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太陽の化シン  作者: 直弥
第二章「親友」
11/30

その1

 時刻は午前六時五十分、場所は陽介の部屋。窓のカーテンは隙間なく閉められている。太陽の光が直接差し込まないように、という配慮で。陽介の目の前には、ベッドで並んで眠っている二人の吸血鬼がいた。一人はカチューシャ、もう一人はターニャ。何度目かの寝返りを打ちながら、先に目覚めたのはカチューシャであった。

「おはよう」

「あ、おはようございます、陽介。ふわぁ……」

 まだ半分寝惚けたままの少女は、大きなあくびを一つし、もう一度目を閉じようとする。

「待たんかい。折角起きたんだから、二度寝するなってば。休日気分か。今日は今後についての話が色々あるんだから」

「あう?」

「まだ寝惚けてるな……。昨日のこと、まるまる頭から抜け落ちてないだろうな? カチューシャ、ちょっと横向いてみ」

「あぇ? ……………………ターニャ!」

「けひ!?」

 カチューシャの声に驚き、ターニャが叫びながら目を覚ました。あまりに調子の外れたその叫び声に、陽介がたじろぐ。

「え? ええ? えええ?」

 気が付いたばかりのターニャは明らかに混乱した様子で呆然としている。焦点の合っていない眼が、虚ろに宙を見ている。そんな彼女に、

「ターニャ! 気が付いたの? よかった!」

 と、カチューシャが大声で呼びかけた。その声で初めてカチューシャの存在に気付いたターニャは驚いた顔――まさに幽霊に出会ったような顔――で、親友の顔をまじまじと見つめた。

「まさか、そんな……。カ、カチューシャなの!?」

「そうだよ! カチューシャだよ! ターニャ、会いたかったよ!」

「私も会いたかった。カチューシャ……」

 そのまま二人は抱擁を始めた。

「ターニャ……」「カチューシャ……」「…………」

 抱き合う二人の女。すぐ傍でそれを見ているだけの男。絵に描いたような蚊帳の外が完成する。その部屋の主であるはずの男が、今この場にいる者たちの中で唯一浮いているという状況。彼の中に、居た堪れない気持ちはあったが、親友同士の再会を邪魔する無粋さも発揮できず、仕方なく、しばらくは二人の抱擁を、言葉も発さずに眺めていた。

 静かな時間が流れる。十秒、三十秒、一分……。

 ――いや、長い長い!

「あの、お取り込み中悪いんですけど……ちょっといいですか?」

 とうとう痺れを切らした陽介が、恐る恐る声を掛ける。そこで初めて彼の存在に気付いたターニャが、尋常ではないほどに鋭い目つき陽介を睨みつけた。

「!! アンタが、カチューシャの親!?」

 ターニャは、カチューシャを背で庇いながら、ドスを利かせた声で陽介に向かって叫んだ。

「ち、違うよ! 陽介はターニャのこと助けてくれたんだよ!」

 ターニャの背後から、カチューシャの慌てた弁護が飛ぶ。それを聞いてからも、目つきを変えずに陽介をしばらく睨みつけていたターニャも、親友の必死のなだめすかしにとうとう折れて、落ち着きを取り戻した。

「……ごめんなさい。でも、私はあなたのことを何も知らない。ここ数日の、いえ、数日なのか数年なのかすら定かではないけど、記憶がまったくないのよ。出来れば、事情を詳しく話してくれない?」

 陽介に訊ねる彼女の口調は、カチューシャと喋っていた時とはまるで違う、ひどく冷たいものだった。当然、陽介も気付いていたが、それも仕方のないことであると諦めて、彼女を追及することもなく話を続ける。

「事情は話しますよ、もちろん。でないと、今後の方針も決まらないですからね」

「ありがとう。助かるわ」

 

 陽介は自分自身のことも含め、すべてを彼女に話した。親の元から逃げてきたカチューシャを保護していることも、昨日の戦闘のこともすべて。話している間、ターニャは何度もカチューシャに確認を取っていた。彼の言っていることに、虚偽がないかどうかを。

