その6
陽介とグリゴリー。二人がやって来たのは、林の中では最も開けたところ。木々が切り倒された場所であった。
陽介は戦うためにこの場所へ来たものの、実はグリゴリーに聞きたいことが、まだまだあった。カチューシャがいる時には聞き難かったことが幾つか。
「そういや……、ターニャさんはどうする? 彼女には別にこだわりないんだろ?」
「ボクがもしあなたに勝てるような事態になれば、一緒に連れて行きます。カチューシャが寂しがりますからね。……あの人にも随分とご迷惑をお掛けしてしまいました。無理に協力させるために、最終的には傀儡にまで仕立てあげてしまいましたから。そして今でも、利用しようとしている」
人間や動物を傀儡として使うことはヴァンパイアを始めとする多くの吸血鬼の十八番。それを反省するというのは、どうにもおかしな話だったが、彼がそもそも吸血鬼としては変わっているのだから、陽介もあまり不自然には感じなかった。
「しかし、正直惜しいことをしたという思いもありますね。彼女とカチューシャが親友だったのは知っていましたから。最悪、彼女を人質にすることだって出来たかも知れませんし。そういった卑劣な真似はしたくなかったのですが、まさか夜殺しなんかが直接関わっているとは思っていなかったですからね」
「ふぅん。人質が卑劣だっていう認識はあったんだ。なのに、教会の人間と結託した人攫いはいいのかよ」
じろりとグリゴリーを睨みながら、陽介がキツイ言葉を浴びせる。
「ハハハ……。やはり気付いていましたか」
「そりゃあな。カチューシャの前では流石に話せなかったけど、ここははっきりさせておきたいところだ。でないと気になって戦えない」
「そうですか。しかし、あなたはひとつ誤解をしていますよ。教会の人間は一方的な被害者です。そのことも含め、すべてお話しましょう。六年前、一体何があったのか」
陽介がカチューシャの口から聞いた話の裏側が、グリゴリーの口から語られ始めた。
†
事の発端自体は六年前どころではなく、十九年前。数人の若い純血種ヴァンパイアが、とある計画を立てた。それが、施設の孤児を一挙に攫うという馬鹿げた計画。
目を付けたのは辺境の教会、聖マクシム教会。彼らは自らを天使と偽り、様々な術を奇跡と称して、教会の人間に接触した。
「子どもたちを集めよ」神からの預言と称して語る。「いつかその子どもたちを神の世界の住人として迎えに来よう。但し、このことを知るのはお前たちだけだ。これから集める子どもにも、他の誰にも話してはならない」そう付け足して。
既に存在する孤児院や他の教会を襲わなかったのは、できるだけ表の世界に事件性を感じさせないようにするために他ならない(多少の陰謀論者に疑われることはしようがないとして、最初から事故に見せかける計画であったのだ)。
彼らを天使と信じてしまったマクシム教会は孤児集めに動き出す。その子どもたちが、いつか神の国に連れ行ってもらえるものだと信じて。教会の人間たちは皆、〝表〟の人間とは言え聖職者。だがそれでも、何世紀という時を生きるヴァンパイアたちからすれば、彼らを騙すことなど造作もないことだったのだ。
普段なら『また若い連中が馬鹿なことをしているな』としか思わなかったであろうグリゴリーも、この計画に加担する。娘と妻を失った傷が、癒えないでいたから。二人の代わりを求めて。
決行の日。グリゴリーが見たのは、死んだ娘と同じ顔をした少女であった。
最終的に、一人の死者を出し、カチューシャとターニャを含む数多の人間がヴァンパイアによって連れ去られた。
その死者の存在で、神父やシスターたちは、ようやく騙されたことに気付く。とは言え、まさか真相を話せるはずもなく、話したところで誰が信じるわけもなく、ただ罪悪感に苛まれながら教会を去った。耐え切れぬ精神の苦痛に、自殺する者も出た。
†
「カチューシャを実際に見たのは決行の当日でしたが、本当に驚きましたね。『今回の計画はまさに自分のためにあるのじゃないか』と、そう思ったぐらいです」
「あまりにも手前勝手な言い分だな。何人もの人間を巻き込み、死者すら出しておきながら」
「はい。今ではもちろん猛省しております」
「感想はそれだけか」
――猛省しようがどうしようが、赦されるようなことじゃないだろう。
本当は陽介も、純血種のヴァンパイアにそんなことを言っても仕方ないと分かっている。人間とヴァンパイアは違う生物。しかも本来、人間は搾取される側なのだ。ヴァンパイアに。
