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太陽の化シン  作者: 直弥
第四章「二人の夜殺し」
27/30

その2

「はぁ、終わった。……いってぇー!!」

 興奮が冷め始めたのと同時に、右手の痛みもはっきりと現れてきた陽介が叫び声を上げた。右手の次は右腕、左腕、やがて全身と、余すことなく彼の体を激痛が駆け巡る。

「ちょっと! 大丈夫!?」

「ハハハッ……。あんまり、大丈夫じゃないです」

 陽介に駆け寄ったターニャは、彼の右の掌を舐め始めた。

「な、何やってるんですか!」

「何って、消毒よ。ただの唾じゃないわ。ヴァンパイアの唾に治癒の力があることぐらい、あなたなら知ってるでしょう?」

「そりゃ知ってますけど……俺には効かないんじゃないですか?」

「あ、そう言われてみるとそうかもね」

 たとえ表だって能力を発動していなくても、陽介はその存在からして太陽。夜留の力は常時無効化される。今更ながらそのことに気付いたターニャは舐めることをやめ、今度は自分の衣服を千切って、彼の右手にぐるぐると巻き始める。手を服の切れ端で巻かれながら、陽介は彼女に話し掛けた。

「ターニャさん。もしも天国や地獄、あの世ってものがあれば、グリゴリーは嫁さんと娘さんに会えると思いますか?」

「たとえあの世があったって、グリゴリーは地獄、その奥さんと娘さんは天国行きって感じがするけどね。あなたに聞いた話からすると。『あらゆる価値観は否定されない』。そんな世界に生きる彼だから、単に『ヴァンパイアの生産行動』としてカチューシャを攫ったって言うんなら、それは罪になり得ない。だけど彼は違う。もっと俗的な私利私欲のためだけに、カチューシャだけじゃなく他の子たちも犠牲にして、あまつさえその存在を無視した。仲間と一緒に大量の労働力を得ようとした行動ですらない。本当に、自分一人だけの欲望。これって、価値観の違いとか、そういう類の話じゃないでしょ? もっと高位な〝倫理観〟の話。グリゴリーはやっぱり、ただ赦されるだけの存在にはなり得ないわ。それとも、〝個々人の倫理観〟なんてものまで価値観として認められるのが〝裏〟世界なのかしら?」

「いや、そんなことは……。快楽のために女の子を手籠にしたり、暇だから誰かを殺したりするのは、俺らの世界でもやっぱり罪ですよ」

 それでも、神様がいるのならば。

そして、あの世というものが存在するならば……最後の最後、カチューシャのために身体を張ったグリゴリーという男を、再び家族に会わせてやって欲しい。たとえ、一瞬だけでも。

陽介は、そう願わずにはいられなかった。

「と言っても。まあ、あの世なんてないんですけど」

「ないんかい」

「ええ。死者の魂は冥道を通って、ただ新たな命に生まれ変わるだけです。この冥道ってのをあの世と呼ぶことも出来なくありませんが、その名の通り単なる霊魂の通り道ですから」

「それならそれで、生まれ変わってから会えるかもしれないじゃないの。よし、出来たわよ」

 最後にしっかりと端の方を結び、ターニャが宣言した。元シスターのことだけあってか、包帯代わりの服は、かなり綺麗に巻かれている。

「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」

「そうね。さあ、乗って」

 言いながら、ターニャは当たり前のように陽介の前に腰を下ろした。その光景に、陽介は戸惑う。

「ちょっと待って下さいよ、それは……」

「こんな時にまでおかしな痩せ我慢はしなくてもいいから、早く乗りなさい。どうせ、足だって両方折れてるんでしょ?」

「う」

 図星であった。

「ほら、早く」

「わ、分かりました。では、失礼します」

 観念した陽介がターニャの背におぶさる。背は陽介よりターニャの方が十センチほど高いので、見た目も感触も、それほどの違和感がなかった。それが、陽介には余計に切なかった。

