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太陽の化シン  作者: 直弥
第四章「二人の夜殺し」
26/30

その1

「……やはり、一人で来たか」

 柄も何もない、ただ真っ黒なだけの着物と帯。加えて、黒塗りされた黒檀の下駄。

 異様な服装。 

 しかしそれは、夜の暗殺者としての都合による恰好に他ならないのだろう。放つ存在感は圧倒的。意識してしまえば一目瞭然。服装程度で隠しきれるものではない。

 黒の碁石の中に一粒だけ混ざった白い碁石。

 この男の存在感を表すのに最も的確かつ明瞭な表現はそれだろう。

 夜闇の中、黒ずくめであるのに。

 見た目だけなら、黒の碁石の中の黒い石ころみたいなものなのに。

「実際に会うのはこれで二度目か。一度目は昼間のショッピングセンターだったな」

「……さっき由孝の家にいたあれは、偽物か」

 別段、驚くに値しないといった風に陽介が言う。

「そうだ。俺は瞬間移動など出来んからな。お前が出掛けた後で、すぐにあの屋敷で二人を殺し、伝達用の『無糸傀儡(ニンギョウ)』を置いておいた。俺は術がそれほど得意ではなくてな。あれぐらいの芸当しか出来ないんだ」

「回りくどいことをしやがって。グリゴリーを殺すためか。それとも、そんなに〝あの光景〟を見せつけたかった、って言うのか?」

「至極つまらない答えで恐縮だが、敢えて言えばその両方だな。さて夜殺しよ。お前はもう大体の事情は察している、と思っていいのかな? いいのだろうな」

「多分。まず、マクシム教会の人間を殺したのはお前だろ?」

「そうだ。一月ほど前、例の一件を知ったんでな。俺なりの罰を下してやったわけだ」

「一体何処でそんな話を」

 一路の〝罰〟という言葉に眉を顰めた陽介だが、今、真にぶつけたい感情をぐっと堪え、より深い情報を得ようと、質問を続ける。一路はもったいぶることもなく、あっさりとその質問に返答する。

「事件に関わっていたヴァンパイアから直接聞いたのだ。同胞のフリをして、夜留の情報を集めていた時になあ。話を聞いた後、そのヴァンパイアも葬ってやったのは言うまでもない」

「ああ、まさかそれって」――ターニャの最初の親のことじゃないのか?「だけど、どうしてだよ。ヴァンパイア側はともかく、教会の人間はただ騙され、利用されただけじゃないか。マクシム教会は『聖邦教会(セイキョー)』側の教会だろ?」

 この世界最大の宗教には『聖邦教会(通称、セイキョー)』と『統邦教会(通称、トーキョー)』二つがあるが、前者は表世界、後者は裏世界に属している。『聖邦教会』の信者たちは基本的に皆表側の人間――魔術や異能を知らぬはずの人間なのである(もっとも、二教派の最上位層たちだけは直接繋がっているのだが)。

「騙されただけ、か。確かにそれは事実かも知れないが、しかし、果たして真実か? まさか奴らが、本気で吸血鬼(ヴァンパイア)を天使と思い込んでしまったとでも? 奴らは未知の異形を、無理やり天使だと信じ込み、逆らわないことで我が身を守ろうとした。そう考えられはしないか?」

「それは……」

 憶測に過ぎない一路の言葉を、陽介は強く否定することが出来なかった。もしかすると、という思いが、彼にもあったからこそ言葉に詰まる。

「神に仕える聖職者が笑わせる。天使を騙る化物に容易く屈服したのだからな」

「それはお前の決めつけじゃないか。いや、百歩譲ってそれが真実だっとしても、お前は、吸血鬼にされてしまった子どもたちまで殺すつもりだろ?」

「無論だ。吸血鬼、いや、〝夜〟は存在そのものが俺にとっての敵だ。そしてその敵に屈する者も、やはり敵だ」

 一路は断言した。

「幾らなんでも徹底し過ぎじゃないのか? 俺だって四十万の人間には何人か会ったことがあるけど、皆もっとドライな感じだったぞ。お前とは正反対な人が多かった。というより、そもそも、お前のことなんて聞いたことがない」

「当然だ。俺はお前が生まれるよりも前に四十万の本家から除名されている。今でも再三の警告を無視して『四十万一路』を名乗っているがな。何のかんの言っても、自分の名前だ。愛着はある。家としての四十万には未練すらないのだが」