牛や豚や鶏の説教に耳を傾ける人間はいない。それと同じ。だから言っても無駄。ヴァンパイアは悪じゃない。責めることは許されない。しかし抗うことは許される。ヌーやシマウマは黙ってライオンに食われるわけではないのだ。
食人種に対して攻撃的な、〝裏〟に住む人間たちによる組織もある。彼らの信条とて、多くは食人種を悪として処理しようというものではない。敵として抗おうというものなのだ。
「……それで、最近そのマクシム教会の当時の関係者たちが皆、次々に殺されたことも知ってるよな? それが一体何故か。お前は知ってるのか? 何か心当たりぐらいはないのか?」
「それが、皆目見当がつかないのです。気にはなっていましたけど」
「そうかい」
グリゴリーの言葉に嘘はなかった。陽介にもそれは伝わった。
「次の質問。と言っても、これは別に大したことじゃないけど。ターニャさんの持っていた斧は何なんだ? お前が持たせたんだろ?」
「はい、その通りです。未知の相手と戦わせるわけですからね。準備し過ぎということはないでしょう。冷えたコンクリートですら粉砕……ではなく切断する代物です。〈モリア〉から取り寄せた、ミスリル銀の特別製だったのですが。あまり役には立たなかったようですね」
「結果的にはそうだけど。しかしそんな物をよくターニャさんに使わせたもんだな。ただの銀ならまだしも、ミスリル銀か。よりによって。お前たちにとっても危険な得物じゃないか」
ミスリル銀。それは〝表〟の世界に存在してはいけない材質。別名、超銀。
――ますます斧の回収を急がなくちゃならないじゃないか。
「柄さえ持てばそれほど危険ではありませんよ。さあ、もう話すことはないでしょう」
言って、グリゴリーは構えるが。
「いや、まだ最後の質問がある」
「――何ですか?」
「お前はいつから知ってたんだ? カチューシャの能力を」
陽介は聞き逃していなった。先の話し合いの時にグリゴリーが言った『カチューシャの能力からして肉体的にはすぐに慣れていたことでしょうが――』という言葉を。これはつまり、グリゴリーはカチューシャの能力を以前から知っていたということになる。カチューシャ自身、自分の能力に目覚めたのは逃げ出したまさにその時だというのに。
「最初に彼女を連れ去った日に気付きましたよ。気付いて絶望しましたね。どんな環境にも適応する能力。夜留でありながら、太陽をものともしない、先天的なその能力。まるで、カチューシャが俺の家族になることを、夜留になることを、神が禁止しているみたいではありませんか。カチューシャと俺は相容れない存在だと。だから潔く諦めろと! カチューシャは人間に返してやれと……! ユーリャとソーニャのことは、あっさり殺した癖に!! 神は!」
天に向かってグリゴリーは叫ぶ。本当は彼だって、妻や娘が、神や運命に殺されたなんて思っていない。しかし、何かのせいにしなければ、彼は自分が生きる気力すら見失いそうになってしまい、怖かったのだ。
「『逆に考えてみろよ、グリーシャ。どこにでも適応できる能力者ってことは、俺たちの世界にも適応出来るってことだぜ。それってむしろ、カチューシャが夜の世界に仲間入りしやすいようにしてくれてる、〝神の計らい〟ってことじゃないのか?』そんな風に慰めてくれた仲間もいました。だからボクもそう思おうと努力した。結果はどうです? カチューシャはボクの元を去った。その〝神に計らい〟による力を使って!」
「同情なんてしないからな。逃げたのはお前の自業自得じゃないか。カチューシャを一方的に自分の世界へ引きずり込むんじゃなく、お前からカチューシャに歩み寄っていれば――こんなことにはならなかったかもしれないってのに」
「わかってますよ、そんなこと。……わかるのが、遅すぎたんだ」
陽介に――というよりは、自分自身にそう言って。グリゴリーは目を伏せた。
そんな彼に、陽介はただ無感動な声で言葉を放つ。
「これで本当に、質問は全部終わりだ。じゃあ、始めようか」
「そうしましょう」
その言葉を合図に、二人は相手に向かって駆け出した。
二人の距離は一瞬にして縮まり、腕を伸ばせば互いに触れ合う距離にまで近付いた時、グリゴリーが突如、高く跳躍する。
「Изгонять」
掛け声とともに陽介の頭上から放たれる五本の黒い物体。
――槍!? いや、ツメか!