「そうだったの……。自我がなかったとはいえ、あなたには随分ひどいことをしてしまったようね、私」

「自分の意思じゃなかったんですから、仕方ないですよ。ですから、それは気にしないでください。それよりも、えーっと、俺のことは信じてもらえたんでしょうか?」

「カチューシャの言うことは全部信じるわ」

 要するに、まだあなたを信じたというわけじゃない、というニュアンスを含めたその言い方に、陽介はやるせなさを感じた。しかし同時に、こればかりは仕方がないという諦めもあった。

 だからこそ彼はただ、

「そうですか」

 と、力なく答えた。そんな彼の様子とは対象的に、数年振りの親友との再会が嬉しくてたまらないカチューシャが訊ねる。

「ねえ、ターニャのことも聞かせてよ。一体何があったのか。覚えている範囲でいいから」

「うん……、分かったわ」

 そしてターニャは語り始めた。

「私もあの日――つまり、例の登山の日ね。吸血鬼に捕まったの。血を吸われて、私自身も吸血鬼にされて。それからは地獄のような日々だったわ。暗くてじめじめした窮屈な洞窟の中での生活。錯覚だって分かってはいるのに、ずっと空腹を感じ続けてしまう。それを満たそうとして、虫やコウモリまで口にする日々が続いたわ。もっとも、一年も経つ頃にはその幻覚の空腹は消えてしまったけど。でもその頃にはもう、虫を食べることに対する抵抗もなくなってしまっていたわ。それで、ここからがある意味本題になるんだけど……、一ヶ月と少し前、異変が起きたの」

「異変って?」

「私の親を気取っていたその吸血鬼が、消えたの。私を洞窟の中に残したまま、帰らなくなった。外で誰かに殺されてしまったのかもね。でも、どこに助けを求めればいいのかも分からない私は、どうすることも出来ないでいたの。そのまま、茫然とした日々を何日か過ごした。そしてそんな日が続いていた頃、あいつが現れた」

「あいつ? 誰のことですか?」

「これを見てもらえれば、少しは分かると思うわ」

 ターニャは長い髪を掻きあげ、首筋を見せた。そこには、四つの牙痕があった。陽介は彼女の言わんとしていることを理解し、カチューシャも気付いたようであった。

 ターニャは髪から手を放し、再び牙痕を隠した。そうして彼女は話を再開する。

「そこからの日々はそれまでと少し変わっていたわ。私の血を吸った二人目の吸血鬼は毎日ねぐらを変えたし、そのための移動以外で外に出ることもほとんどなかった。でも、待遇はかなりマシだったわね。食べ物と言えるような食べ物はちゃんと与えてくれたし。と言っても、移動中に捕まえた魚なんかが関の山だけどね。まあ、そんな感じで三週間ほど過ごしたの。そして一週間前、私はその吸血鬼に連れられてこの国にやって来た。そこからは何も覚えていないわ。気付いたらここで目が覚めたの。この国に着いたその瞬間までの記憶はあるんだけど」

「なるほど。その吸血鬼とやらが、多分カチューシャの親でしょうね」

「私もそう思うわ」

「私も」

「……」「……」「……」

 沈黙。 

 昨夜の段階まで、『ターニャさんの親とカチューシャの親は別人で、その二人が協力体制にあるんじゃないか』と、陽介は疑っていた。二人のヴァンパイアが協力して、カチューシャを連れ戻そうとしているのではないか、と。だが、その予想が違っている可能性が大きくなってきていた。少なくとも、現在確実にこの町にいると言える敵性ヴァンパイアは一人なのだ。この展開は本来、陽介にとって喜ぶべきものなのだろう。敵の数が予想よりも一人減ったかもしれないのだから。しかしそれは、あくまでも徹底的に現実的な思考でもある。その一人が、陽介の予想する範疇以上に強力な相手である可能性も否定できないのだから。

「とにかく、一つ事実がハッキリしたわけだ。今現在、この近くに間違いなくヴァンパイアが潜んでいるということが。ターニャさんの現・親である個体が。しかもソイツは、多分、カチューシャの親でもある。こうなった以上、手は早めに打った方がいいかな。付近の人たちに被害が出ない内に……」

