈るジェスチャーを見せた。彼女は廊下の反対側を確認し、親指を立てる。


 壁際から、ぬっ、と槍が見えた。ユーゴはそれを左手で押さえる。兵士が動揺を見せた。


「……な、何だ?」


 ユーゴは階段側に飛び出て、疑問符が浮かんだままの兵士の正面に、短剣を振り下ろす。

 寸分違わず兵士の心臓に突き刺した。


「が、はぁ」


 崩れ落ちる兵士を、音が出ないように抱きかかえ、心臓に刺さる短剣を引き抜いた。彼は力の抜けた死体を、廊下の隅に寝かせる。


「ナイスキル――――相変わらずね」


 ユーゴの背後まで来ていたアイサは、彼の肩を叩いて階段を上っていった。次の階層を確かめている。彼もそれに続いた。


 城内の見取り図は、部隊の全員が頭の中に叩き込んである。道に迷うことは無かった。

 元々ヴァレリア城は、人間の作った城が魔王軍に占拠されたという経緯もあり、見取り図は事前に手に入れられた。だがそれは、約二百年前の話のことである。魔族が改築しているとも限らない。


 しかし、それも杞憂であったことに気付いた。

 魔族がヴァレリア城に手を加えた様子は見られず、目的地に辿り着いたのだ。


「流石に魔王の居室ね」


 豪奢な扉の前に、完全武装した近衛兵士が二人ほど仁王立ちしている。強引に突破できるとは考えられなかった。


「クロスボウは?」ユーゴが言った。

「あそこの二人を一連射で薙ぎ倒すことは出来るけど、魔王に警戒されるでしょうね。王族専用の脱出路で逃げられたら面倒よ。それに、貴重な矢数を減らすことになるわ」


 希少鉱物の抗魔金属で作られた矢は、魔族に非常に効果的だが、無駄遣いが出来るほど数があるわけではなかった。魔王と戦うためにも、本数に余裕を残しておきたかった。


「じゃあ、一人だけでいい。アイサが右を狙撃、俺が左を短剣で倒すか」

「一撃じゃ、あの分厚い胸鎧ごと《魔玉》は打ち抜けないわ。狙撃は無理ね。せめて一斉射は必要になる。魔王に警戒されることに変わりはないわ」


 彼女は首を横に振った。


 魔族の《魔玉》――――人でいう心臓の部分にあるとされる、魔族特有の器官のことだった。見た目は宝石のように輝き、普通の宝石よりも硬い。

 それは魔族が使う特殊能力の活力源にして、弱点だった。魔族の異常な生命力も、《魔玉》の恩恵である。


 《魔玉》を狙わない限り、魔族を殺しきるのは困難を極めた。歩哨の魔族兵士たちを簡単に殺せたのも、弱点を的確に突いたからである。


「なら、待つか」

「そうね」


 二人は決して慌てることはなかった。魔族が強いのは織り込み済みだったからだ。そのための作戦もまた、考えてある。


 静かな時間が二人の間に流れた後、城の端で大爆発が起きた。城の石壁が震えるほどの威力だった。


 天井から、埃と小さな石片が落ちてくる。

 ユーゴは自然と笑顔になった。爆発があるということは、別働隊の二人が生きているという証拠だったからだ。


 爆発を合図にして、アイサが物陰から飛び出した。クロスボウの斉射を加えて近衛兵士を撃ち殺した。


 動揺するもう一人の近衛兵士には、地を這う獣のように走りこんだユーゴが、素早く短剣を突き出して襲い掛かった。


「ぬっ、がぁ」


