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第7話 濡れ場こそ、エロゲーの華

 濡れ場こそ、エロゲーの華である。ユーザーの中には、エロシーン以外は全てスキップするという人もいるほどだ。そこまでくるとやりすぎの域に入るが、それほどまでにエロゲーにとって濡れ場は重要ということである。


「濡れ場こそエロゲーの山場。しっかりがっつり、地の文で描写する必要がある」

「ふむん」

「女の子相手にこれをいうのもなんだが……。ゲームの肝と言えるエロシーンが、地の文無しの台詞のやり取りだけで抜けると思うか?」

「抜ける、ですか?」


 来夏が不思議そうな声色で問い返してくる。


「あ、もしかして意味が」

「はい、よくわかりません。抜けるとはどういう意味でしょうか」

「えーと、抜けるってのはつまり、こう、男性の性欲が無事に発散できるか的なね。おしべとめしべがくっついて、合体する時の胞子が拡散するような……」


 俺は一体何を説明しているのだろう。


「ふむん。大体分かりました。つまり男性器が興奮によって、しゃせ──」

「くわぁああああああッ! 喝ッ!!」

「……なんですか師匠。突然大きな声を出して」


 俺は来夏が危険な発言を終える前に遮ってやった。わざわざ気を遣ってあえてぼかして説明したのに、なんでこいつの方からダイレクトな表現で言うのだ。


「話を戻すぞ、いいな? 異論は認めない」

「はぁ」

「とにもかくにも、だ。濡れ場では台詞のやり取りだけではユーザーは納得してくれない」

「そうなのですか? やろうと思えばできなくもないかと」

「いやいや。会話だけで濡れ場なんて無茶だ。強引にその手法で進めるとしても、『今から○○します』『私は○○されています』と、ユーザーに対して説明口調で不自然な会話になってしまうだろう?」


 毎回、今からおっぱいを揉みます、お尻をさわりますと宣言して実行するようなエロシーンは、喜劇でしかない。


「確かにそれだと不自然ですね。違和感が大きいです」

「理解してくれたようでなによりだ」

「台詞のやり取りだけでゲームのシナリオが書けると思っていましたが、意外と奥が深いのですね」

「初心者に陥りがちな罠だな。今後は気を付けるように」

「了解です、師匠」


 さて、濡れ場の話題になったからには、あまり言いたくないあの話をしなければならないな。相手が女の子ってのが、気が重いんだけどなぁ……。


「ところで来夏よ」

「なんでしょうか」

「その、濡れ場についてなんだがな……」

「はぁ」

「この業界では昔から、リアリティのある濡れ場というものは経験者じゃないと書けないと言われていてな」

「ふむん。それはどういう意味でしょう?」

「えーと、なんというかな。つまり、はっきり言うと、童貞じゃエロいシーンなんて書けないってことだな、うん」

「なんと」

「いや、世の中には童貞だけど類い希なる妄想力で濡れ場を書いてる人だって大勢いると思うよ。実際プロの中にだっていると思うし。……でもね、エロゲ業界では昔から、濡れ場書きたいならライターは童貞捨ててから書けって感じの、暗黙の了解みたいなものがあってね」


 北方先生も言っていた。男ならとりあえずソープに行け、と。……いや、あれは別に関係ないか。


「なるほど。しかし師匠、重大な問題があります」

「なんだね弟子よ」

「私はこれでもれっきとした乙女なので、童貞はどう頑張っても卒業できませんが」

「おおう!?」


 しまった。来夏は女だった。


 ──ということは、逆に考えると、


「私が濡れ場を書こうとした場合、童貞ならぬ処女を捨てねばいけないということでしょうか」

「すごい発言をさらっとぶっちゃけるね、君……」


 鉄面皮で淡々と言うので来夏の言葉は軽く感じられるが、果たして内心ではどう思っているのだろうか。心を覗ける機械があるのならば、是非貸してほしいものだ。


「エロゲー作るためだけに貞操散らすってのは、俺はどうかと思うよ、うん。変な考えはやめときなさい」

「そうですか。しかし、それならば私は一体どうすれば」

「ん~。まぁそこは女の強みってことで、女性視点での濡れ場が書けるように工夫するとか」

「女性視点ですか。その場合でも、やはり同じように経験者でないと書けないのでは?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「どっちなんですか」