「ふーん。じゃあ、お前を殺しても文句を言う人間はいないわけだ」

 陽介の目が鋭く光り、一路を睨みつけた。

「ほう。可愛い顔をしてなかなか言うじゃないか。お前は俺を殺しに来たのか? 俺はお前と戦うつもりすらなかったというのになあ」

「は?」

 拍子抜けした陽介の目が大きく見開かれる。目の前の男の意図がまるで読み取れず、一度たぎらせた感情が矛先を失い、陽介は戸惑う。

「何を驚くことがある。俺は夜の敵対者だぞ? その俺が夜を殺す者を殺して何の得があるのだ。いや、ない。放っておいても勝手に夜を殺してくれるような者を消す理由がない」

「っ! ……じゃあ、俺に何の用があるんだよ」

「これまた何を言っているんだ。用があるのはお前の方だろう」

「あ」

『俺をどうこうしたければ――』傀儡の言葉を思い出し、陽介は気付く。自分は呼ばれたからここにいるのではない。

「その〝用〟というのが、俺を殺すことだったわけだ。まったく怖い怖い。報復即ち殺すだなんて野蛮だな」

「ぐうっ。お前にだけは言われたくないぞ。俺はお前を放っておいたらカチューシャまで危ないと思って」

「まだ自分を誤魔化すか。いい加減にしたらどうだ。本当にあの吸血鬼娘を守ろうとだけ思うならば、さっさとあいつを連れて逃げればいいだけのことだろう。守護者に預けるなり何なりすれば、俺だって手出し出来なくなるんだ。少なくとも、お前がここへ来る理由はない」

「何が言いたいんだよ」

 何が言いたいのか分かっていながら陽介が言う。

「……カチューシャと言ったか、あの小さい方のヴァンパイア。俺があれの存在に気付いたのは当然、本日昼間のショッピングセンターだ。明らかに純血種ではないのに、真昼間の表を堂々と歩いているヴァンパイア。そりゃあ、気にもなる。ただでさえ俺はグリゴリーを追ってこの町に来ていたんだからな。お前たちとグリゴリーに何かしらの関係があると睨むのが自然だろう。で、尾行させてもらったというわけなんだが、城にいた時のお前――、ショッピングセンターにいた時よりも遥かに愉しそうだったな」

 一路の言葉の直後、陽介が不敵な笑みを浮かべた。そしてこう返す。

「よく分かってんじゃないか。そうだよ。俺がこうしてやって来た理由はひとつだけ……お前が由孝をあんな目に遭わせたからだ。お前がどこで何をしようが勝手だけどな、あいつを傷付けるのだけは駄目だ。許せない。……だっていうのに、お前は一体何をやった? 放っとけるかよ。手段なんか選ばない。最大級に惨い方法で〝殺してやる〟」

 途中から、陽介の声色は明らかに変わっていた。狂気じみていると言ってもいいほど、座った目になっていた。

「〝表〟出身の人間というのは奇妙な道徳観念を捨て切れぬ者が多い中、お前はなかなか見どころがあるじゃないか。では、私が殺したもう一人の女……あの背の高いヴァンパイアのことはどうだっていうというんだな?」

「あんな奴はカチューシャよりどうでもいい。それより、お前にもう一つ訊かなきゃならないことがあった。危うく忘れるとこだったよ。お前、もしかして今日、一日中、俺らをつけていたのか?」

 陽介の顔に、狂気の中にも焦りの色が浮かぶ。

「いや、俺が休みなく張り付いていたのはその城までだ。お前たちの拠点は既に確認済みだったしな。一度中断して宿に戻っていた。あの傀儡を作るためにな。次に表へ出た時はもう夜だったよ。お前が夜殺しだと気付いたのも、グリゴリーとの戦いを盗み見していた時のことだ」

「そうか」

 極力感情を表に出さないように顔を引き締めながら頷く陽介であったが、内心ではほっと胸を撫で下ろしていた。

「ところで。どうしてわざわざ俺を挑発して、ここに来ざるを得ないような感情を掻き立たせたんだ。まさか今こうしている間にも、由孝の家にはお前の仲間や部下がカチューシャを殺しに行ってるなんて言うんじゃあ……」