「ねえ、ちょっと」

「はい? 何ですか?」

「さっきから『カチューシャ、カチューシャ』って慣れ慣れしく呼び捨てにしているけど、この子に手を出したりしてないわよね?」

「……え?」

「カチューシャは純真なんだから! おかしな男に手を出されるのは嫌なの!」

「出してませんよ!」

「何よその即答は! カチューシャなんて興味ないっていうわけ?」 

「どう答えたら正解なんですか!?」

「二人とも、やめてよぉ!」

「うん、やめる」

「コッ――」(「コントか!」)

 喉の先まで出かかった言葉を何とか押さえた陽介が、〝先ほどから無視していたがよくよく考えてみればおかしなこと〟に気付き、訊ねる。

「そういえば、一つ気になってたんですけど」

「なに?」

「……そう睨まないでくださいよ。ただ、どうして二人だけで喋っていた時も日本語だったのかな? と思って」

「私は、カチューシャが日本語で話し掛けてきたから、つい日本語で返しただけだけど」

「私は最近ずっと日本語で会話してましたから、多分その癖で、ですね。昨日はターニャの顔を久し振りに見て、思わず故郷の言葉になってしまったんだと思います」

「ふうん」

 とりあえず納得して頷く陽介。

 確かに二人の主張する説も、それなりに説得力がある。しかし、実際にはそれだけが理由ではないだろうと、陽介は感じていた。『真っ白な(ベラヤ・ブマーガ)』によって、意識せずともカチューシャはこの国に適応しつつあり、今や日本語は、彼女にとっての第二の母国語となりかけているのではないだろうか。そんな推測に至った陽介は、能力繋がりで一つ思い出す。

「ターニャさん、何か能力持ってませんか? たとえば、透明になるとか」

「ドスケベね」

「服じゃなくて身体ですよ?」

「ド変態ね。臓物フェチ?」

「真面目に聞いてくださいよ!」 

「ターニャ、ちゃんと答えてあげなよ」

「持ってるわよ。『夜の灰色猫(セールィ・コシュカ)』って名前の、自分自身の存在を、夜限定で、完全に周囲に溶け込ませる能力をね。もっとも、ただ単に姿を消す手品じみたもんじゃないのよ? そんなものなら低レベルな術でも簡単に再現できるんでしょ? って偉そうなこと言いながら、私は術なんてまったく使えないんだけど。それはともかく私の『夜の灰色猫(力)』は、存在事実まで限りなく零に近付けちゃうらしいわ。だから、私の気配はほぼ完全に消滅する。それでも、完全に存在事実を消すわけじゃあないから、見つけようとすれば、割と簡単に見つかっちゃうらしいけれどね。ちなみに、これは吸血鬼にされた後で発現したものよ。当然だけど。それまでの私は完全に〝表〟側の人間だったんだもの」

「……物凄く丁寧な説明、ありがとうございます」

 陽介精一杯の皮肉だった。

「それで? それがどうかしたの?」

「いえ、昨日あなたを捕まえ……もとい、保護する時に使われた力でしたので気になって。まあ、どうして俺の力で打ち破れたのかはハッキリしましたよ。聞けば聞くほど、夜に属する能力だ」

