神国の襲撃
「警報だと?」
エルステルは特に動揺も見せず、スペクトに目線を向けた。彼には既に管制室から情報が届いているはずだ。
加えていえば、この基地の警戒網は十キロメートル先の敵にも反応する。今からでも十分に迎撃体勢を整えられる距離だ。
それを知っているために、ここにいる全員がスペクトの報告を余裕を持っている。そのスペクト本人以外は。
「なんだと? それは本当なのか?」
「おい、どうした?」
防衛にも責任がある戦闘部隊を取り仕切る身として、エルステルはスペクトの見せる不穏な空気に気が気ではない。
管制室からの報告が終わったのか、真剣な面持ちでスペクトはエルステルの方に向き直った。
「エルステル、神国の部隊が、上空十キロメートルから降下して来ているらしい」
「上空だと!?」
同じ十キロメートルでも、重力に縛られて地面を進んで来るのと、重力加速度をつけて空から落ちて来るのとは、進軍速度が桁違いになる。
敵基地への降下は、はっきり言って自殺行為だ。降下中はまともな姿勢制御が出来ず、迎撃システムに狙い撃ちにされる。
だが、今この基地に落ちて来ているのは、世界を治め神を頂く神国だ。その不利すらも計算にいれた戦力が投入されているというのは想像に難くない。
「――っ! この基地を守り抜くのは無理か!」
エルステルは現在の戦力を考えて、激しく舌打ちをした。
この基地は本来重要な意味など持っていない。せいぜいが、デシレの開発データがあるくらいだが、人間の一人や二人を『造り出す』設備なら他にいくつでもある。そのため、警備に裂いている人数は少ない。
だが、この基地の設備や立地ではない重要な意味が今はあってしまった。
カルチャー・ヴァルチャーのトップ五人が集まっているのだ。敵からすれば、それこそ狙いどころだろう。ほんの数時間しか揃わないこの五人が集結するタイミングを的確に狙う諜報部隊と秒単位の作戦行動には、賞賛さえ送りたくなる。それこそ、あと十分も過ぎれば、少なくともスペクトはここにいなかったはずだ。
「エルステル、ログが起動した今、ここは放棄しても大丈夫よ」
デシレは状況の危うさを判断し、エルステルの負担をなくそうと、言葉を向けた。デシレさえ良ければ、あとの四人にもこの基地には何の未練もない。
「よし。スペクト、この基地は放棄する。必要なデータだけまとめて総員退避させろ。なるべく早くな」
「分かった。だが、敵はどうする?」
スペクトは戦闘に関してはエルステルは絶対の信頼を寄せている。それでも、何の手も打たないで敵が逃がしてくれるとは思っていない。
自分に向けられる視線に全幅の信頼を感じつつ、エルステルは立ち上がった。
「退避までの時間は俺が稼ぐ。確実にな」
スペクトは厳かに頷いた。全て任せるという意思表示だ。
「エルステル、ピカはちゃんと連れて行くのよ!」
既に駆け出したエルステルの背中に向けて、デシレが叫んだ。
エルステルはそれに振り返り、叫び返す。
「当然だ! 第五エレベータに準備させておけ!」
それだけ告げて、エルステルは部屋を後にした。
ピカ・ラクテウスはVDシリーズの二体目に当たり、初期モデルだ。
残念ながら、自身の時空移動は出来ないものの、物質や他人であればかなり広い範囲まで空間を捻じ曲げて移動させることが出来る。その能力を利用して、エルステルの武器管理を任されている。付け加えれば、彼女もマキナらしく情報処理に長けているので、戦場の観測もエルステルは行わせている。
指定した第五エレベータは既にドアを開け放っており、その中でエルステルと同じ黒髪を、こちらは長く伸ばしている女性が待っていた。オッドアイに耳が尖っているところまで同じだが、彼女はフェアリーではなく純然たるマキナだ。
何をとち狂ったのか、デシレはピカを死んだエルステルが転生してくるように作ったのだという。結局、その思惑は外れてエルステルはその数年後に全く違う場所で再び生れ落ちたのだが、デシレは嬉々としてこの『人形』を見せつけ、良い出来でしょ、と言ってのけた。
その時の悪戯じみたデシレの顔を思い出し、不機嫌さをそのまま表情に出してエルステルはエレベータに飛び込んだ。
「隊長、敵は屋上に降下するルートを取っているようです。さらに、シールドを併用したウィンボードで、迎撃システムが想定の六十パーセントしか機能していません」
身長だけは、エルステル、そしてデシレよりも低いために――とは言っても、一般的なハルモニィやベアストの女性に比べれば十分高いのだが――、ピカはエルステルを見上げながら戦況を報告する。
「そうか。ならば、屋上で迎え撃つ。彗星を寄越せ」
「はい」
ピカが頷くと同時に、エルステルの右手に重みが加わる。
見れば、鍔元が反り返り、くの字形の刀が握られていた。柄はむき出しの金属に装飾があるだけで、滑り止めの柄巻と呼ばれる紐すら纏っていない。代わりなのか、柄の先端には何本もの糸が縒り合わさった長い紐が結ばれている。