その正体はグリーシャの爪が膨張、変形、変色したものであった。ヴァンパイアの、種としての最も代表的な攻撃手段である。
幾人ものヴァンパイアと渡り合ってきた陽介も見たことがないほどに膨張し、槍と見紛うほどに巨大化した爪が、轟音を立てながら降り注ぐ。しかしそれらはすべて、陽介に直接触れることなく灰と化した。戦闘開始時から全身を太陽に変えていた彼の〝コロナ〟に触れたのだ。
「ふう、焦った。便利だよな、その着脱可能な爪」
「着脱可能は少し違うでしょう。再び着けることは出来ないのですから。外しても、またすぐに生えてくるだけです。しかし困りましたね。まるで無意味とは」
グリゴリーは地面に着地しながら呟く。
「爪も立派にお前の身体の一部だからな。ましてそれだけ攻撃特化に膨張させてれば、一瞬で崩れる。耐性がザルだからな。じゃあ、次は俺の番だ」
そう宣言した陽介は、ピンポン玉ほどの、小さな橙色の玉を掌から生み出し、グリゴリーに向けて放出した。
「これは!?」
直感で危険性を察知し、グリゴリーはすぐさま横に跳ぶ。しかし避け切れず、橙色の玉は彼の右肩を掠めた。掠めたその場所からは、煙のようなものが上がっている。
「うっ、何ですか今のは? あれはまるで」
「太陽だよ。お前の想像通り」
「我々からすると最凶のボールですね……」
「だろうな。デイ・ウォーカーでもないと、直撃すれば一撃必死のドッヂボールらしいから」
それは、裏を返せば、デイ・ウォーカーであるグリゴリー相手なら、一撃必死というわけにもいかないということでもある。ドッヂボールとはいっても、陽介が瞬間的に出せる大きさはまさに手のひらサイズ。ピンポン玉以下なのだ。
「接近戦もダメ。距離をとってもダメ。無茶苦茶じゃないですか」
「そう思うなら降伏すればいいんじゃないか?」
「何度言えば分っていただけるんですか。退けないんですって!」
その言葉とともにグリゴリーは、伸ばした爪で、側にあった四本の木を切り倒す。左右の手の人差し指から伸びる爪で、開けたこの場所の端にあった木を。
一メートル強の切り株を残し、残り約六メートルが、音を立てながら倒れ始める。四本同時に。最後にそれらは凄まじい音をたて、横たわった。
「なんてことすんだよ。俺が幸人さんに怒られるじゃないか」
「……」
陽介の冗談など意に介せず、グリゴリーは黙ったまま、自分の切り倒した木を見つめる。そしてそれを、伸ばしたままの爪で切り刻み始める。
「?」
二本の木は、瞬く間に無数の、極小の杭へと変わっていく。人差し指ほどの大きさの。
――武器にでもする気か? そんな物を。
当然、陽介としてはそれを黙って見過ごすわけにいかない。出来上がった杭が積み上げられていく中、彼は構わず、両手からそれぞれ太陽を放つ。しかしそれがグリゴリーに到達するよりも早く、彼の作業は完了した。
「おっと」
上方へと跳び上がったグリゴリーは、ギリギリのところで太陽を避ける。今度は、掠ることすらなかった。
「ちっ」
たった一度で技を見切られた気分になり、陽介は思わず舌打ちする。悔しいのと同時に、相手が見た目以上に戦闘慣れしていることにも気付く。
「さてと、ここからが本番みたいなものですよ」
着地したグリゴリーが宣言する。
「何をする気だ?」
「こうするんですよ」
言い放った直後、積み上げられた杭が宙に浮く。
「おい、おい。本気か?」
陽介の嫌な予感は一秒後に大当たりする。