「ふうん。あなたの『太陽の化身』(力)の前じゃあ、夜留の魔物だけじゃなく、夜の属性を持つ術や能力も無意味になるってわけね。変態」

「そこで〝変態〟は意味が分からないんですけど」

 遂に陽介の突っ込みにも余裕がなくなりかけてきたその時、不意に、

「あ、そういえば!」

 と、カチューシャが声を上げた。

「どうしたの?」「どうしたんだ?」

 心配そうに訊ねるターニャと陽介。

「陽介、斧は? 斧を忘れてきてませんか?」

「ああ、あれか」

「斧?」

 ターニャは分からないという風に首を捻る。陽介の、多少端折った話の中に、件の斧は登場していなかったのだ。

「ターニャさん、昨日、斧持ってたんですよ。それも、あからさまに戦闘用の斧を。俺の背中の傷はそれが掠めた時のもんです。傷自体は大したことないですけどね」

「ふぅん。怪我までさせちゃってたのね……。それは素直に謝るわ。で、それを現場に放置してきた、ってことをカチューシャは心配してるの?」

「うん。放ったらかしだとまずいんじゃないんですか?」

 カチューシャは不安げな顔を浮かべてそう訊ねる。

 しかしそれは杞憂であった。何故なら。

「あれは――」

「わざとね」

 陽介が言い切る前に、彼の真意に辿り着いたターニャが言い放つ。

「え? わざとって」

 一方、まだ分かっていないカチューシャはキョトンとしている。

「陽介、説明してあげなさい」

「はい。ん?」

 ――なんで当たり前のように命令されてるんだ、俺は?

 不満はあったが、このままでは話が進まないと、陽介は仕方なく従う。

「カチューシャ、血が付いた斧なんて物が落ちているのが見つかったら、どうなると思う?」

「どうなるって……ええっと」

「なによ、その説明の仕方は? 普通に教えてあげなさい。すかした映画のキャラクターじゃあるまいし」

 きっと睨みつけるターニャに、陽介は口に出さずとも目で『そこまで目の敵にしなくても』と訴えかけつつ、説明の方法を変える。

「通り魔か計画的なモンかはさておき、何か事件が起きたってことは明白だろ? 当然、警察だってそれを発表することになる。そうなったら、不用意に夜に外出する人は、しばらくの間少なくなるだろ?」

「あ! そういうことですか。ようやく分かりました! なるほど。町の人をなるべく巻き込まないようにするため、ですね?」

「そういうこと。昨日、ターニャさんに会った時点で、この町に他のヴァンパイアがいる可能性は高いと感じてたしね。夜は家の中にさえいれば、無関係の人はまず安全だろうし。もちろん、今日日こんなことで外出を控える人はあんまりいないだろうけど、少なくとも子どもは親が外に出さないだろうし、夏祭りも中止になるだろ。なんせ斧が見つかったのはその夏祭りの開催場所なんだから」

 敵と思われる相手の目的は、あくまでもカチューシャ。とすれば、不用意に町の人間を襲うこともない。そもそも、裏に生きる者たちにとって、自分たちの存在を隠すことは何よりも優先すべきことなのだから。表の方から余計なちょっかいを加えなければ、基本的には安全なのだ(とは言え、カチューシャやターニャ、北条由孝といった例外もある。それ故に存在するのが、真壁幸人率いる保護団体ナインズのような組織である)。

「それで、事件が解決した後はどうするつもり? 町の人たちの心に不安を残させたまま放っておくっていうのも、少し無責任じゃない? 私が言えた義理じゃないことは分かってるんだけど、どうしても気になるわ。それに、吸血鬼になった私に指紋はないけど、あなたの指紋と血液は付着したままなんでしょ? その斧に」

「そこら辺の当てもあるんで、大丈夫ですよ」――幸人さんに頼めば、事件の解決を偽装することぐらい、簡単なことだ。「指紋も、ちゃんと拭き取っておきましたしね。血は敢えて残しておきましたけど」

