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太陽の化シン  作者: 直弥
その昔
10/30

夏の出会い

 ――カチューシャと仰野陽介の出会いから十一年前


「はーい、じゃあ今からは自由時間です。三時になったらあの大っきな時計がボーン、ボーンって鳴るから、それが聞こえたら戻って来てね」

 季節は夏。

 より正確にいうなら、一九九九年の八月十三日。

 その日、とある小学校の遠足が行われていた。夏休み中に行われる、任意参加の遠足が。

 五人の引率教員と六十七人の参加児童たち(児童たちは五つの班に分けられている)。彼らが訪れていたのは首都近郊にある自然公園。昼食後、各班の担当教師が、それぞれの班の児童たちに向けて、自由時間の注意事項を伝えていた。

 陽介のいる三班は、彼の所属する二年一組の担任も務める上山(かみやま)が担当を務めていた。

「なるべく近くで、二人以上で遊んでね。私の目の届かない所まで行かないこと! 網で囲ってる中には絶対に入っちゃダメだからね? じゃあ、解散!」

 上山の『解散!』という声とともに、子どもたちは蜘蛛の子を散らすように各々駆け出した。タンポポの綿毛を飛ばす女の子たちもいれば、まだ幼虫でまともに飛ぶことも跳ぶことも出来ないバッタやカマキリを追い回す男の子たちもいた。彼らは上山の言い付けを忠実に守り、彼女の目に届く範囲に留まって遊んでいた。

 しかし。仰野陽介とその悪友、北条由孝(ほうじょうゆたか)に限っては違っていた。

 如何にも大人し目の優等生という感じの陽介と、如何にも悪童といった風体の由孝。

 一見して対極的な二人ではあったが、彼らは確かに友人同士であった。更に二人は、物心着く前からの幼なじみでもあった。

「なー、ヨースケ! あそこの中、いってみないか?」

「え? でも、先生はダメだっていってたよ?」

 由孝が指差したのは、金網で囲まれて『立入禁止』の看板が付けられた針葉樹の林。不自然なほど――実際、そこは嘗て人工林であったため、言い得て妙な表現ではある――に木々が密集した林。なるほど、好奇心の塊である年頃の子どもが興味を抱くのも無理はない。一種の異界にさえ見える空間である。

「バッカだなぁ! だからいいんじゃないか! ダメだっていわれることをやるからカッコイイんだろ? イソガミのにいちゃんもいってたぞ?」

「でも、バレたらおこられちゃうよぉ……」

 二人の態度はその容貌のように対極的。ノリノリの由孝に対し、陽介は尻込みして中々了承しない。とうとう由孝は大きな溜息を吐いた。

「ハァー……。ホンっト、男らしくねーなぁ。もうイイよ! 一人でもいくから!!」

 そう言い棄てて、由孝は一人で林の方へ向かおうとする。

「あ、まってよ! ボクもいくよ!!」

 由孝の後を、陽介が慌てて追いかけた。


 五人の教師と六十五人の児童の目をかいくぐり、陽介と由孝は林の中へ侵入した。金網の周りをぐるりと周り、たった一ヶ所、大きな穴の空いている場所を見つけたのだ。それは、七歳や八歳の子どもが通り抜けるのには十分なものであった。

「く、くらいね。なにかでてきそう……」

「へんっ! なにかでてきたほうがオモシロイじゃんか!」

 太陽の光が大部分遮られた暗い林の中を、年端もいかない二人の子どもが歩いていた。剥き出しになった木の根や、頭だけを出して埋まった石に躓き、陽介は何度も転びそうになる。由孝はそれらすべてを、事もなげに飛び越え、ずんずんと先へ進んでいく。

「は、はやいよ! まってよ、ユタカちゃん!」

 何とか必死に追い縋ろうとし、陽介は情けない声を出す。そんな彼に苛立ちながら、由孝は振り返る。

「あー、もう! 〝ちゃん〟はいいかげんやめろって! はずかしいんだからさあ。よびすてでいいんだよ、よびすてで!」

「ご、ごめん」

「ったく。そういうところが男らしくないんだよ、ヨースケは」

 そう言いながらも、由孝はその場で陽介が追い付くまで立ち止まっていた。悪態を突きながらも、ちゃんと自分のことを考えてくれる友人に嬉しくなり、陽介は自然と笑顔になる。

「なにをニヤニヤしてんだよ?」

「えっへへ」

「ったく、気もちわるいな」

 と、由孝が変わらず悪態を突いていると、

 ザッ、という音とともに、由孝が立っている場所すぐ近くの樹上から、一人の男が飛び降りてきた。

「は?」

「え?」

 先に声を出したのは由孝。遅れて陽介も頓狂声を上げた。 

 突如として現れた男は、由孝のすぐ傍に、しばらく無言で立ち尽くしていた。

 二メートル近くあろうかという巨体に漆黒のマントを纏い、僅かに覗く顔は浅黒い。そんな全身黒ずくめの男にも、唯一、真新しいコピー用紙のように白い部分もあった。犬歯と呼ぶには余りに鋭すぎる二本の〝牙〟である。子どもの目から見ても、どう考えても普通ではない空気を持つ男。その男が右手を振り上げ――由孝の腹を思い切り殴りつけた。

