その5
ようやっと現れた吸血鬼。
カチューシャ、そしてターニャの現在の主。
銀色の短髪に、青色の眼。
恭しく頭を下げているが、そこに敬意は微塵もない。
「まさか……こんな子どもだったなんてな」
「子ども、と言いますが、それはあくまでも見た目の話です。殊、長命種族に対して見た目で年齢を図るなど、愚の為すこと。こんなことは、あなたにとって言うまでもないことだとは思うのですが」
「分かってるよ。でも、なんていうか、モチベーションってモンが変わってくるんだよ。人間は視覚に支配されていると言ってもいい種族だからな」
「なるほど。確かにその通りかもしれませんね。と言っても、我々ヴァンパイアも大概が視覚に支配されていますが。勿論、このボクも」
感心したように、少年の姿を持つ吸血鬼はしみじみと頷いた。
陽介も、まったく想定していなかったわけではない。相手の容姿が子どもであることを。カチューシャは親のことを〝男の子〟と称していたし、彼の経験上、もっと幼い容姿の、しかし自分の何倍、何十倍も生きている人外に会ったことは幾らでもある。とはいえ、敵として対峙する場合においてはやりづらくなる、というのが陽介の感想であった。
「いきなり殺しにかかってもいいんだけど……そういう野蛮なのは趣味じゃない。聞きたいことだって幾らでもあるし。そういうわけで、話し合いから始めないか? 俺としてはそれだけで解決するのが理想なんだけど」
陽介は別に戦闘狂ではない。避けられる戦いはなるべく避けたいのと思うのが当然なのだ。
「確かに話し合いは重要です。しかし、それだけで終わるのは恐らく不可能でしょう。もちろん、ボクとしましても最も望ましいのは、あなたとの戦闘を避けて事を終わらせることなのですが……。こちらとしてもそれなりの覚悟の元、こうしてはるばる異国までカチューシャを追ってきているんですから。諦めろ、で退く気はまったくありません」
「だよなあ」
交渉は早くも決裂しかけていた。
「とにかく場所を変えましょうか。何をするにしても、流石に住宅地ではまずいでしょう。あなたが敢えて残した斧と、ボクの申し訳程度な術のお蔭で、現在外出している人間は、この町に一人もいないようですけど。万全は期しましょう」
「そうだね。でも、その場所はこっちが指定させてもらうよ」
「ええ、それはもちろん。ボクが妙な仕掛けをしていると思われるのも心外ですから」
「じゃあ、早速行こう。お前は俺の隣を歩いてくれ」
「仰せの通りに」
グリゴリーと名乗ったヴァンパイアは陽介の右隣に付いた。カチューシャは陽介の左手を、いや、左腕をがっしりと掴み、グリゴリーとは反対側に付く。陽介の腕に、彼女の震えがはっきりと伝わってきていた。そうして彼らは歩き出す。
三人はものの数分で目的地に辿り着いた。
十一年前、陽介と幸人が出会った林。
当時とは違い、今は完全に個人が所有する場所となっており、以前以上に厳重な囲いで覆われた立入禁止区域。ちなみに、所有する個人というのは、他ならぬ幸人のことである。
「じゃあ、とりあえず座りましょうか。敷く物も何もありませんけど」
言いながら、少年の容姿を持つ吸血鬼グリゴリーは、その場に座り込んだ。
冗談とも本気ともつかないその態度。かといって、ここでいちいち疑念を抱いていては話し合いなど出来るわけがない。陽介もその場に胡坐をかいて、相手と向き合う形になって座り込んだ。カチューシャは陽介の肩を掴んで、そのままを彼の背に隠れて座る。
「ボクがカチューシャに対して異常なまでに固執している。それにはそれなりの理由が何かあるはずだ。あなたはそうお考えなのでしょう? 確かにその通りです。間違ってはいない。しかし、肝心なその理由というモノは、恐らくあなたが考えている以上にシンプルなものですよ。人によっては嘲笑するかもしれないような。少なくとも『命を張ってまですることではない』と、同胞は言うでしょうね。そんなことで夜殺しと対峙するなんて、狂気の沙汰だと」
口火を切ったのはグリゴリーの方であった。
「ふぅん……。じゃあ、その理由っていうのを聞かせてもらえるか?」
「ええ、そうですね。そのための話し合いみたいなものですから。……昔、ボクには妻がいました。その妻が生んだ娘もね。娘――ソーニャは、カチューシャに瓜二つだった」
「え」