「へぇ、ちゃんと考えてるのね。少し見直したわ」

「それはどうも」

 素直に褒められていることは分かっていつつも、素直に喜ぶことが出来ず、陽介はわざとらしく肩を竦めた。まるで拗ねた子どものように。

「ところで……、さっきはああ言ったけれど、そもそも私の現・親とカチューシャの親の吸血鬼って、本当に同一人物なのかしら。考えてみれば、状況証拠しかないし」

「いや、それはまず間違いないと思いますよ」

 陽介がそう言うと、カチューシャとターニャは二人で一度顔を見合せ、同時に陽介の方に向き直って言葉を発した。

「何故分かるの?」「どうして分かるんですか?」

 ステレオ。

「どうしても何も、さっきターニャさんが見せてくれた牙痕ですよ。確かに二人分のものでしたけど、その内の一人分は、カチューシャの首にあったものと同じでした」

「あ、あなた……ただ見ただけで、牙痕の差が区別出来るの?」

「まあ、一応」

 陽介は照れ臭そうに答える。

「マニアなの?」

「何のですか」

 陽介は心外そうに答える。

「自分の能力の関係上、夜留関連の仕事を当てられることが多いんですよ、俺は。その中でも吸血鬼の、それもヴァンパイアの事件ともなれば遭遇する機会は山ほどありましたからね。個体の区別ぐらいはつくようになりますよ。たとえ、牙の痕だけでも」

 陽介はほとんどやけくそ気味に、とりあえず胸を張る。張って、すぐに空しくなる。

「だからって、同時に見比べたわけでもないのに? はぁ……。吸血鬼、いえ、夜留に関しては専門家と言ったところみたいね。とにかく、それで疑問は解けたわ」

 ターニャは陽介の説明で納得したが、

「え? え? 分かんないよ。どうして〝慎重な性格〟だってことまで分かるの?」

 カチューシはまだ完全には理解していなかった。

「陽介、カチューシャに説明してあげなさい」

「はいはい」

 ターニャは、さも当然のように命令する。いつの間にか呼び捨てにもなっていたが、もはや陽介は不満をおくびにも出さない。僅か数分で慣れたものである。

「昨日、俺たちが帰る途中、件の吸血鬼は現れなかっただろ? あれさ、普通に考えてみたらおかしいと思わないか?」

「それは、確かにそうですね……。言われてみれば」

「そうさ、おかしいんだよ。相手からすれば、あの時の俺たちを襲うのが一番手っ取り早かったはずなんだ。ターニャさんは気絶していたんだから戦闘は不可能。加えて俺はそのターニャさんをおぶっていて、いきなり現れた敵に即座に対応できる姿勢じゃなかった。まさに一番都合のいいコンディションで、一番やり易いシーンだったはずなんだ」

 しかし、敵は現れなかった。

 少なくとも、陽介とターニャがぶつかり合っている時には、近くで様子を見ていたであろう

敵は、最高のタイミングで登場することなく退散した。

「でも、どうしてですか? どうして現れなかったんですか?」

「慎重だからさ。ここから先は半ば憶測になるけど、多分その件の吸血鬼は……いちいちこの呼び方をするのも面倒臭くなってきたな。つまり、その男は……。男でいいんですよね? 牙痕の形は男っぽかったですけど」

「ええ、男よ。あいつは」

「はい、男の子ですね」

「まあ、とにかく。その男は俺のことを何も知らなかったんだと思う。俺の能力について。だから昨日、ターニャさんを消し掛けた意図も、その半分は、俺がどういう相手かを調べるためだったんだろうさ」

「で、調べてみたら、よりにもよってかの『夜殺し』だったってわけね」

「……知っていたんですか、ターニャさんも」

 聞いている本人(=陽介)が恥ずかしくなってしまうその綽名、夜殺し。

「そりゃ、何度も耳にしたからね。人間だった頃の私は表の世界の住人だったから、その手のことは知る由もなかったけれど、吸血鬼になってからは飽きるほど聞かされたわ。だから、あなたが自分の能力について話してくれた時にすぐ分かったわ。この子が夜殺しなんだ、ってね」

「私も、捕まっていた頃には何度も耳にした単語です」

「……」 

 二人の話を、陽介は複雑な表情で聞いていた。

 彼は夜殺しとして、夜留の間では広く知れ渡っている。しかし、それは彼にとって名誉でも何でもなく、誇示出来る力の象徴でもなかった。陽介が夜殺しと呼ばれるのは、『夜を殺せる力』を持っているからではない。『夜を殺す者』だからなのである。本人からすれば、〝人殺し〟と呼ばれているのと大差がないのだ。しかし、彼が今までに数え切れぬ〝夜〟を葬ってきたのは事実。故に、強く否定することも出来ないでいる。だから、開き直るしかなかった。