「いいや、それは杞憂だ。そもそも、俺が誰かとつるむような人間に見えるか? 単純に興味があっただけの話だ。夜殺しに。ひょっとしたら俺の同類かとも思っていたんだが、どうやらその読みは大いに外れたみたいだな。第一、お前はまだまだ幼すぎる。幼くて青い。妙な色気を出して、必要のない戦いに移動もうとするほどにな」

「……それが結果的により多くの犠牲者を生むことがあるというのに、ってか?」

「その通り。まさに今回のようにな」

 言って、一路は、大木の根元にある灰の山に視線を向けた。ほんの数十分前まで人の形をしていた灰は、持ち主のいなくなった衣服の上に降り積もっていた。

「カチューシャが死のうが生きようが知ったこっちゃないけど。純粋に、お前の態度は気に喰わないな。そんな無茶苦茶な責任転嫁があるかよ。実際に殺したのはお前じゃないか」

「責任? 何の責任だ? 俺は当然としてグリゴリーという〝夜〟を殺しただけだ。ターニャという女にしても然り。由孝という娘は立ち塞がったから突破しただけのこと。責任など感じる必要がない。俺が責任だと感じていない以上、それは責任転嫁になり得ない」

「屁理屈だろ、そんなの」

「理屈も屁理屈もあるか。お前が積極的にグリゴリーを見つけ出そうなどと思わず、カチューシャ、ターニャとともに、あの守護者が帰ってくるまでの間、大人しく家に籠っていたならば――俺はお前たちのことになど気付かず、グリゴリーだけを殺して、さっさとこんな町をおさらばしていたんだ。死ぬのはあの純血種一人で済んだ。お前たちの知らないところで、万事丸く収まっていたんだよ」

「ぐうっ」

 陽介には言い返す言葉が思い浮かばなかった。もしグリゴリーが生きていれば、まだ反論の余地もあっただろう。しかし、グリゴリーは死んだ。殺された。陽介が家に籠っていればそうなったであろう〝架空の現在〟と、〝現実に起きている現在〟の両方で彼が死んでいる以上、『死ぬのはグリゴリー一人で済んだ、では丸く収まっていると言えない』という反論は言い訳以下の意味しか持たない。ただの悪あがきでしかない。

「お前はこの後、どうするつもりなんだ。カチューシャも殺すのか?」

「最初はそのつもりだったがな、今は違う。あいつは生かしておく」

「それは、俺がこのまま大人しく帰ったらっていう条件付きでのことか?」

「いいや、これはもう決定したことだ。どう転んでも、カチューシャとやらを殺すつもりはない。……本音を言うと、あいつには食指が動かんのだ。〝夜〟でありながら〝夜〟でない。そんな印象を受けてしまってな。何者なのかという興味はあるが、殺す気にはなれんな」

「ふうん……。まあ、どっちでもいいけどな。とにかく、そろそろ始めよう」

「どうしても戦いたいか。それならばお相手しよう。しかし先に謝っておく。さっきも言った通り、俺はお前を殺しても得することが何もない。だから、俺が勝ってもお前は殺さない」

「そうか。じゃあ、俺も先に宣言しておく。俺が勝ったらお前を殺す。お前がこれからも夜を殺し続ける以上、どうせいつかはぶつかるんだ。後回しは性に合わない」

 そして戦闘が開始された。


 まず、一路が跳び上がった。否、それは〝飛〟び上がったと表現した方が正しいのかもしれない。その場で十メートル以上の跳躍をした男は、一瞬で陽介の視界から消えた。直後、陽介の頭に凄まじい衝撃。

「う!?」

 陽介は思わず頭を抑える。

 ぬるりとした触感が彼の手に走り、同時に、背には悪寒が走る。

 ――血。

 それほどの量は出ていない。表面が傷つけられただけ。

「……っ」

 陽介はまだ頭上は確認しない。確認せず、そのまま後方へと跳ぶ。元いた場所から十メートル以上の距離を取り、そこで初めて上方を見る。

 男は、夜の空に〝立って〟いた。

「何をぶつけたんだ」

「俺の下駄だ。魔力で幾ら勢いをつけても、素材がただの木ではそんな傷しかつけられんか」

 見上げれば、確かに男は右足だけ素足となっている。

 見下ろせば、確かに粉砕した下駄と思しき物の欠片が陽介の足元に散らばっている。

 彼が陽介にぶつけたのは、間違いなく、動きをコントロールされたした下駄だった。

「幽霊族の生き残りか、お前は。親父は目玉から身体が生えてんのか?」

「ふむ。そのような名前の種族は未だ嘗て聞いたことがない。が、我々は一族としては殆ど死んだも同然。何せ生き残りの四十万の数は一桁だ。〝幽霊〟という表現は――なるほど、言い得て妙かもしれんな。もっとも、さっきも言ったように俺は既に四十万の人間ではないが」

