その2
「お魚が付いてますよ、お魚が! なんでお城にお魚が付いてるんですか!?」
昼食後、陽介はカチューシャに外を案内していた。観光気分の彼女は嬉しそうにはしゃいでいる。その姿は見目相応の女の子そのもの。とても、ほんの一ヶ月前まで吸血鬼に召使いとして扱われていたようには見えなかった。誰の目にも。陽介の目にも。
「あれはシャチホコっていうんだ。火除けの守り神みたいなもんだよ」
「なるほど、お魚だから水、水だから火除けっていう連想ですね。単純ですね」
「こんなもの、複雑にしたって仕方がないだろ。もっと詳しく言うと、シャチホコっていうのはただの魚じゃなくて、そもそも空想上の動物なんだけどね」
「へぇ、物知りなんですね」
「俺じゃなくてパンフレットがな」
シャチホコが日本産じゃないこと自体、陽介は今日初めて知った。
「あれは……」
城の屋根から外れたカチューシャの目線が、別の何かを見付ける。そしてそのまま釘づけになった。それに気付いた陽介が声を掛ける。
「カチューシャ、どうかした?」
「これです」
「これ? ああ」
カチューシャが見つめていたのは、夏祭りの開催を知らせるポスター。そこには、
『開催場所:二色城の外周
日程:八月十日~十三日 毎夜七時より
備考:最終日には花火祭りが併せて開催』
とあった。
陽介はそこでようやく、せっせと的屋の用意をしている人たちに気付き、一瞬だけ彼らに視線を移した後、カチューシャに向き直って訊ねた。
「これがどうかしたのか?」
「楽しそうです!」
「そうか?」
ポスターには祭りの様子、主に屋台で金魚掬いやスマートボールに興じる子どもたちの写真が印刷されていた。それらは去年の祭りの写真である。子どもたちの表情は真実楽しそうであったが、彼らはまだ陽介の半分ほどしか生きていない子どもたちである。
「陽介はしょっちゅう行ったことがあるから飽きているかもしれませんが、私はこういうお祭りは行ったことがないんです。如何にも日本の夏って感じがしていいじゃないですか!」
「日本の夏、キン……いや何でもない」
『日本の夏』というフレーズに、思わず蚊取り線香を連想してしまった陽介は、テレビコマーシャルに軽く洗脳されているに違いなかった。
「行ってみたいです」
「ダメ」
「即答ですか!?」
「祭りは夜だぞ? 夜留に狙われているかもしれない君が、わざわざ夜に外出するなんて、助走つけた上にロイター板を踏み込んで火に突っ込むようなもんだ」
カチューシャの危機感と自覚のなさに、陽介は目眩すら覚えながらぴしゃりと言った。しかしカチューシャの方も簡単には引き下がらない。
「でもでも、もし今回を逃したら次にいつ行けるかわからないし……。それに、本当に私が狙われているのかどうかも分からないですよ? 私の親は〝行方不明〟ってだけなんですから。もしかしたら、もうどこかで吸血鬼ハンターさんとかに倒されちゃってるかもしれない。そうだったら私、一生夏祭りに行けないんですか?」
「一生って……」そんな大袈裟なと、無責任には言えなかった陽介が再度訊ねる。「そんなに行きたいのか? 本当に?」
「行きたいです!」
真っ直ぐな目で見つめるカチューシャに、
「わかった。いいよ、行こう。今夜だけ特別だ」
陽介はとうとう白旗を挙げた。
「本当ですか!?」
心底嬉しそうに微笑む彼女の顔を見て、陽介は『自分の判断は正しかった』と思った。(そうさ、このままずっと隠れ暮らすだけなんて、生きているなんて言えない)とでも思わなければ、自分を正当化できなかったから。そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、カチューシャは、
「じゃ、じゃあ、この着物みたいなのも着てみたいです」
と言って、ポスター右下の女の子の絵を指差した。
「着物みたいな? ああ、浴衣のことか。じゃあ、買いに行くか。これでも、お金は結構持ってるんだよ、俺」
「わぁい!」
外見年齢相応の女の子の笑顔が、そこにはあった。
「そうと決まれば、デパートにでも行くか。扇風機も買わないといけないし」
「日本のデパートって、何でも揃うんですねえ」
「先に言っとくけど、戦闘機は売ってないからな」