「いや、俺男だしなぁ……。正直、女視点とか分からんし。でもまぁ、女の子が無理して想像だけで男視点の濡れ場書くよりは、女性視点の濡れ場書く方がマシじゃないかと」

「ふむん」


 少しだけ目を細め、来夏は俺から視線を外して虚空を見つめた。何か心の中で葛藤でもあるのか、しばらくの間無言のまま。考え事を邪魔するのも悪いと思ったので、俺も同じく口をつぐむ。


「師匠」


 やがて口を開いた来夏は、いつも通りの抑揚のない声で俺を呼んだ。


「なんだ?」

「エロゲーでは、女性のライターはいないのですか?」

「ん、いるよ。ボーイズラブとかいう、男同士が恋愛するというアレなジャンルに。あ、他にも女の子の主人公がイケメン達と恋愛する、乙女ゲーとやらにもいるな」


 あのジャンルは魔境だ。特に、BLことボーイズラブ。俺はできればあそこにだけにはもう金輪際関わりたくない。


「いえ、そっちではなく、男性向けのエロゲーです」

「そっちか。んー、一応いることはいるが、少数だな」

「評判はどうなのですか?」

「可もなく不可もなく、だな」

「なるほど」


 それだけ言うと、また来夏は押し黙ってしまった。俯き気味の顔からは表情が読み取れない。どうせ無表情なんだろうけども。


「師匠」


 来夏がぽつりと言った。先ほどとは違って小さな声だ。


「私はどうしてもエロゲーが作りたいんです。どうにかなりませんか?」

「工夫して女性視点で濡れ場書くのでは駄目なのか?」

「はい。どうせ書くなら、男性視点がいいです」

「なんでそこまでしてエロゲー作りたいんだ……って、聞いても答えてはくれないんだろう?」

「すいません。師匠にはいつか話しますので。どうかお願いします、師匠」

「ふーむ」


 そこまで言われちゃ仕方がない。ここでなんとかしてやらなきゃ、男が廃るってか。


「ま、そこまで来夏が言うならなんとかしてみようじゃないか」

「本当ですか?」

「嘘は言わんよ。俺にできる限りはしてやろう」

「ありがとうございます。今師匠への好感度が三ポイントくらい上がりましたよ」

「そ、そうか」


 そのポイントは、低いのか高いのか、基準が不明なのでさっぱり分からん。そもそも上がったところで何か意味があるのだろうかという疑問。


 まぁいいや。話はまだまだたくさんある。


「濡れ場に関しては今後書く特訓するとして、だ」

「はい師匠」

「来夏の書いたオープニングは、添削がまだ途中のままだったな」

「ふむん。そうでしたね」

「ということで、添削の続きだ。さっきも聞いたが、『side』って書いてあるこれは何かね、来夏君?」

「また同じ質問ですか。ですから、『side』という表記を使用すると、楽に登場キャラの視点が変更できるんですよ」

「そうか……」

「はい」


 あ、頭痛が再発してきた。くぅ……頭痛などに負けるものか!


 俺は襲い来る頭の痛みに耐え、なんとか来夏に答える。


「来夏よ。小説形式では『side』表記は厳禁だ。覚えておきなさい」

「なんと」

「普通の小説では『side』なんてみんな使ってないだろう?」

「そうなのですか? 私の情報によりますと、携帯小説とやらは『side』形式が珍しくないそうですが」

「下手くそが下手くその真似してどうするんだ。あれは小説ではなく、『ケータイショウセツ』という名の別物だと思いなさい」

「師匠がそうおっしゃるのならば」

「キャラの視点を変更したければ、その時だけ三人称で書くとか工夫しなさい」

「了解しました」


 下手に『side』表記を使用すると、数行おきに登場キャラの視点がコロコロと変わる悪文になってしまう恐れがあるのだ。確かに作者側からすれば便利かもしれないが、読者側からすれば甘え以外の何物でもなかったりする。