「そんなに深い意味はないっての! っていうかお前、術は不得意じゃなかったのかよ」

「不得意さ。だが、こんな風に力任せな〝術〟未満の芸当なら可能だ。魔力さえあれば出来るようなことだからな。一応もう一足あるわけだが……、どうやら使っても無駄なようだな。これで気絶させられれば一番手っ取り早かったんだが」

 言って、一路は左足に履いていた方の下駄も脱ぎ捨てた。カラン、という音とともに、地面にそれが落ちる。

 かくして、彼は裸足となった。

 口振りや背丈、精悍な顔つきとは裏腹に、まるで子どものような格好になる。

「殺すつもりは毛頭ないが、弾みで殺してしまう可能性は否定できない。もしそうなっても恨むなよ? お前が自分で望んだ戦いなのだから」

「もう十分恨んでるから俺が望んだんだろうが!」

 陽介はもはや遠慮なしに叫ぶ。

「それもそうか。では……ふんっ!」

 勢いをつけて降下してきた一路は、まだ若干宙に浮いたまま、凄まじい数の連打を陽介に浴びせる。動きやすいように丈を短めに加工しているとはいえ、浴衣を着たままとは思えない動きを見せる男に、陽介は驚く。

 彼は何とか洩らすことなく、両腕でその拳すべてを受け止めているが、その表情は険しい。

「うぐぅ!」

 両腕を走る激痛に顔を歪ませている陽介。

 ボーリング玉でも一撃で粉微塵(こなみじん)確実の拳を雨のように受けている彼の腕の骨には、細かいひびが幾つも入っていた。

「このままでは腕が砕けてしまうぞ? 反撃に転じないのか?」

「く、うっ……む、無茶言うな……!!」

 生粋の人間である一路に陽介の能力が効くはずもなく、そもそも反撃に転じるような隙を見つけられない彼は、ただ一路の猛攻に耐えている。しかし何もしなければ、本当に陽介の腕が砕けてしまう。そんな状況。

「(どうせ砕けるんなら……!)ふっ!」

「んん?」

 陽介は腕を粉々にされる覚悟で、両肘を使い、一路の両拳を挟み込んだ。それ自体はあっさりと振り解かれるが、その際、一瞬の隙が生まれる。

 陽介は一路の腹を渾身の力で蹴り飛ばした。

「うおっ!」

 一路の身体は勢いよく吹き飛び、木を幾本か薙ぎ倒してからようやく止まる。勢いが自然に死んだわけではない。一路が自力で勢いを殺したのだ。

 立ち上がった彼が言う。

「おいおい、本気で殺す気か」

「ハァッ……ハァッ……。当たり……前だ。そのつもりで、やってんだからな」

 陽介は息を切らせながらショックを受けていた。彼は本当に渾身の力で一路を蹴り飛ばしたのだ。しかし、一路はそれに、事もなげに耐えて見せたのだ。

「随分と憔悴してるじゃないか。そういえば、お前にとっては、ほぼ連戦なんだったな。グリゴリーに続いて、この俺と。なるほど、これは気が付かなかった。こんな戦い、フェアとは言えないな」

 男はカラカラと愉快そうに笑う。

「お前だって連戦だろ? グリゴリーと俺で」

「確かに連戦と言えなくもないが、俺とグリゴリーとのあれは戦闘と呼べるほどのものではなかったからな。お前が事前に散々痛めつけてくれていたお蔭で、随分と楽だった」

「ああ、そう。でも気にするようなことじゃないぞ」

 ――互いに万全な状態だったとしても、どうせこの差は埋まらない。グリゴリーと俺にだって、本来はこれに近い差があったんだろうな。それが『太陽の化身(ロード・オブ・ヘヴン)』で埋まっていただけのことなんだ。すっぴんの俺は、まだまだどうしようもなく弱い……!