東方の島国伏儀国で生み出された最高の刃『刀』の中で、毛抜形太刀と呼ばれる古い造りのものだ。最も、それにしても刀身の反りは異常なまでに深い。
「VD-02、お前は戦局観測と俺がこぼした相手の迎撃を行え。いいな」
「わかりました」
がくん、とエレベータの軋みが到着を報せる。
「行くぞ」
自動ドアが開ききる前に、エルステルは外へ躍り出ていた。
一瞬遅れて、ピカもそれに追随する。
見上げれば、いくつもの盾がサーフボードのように揺らめきながら降下していて、地上からの迎撃システムによる銃撃がそれに向かっていた。しかし、絶え間ない火線も盾の底に当たり弾かれるばかりだ。
あれが魔力によって風をコントロールして浮かび上がるウィンボードであり、忘暦でも早くから実用されているものだ。本来は娯楽用のそれを、軍事目的で盾と同等の防御性能を持たせる研究がされているのは知っていたが、もう完成しているとは計算も狂う。
「隊長、降下中の敵は二十。さらに索敵距離外に母艦が控えていると予想します」
「なかなかの数だな、こんな小さな基地に!」
エルステルは身を捻って屈め、弾かれたバネのように右手に持った曲刀を空へと走らせる。
「行けぃ!」
裂ぱくの気合と共に、エルステルの右手の甲が――戦闘用の指抜きグローブに隠された痕が光を放ち、それは手にされた紐を伝わって刃の勢いを上げていく。
しかし疾風となって駆け抜ける刃も、シールド型のウィンボードに傷をつけることは適わず、少し揺らめかせただけで受け流された。
それでもエルステルは余裕の表情を崩さない。
「彼方より廻り戻れ、彗星!」
エルステルが伸ばした腕を引き戻せば、空気が引き裂かれた。
彗星の刃は光を宿したまま翻り、尾を引きながら弧を描く。
空を廻り戻った彗星は、背後から敵に襲いかかり、切り裂く。
さらにその加速度で重みを増した刃は、その敵兵が乗っていたウィンボードを弾き飛ばし、ウィンボードは狙いたがわず隣の敵兵を突き飛ばした。
無防備に落下する敵を、銃火が容赦なく貫いた。
「一太刀で終わりと思うなよ」
二度、三度と曲刀が空に閃き、次々と神国の兵士を墜としていく。
ほんの数分も待たず、その数は半減していた。
この調子で行けばと、エルステルが感じたその時、空から剣が降り注いできた。
「隊長、これは!?」
「分かっている! 双星を出せ。彗星はお前が使え」
二人は落ちてくる剣が何を意味しているの即座に判断した。
エルステルは、驚愕するピカを叱責しつつ、指示を出す。
右手にあった曲刀が蜃気楼のように消え去り、変わりに両手に一振りずつ、腕ほどの刀身を持つ小太刀が握られる。刃の反りは浅く、幅広な側面には呪術的な文様が彫られている。
降り注ぐ剣の数は五。どれも神国で大量生産されている両刃のものだが、けして安物ではなく、軍でも正式に採用されるほどの性能を誇っているものだ。
エルステルはピカが既に彗星を携えているのを確認した。
「VD-02、飛ぶぞ!」
返事も待たずに、エルステルはピカに向かって助走を始めた。
ピカは一度上を確認して頷き、彗星の刃に右手も添えて、高く掲げる。
「了解しました」
エルステルの足が、彗星の刃に乗る。そのまま壁跳びの要領でエルステルは足を弾き、それに合わせてピカが曲刀越しにその体を押し出した。
エルステルの長身が空に躍り出る。それは巻き上がる迎撃システムの銃弾もかくやという速さで高度を上げていき、落ちてくる剣を捉える。
順手に持った二振りが、それぞれ一本ずつ剣を弾いた。その瞬間、目を焼くほどの閃光が剣から迸る。
「まずは二つ!」
エルステルの背後で一本の剣が重力に引かれていく。
元の加速の分、エルステルの位置からでは間に合わない。
エルステルは空中で身を捩る。
「落とさない」
地面から落ち着いた声と共に曲刀が舞い上がり、エルステルが見逃した剣に追い縋る。
互いに鎬を削り、空中で動きを止めるが、ついに彗星が押し勝つ。
「これで三つ目です、隊長!」
「落とす前にカウントするな、人形!」
即座に反転したエルステルの刃が、剣を切り、閃光を散らす。
エルステルは慣性のままに体を回し、彗星を蹴ってさらに跳躍する。
その背を掠めるように、小銃の弾が数発突き抜ける。
エルステルは、その銃弾を放った兵士の位置を視界に納めつつ、さらに上空にいた兵士のウィンボードの底を踏み台にして跳ぶ。
「遅い!」
下方へ向けられた跳び蹴りが銃を放った兵士をウィンボードから落とし、足場に使われた方もピカの彗星の餌食となっていた。
エルステルはウィンボードのコントロールを奪い、急上昇する。魔力操作に長けた妖精種には、なんとも扱いやすい兵器だった。
次に地面に近づいていた二本を追い越し、ウィンボードを乗り捨てる。
二振りの小太刀を逆手に返し、柄を弾くように二本の剣を押し出した。
それらは狙い違わず、降下中の兵士達が駆るウィンボードに突き刺さる。
そして着弾を認識した剣は、内部に圧縮された魔力によって崩壊していく。