「いやあ、俺も随分と有名になったもんだな。しかしカチューシャ。それなら、どうして君は俺の性別も知らなかったのさ?」

「だって、男か女かなんて話題は一度も出なかったですから。夜殺しは夜殺し。絶対的にして圧倒的な〝夜〟の敵対者、抹殺者、暗殺者、殺戮者。太陽の化身、朝の代行者。そんな風に呼ばれていました」

「えらい大層だな。それに、別に俺は進んで敵になってるつもりじゃないんだけどな……」陽介の心は、チクチクと痛んでいた。「しかしその男は、見ただけで分かったんですかね? 俺が夜殺しだってことに」

「そりゃあ、気付くでしょうよ。夜留の間でも、顔まではハッキリ割れてなかったみたいだけどね。能力を使っているところなんて見られれば一発で分かるわよ。あなた、自分が〝夜の世界〟じゃどれだけの有名人か、自覚あるの?」

「夜の世界の有名人、ですか。事情を知らない人に聞かれれば、誤解されそうな表現ですね」――キャバクラ狂いみたいだ。

「守護者・真壁幸人をはじめ、ナインズ(あなたの組織)には他にも結構な有名人がいるみたいだけれど、恐怖の対象としては夜殺しを一番に見ていたわね、夜留(彼ら)は。《朝の一族》と揶揄される退魔の一族『四十万(しじま)』と並べ評するほどに」

「ちょっと過大評価過ぎるきらいはありますね……。話だけを聞けば、まるで〝夜〟に対しては無敵みたいじゃないですか。幾らなんでもそこまでではないですよ。俺は偶然こんな異能を持っていたわけですけど、敵に回せば俺より恐ろしい相手は幾らでもいるでしょう? たとえこんな力を持っていなくても、それをカバーして余りある相手は幾らでも」

「そうね。皆、頭では分かっているはずなのよね。敵に回せば、あなたより何倍も恐ろしい相手は幾らでもいる。でも、あなたに対する恐怖は本能的なものだから、どうしようもない。正直なことを言うと、私も今、凄く怖い」それは、陽介にとって言われ飽きている言葉だった。敵味方問わず、夜留からは言われ飽きている言葉。言われ飽きてはいたが、言われ慣れてはいない言葉でもあった。「極端かもしれないけど、実際の話、本物の太陽なんかより、あなたの方がよっぽど怖いのよ。太陽は遥か空にあるけど、あなたは地上にいるんだもの。だけど……そうね、会う前は一体どんな化け物なのかと夢想していたけど、少なくとも常識はあるみたいだし、意思疎通もできる相手だものね。多分、その内に平気になると思うわ。でも、今はやっぱり怖い。ゴメンなさいね」

「いや、その」

 さっきまでの攻撃的な口調を一転させ、急に殊勝な態度になったターニャに困惑する陽介。

「……」「……」「……」

 沈黙。

 約六秒。

 カチューシャからの助け船が漕ぎ出されることもないまま、流れる時間。

 結局、この沈黙を破ったのはターニャであった。

「あー、なんか暗い空気になっちゃったわね。ゴメン! 話を戻しましょう。カチューシャ、あの吸血鬼が慎重な性格だってことは分かった?」

「うーん、なんとなく。幾ら陽介が夜殺しでも、昨日の帰路が一番の狙い目だったのには間違いないんだし……そこを狙わなかったってことは、何か作戦でも考えているためなんだよね?」

 カチューシャとしてはかなり考え出して導いた結論なのか、彼女は難しい顔をしながらそう答えた。陽介はそれに応える。

「そういうことになるだろうね。だからってこっちは、何の計画も立てようがないんだよなあ。結局、正面からぶつかるしかない、か」

「相手は全然正面からじゃないけどね」

「それは仕方ないですよ。こっちだって反則に近い能力があるわけですし、あっちも必死なんでしょう」

「そういうの、気にするのね。反則とか、なんとか」

「一応、気にはしますよ。どういう理由があっても、戦闘になる以上は、なるべく対等な条件で、正々堂々とやりたいですから。だって」そうじゃないと「男らしくないから」

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