8-2 ◇
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「だいぶ仲が良いみたいだから、何か理由を知っているかと思ったんだけどな」
放課後、先生に職員室に来てくれと言われていたので行ってみると、大体予想はしていたけどこーちゃんの話だった。こーちゃんは最近学校に来ていないけれど、先生の話によるとどうやら無断で休んでいるらしい。あのこーちゃんが……小学校から今まで一回も休んだことのない丈夫な体が自慢のあのこーちゃんが、まさか学校を休むとは、しかも無断で。これは珍しい。
「だから、悪いんだけどこのプリントを立花に届けてくれないかな?」そう言って渡されたのは家庭訪問のお知らせだった。
面倒だなあ。それに今日は山根さんの家に行って遊ぶ約束があるのに……。
でも、そんな理由で断るわけにもいかないし、もともと断れるような性格をしていないのでそれを受け取って職員室を出た。
みんなには先に行ってもらったので教室には私を待っている人はいなかった。急いでカバンに教科書を詰めて校舎を出た。校門を過ぎたあたりで、先にこのプリントを渡しに行くか、遊びに行くか決めかねている時――気が付いた。
「あれ、こーちゃんの家って……」
変だな、分からない。知っているはずだったのに。
知っているつもりになっていただけだった……?
そんなことあるはずない――と、私は必死に思い出そうとした。こーちゃんの家の場所、色、形、大きさ。二階建て? 庭はあった? 車は……。
何だろう、この気持ちは。今まで満たされていたはずの――あると思っていたところに、大きな穴を見つけた、そんな感じ。
急に吐き気を催して、慌てて近くの壁に手をついて呼吸を整える。
そういえば……私はこーちゃんの家に一度も行ったことはなかった。それに場所を聞いたこともなかった。だけど……だけど何?
普通ならそれは不自然だ。疑問に思うはずなのに、まったく疑問に思わなかった。なぜか――なぜか私は、知っている気がしていた、としか思えない。説明は出来ない。
考えてみれば、私はこーちゃんの家族についても、何も知らない――。
「……そんなことって」
絶対変だ。これだけ長く一緒にいたのに、一度も話題にならなかった? そんなことってある? 私が忘れているだけ? 聞いたこと自体を忘れている?
いくら繰り返しても回答にはたどり着けない。でも繰り返せば繰り返すほどに不安はつのる。
なんだか、怖くなってきた。私は彼のことを本当は知らなかったの……?
気分の悪そうな様子を心配してくれたのか、見知らぬおばさんが声をかけてくれた。大丈夫ですと言って笑顔を作ると、完全には信じてくれたわけではないみたいだけど気を付けてねとだけ言ってそのまま歩いて行った。
とりあえず、これからどうしよう……。
少しの間考えて、私は――まず山根さんの家に行って、今日は用事があったのをすっかり忘れていて遊ぶことができないと嘘を言った。
「分かった。ならしょうがないね。また明日」
残念そうにそう言ってくれた山根さんを見て、罪悪感にあっけなく押しつぶされて、泣きそうになる顔を頭を下げることで隠した。それからすぐに踵を返して走った。すごく心が痛んだ。
私は急いで家に帰った。おばさんなら、もしかして……そんな期待があった。早くこの恐怖を打ち消したかった。
でも、その結果は、ただより悪い方に私の気持ちも押しやっただけだった。
「そういえば、聞いたことないかも」
おばさんも私と同じように、知っていると自分では思っていたらしい。私と同じように……私だけじゃない。
困惑しているおばさんを置いて私は家を出た。あてはないけど、いつもうちの前で別れた後こーちゃんがいつも帰って行くほうに行ってみよう。表札、そう表札を探せば良いんだ。
私はいつもこーちゃんが帰って行く方へ歩き出した。
なんだろう……私は、知ってはいけないことを知ろうとしている気がする。そんな不安が心の中で徐々に、波紋のように大きくなっていく。どんなに振り払おうとしても、気にならない振りをしても、常にその不安は私のすぐ隣にいる。
探し始めて一時間くらい経った。未だにこーちゃんの家は見つからない。不安はどんどん大きくなっていっている。周りを見渡してみても、私が昔入院していた病院や、どこにでもあるようなコンビニがあるくらいで、手がかりになりそうなものはない。今度はあっちを探してみよう――そうやって走り回っているうちに、日はずいぶん傾いてきていた。
ずいぶん時間が経った。日は暮れ始め、街灯と夕焼けが同時に道を照らしている。
結局、見つけることはできなかった。
私の右手の中でくしゃくしゃになっている家庭訪問のプリントは、どこに持っていけば良いのか分からない。この今の私の気持ちも、どうしたら良いのか分からない。
でも、どちらも、家にはあまり持って帰りたくなかった。
「どこにいるの……?」
棒のように、地面からまっすぐ立つだけになってしまった私の足は前にも後ろにも動こうとしない。
見つけたい、帰りたくない、見つけたくない、帰りたい……ぐるぐる回転する頭はその実何も考えようとしていない。通り過ぎる車の低いうねり声に、静止しているのはお前だけだ、と怒鳴りつけられているような気がした。
仕方ない、今日はもう帰ろう……。
ようやく決心を決めた私は顔を上げる。
「あっ――」
「よ! 奇遇だな」
まるで瞬間移動をしたかのように、はたまた急に姿が見えるようになったかのように、それでいてそれが当たり前であるかのように。
彼が、そこにいた。