 陽介はもはや理解していた。目の前の男と自分との間に、圧倒的な実力差があることを。

「気にする必要がないというのなら、遠慮なく続けるぞ」 

 一路が再び陽介に向かって飛び掛かる。但しさっきとは違い、真正面から。

「くっ、去ね!」

「おお?」

 陽介の目の前に突然現れた、半透明な緑色の盾に驚く男。

 驚きはしたものの、そのまま完全に停止することの出来なかった男は、陽介が創り出した盾に激突し、高く、垂直方向に吹き飛んだ。空中で姿勢を整えたため、大したダメージを与えることは出来なかったものの、とにかく、陽介は一発を凌いだ。

「そう言えば、術も多少は使えるんだったな。すっかり失念していたよ」両足でしっかりと地面に着地した一路が、陽介に向かって歩み寄る。「しかし、それではダメだな。こんなモノは一時凌ぎにしか過ぎない。そうだろ? この期に及んで出し惜しみしているとも思えんしな。とすれば、さっきの術はお前の使えるもののなかではかなり上等な部類に入っているはず。しかし、それがまさか『絶現』の障壁結界とはな。お前も俺同様、あまり術は得意じゃないな? どちらにせよ、その程度なら見切ることは容易い。壊すことはもっと容易い。拳に魔力を込めるだけで、簡単に砕けてしまう盾など」

 言いながら一路は右手に魔力を宿らせる。〝表〟の人間が見ても、その異様さに気付くほどの膨大な魔力を。陽介の絶現障壁を一撃で砕くに十分過ぎる魔力を。

「どうすりゃいいってんだよ……」

 陽介の顔が絶望に染まった。

 ……生まれつきの〝裏〟住人でなく、術の才能がない陽介は、相手が夜留でもない限り、通常戦闘においては不利な要因しかない。だからこそ彼は十一年間、特定した相手を想定しない、只管の鍛錬を積んできた――特にその内三年間は、ナインズ最強の男の下で鍛え上げられた。後に彼曰く、一〇九五回ぐらい死ぬかと思った――し、今でも事件がない時は鍛え続けている。『夜殺し』である彼は夜を殺すしか能がないと思っている者も少なくないが、実は違う。一芸は彼の趣味ではないし、彼の敵は夜留だけではない。故に陽介は先天的な異能に過信して頼ろうとせず、むしろ異能を持っていたからこそ積極的により強くなろうとしている。

 それでもやはり、四十年以上という圧倒的な経験値差は埋められない。埋まらない。一路とて積み上げてきたものがある。

「やめたければ遠慮なくそう言え。俺はいつでも受け付ける」

 ゆっくりと距離を詰めながら、一路が提案する。

「だ、誰が!」

 陽介はそれを断固として拒否する。

 確かなダメージが蓄積されている彼は、現時点で既に満身創痍。骨がどれだけ砕けているのか分からない。内臓が幾つイカれているのかも分からない。

 それでも、まだ退かない。

「では、再開だ」

 言って一路は駆け出す。右手を振り上げながら。

「くうっ!」

 陽介は手に持った盾を一路に投げつける。

 それを、一路は走ったまま右手で粉砕し、陽介との距離を一気に詰めた。二人の距離が限りなくゼロに近付いた瞬間、抱きつくように、もたれかかるように、陽介は両手で一路の身体を絡め取った。

「まだ足掻くか……」一路はもはや振り払うこともせず、呆れていた。「もういいだろ? お前はまだ若い。(いろ)の一人や二人を失ったとしても、まだまだやり直しは効くじゃないか。これまでの人生をなかったことにして」

「ハァッ……ふざけんな。……俺だけの二十年足らずはともかく、俺と由孝の十数年までなかったことにしてたまるか。」

「そうか。まあ、お前の人生だ。どう生きようと〝思う〟のもお前の自由だよ。俺が自分の人生を自由に生きているようにな」

「生きているように、か。生きていたように、の間違いじゃないか?」

「何を……うっ!?」

 一路の言葉は途中で途切れ、言葉の代わりに叫び声を上げる。 

「ぐああっ!?」

 四十万の外れ者が、初めて明確に苦痛に顔を歪ませる。

 初めて驚愕する。

 首から二筋の血を流しながら、彼は体を激しく揺らす。陽介の手足など、とっくに振り払われていた。

 ドンッ! という音とともに、「キャァ!」という声と同時に、地面に叩きつけられた女性が姿を現す。

「大丈夫ですか……?」

 透明だった彼女の身体が、激突の衝撃によってか、色を取り戻していく。はっきりと形が具現する――ターニャの姿形が。それに呼応するかのように、彼女の意識も取り戻される。

