幼なじみ
陽介とカチューシャが布団を敷いた部屋に向かった後。そこから二つ隔てた部屋である居間で、由孝とターニャの二人が話し込んでいた。幸人のお土産、ういろうを二人で食べながら。風呂上がりの由孝は、カチューシャに負けず劣らず長く艶のある黒髪をほどいている。
時間は、午後十一時を少し回ったところ。
「じゃあ、あなたと陽介くんは幼なじみってことになるわけね」
「相当特殊な例ですけどね、アタシたちの場合。カチューシャとターニャさんの二人もかなり長いこと一緒にいたんでしょ? カチューシャが赤ん坊の頃から」
「まあね。あの子が教会に預けられた時、私は九歳だったかしら。もっとも、私もカチューシャの一ヶ月前から教会で暮らすことになったんだけど。かなり後になってから聞いた話では、マクシム教会が孤児の受け入れに関して異様に熱心になったのも、ちょうどその頃らしいわ」
「へえ。……ん?」
カチューシャが教会に預けられた時、ターニャは九歳。ターニャが教会に預けられたのはカチューシャより一ヶ月だけ前。
――と、いうことは……。
「ターニャさんは、赤ん坊の頃の教会に預けられたってわけじゃないんすね……。そこから先は、聞いていい話かどうか。アタシには判断しかねますけど」
「別に構わないわよ。もう、過去のことだし。ただ、聞いても別に面白くも何ともない話でもあるわよ?」
「ターニャさんさえ良ければ、聞かせて欲しいですね」
無理して聞くような話ではないことは、由孝にも分かっている。しかし、好奇心が勝ってしまった彼女は訊ねる。
「父さんは私が生まれる前に海難事故で行方不明に。母さんは一人で私を育ててくれていたけど、私が八歳の時に過労で他界。元々、母さんは親戚中の反対を押し切って、絶縁されてまで父さんとくっついたみたいでね。私はすぐに教会に突き出されたわ、実の叔父に」
「そんなあっさりと言うような話なんすか? それ……」
それは、由孝が事前にした想像よりも遥かに重い話だった。深く考えず質問してしまったことを、由孝は少し後悔する。
「話を聞く限り、親父さんの方の親戚は別に反対してなかったみたいですけど。そっちの方の当てはなかったんですか?」
「父さんは、孤児だったの」
「ああ……」
――なるほど、それが〝反対〟の理由ってわけか。
「軽い気持ちで聞いていい話でもなかったみたいっすね。なんか、ゴメンなさい」
「いいのよ。私には今があるから。吸血鬼なんかに攫われてからは流石にもうダメだと思っていたけど、こうしてカチューシャとも再会出来たし。私なんて運が悪い中では運が良い方よ」
「不幸中の幸いってヤツですか……」
「ま、そんなところね。さあ、暗い話はもういいでしょ? 折角こうして二人で話す場が出来たんだから、しっかりと親交を深めましょうよ。あなたと陽介くんの関係も気になるしね」
さっきまでとは一変して、急に親戚のお姉さんみたいな態度になったターニャが、ニヤニヤしながら由孝に話し掛ける。嫌な気配が由孝の六感を刺激する。
「アタシと陽介の関係って、それは単なる幼なじみで……」
「ただの? そうかしら。私がリンスの場所を聞きに来た時は結構いい雰囲気だったと思うんだけど?」
「あ、あれが〝いい雰囲気〟だと思うのは、ど、どうかと思います」
夕方のことを思い出した由孝は、その時のように顔を真っ赤にしている。そんな彼女の様子を、ターニャはニヤニヤを通りこしてニタニタと見つめている。今にも笑い出しそうな、意地の悪い顔で。しかしやがて身を引く。
「あんまり苛めちゃ可哀相ね。ま、大体のところは察してるから。これ以上追及するのは止めておくわ」
「それは助かります」
言いながら、由孝は額の汗を拭って溜息を吐く。
「そういえば、あなたってこの家に一人で住んでるの?」
「一応、そういうことになるんですかね。父さんと母さんは海外出張中ですから。もう、かれこれ半年以上」
「年頃の娘さんを一人残して二人とも? 随分と奔放なご両親ね」
「母さんは『由孝のこと、よろしくね』なんて、陽介に言ってましたからね。あんまり心配してないんでしょ、多分」
「へえ、なるほど。少なくとも、お母様からは公認されているってことね」
「!?」
由孝の顔が再び真紅に染まり、結局、ターニャの追及はその後も続いた。
陽が昇り始める前にターニャは『お休み』と言って、寝室に行ってしまった。居間には、由孝一人だけが残される。眠る気はなくとも、なんとなく手持無沙汰になった彼女は、しばらくテレビで時間を潰した後、三人が眠る寝室に向かった。陽は昇り始めていたが、構造上、外の明かりが殆ど遮断されている寝室はまだ真っ暗に近い。それでも、夜目の利く由孝には、目が慣れるのを待つまでもなく、部屋の様子がよく分かる。
ターニャも含めて、三人とも目を閉じている。
陽介とカチューシャの間に座り込んで、由孝は陽介の顔に顔を近づける。
「うん。ちゃんと寝てるな」
親友が忠告通り眠っていることを確認した由孝は満足そうに頷き、そして、
「あんまり無茶すんなよ……」
と小声で呟きながら、陽介の額をそっと撫でた。そしてそのまま彼の顔に自分の顔を近づけようとした瞬間、
『もぞっ……』という音。
「うおっ!」
驚いた由孝が一気に陽介から顔を離した。
「な、なんだよ。カチューシャが寝返り打っただけか……。ういろう、まだ残ってたよな」
呟いて、由孝は寝室を後にし、再び居間へと向かった。