「それにしても、私もカチューシャも随分酷い扱いをされたものね。〝死のうが生きようがどうでもいい〟ですって?」

「あれはそういう作戦じゃないですか。事前に説明した通りの。『あの四十万には、俺が無策でやって来たものだと思わせなきゃならない。その為には、より俺が怒りに身を任せているだけに見せた方がいい』って。『半狂乱してるぐらいに思わせた方がいい』って」

「ええ、そうだったわね……」

 そう言って頷きながらも、ターニャは陽介の実際を悟っていた。『あの時の陽介君、演技してる部分の方が少なかった』と。 

 ――皆のために、は余裕がある時だけ。有事には、何を置いても由孝のために……。でも、自分自身のことは常に後回し。それがこの子なのね。由孝は気付いてなかったみたいだけど。


 帰路。ターニャは歩きながら、背中の陽介に話し掛けていた。

「随分と無茶をしたものね。あの男の動きを少し封じるくらいなら、本当なら、もっと早く出来ていたはずでしょうに」

「……」

「勝ち目がないと分かっていたのに、勝ちたかったんでしょう? 自分だけの手で、あの男を討ちたかったんでしょ?」

「……ええ。でも、結局俺だけではどうにもならなかった。あれ以上続けてたら、確実にやられてました。結局、最終的にはあなたに頼らざるを得なかった。今は、自分の足じゃ満足に歩けないもんだから、あなたに背負われてる。情けない限りですよ。ホント、男らしくない。ただでさえ、こんな私闘に巻き込んでしまったのに」

「気にすることないわよ」

「本当に、ありがとうございます。本来なら、あの男がカチューシャを狙っていないと分かった時点で、ターニャさんに戦う理由はなかったはずなのに。逃げずに、協力してくれて」

「あんまり私を見くびらないで欲しいわね。誰がそんな情けない真似をするものですか。カチューシャに会わせる顔がないじゃない。第一、あの男の言うことなんて信用出来ないしね。上手いことを言って、結局カチューシャを殺しに来ていたかもしれない。それに、私はあなたに一度救われてるわけだし――操られていたとはいえ、あなたを殺そうとした私を。これぐらいのお礼はさせて頂戴」

「あれはノーカウントでしょう。ターニャさんの意思じゃないんですし。むしろ火傷させてしまった俺が謝るべき出来事だった気がします」

「あのね、あなたいい加減にしなさいよ。自分が関わったこと全部に、一人で責任を負うなんて出来るはずがないでしょ。本当はあなただってそれぐらいのこと分かっているはずよ?」

「…………」

「もう少し、肩の力を抜いて生きなさい。あなたの頑張りは、周りをハラハラさせ過ぎる。あなたの仲間や友だちは皆『もっと自分を頼って欲しい』って思っているはずよ。頼らせてあげなさい。……頼られるのって、確かに〝重〟いかもしれないけど、その分、報われた時はとっても気持ちがいいでしょ? それを独り占めするのはやめなさい」

「そうかもしれませんね」

 自分の〝責任負いたがり〟がいつの間にか、他人のためじゃなく、自己満足のためのものになってしまっていたかもしれないということに気付き、陽介は反省する。

「すぐに意識を変えろと言われても難しいでしょうし、とりあえず、今回はこういうことにしておきましょう。あの夜……あなたも、私のことをおぶってくれたんでしょ? これはそのお返しってことで」

「まあ、それなら。確かに〝お相子〟と言えなくもないですね」

「やっとわかってくれた? じゃあ、私の似非お説教はこの辺りにしておきましょう。何はともあれ、あなたが今回一番の功労者であることは間違いないんだから。あんまり苛めちゃ、私が悪者になっちゃうわ。さあ、もうすぐ着くわよ。……カチューシャが、待ってるでしょうね」