カチューシャの口から声が漏れる。
蚊の泣くような声だったが、驚きの感情が込められているのは疑いようがなかった。彼女がグリゴリーに捕まっている時、彼はカチューシャにその話をしたことがなかったのだ。
「そうか。俺としてはお前に娘がいたというだけで驚きだよ」
彼とは初対面である陽介も驚く。
「でしょうね。視覚に支配されている上に価値観まで人間縛りのあなたでは。子どもにしか見えないボクに娘がいたなんて、信じ難いでしょう。しかし、嘘ではありませんよ。事実です。殺されたのはつい最近。ほんの二十年ほど前です」
「殺された?」
想像通りの展開に、陽介は一層眉をひそめた。先の展開も、この時、既に読めていた。この話し合いの結末までも。
「ええ。妻も一緒に。ボクが傍にいなかった、ほんの僅かな間に」グリゴリーは震える拳を握りしめている。「ボクも必死に犯人を探しましたが、見つけられなかった。しかし、かなり専門的な殺され方でした。専門的で、見るに堪えない、凄惨な殺され方でした」
呟くような声で言うグリゴリーの目には、光るものが見えた。
「ボクが見つけた時、既に半分以上が灰になってしまっていたのは、ある意味ではよかったと思いますね」
切った張ったが日常である世界の住人と言える彼がそこまで言う殺され方とは、一体どれほどのものだったのか。正直、陽介には想像が出来なかったし、したいとも思わなかった。もとい、思えなかった。
とは言え、素直に同情もまた出来ないでいた。
「さて、ここまで言えばもうおわかりでしょう」
「カチューシャをお前の娘代わりにしようとしたのか。拉致監禁なんていう無茶苦茶な方法で」
「理解してくれとは申しません」
「申されたって理解する気はないな」
「では、そろそろ始めたいところですが……その前に」
「カチューシャの意見を聞かないとな」
「……あ、……え? 私の?」
カチューシャは、知らない人から突然話しかけられたような顔になる。グリゴリーが自分にこだわり続けていた驚くべき理由を知り、茫然自失していたから。
「君が俺に付くか、グリゴリーに付くか。それだけを聞きたい」
その答えによって、これからの展開が決定する。
最終的にどちらの答えを出すにしても、そうあっさりと下せる決断ではないだろう。当然ながら、カチューシャはしばらく考え込む。彼女の中で、既に答えは出ている。彼女が考えているのは、その答えをどうやって伝えればいいのか、ということ。
カチューシャがそれを考えている間、陽介とグリゴリーは、ただ黙って待ち続けた。
そして、やがてカチューシャの口が音声を伴って開かれる。
「……私にはグリーシャ君の気持ちがよく分かります。私もつい最近、同じような経験をしましたから。でも、私はターニャに諭されることで気付いたんです。どんなに顔が似ていようとも、どんなに中身が似ていようとも、人は誰かの代わりになれない、って。だから、私がグリーシャ君に付いていっても、きっとグリーシャ君は満たされない。それに、私はもうあんな生活に戻りたくない」
「だ、そうだぞ。残念ながら」
「そりゃあ、そうでしょうね。残念ですが」
特に落胆するような素振りも見せず、グリゴリーは言う。
「カチューシャの言っていることは、確かにありきたり過ぎる言葉かも知れない。安っぽい口説き文句にすら聞こえるかもしれない。はっきり言って、そんなものでお前の気持ちを変えられるとは思えない。引き下がるなんて、微塵も考えちゃいないだろ?」
「当然です。それは先ほども申し上げました。『諦めろ』で退く気はない、と。今日ボクが自分の方から現れたのも、これ以上策を巡らせても仕方がないと思ったからです。同胞に協力を求めようにも、ボクの手前勝手な私情に仲間や部下を巻き込むわけにはいきませんからね。玉砕覚悟です。ただし、もう一度言いますが、『諦める』という選択肢は最初から最後まで現れませんよ。では行きましょう。戦いの場へ」
グリゴリーが立ち上がりながら言う。
陽介も立ち上がって返答する。
「そうだな、行くか。ここじゃ、ちょっと狭すぎるから、もう少し開けた場所がいい。案内しよう。この林のことはよく知ってるんだ。カチューシャは、危ないからここにいな」
「え……あ……」
答えは出したものの、まだ混乱している彼女をその場に残し、二人の男は歩き始めた。