「次に、主人公が高校生とあるが」

「はい。龍光牙零魔(りゅうこうがれいま)は高校生にして武術の達人なんですよ」

「武術の達人とかいうのはひとまず置いといて、だ」

「はぁ」

「エロゲーでは高校生禁止です。登場人物は全て十八歳以上になります」

「おお。そこは盲点でした」

「主人公が『学生』なのは構わないから、『高校』ではなく『学園』に通っているということにしておきなさい」

「曖昧にぼかすわけですね。分かりました」


 エロゲーではうっかり『高校生』なんて表記してしまうと、偉い人から怒られてしまう。たった一つの単語で揚げ足を取られてしまう可能性もあるので、書く側は神経を使う必要がある。シナリオライターとは、かくも険しき道なのだ。


「最後に、お話のコンセプトについてだが……」

「『アルカンジュ・ワールド』のコンセプトは、無敵で素敵で最強の主人公による圧倒的なカタルシスですが」

「ああうん、そうだったね。とりあえず最初ってことで来夏には自由に書いてもらって提出させたんだが、最強主人公ってのは扱いが難しくてな」

「難しいのですか。どの辺りがでしょうか」

「うむ。圧倒的な力でカタルシスを伝えるのはいいんだが、序盤以降盛り上がりに欠けるんだよ」

「ふむん」

「なにせ、最初から最強だからな。強いから修行する必要もないし、敵が出ても瞬殺だし、大抵出会った瞬間にヒロインも惚れてるし。盛り上がりを線グラフで例えると、最初だけ急激に上昇して、後はガクンと下がる一方な感じだな」

「むぅ。それは問題ですね。私の予定では、後半に行けば行くほど話が盛り上がる予定だったのですが」

「シナリオとしてはそれが理想だな」


 最強主人公──それは書き手にとって非常に甘美な主人公である。


 最強だからなんでもできる。最強だから何をやっても許される。作者の理想をこれでもかと投影した主人公は、物語を開始直後から縦横無尽に蹂躙する。


 だが、そこまでだ。序盤で暴れるだけ暴れてしまうと、後は展開に詰まってしまうのだ。なんでもこなしてしまう主人公からこそ、何もさせることがなくなるという矛盾。


 WEB小説で数多くの最強主人公が登場するお話は、このような理由によって途中で更新停止してしまうことが多いという。


 ──閑話休題。


「ってことで、コンセプトもボツで」

「ボツですか」

「ボツです」

「内容もボツ。コンセプトもボツということは、つまり話の根幹から書き直せと」

「そうとも言うな」

「どうしても、ボツだと師匠は言うのですね」

「だからそう言ってるじゃないか」

「むー」


 来夏は多大な不満を目に添えつつ、頬を膨らませて上目使いで俺を見る。某消費者金融のCM風な捨てられた子犬の如き視線に、一瞬クラっときた俺だったが、かろうじて理性を死守。


「……とにかく、師匠の俺がボツと言ったらボツ。決定は覆りません」

「むむむ」

「不満そうだなぁ。そもそもな、主人公が異世界に召喚されるって、小説としてならともかく、素人が作るゲームのシナリオとしてはかなり難しいんだぞ」

「その心は?」

「背景画像が用意できないんだよ」

「ふむん。背景ですか」

「うむ。ノベルゲームってのは簡単に言うと、背景画像の上にキャラの立ち絵を表示するんだが、この背景ってのが曲者でな。素人製作だと自前で用意できない部分は版権フリーの画像を探してきて使うんだが、ファンタジー系の背景は非常に数が少ないんだよ。かといって、一から全部描いてくれるような絵師もなかなか見つからないしな」

「そういう事情でしたか。それならば納得できます」

「うん。だからノベルゲームでは、現代を舞台にしたものが多いんだよ。背景画像も、版権フリーのが豊富だし、いざとなればその辺の風景を写真で撮ってちょっと加工してやればすぐに作れるからなー」