「何とかね。平気よ」

「ふうっ、よかった。ここで死なれちゃあ、後味が悪すぎますから」

 陽介は安堵の溜息を洩らした。

「馬鹿な! お前は確か俺が殺したはず……! 殺し損ねたというのか? あり得ない! この俺が夜留を殺し損ねるなど!」

 一路は未だに困惑を隠せず、流血する首を片手で押さえながら怒鳴り散らす。彼からすればまったくもってわけのわからない展開。しかし、種を知る者にとっては。

「簡単なことさ。お前と似たような手だ」

「なにぃ!? じゃあ、あれが人形だったとでも? 馬鹿な! この俺が、人形かどうかの見分けも付かなかったとでも言うのか!?」

「並の人形じゃあ、お前を騙すのは無理かもな。でも、幸人さんのお手製なら別だ」

「幸人? ……!! 守護者か! おのれ……!!」

「そうだ。血を馴染ませた者の姿と性質を完全に複写する、守護者お手製の影武者人形。人形っていうか、正確には式神だけどな」

「おのれ……! じゃあ、まさかもう一人の娘もか!」

「……いや。『本命』は一つしか残ってなかった」

 だから、由孝は人形を使えなかった。

「だが、カチューシャとかいう娘は、どう見ても演技しているように見えなかったが?」

「敵を欺くにはまず味方から、ってね。あの式神の存在を知っていたのは俺と由孝、それにターニャさんだけだよ。由孝とは喫茶店で相談してな。夜、俺が家にいない間は、一人だけこの人形を使うことにしようって決めていたんだ。人形に目くらましをさせ、本人は、他の場所に隠れていようって」

 その〝他の場所〟こそ、幸人が数年前に作った、緊急避難所のことである。

「それで、結果的にターニャさんが血を馴染ませることになったわけさ。カチューシャが家に残っていれば、当然、カチューシャが使うことになったんだろうけど。でもまさか、本当の敵が夜留じゃなくて人間だなんて思ってなかったから、昼間はかなり油断してたよ」

 下手をすれば、喫茶店での相談も無意味に終わるところだったのだ。一路が尾行を城で切り上げたのは、まさしく幸運であった。

「クッ……。それで、お前はここに来る前にこの女と合流し、今回の作戦を立てたわけか」

「そうだよ。俺がタイミングと機会を確保して、ターニャさんが吸血する。作戦と呼べるかどうかも微妙なほど、せこい真似だけどな。タイミングを得る前に死んだら元も子もなくなっていたところだったし。ターニャさんの能力じゃ、相手に触れた瞬間、存在を知覚されてしまうから。咬みつき、血を吸うだけの時間を稼がなくちゃならなかった。奇跡的に成功した、と言わざるを得ないよ」

「俺が〝夜〟に出し抜かれるとは……。一生の不覚だ」

「一生の不覚でもいいじゃないか。どうせ、お前はこのまま消えるんだから」

 ぞっとするほど冷たい声でそう言って、陽介は右手で一路の口を塞いだ。

「な? ぐああ!!」

 悶え苦しみながら。一路は、陽介の姿が黄金色に輝きながら変容していくのを見た。さほど大きな変化ではない。面影を残しつつ、十ほど歳を経たような。

「折角だから最期によく見とけ」声もやや低く変わっていたが、口調は陽介のまま。「これが化身能力の神髄だ」

 化神。それはまさに化身能力の神髄。化身能力者が使う様々な力はすべてその副産物に過ぎない。仰野陽介は今、太陽の天孫へと化神した。

「う、あ、ぐ、ぐぐっ」

「憤怒も驚愕も分かるけど、油断し過ぎたな。お前を何のために吸血鬼にしたのか。それぐらいのこと、理解出来ていたはずだろ? ……俺だって、お前が〝男の留守を狙って女を殺そうとするような卑劣漢〟じゃなきゃ、こんな騙し討ちまではしなかったかもしれない」