「ぎゃあっ!!」

 由孝の矮躯は軽く吹き飛び、一本の木に背中を思い切り打ちつけられた。その衝撃で木は激しく揺れ、同時に、由孝の身体の内部から異様な音が響く。その音を初めて聞く者でも容易に想像がつくことであるが、それは背骨が折れる、否、砕ける音であった。由孝の体はそのまま根元までずり落ち、その場でうつ伏せになって倒れる。

 男は次に陽介へと視線を移す。

「ひっ!」

 恐怖の余り、陽介はその場で硬直した。

 そんな陽介の様子を見て、男はニヤリと笑い、初めて口を開いた。

「こんなトコに入り込んできたのが運の尽きだったなあ、人間のガキども。俺は眷族を創らない主義だし、食事は静かに楽しみたいタイプなんだ。だから、血を飲む前に殺すぞ」

 男の言っている意味のすべてを理解することなど、二人には到底不可能であった。この時、陽介と由孝が確かに分かったことと言えば、今、目の前にいる男が自分たちを殺そうとしていることだけであった。

「ヨースケ、たすけ………………ぎゃああっ!!」

 由孝の絶叫が再び響く。

 男が由孝の折れた背中を踏みつけ、蹂躙したのだ。

「あ、うう……ふぎっ」

 小さな唇の端からは血が流れている。木に身体を打ちつけた時か、或いは背を踏みつけられた瞬間かに、口の中が切れたのだろう。もう身体のほとんどを動かせない由孝は、ただ唇だけを動かしていた。音を伴わない声は、聴覚ではなく、視覚的に陽介に言葉を伝えた。

『たすけて』

 という言葉を。

 その様子を陽介は茫然と見ていたが、やがて彼の目は見開かれ、口が動き始める。

「ゆ……たか……ちゃ…………………………………………ッア、ッア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 陽介の中で、何かが弾けた。否、弾け飛んだ。

 逃亡の意思も、

 理性の(たが)も、

 恐怖も、

 何もかもが虚空へと吹き飛んだ。

 陽介は、男を目掛けて走り出していた。

 考えなどあろうはずもない特攻。

 当然、男は余裕の態度で陽介をあしらおうとする。しかし、陽介が彼の目の前にまで近付いた時、男は初めてギョッとした。

 陽介の身体は激しく赤い光を帯びていた。

「なんだその光は!? ううっ!?」

 その光に、男は眩しさを感じ、思わず目を閉じた。そんな彼に陽介は馬乗りとなり、押し倒した。

「がっはぁあ!!」

 男は経験のしたことのない苦痛に悲鳴を上げた。陽介が尻を乗せている彼の肩が、じゅうじゅうという音を立てながら灰に変わっていく。

「アアアアアアアアアアッッッ!!」

 陽介は尚も叫び続けながら、無抵抗な男の顔を殴る、嬲る、殴りつける。

「ぐあああああああっ!!」

 激しい苦痛の中にありながらも、男はたかが七つの子どもをどうすることも出来ず、ただ叫び続ける。陽介が男を打ちつける度に、殴られた箇所は灰となって崩れていく。

 その時間は実に、およそ十五分にも及んだ。


「アアアアアアアアッ!!」

 ぽんっ。

 未だ叫び続けていた陽介の肩を、誰かが軽く叩いた。それに反応し、陽介の動きがピタッと止まる。彼の肩を叩いたのは、見た目で判断すると二十歳そこそこの青年。陽介の耳に、その青年の声が届く。

「もういいだろ? 君が殴りつけてるのは、今じゃあただの灰だよ」

 見ると、陽介がさっきまで馬乗りになっていた男の姿はなく、そこにはただ人型に撒いたような灰と、衣服が残されているだけであった。

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ……はあ」

「少しは落ち着いたかい? もう大丈夫、吸血鬼は君がやっつけてしまったよ。ただでさえあれはランクの低い種族、アサンボサムだ。一度でも灰になれば、蘇生など出来るはずもない」

 未だ興奮の中にある陽介に、あくまで穏やかな口調で、青年は話し掛け続ける。

「林の中だったし、こいつの魔域内だったお蔭か、君の叫び声は外にまで洩れていなかったみたいだけど、とにかく、そろそろ戻った方がいいよ」

「はぁっ……はぁっ……。だ、だれ!?」

 隠すことなく警戒心を剥き出しにして、未だ光を放つ陽介が叫んだ。大の大人でも怯んでしまいそうな威圧感のあるその声に、しかし青年はまったく臆することなく、極めて冷静に応じた。

「僕かい? 僕は遅れてきた男、真壁幸人さ。いや、実際遅れすぎたね、これは。すまないと思っているよ」


 吸血鬼、異能、真壁幸人。

 僅かな時間にしては多すぎるほど、様々な出会いがあったその日、仰野陽介の〝表〟世界の人間としての人生は終わった。――そして。彼の親友、北条由孝の人生も。


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