「Изгонять」
掛け声とともに、まずは十数本の第一陣が、明確に陽介を目指し飛んでくる。当然、それらはもはや単なる杭ではない。グリゴリーは木を切り刻みながら、同時に魔力を練り込んでいたのだ。硬度的には、ミスリル銀の如く強化された木の杭。加えてこのスピード。直撃すれば致命傷は必至。
――とりあえずここは。
「去ね」
「ん?」
陽介が生み出した、長方形で緑色の、半透明な盾に反応するグリゴリー。
放たれた杭はすべてその盾に激突し、垂直に上空へと跳ね返される。そしてある程度にまで浮かび上がった後、引力によって地面へと引き戻された。
なにはともあれ、第一陣を防ぎ切った陽介であったが、彼の盾も粉々に砕け散り、消えてしまった。障壁結界『絶現』。物理的手段では決して破壊出来ない、魔力的な何かを込めたものでなければ壊すことの出来ない、盾の形状をした結界(=障壁結界)。陽介の使える数少ない術の一つである。
「絶現の障壁結界ですか。しかし、耐久力は低いようですね」
「俺には魔術の才能がないらしくてな。これが精一杯なんだよ」
「才能も何も。異能力者ならば魔術が不得手で当然でしょう。魂魄の魂から魔力が無限に湧出するものの、それは既に能力用の変換と調整が為されているというのが異能力者。通常の魔術を扱う際には、魔力の再変換が必要なはずだから――って、あれ? それは普通の能力者の話で、魔力とも異なる正体不明のエネルギーによって力を行使する化身能力者は、特別に魔術が不得手なんてことはないはずですよね……。純粋にただの下手くそですか、あなたは」
「喧嘩売ってんのか、お前は」
「喧嘩はもうしてるじゃないですか」
「ああ、そうだったな!」
言って。陽介は、両手から五つずつ。相変わらずスーパーボール以上、ピンポン玉以下の太陽を生み出し、それをグリゴリー目掛けて放った。
「Speculum ignorantiam」
「!! 原語魔術か!?」
呟くように呪文を唱えたグリゴリーの目の前に、陽介とは色違いの盾が現れる。黄色く、半透明な盾。形状は寸分違わず同じ。陽介の放った太陽の内、七つはそれにぶつかって蒸発。残りの三つが到達した時、既に盾の大部分が破損していたが、それでもまだ残っていた部位に引き寄せられ、激突。その衝撃で、三つともあらぬ方向へと飛び去ってしまった。
「真似すんなよ」
「別に真似をしたつもりではないんですがね」
術式には様々な種類がある。表世界で『陰陽道』が生まれる遥か以前から裏世界で発展してきた『陰陽術』や、現在のラテン語に相当する単語を組み合わせて発現する『原語魔術』、オニと呼ばれる種族が使う『鬼術』、他にも『ルーン魔術』や『カバラ』、『ヴードゥー』……。
陽介が使うのは、ナインズ最強の男にして最強の陰陽師から教わった古式『陰陽術』。グリゴリーが使ったのは『原語魔術』。二つは異なる術式であるが、結果として同じ効果を持つ術もそれぞれに存在する。今回もその一例、『絶現』の障壁結界(そもそも結界と呼ばれるもの全般には決まった術式がなく、どのような術・術式であれ、結果としてもたらされる効果によって『○○結界』、『○○障壁』等と分類されるのである)。
「こんな初歩的な術……使えない者の方が珍しいぐらいですよ。たとえ異能力者であっても」
「ほっとけよ」
「これは失礼。さあ、弾はまだまだ残っています。続けますよ」
