恐怖
バタン。
大きな音をたて自習室の扉が開いた。
真っ赤な顔をしたマリアンヌが、ドスドスと大きな足音をたてて入ってくる。
リンダは息をつめてマリアンヌの様子をうかがう。
マリアンヌは扉を閉めることもせずに、そのまま自分の席に向かった。
やはりマリアンヌ上手くいかなかったのだ。
リンダの予想はあたった。
上手くいかなくて当然なのだ。
どう贔屓目に見ても、師匠がマリアンヌのような小娘をまともに相手にするとは思えなかった。
マリアンヌは無言で少々乱暴に荷物をまとめはじめた。
「マリアンヌ様、どうだったんですかぁ?」
のん気なキャプシーヌの声に、マリアンヌの動きがぴたりと止まった。
自習室内は恐ろしいまでの緊迫感に包まれた。
リンダは息をするのも困難なほど体を固くする。
キャプシーヌの空気を読まない発言にも驚いたが、リンダは重要なことを忘れていたことに気がついたのだ。
プライドの高いマリアンヌが、たとえ相手が師匠といえども、誰かに振られるということを我慢できるはずはない。
名門貴族のご令嬢。
しかも、名高い美貌の持ち主。
芳しい薔薇のようなマリアンヌが振られるなんて、そんなことはあってはならない。
しかも、あんなに大はしゃぎで意気揚々と出かけて行っただけに……。
この後、マリアンヌはどれだけ荒れ狂うのだろうか。
リンダは恐ろしくてたまらなかった。
「こんなとこ今すぐやめてやるわ」
マリアンヌは低い声でボソリと言った。
いつもの甲高い声ではなかった。
それだけに、かえってマリアンヌの怒りの激しさがにじみ出ていた。
「あなたたちも早くやめた方がいいわよ」
そう言うと、カバンの留め金をパチンとはめる。
「いったい何があったんですか?」
ナタリーがおそるおそる尋ねる。
マリアンヌの鞄を握る手が小刻みに震えだす。
「騙されていたのよ、私たち。優しそうなふりしてるけど、全部嘘なのよ、嘘。全部演技なの。アイツは微笑みながら、平気で人の気持ちを踏みにじる冷血漢なの。人間じゃないわ。人間の皮をかぶった悪魔。そうよ、悪魔なのよ」
マリアンヌはギラギラさせた大きな目に涙を浮かべ、声を震わせた。
あまりの剣幕に誰も何も言うことができなかった。
マリアンヌは鞄を持つと、大股で部屋を出て行った。
「あ、マリアンヌ様、待って」
ナタリーが慌てて後に続く。
他の取り巻きたちも大急ぎで荷物をまとめると、後を追うように部屋から出て行った。
リンダはしばらくその様子を呆然と眺めていたが、ハッとして慌てて荷物をまとめだした。
しかし、手が止まった。
このままでいいのだろうか。
あの様子では、マリアンヌは二度とここに戻ってくるつもりはないだろう。
今、マリアンヌの後を追いかけていくということは、ここを辞めるということに他ならない。
辞めたくない。
せっかくここまで頑張ってきたのだ。
やっと面白くなりかけてきたところなのに。
もっともっと吸収したいことがたくさんあるのに。
リンダは首を横に振ると、カバンを持ち上げた。
マリアンヌに逆らうわけには行かない。
そんなことをしたら、どうなるかわかったものではない。
諦めるしかないのだ。
扉に向かったリンダの前に、ロジーナがすっとでてきて扉に手をかけた。
リンダの目の前で扉が閉まる。
「やっと静かになった」
ロジーナはそういうとニコッと笑った。
そして、自分の席に戻ると、再び資料を読みはじめた。
マリアンヌを追いかけなくてはならない。
リンダは扉に視線をもどしたが、なかなか足が動かなかった。