 最近の画像加工ソフトは優秀なので、ボタン一つで簡単作成できるのだ。


「師匠のお話は理解できました。私の書いたオープニング……というか、物語の根幹から変更するのも、こうなっては仕方ないと思います。不本意ですが」

「不本意なのか」

「ええ、それはもう。これがもし理不尽なだけの理由でしたら、師匠の人中を中高一本拳で容赦なく突いているところでした」

「怖いな、おい!?」


 人中は鼻と唇の間にある、人体急所の一つである。ピンポイントで突かれると死ぬこともあるので、よい子はそんなことしないように。


「ですが師匠。さすがに全て書き直しとなると、どういった方向性にすればいいのやら分からないのですが」

「ふむ。それもそうか」


 方向性……方向性ねぇ。来夏の今の状態だと、方向性とか以前の問題なんだが。となると、あれしかないな。


「ちょっと待っててくれ」


 俺は来夏をその場に残すと、棚の奥から数冊の本を手に取って戻った。


「来夏にこれを貸そう」

「師匠、この本は?」

「ん、これ? 今流行のライトノベルと、昨年文学賞を受賞した小説」

「はぁ。それで、この本を私は読めばいいのですか?」

「読むだけじゃないな」

「ふむん?」

「写せ」

「写す? 小説の内容をですか?」

「そうだ。一字一句漏らさず、心を込めて写経の如く頑張ってくれ」

「何故ですか」

「いやー。だってなぁ」

「だってなぁ、じゃ分かりません」


 それもそうか。


「来夏の文章はあれだよ。方向性とか以前に文章作法からして壊滅的だからな。三点リーダー使ってないとか、疑問符、感嘆符の後に一マス空けてないとか基本ができてない。状況描写がないから、どこで誰が何してるのかが分からない。ストーリーもどっかで見たような話だし、オリジナリティーも皆無だ。そもそもゲームのシナリオってものは簡単そうに見えて、小説形式できちんと書ける人があえて軽く書いてるんだよ。つまり文章の基本ができてないと無理なんだから、まずは来夏も基本から覚えないとな」


 来夏は唇を噛みしめ、じっと俺の話を聞き入っていた。


「かと言って、来夏が少し文章書く度に一々それを俺が横から修正していくのも時間の無駄だ。となると、プロが書いた文章を頭から丸写しして、一度正しい書き方ってのを体で覚えるのが一番手っ取り早いと思ってな。まぁ、そういうことで頑張ってくれ」


 何より、この指導法は俺が楽でいい。来夏には口が裂けても言えないが。


「……分かりました。今日のところはこれで帰ることにします」


 俺から受け取った本を鞄に詰めると、来夏は軽く会釈して玄関へと向かった。心なしか、後ろ姿には元気がないような気がした。少し言い過ぎてしまっただろうか?


「来夏、ちょっと待ってくれ」


 気が付くと、俺は今まさに玄関のドアを開けて出て行こうとしていた来夏を呼び止めていた。


「なんですか」


 体は玄関に向いたまま、首だけこちらを向いた来夏に、俺は──。


「すまんが、少し金を貸してくれないか? あと一週間ほど金がなくて厳しいんだ」


 金を無心してみた。今日のうな丼は美味かったが、さすがに一週間は持たない。俺は野生動物ではないので、食いだめはできないのだ。


「頼むよ、来夏」


 俺は祈るように手を合わせる。プライド? そんなものは犬に喰わせてやれ。


 ゆっくりと振り返った来夏は、つかつかと無言で俺の方に歩いてくると、鞄から財布を取り出し、諭吉さんを一枚俺の手にねじ込んだ。


「おお、ありがとう! この恩は決して忘れ──」

「師匠の馬鹿」


 来夏の声と同時に鈍い音がして、目の前で火花が散った。きっと殴られた──のだと思う。それも平手ではなく、グーで。


「おおおおおう!?」


 痺れるような顎の痛みに、膝から崩れ落ちてうずくまる。ぷるぷると、生まれたての子鹿のように体を震わせた俺に、


「師匠の馬鹿」


 と、もう一度同じ台詞を繰り返し呟いたその声が、やけに耳の奥に残った。


 その日、俺が覚えているのは、そこまでである。


 顎をピンポイントで打ち抜かれ、脳を激しく揺らされた俺は、諭吉さんを握りしめたまま気を失ってしまったのであった。


色々忙しく、かなり更新遅れてしまいました。申し訳ない。

次はさすがにここまで遅くはならないはずです。

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