「ちくしょう。こうなりゃ、こっちだってヤケだ!」
両手で新たな盾を創りながら、魔力で休みなく杭を飛ばし続けるグリゴリー。
右手で新たな盾を創りながら、左手で休みなく太陽を放ち続ける陽介。
二人の距離は凡そ二十メートル。
「ははっ」
突然、陽介が笑う。それを余裕の笑みだと勘違いしたグリゴリーが、不愉快そうに口元を歪めて訊ねる。
「何を笑っているんですか?」
「いや、別になんでもないさ。ただ、まるで銃撃戦みたいだな、と思っただけだよ」
「はぁ。そうですか」
言葉を交わしながらも、互いの攻撃の手は止まらない。盾の耐久力は、どちらも無限ではないのだから、破壊されそうになるごとに創り替える必要がある。その創り替えの合間と、盾でカバーし切れていない場所。それが互いの隙。時折突かれるその隙で、陽介もグリゴリーも、少しずつではあるが、着実に傷を蓄積させていた。ただ、その隙を意識して狙えるほどの余裕は二人ともなく、本当にただの量押しになっていた。
量押し。
だから、この状況は決して五分五分ではないのだ。何故なら。
「もうすぐ切れるみたいだな、お前のストックは」
そう。グリゴリーの杭には限りがある。対して陽介の太陽は、ほぼ無尽蔵。グリゴリーが新たな杭を作るような余裕もあるはずがない。
なのに、何故か。
「ふふふっ」
今度は、グリゴリーが不気味に笑う。
「どうして笑ってるんだ? まだ何か手があるのか?」
「さあ?」
「喰えない奴だな」
一抹の不安を抱えながら、陽介は攻撃と防御の手を休めない。
どれくらいの時間が経っただろか。現実的には二分と経っていない。たったそれだけの時間で、遂にその時が来た。グリゴリーの杭は、あと僅かで尽きる。だから陽介は。
尽き切る直前に駆け出す。創ったばかりの盾を構えながら。
「!?」
グリゴリーの顔に困惑の色が浮かぶ。
相手が何かを企んでいる以上、少しでもその寝首を掻こうとするのは当然。
グリゴリーは、杭が完全に尽き切ってから陽介が突進してくることを予想している――と予想した陽介は、敢えて危険を冒して行動を早めたのだ。残り少なくなった杭相手なら、盾一つで身を防ぎながらグリゴリーに接近できると踏んで。
そして理想通り陽介は、盾の崩壊と同時にグリゴリーの懐に入ることに成功する。
「灼けろ!」
グリゴリーの腹を目掛け、陽介は右手で作った拳を振り上げる。
「痛っ!?」
痛覚を感じたのは陽介。
彼の拳が当たるより早く、彼の背を何かが掠めた。結果、一瞬の隙が出来、その間にグリゴリーはその場を離脱する。
陽介が自分の背中に手をやると、指先がじわりと濡れた。
見ると、自分の血で赤く濡れていた。
「なんだってんだ?」
と、振り返った陽介の目に異様な光景が写り込む。そびえ立つ木々の枝が、ひとりでに折れていっているのだ。
――自然に枝が折れる? 風もないのに? ありえない。ってことは、こりゃあ。
「木を……支配したのか。吸血して」
「ええ、そうです」
「なんて支配能力だ。もしかして『三大純血』レベルじゃないか?」
「止してくださいよ。あんな、無機物まで支配するような無茶苦茶なヒトたちと同列にされては困ります。実際、ボクが支配に成功したのはほんの五、六株の植物でした。しかも、命令してから動き出すまでに時間が掛かって仕方がない」
「ああ、そうかい。しかしどうして」