「そうですね」

「カチューシャのこと、怒らないであげてね?」

「は? どうして俺がカチューシャを怒らなきゃならないんですか。逆でしょ?」

「いえ、あなたがカチューシャを殴って気絶させたこととかじゃなくて……。あの子、今日一日、随分と機嫌が悪かったみたいじゃない?」

「別に一日中ってわけでもなかったですけど。ターニャさん、理由知ってるんですか? まさか本当に〝あの日〟だったなんてことは」

「そんなわけないでしょう。あなたと由孝ちゃんが外に出ている間、カチューシャと話をしていた時に聞いたのよ。『ひどい態度取っちゃった』って。かなり気にしてたわ」

「そうだったんですか。それで、カチューシャが不機嫌だった本当の理由って一体……」

「昔、ある教会に、凄く仲のいい男の子と女の子がいたの」

「はい?」

 突然昔話が始まったことに、陽介は困惑する。

「でもその教会は、ひどく旧態依然とした体質で、その上、分からず屋で、例え七つや八つの子どもであっても、男女が仲良くなりすぎるのを嫌ったの。結局、男の子の方は他の教会に連れて行かれて、二人は引き裂かれた。最後に男の子は、自分の母親の形見だった髪留め――日本で言うカチューシャの形をしたそれを、女の子に預けた」

「え?」

 ――その話ってもしかして。

「女の子は後生大事にその髪留めを使い続けている。そしてここで、もう一人の人物が登場する。女の子と仲の良かった、女の子より年上の女性がね。その女性は確かに女の子と仲が良かったけど、その子の髪留めを見るたびに、自分には決して勝てないライバルが、女の子の心の中に存在し続けることを思い知らされる。男の子は、女性よりもずっと女の子と仲が良かったから。少なくとも、女性の目にはそう見えていたから」

 どちらかと言えば鈍い方の陽介も、ターニャがした昔話のモデルが誰なのかはすぐに分かった。しかし、その話は、それほどの感慨を陽介に与えなかった。

 彼は今まで、カチューシャに〝カチューシャ〟をあげた友人というのを、てっきりターニャのことだと思っていた。しかしそうではなかった。

 せいぜいその程度の驚きしか与えなかった。

「あの子の今朝の態度の理由。それは、この『年上の女の人』の気持ちを想像すれば、おのずと答えが出てくるはずよ。少なくとも、それに近いものがね」

「そうなんですか? 俺にはよく分からないんですけど」

「でしょうね。あなた、鈍そうだものね。すぐには分からないと思うわ」

「ひどい言い草ですよ、それ……」

「だって本当のことでしょう? とにかく、カチューシャのことは許してあげて。今はそれだけで十分」

「許すも許さないもないですよ。別に怒っちゃいないですから。まあ、最初は少し腹を立ててしまいましたけどね。今は大丈夫です」

 陽介の言葉に嘘偽りはなかった。

「そう。なら、いいんだけど」

 ターニャは言う。

 ふと、陽介はあることを思い出す。

「そう言えば、一つだけ気になることが残ってるんですよね」

「あら、なあに? もう全部終わったんじゃないの?」

「確かに、全部終わったと思うんですけどね。何となく、心残りが一つだけ。マクシム教会の事件、ターニャさんは、俺とあの男の会話を聞く前から知ってましたか?」

「元関係者が次々に殺されているっていうあれでしょ? 知らないはずないじゃない。ま、カチューシャは知らなかったみたいだけど。それがどうかしたの? 犯人の四十万一路が自供していたじゃない」

「それはそうなんですけど。術が碌に使えない上に、仲間や部下のいないあいつがどうやって同じ日に違う場所で人を殺したのかな、と思いまして。全身の血を抜くなんていう、まるで吸血鬼の食事みたいな真似を、あの〝夜殺し〟がやるのかな、とも思いまして」

「まあ、色々と方法や事情があったんじゃないの?」

 別に興味ないわ、と言った風に、ターニャが雑に答える。――自嘲気味に笑いながら。

「そうなんですかね? まあ、そうなんでしょうね」

 ターニャの顔を正面から見られない陽介も、適当に答える。そんな彼にターニャは、

「……やっぱり鈍いのね」

 と、呆れながら言った。そして『そういうところは、あの男の子と正反対ね。顔はソックリ一緒なのに』と小声で呟いてから、

「さあ、もうすぐ着くわ。カチューシャが待ってるでしょうね」

 と続けた。ターニャの言葉に陽介は、

「それに、由孝もね。大丈夫かな、あいつ。今度は変な後遺症が残ってなきゃいいんだけど」

 と応答した。

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