「うぐう!?」

 陽介の言葉の〝ある部分〟に引っ掛かりを覚えて、男は表情を変える。陽介は表情を変えない。冷静で残酷で冷酷な表情を崩さず、言葉を続ける。

「あんな目に逢わせたのが由孝じゃなきゃ、殺すだけで済ませてたかもしれない。でも、もう全部仮定の話だ。魂魄の破片一つ残さず消してやる」

 陽介は、右手で太陽を形成し始める。

「ぐおお……! あ、あがが!」

「~~っ!!」

 男の口からは、どくどくと血が流れ出ている。一路が陽介の掌を噛み千切ろうとしている結果流れ出ている血が。そう、陽介の血が。

 激痛に耐えているのは陽介も同じなのだ。耐え切れず彼が手を離してしまえば、すべてが水泡と化してしまう。それでも、今や立場は完全に逆転している。当然である。

 一路は〝夜の雑兵〟で、陽介は〝太陽の神〟なのだから。

 一路自慢の腕力も、先程までの十分の一程度しか発揮出来ていない。その程度では、陽介を振り払うことも出来ない。

「ア……アア……アアア……!!」

「くうっ!」

 ようやく満足のいく太陽を創り出した陽介が、その手に一気に力を込める。堪らず叫び声を上げようと、一路の口が一層大きく開かれる。陽介はそこに、太陽を放り込んだ。

「ウオオォォオ!!」

 耳障りな叫び声を聞きながら、俺はようやく放した自分の右手を見る。

 自らの血で真っ赤に染まった掌。骨まで見えている。

「ア……アア……俺が吸血鬼に……。俺が〝夜〟に……!」

「悪くないだろ? どうせお前は〝夜〟ならば例外なく殺すんだから。今のお前は自分も殺さなきゃならない。その手間を省いてやったんだ。ついでに屈辱も一入(ひとしお)だろ?」

「アア……アァ……ククク。夜が朝に消えるように、朝も夜に消える運命か。所詮は俺も《朝の一族(四十万)》を完全に辞められなかったということか」今や灰と消えゆくだけの一路は痛覚すら薄れ始めていた。彼は最期の言葉を残そうとしている。「しかし、それはお前も同じだぞ夜殺し。〝太陽〟の化身であるお前もまた、いずれ夜に呑まれる運命だ」

 最後の抵抗とも言える一路の言葉を、陽介は鼻で笑って否定する。

「何言ってんだ。〝朝〟と〝太陽〟とでは、わけが違うだろ。夜が来れば朝は確実に終わるけれど、夜が来ても太陽が消えるわけじゃない。白夜ってモノもある。夜と太陽は本来、共存すら出来る関係だよ」

「はっ、戯言を。ならばお前の力が無条件に夜を殺すのはどういうわけだ」

「さあ。夜を生かすも殺すも、太陽の気分次第ってことじゃないかな?」

「それはまた随分と横暴な力だな。さすが神の名を冠しているだけのことはある。そろそろ俺の意識も溶け始めてきたか。じゃあな夜殺し。お前の足掻き、黄泉から存分に眺めさせてもらう……ことも出来んのか、魂ごと燃え尽きてしまっては。…………残念だな」

 直後。吹いた一陣の風によって、一路の身体と魂魄は完全に灰と化して空へ舞い上がり、飛んで行った。その様子を見つめながら、いつの間にか少年の姿に戻っていた陽介が呟く。

「卑劣漢ではあったけど、純粋な奴だったな。いや、純粋過ぎる故の卑劣漢だったのか。お前は俺なんかよりも、よっぽど〝夜殺し〟だったよ」

 

 二人の最期の会話を近くで聞いていたターニャは戦慄を覚えていた。

 ――無茶苦茶ね。殺された方も殺した方も、どうしてそんなに晴れやかでいられるのよ……。

 結果だけを見れば、確かに彼女も加担した〝殺人行為〟で〝復讐行為〟であった。しかし彼女には絶対に入り込めない何かが――陽介と一路、二人の間にはあった。

 ――どうしてこうも違うのかしらね。……私の時とは何が違っていたのかしら。

 星の瞬く夜空を眺め、ターニャは少しだけ瞼を閉じた。

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