どうしてグリゴリーに支配された木の枝が、全身を太陽で覆っている自分に触れても灰にならなかったのか。それが陽介には分からなかった。吸われたのが〝血〟だろうと〝樹液〟だろうと、とにかくヴァンパイアに支配されたはずの木はいわば吸血〝樹〟と化しているはずではないのか。ならばそれはもう立派な夜留ではないのか。疑問は沸々と沸く。
「困惑しているみたいですね。何故、〝夜〟と化したはずの樹木の破片が、あなたの身に触れても灼き消えなかったのか。理屈はとても簡単です。吸血〝樹〟と化した木を、僕自身の手で再び普通の木に戻したのです。その際、僕の支配下であるという事実だけを残して。太陽が昇っている間に準備しておいたことなのに、これらの木が灰になっていないのもそれが理由です」
「まさか、そんなことが可能なのか?」
「動物が相手なら無理でしょうね。〝夜〟の眷族となっていること自体も、支配するためには重大な要素ですから。しかし運動能力がなく、支配に抗う手段のない〈物質域〉の植物なら、それも可能なようです。事実、成功していますし」
「……なにが玉砕覚悟だよ。メチャクチャ用意周到だろ」
――本当に慎重な奴だったんだな。
「これぐらいの保険はしていますよ。では、第二幕……いや、第三幕でしたっけ? まあ、どちらでもいいですね。とにかく、開始です」
その宣言とともに、グリゴリーが支配したという木は、確固たる殺意をもって陽介のことを襲い始めた。葉を付けたままの枝が彼に降り注ぐ。しかも、やはりそのすべてが魔力で強化されている。その上サイズは、先程の杭と比べ物にならない。
――くそっ。盾一個につき三本、いや二本が関の山か!
反撃する間もなく、陽介は両手を使い、詠唱を省略することで、次々に出来合いの盾を創り出す。しかし、それでもすべてに対処し切れるはずがなく、返しそこねた枝が何本も彼の身体を掠める。加えて、葉までもが、まるで手裏剣のごとく身体を切り刻む。
陽介は何とか反撃の手立てを考え、一つの方法を思い付く。
「くうっ! これならどうだ!?」
「うっ? つっ!」
配下であるはずの木の枝が自分に向かって飛んできたことに動揺し、グリゴリーはバランスを崩しつつも、何とかそれを避ける。
「やりますね。盾の角度を変えることで、枝の跳ね返る角度を調節し、枝がこちらへ向かうように変えるとは。そんな方法がありましたか」
肩に付いた砂を払いながらグリゴリーは言う。
感心した風を装っているが、実際にはそれほど驚いていない。
陽介の反撃は、蟷螂の斧にも近しい、虚しさすら感じる抵抗なのだ。
結局、吸血鬼ならぬ吸血樹の攻撃も、陽介の抵抗も、決定的な功を奏することなく、時間だけが過ぎていく。
――いずれ木の方もストックが尽きるはず。そこまで耐えれば、今度こそ勝てる。これ以上妙な仕掛けがなければ。
そう考えていた陽介の目に、見覚えのある少女の姿が写る。
グリゴリーの背後から現れた、その少女は――。
「カチューシャ? ッ!! ダメだ! カチューシャ!!」
「え?」
陽介が跳ね返し、グリゴリーが撃ち落とし損ねた一本の枝が、完全にカチューシャに直撃するコースを飛んでいる。
「クソッ! 間に合わない!!」
相変わらず激しい攻撃は続いているが、そんなことに構わず、陽介は盾を――すなわち防御を放棄して、カチューシャを目指して駆け出した。
しかし、そこからではとても――。
「うぐふぅ……!」
「な!?」
「あ!?」
枝は、カチューシャの前に立ちはだかったグリゴリーの腹を貫通した。