 近衛兵士の顔面に短剣が刺さった。顔を押さえて蹲る。その上からユーゴが聖剣を抜いて切り伏せた。


 豪奢なドアを蹴り飛ばすようにして、アイサが魔王の居室に突入する。クロスボウを構えて、室内に立つ一人の男へ照準を合わせた。


「人の……特殊部隊といったところか。中々に手際がいい」


 黒いローブを羽織った男は、黒い髭を蓄えた、壮年の人間の姿をしていた。

 ローブの前面は開いており、心臓の部分には、剥き出しになった《魔玉》が怪しく輝いている。右手には黒々とした色の長杖を携えていた。


 ユーゴがゆっくりと入室し、魔王と相対した。最上級の敬礼を行う。


「こちらはエトアリア軍第22連隊A中隊所属《勇者分隊》隊長、ユーゴ・ウッドゲイト大尉であります。部下の敬礼はお許しください」


 アイサはクロスボウを構えていた。魔王が抵抗しないように見張っているのだ。


「構わんよ」


 しかし魔王は微笑を浮かべ、片手を挙げて理解を示した。


「ありがとうございます。失礼ですが、あなたは魔王ゼルヴァーレン閣下で間違いないでしょうか」

「いかにもその通りだ、ウッドゲイト君」

「閣下にお会いできて非常に光栄です。ですが私どもは、人間の悲願を果たさなければなりません」

「うむ。君たちの行動は理解できる。私が同じ立場でも、そうしていたことだろう」

「ご理解頂き感謝します」

「ところで」


 魔王は言葉を切り、ユーゴの瞳を覗き込んだ。そして、アイサの瞳を見る。それを交互に繰り返した後で、ユーゴに語りかけた。


「話し合う時間は、あるのかね」

「……は?」


 ユーゴは面食らった顔をした。

 ほぼ予定通りの儀礼的な謁見を行っていたところに、いままで協力的だった魔王の「話し合おう」という言葉だ。驚くなと言う方が無理だった。


「それは、我が王国に亡命したいということでしょうか」


 魔王は破顔して笑った。


「はははははっ、確かにな。そう思われてもしかたのない言葉だった。訂正しよう。私は亡命する気など無い。私と君たちが殺し合う前に、話がしたかっただけなのだ」

「はあ」


 曖昧な顔をするユーゴだったが、魔王の最後の頼みとして聞き届けることにした。


「少しだけなら」

「そうか、感謝する――――では聞きたいのだが、ダイニール平原での会戦は、この奇襲を行うためだけに引き起こされたのかね」

「そうお考えになっていただいて結構です」

「なるほど。では、ヴァレリア城の総兵力を引きずり出すために、わざと人間軍は劣勢に陥り、何万もの犠牲を出したのだな」

「わざと劣勢に陥る必要はないと思われますが?」

「取り繕う必要は無いよ、ウッドゲイト君。弱った獲物がいれば、追いかけたくなるのが魔族の性分だ。君たちの作戦勝ちだよ。……まあ君たちにしてみれば、何万の人間を犠牲にして、私の首一つでは割に合わんかもしれんがね」

「平和が訪れます」


 ユーゴの問いに、魔王は笑みを浮かべた。


「それは少数の人間による、少数の人間のための平和だ。魔族も馬鹿ではない。平和の意味くらいは知っている。そして、これから何が始まるのかも予想はつく。ウッドゲイト君は、この戦争のことをどう考えているのか教えてくれないか」

