その1
陽介が目を覚ますと、彼の視界いっぱいに見知った顔があった。
「おはよう、陽介」
「おはよう、由孝」布団の上に座ったまま、陽介の顔を覗き込んでいる由孝。髪型は既にポニーテールになっている。「で、なにやってんだ?」
「そろそろ起きそうだったから」
「あ、そう。よっと」
状態を起こした陽介が左右を見渡す。ターニャとカチューシャはまだ眠っている。ターニャに関しては〝まだ〟というより、このまま眠ったままなのかもしれなかったが。何せ彼女は夜行性である。
「ほらほら、カチューシャが起きる前に朝飯作っとこうぜ。陽介、手伝ってくれ」
「それはいいけど、今何時?」
「十一時半」
「今から作るそれって朝飯でいいのか?」
「じゃあ、昼飯」
「適当だな、おい。っていうか、十一時半? そんな時間なのに、まだカチューシャは起きてないのか?」
「なかなか寝つけなかったんじゃないか? 枕が合わなかったとか」
「そうかもな」
「とにかく、お前は起きろよ」
「ああ、そうする」
由孝に促され、陽介は立ち上がった。
陽介と由孝は協力して食事(結局、昼食ということになった)の準備に取り掛かった。白飯だけは由孝が前もって炊いておいたので、その分の手間と時間は省かれた。
そこへ、寝間着姿の少女が現れた。
「おはようございます、陽介」
「おはよう、カチューシャ」
「おはよう」
「ああ、由孝も起きてたんですか。おはよう」
どこかイラついたような顔で、ひどく面倒くさそうに、カチューシャは由孝にも挨拶を返した。寝起きの不機嫌さとは明らかに別物で。いや、そもそもカチューシャの寝起きは悪くない。それは陽介も既に確認済みである。だから疑問に思う。
「カチューシャ、どうかしたのか?」
「何がですか? 冷める前にご飯食べちゃいましょうよ」
「? う、うん」
混乱している陽介をよそに、むすっとしたままのカチューシャは構わず席に着いて、陽介たちの運んできた食事を、箸を使って食べ始めた。陽介も初めて見るカチューシャの箸使いはとてつもなく達者で、純日本人の由孝をも感心させるほどであった。幸人のところにいた一ヶ月の間に覚えたものか、或いはそれすらも彼女の『真っ白な紙』(力)のお蔭なのか。真相はカチューシャ本人にしか分からないが。
「ごちそうさまでした」
「はやっ! ちゃんと噛んで食べたのか!?」
自分が箸を付ける前に食べ終わったカチューシャに、驚愕した陽介が目を見開く。
「噛まなくたって関係ありません。吸血鬼ですから」
ぴしゃりと言い放ったカチューシャは、そのままぴしゃりと襖を閉めて部屋を出て行った。
「何なんだよ、一体……」
不機嫌の理由の検討が付かず困惑する陽介は、ふと、自分の隣に座る親友の顔を見た。特に何を気にする様子もなく、箸を進めている由孝の顔を。仮にも同性である彼女の方が、カチューシャの気持ちが分かるかもしれないと感じた陽介が訊ねる。
「なあ、由孝。カチューシャの奴、なんであんなに機嫌が悪いんだろう。心当たりあるか?」
「あの日なんだろ、多分」
「お前を信じた俺がどうかしてた」
陽介は心の底から後悔した。
カチューシャの態度のせいか、食事が終ってからも、居間には気まずい雰囲気が流れたままで数分間が過ぎた。原因たる彼女はまだ部屋に戻ってきていない。
「さてと」
「あ? どっか行くのか?」
立ち上がった陽介に由孝が訊ねる。
「なんか、ジッとしてられなくってさ。城にでも行ってくるよ」
件の斧の騒ぎがどうなってるか、現場の様子を直接見に行きたくなった陽介が服を着替える準備をしながら言う。
そこへ、
「それなら私も行きます!」
勢いよく開けられた襖から顔を出したカチューシャが高らかに宣言した。
「カチューシャか」
食事中のような露骨な不機嫌さはなかったが、それでもまだ不自然な表情の彼女に、陽介はもう戸惑わない。ただ一言、
「いや、ダメだ」
とだけ告げる。
「え!?」
まさか断られるとは思っていなかった。意外だ。そんな表情でカチューシャが叫んだ。
そんな彼女に、陽介は冷淡で抑揚のない口調で言い放つ。
「不機嫌の理由を教えてもらえない限り、気持ちが悪くて一緒には居づらいよ」
「き。気持ち悪いって……! で、でもそれは……」
「でも、じゃないだろ。言えないんなら一緒には出掛けられない」
「お、おい、陽介」
由孝は座ったまま陽介の服を引っ張り、彼を止めようとする。いつになく真剣な顔をして。しかし陽介は意に介さず、続ける。
「やっぱり言えないのか? じゃあ、別にそれでもいいさ。どうしても言えないことだってあるだろうし。勘違いしないでくれよ? 別に怒ってるわけじゃないんだ。ただ、それなら一人で出掛けるっていうだけの話だからさ」
「だ! だから! あ、あの日なんです……」
「……? ……! ……!?」
顔を俯かせ、もじもじとしながら小声で、しかしヤケクソ気味で言葉を絞り出したカチューシャ。そこでようやく自分の大失態に気付いた陽介の耳元で、由孝は、可哀相な人を見るような顔で『だから言っただろ? 大体分かるんだよ、様子を見りゃ。アタシだって同じ経験を毎月してるんだから』と囁いた。
「マジかよ……」
――ていうか、あるんだ。夜留にも。生殖能力がある限りは、そりゃあるのか。
ここ数日間で何度目か分からない、気まずい沈黙が場を支配した。