「自分は一兵士です。考える必要はありません」

「なら、これから考えるといい。何が起こるか知るといい。実際にその目で確かめたまえ」

「了解いたしました!」


 ユーゴは再び最敬礼をした。

 それに魔王は微笑み、持っていた杖を構えた。


「私の話に付き合ってくれてありがとう、ウッドゲイト君。もし生まれ変わったら、君のような友が欲しいと思う」

「――――はい。自分もそう思います、閣下」

「うん。では、始めよう」


 魔王の瞳に、殺気が灯った。恐らくは自分も同じ瞳をしているだろう、とユーゴは思った。

 緊迫した空気が流れる。


 その沈黙を打ち破るかのように、アイサが連射クロスボウの銃爪(トリガー)を引いた。

 小気味よい音と共に、抗魔金属の矢が無数に発射される。


 魔王は黒杖で矢の大部分を弾き飛ばすが、それでも何本か矢が刺さった。しかし、《魔玉》を傷つけたものは一つもない。


「ああ、もうっ」


 アイサは顔をしかめて、次の弾倉と交換し始めた。

 無防備になる彼女を援護するために、ユーゴは聖剣を振りかぶって前に出た。


「ふははっ、我が『黒杖』を侮ってもらっては困るな」


 横薙ぎの黒い一閃が、死の気配を纏わせながら飛来した。


「応っ!」


 ユーゴは黒杖を白銀の鎧で受けることにした。ここで後ろに下がっても魔王の追撃でアイサを巻き込むだけであったし、何より己の一撃の方が早いと思っていた。

 最悪、相打ちだったとしてもアイサは生き残る。そのとき魔王を仕留めるのは、彼女に任せれば良かった。


「ぬ、ぐぅ」


 聖剣が魔王の左肩口に、深々と切り込んだ。しかし、僅かに《魔玉》には届いていなかった。


「……な、どうして」


 驚愕の表情で、白銀の鎧を切り裂かれたユーゴが問う。自己再生を始める白銀の鎧だが、あまりにも損傷箇所が大き過ぎた。完全に修復されるまで、時間が掛かりそうだった。


 痛みを堪えるようにした魔王が、倒れ掛かるようにして彼の肩を掴む。


「く、はは。これで、弓は封じたぞ」


 ユーゴと魔王の距離が近すぎて、アイサがクロスボウを撃てない間合いだった。


「な、何を……」

「君は優秀な兵士にはなれないな、ウッドゲイト君。指揮官にも向いていない」

「そ、それが……何だと言うのです」

「君は優し過ぎる」


 穏やかに笑う魔王だった。


 しかしユーゴには、魔王の思惑が理解できなかった。

 その原因は、自分が無傷であることだった。


 魔王の黒杖が切り裂いたのは白銀の鎧のみで、彼には傷一つ無い。むしろ魔王の方が重傷で、自ら斬られにきたような錯覚さえユーゴは感じていた。


 魔王は顔を寄せ、彼にしか聞こえないような声で言った。


「私は君に、何一つ嘘を言っていないことを誓おう。そして君は、生き残るべきだ」

「どういう意味で――――」


 ユーゴが言葉を言い終わらないうちに、扉の向こう側から人の気配がした。何人かが走ってくるような喧騒が聞こえる。


 時間稼ぎをされたか、と思ったユーゴは背筋を凍らせた。自分は魔王に掴まれているため、逃げられない。せめてアイサだけでも逃げてもらおうと、彼女に目を向ける。


 アイサは、手にクロスボウをぶら下げたまま、力なく立っていた。顔は伏せていて、表情は見えなかった。


「逃げろっ! アイサ!」


 ユーゴが叫んでも、彼女は一歩も動かなかった。

 足音は既に部屋の前までやってきており、もう逃げられそうにない。

 この状況を打開するために必要なことを、彼は必死で考えた。


 魔王を人質にとって、駆けつけた魔族を脅すのが効果的だろうと判断する。

 意を決したユーゴは、魔王の居室に飛び込んできた者たちに、鋭く叫んだ。


「動くな! 魔王を殺すぞ……」


 彼は、信じられない、といった表情を見せた。部屋に転がり込んできたのは、ジェラルドとヘクターの二人だったからだ。


「お前たち、脱出ポイントはここじゃないぞ」

「そんなことは知ってるぜ、隊長」


 ジェラルドが素早く動き、豪奢な扉を閉じた。

 ヘクターはベストのポケットから呪札を取り出して、魔王に構えた。口を歪めながら言う。


「さあ、やろうか」

「待て、ヘクター。魔王は瀕死だ。戦う必要はない。それよりも、アイサの様子がおかしいんだ。手当てしてやってくれ」


 そのとき、顔を伏せていたアイサから、静かな笑い声が聞こえた。


「――――いいから死になさいよ」


 ヘクターの呪札が放たれた。放物線を描き、魔王とユーゴの間に落ちてくる。

 瞬間、呪札が膨れ上がるようにして爆発し、四散した。生身の人間なら、軽く木っ端微塵にしてしまう威力だった。


 爆発によって煙が舞い、すべての視界が塞がれる。


「この根暗っ! 榴弾札を使うなら前もって言いやがれ! 鼓膜が破れるだろうが!」

「うるさい脳筋! 言ったら隊長に気づかれるだろ!」

「二人とも、くだらない喧嘩は止めたらどうなの? さっさと死体を確認して帰りましょうよ」


 三人の会話が、部屋に木霊する。


 ユーゴは意識を失っていた。

 白銀の鎧が修復を終えていなかったために、胸部を見事に抉り取られていた。内臓はすべて吹き飛ばされ、赤黒く焼け焦げた肉しか残っていない。


 その隣に倒れていた魔王は、右腕を犠牲にして生き延びていた。ユーゴの状態を見て、低く笑う。


「これが人――――否、これも人だよ、我が友」


 そして、魔王は残った左腕を、自分の胸に突き立てた。筋繊維や血管を引きちぎりながら《魔玉》を抜き取る。


「これからの世を見聞するのが、私を殺した君の義務だ。ウッドゲイト君」


 血に濡れた《魔玉》が、ユーゴの胸に置かれた。

 魔王はそのまま倒れこみ、微笑んだまま動かなくなった。


「――――」


 ユーゴの胸の辺りが、修復を続ける白銀の鎧で覆われていった。部屋の煙が晴れる頃には、完璧な形の白銀の鎧に戻っていた。

 床を叩くような足音が響き、煙の中からアイサが現れた。


「意外と、形は綺麗に残ってるわね」


 動かないユーゴを上から見下ろし、彼女は淡々と感想を述べた。どこか品定めするようにユーゴの全身を見回してから、屈み込んで彼の首筋に手を伸ばす。


「脈は無い、か。本当に死んでる。哀れな人。大それた野望もないくせに、政争に巻き込まれて殺されるなんて」


 難しい顔をしたジェラルドが、腕組みをしながら言う。


「これで隊長は、本当の英雄になれたんだ。魔王を殺した名声と引き換えにな。……仕方ねぇよ、騎士団派に睨まれちまったんだから」

「ユーゴが姫様との婚姻を断れば良かったのかしら。国王の命令だったのに?」


 アイサの言葉に、ジェラルドは口を噤んだ。


 国王の命令で、ユーゴと姫の婚姻は決められていた。

 それを断るのは国家反逆罪に等しい大罪となる。


 かといって、エトアリア王国の貴族階級で構成された国内最大派閥である『騎士団派』が、どこの馬の骨ともわからない男と姫の結婚を許すはずもない。


 姫の婚約相手は、すなわち次期国王の決定に等しいからだ。


 よって騎士団派は、ユーゴ以外の部隊の人間を買収して暗殺を命じたのである。


「さよなら、ユーゴ。最後にキスくらいしておけばよかったのに。……ああそう、葬儀のお金くらいは出してあげる。あなたを殺した報奨金でよければ」


 ふふふ、と笑いを漏らし、アイサは立ち上がった。

 魔王の居室の窓から、吹雪く景色を見つめる。


「隊長の死体は、確認のために持って帰れって言われてるからなぁ。面倒くせぇ。捨てて帰れるくらいに吹き飛んでりゃ楽だったんだが」


 小声でぼやきながら、ジェラルドはユーゴの身体を乱暴に引き起こした。強引に持ち上げて、荷物のように肩へ担いだ。


 アイサは目を細めて笑った。


「聖剣と白銀の鎧で手を打ったんでしょう? なら、ついでじゃないのよ」

「まあ、そうなんだがな。……で、お前は何やってんだ?」


 ジェラルドが視線を向けている場所では、ヘクターが魔王の死体を弄っていた。声をかけられたことに気づいたヘクターは、手についた血を拭いながら言う。


「……ああ、魔王の《魔玉》を探してたんだが、見つからない」

「榴弾札で吹き飛んだんだろ」

「それが妥当だと思うが、それにしても惜しい。魔王の《魔玉》は、かなりのレア物だからな。欠片でも相当な逸品だが、見当たらないんだ。……仕方がない、『黒杖』だけでも持ち帰るか」


 二人の話を聞いていたアイサは、思い出したように言った。


「そう言えば、ヘクター。あの魔族の女はどうしたの?」

「部屋から出ようとする反応があったから、起爆した。何か問題でもあるのか」

「いえ、それを聞きたかっただけ」


 確認を終えると、アイサは魔王の居室にある暖炉へ近づいた。極寒の寒さだというのに、火はくべられていなかった。


 彼女は暖炉の中に潜り込み、レンガが積まれている奥の壁を蹴った。

 すると壁が、音を立てて崩れ落ちた。本来ならばその程度で崩れるものではない。だが、それが脱出路ならば話は別だろう。


「さあ、栄えある王国の未来のために頑張るとしましょう」

「自分のためだろ」


 ジェラルドの言葉に、アイサは大きな口を開けて笑った。





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